第2話 家政クレイフェルトの憂鬱


「お前らと力競べがしてぇんだが、どうだ?」

 着任の挨拶。獣族しかいない幕僚を見渡して、カラヤンは言い放った。

「別に御当主に取って代わろうってわけじゃあねえ。ここからティミショアラに攻め込む連中を他所へ追い払いたい。それだけだ。異存があるなら言ってくれ。ただし、拳でな」


「イチ抜けた」


 そう言ったのは、長い垂れ耳の青年だった。いや、獣人の外見と実年齢は魔法使いなみに分からないと聞く。幕僚だから中年以上なのかもしれないが、若く見えた。

せつは兎族のミスティオール。偵察が主任務さ。用事ができたら呼んでくれ」


「わかった。それなら、旧王国軍の動きは?」

「キキンダって小集落に集まって、そこから動きはまだないよ。でも相手のティミショアラは丘陵の城だ。四万の人兵では無理だろうね。だから攻めあぐねてるんじゃないかな」

「そうか……。わかった。後でまた偵察を頼みたい」

「了解だよ」


 首を傾げるように一礼すると輪の中から出た。


「他には?」

「セツも抜けさせてくれないッスかねえ。鼡族のラプタっす」

 小人ほどの背丈にずんぐりした体型。灰色の体毛。やや離れ目の青年である。


「担当は?」

「主に兵站ッスね。だから力競べとかきついッス」

「それなら、兵站の情況は?」

「冬ッスからね。短期決戦であればあるほどありがたいッスよ」


「そりゃ、まあ。もっともだな」カラヤンも肩をすくめる。

「手許の計算によれば行軍可能日数は、四六日間。それ以上はティミショアラで補給が必要になるッスね。特に、きれいな水が」


 カラヤンはうなずいた。水の重要性を熟知している兵站は有能で、飲める水を調達できる兵站は優秀だ。水は生活の基礎。それは軍隊でも同じだ。むしろ同じ水を使いやすい環境なだけに病気を発する場合がある。


「わかった。後で詳細な備品リストを提出してくれ」

「了解ッス」

 ラプタも首を傾げるように一礼すると、小走りに輪から離れた。

「ならば、みどもも辞退しようか」

 ローブを着たフクロウにしか見えない獣人が言った。

「あなたは?」

「最年長モモチだ。まあ、助言役かな」

「助言役。たとえば?」


「ここにいる者達はこの場の小競り合いなど好まぬ。ただ、急にやって来た人族に何ほどのことができるか、と関心はあるかな」


「なるほど。いい助言だ。だが軍隊として動いてもらう以上、指揮系統は必須だと思うが?」

「無論。戦とは、情報とその伝達の速さが勝敗の明暗を分ける。だがな。お前さんは力競べで力量を測ろうというつもりだろうが、戦争は数だ。まして指揮官個人の腕っぷしなど些末事だ」


 それに対して、カラヤンは静かに顔を振った


「それは違うな」

「ほー」

「兵士において、腕っぷしというのはある意味上下関係を示す基準になる。自分の上に立つからには自分より強い者であって欲しい。それが尊敬であり信頼になる。まあ、従属のし甲斐というやつだ。おれがそうだったからな」


「では、自分より弱い上官は叩きのめして追い出すのかの?」


 カラヤンはガキ大将みたいな顔で屈託なく笑った。


「場合によっちゃあな。だがそんなことは滅多に起きねえよ。その時は、上官が悪い」

「ほっほっほーっ」


「確かに、あんたの言う通り戦争は数だ。だが同時に、軍隊は群れだ。強いヤツが弱いヤツを守り、弱いヤツはボスのために一丸となって敵にぶつかっていく。それが統制システムってもんだ。

 だが戦場ってのは妙なモンでな。強いから生き残り、弱いから生き残れないってもんでもない。強いヤツも弱いヤツも仲間に背中を預けて信頼を命綱にして敵の中に突っ込んでいく。それが軍隊だ」


「なるほど、なるほど。お前さんはここの連中から手っ取り早く、それを掴もうとしているわけか」

「察しが良くて助かるね。なら、もう単刀直入に聞こう。ここのボスは誰だ?」


「「オレだ」」


 ジェイドと呼ばれていた赤髪の騎士と、頬に黒縞の刺青を入れた黄髪の騎士が、名乗りを上げた。


「貴公は、ジェイドだったな」

「ああ。赤狼カルカラス族だ」

 差し伸べてきた手を、カラヤンは気負いなく握り返す。

「うん……っ。そっちは?」

「豹族のダルバインだ。オレはあんたとの力競べに依存はねえ」

「あんた達は、ただ喧嘩がしたいだけだろ?」

 赤髪の女騎士が茶化した。


「紅一点か。名前は?」

「同じく、赤狼族のカナデ。そこのジェイドの妹だ。鉄弓隊を預かっている」


 差し伸べてきた手をカラヤンは握り返した。と、カナデが引き寄せ、投げに入る。だが地面に背中から落ちたのは、カナデの方だった。


「うあっ。たぁ~っ、くそがっ」

「ヒューッ。やるねえ~」ダルバインが目を輝かせた。


 カラヤンは女騎士の腕を掴んで起こしてやると、言った。


「カナデ。投げる前提で握手をする時は、相手の体幹が前に崩れるよう、離れた位置から手を差し伸べんだよ。弓射のタイミング、任せていいんだな?」


「ちっ。ああ、戦場じゃあしくじらないよ」

 カラヤンはうなずくと、二人の騎士に獰猛な笑顔を浮かべた。

「さあて。それじゃあ、とっとと親睦会をすませちまおうか」


   §  §  §


 少し前に戻る。

 アデル・クレイフェルトは、カラヤン・ゼレズニーを家政室に呼んだ。

 大貴族の家政の執務室にしては、ひどく狭くホコリっぽかったのだろう、彼が咳き込む。普段使われていない部屋だ。


「このようなむさ苦しい所にお呼びだてして申し訳ありません。当家は引っ越しを始めましてな」

「引っ越し、でありますか」

 クレイフェルトは、それから机の脇に置いておいた少し折り目のついた羊皮紙の束を差し出す。


「これは」

「あの薬を入れた木箱のおがくずから発見しました。本作戦の作戦企画書の概要といったところでしょうか」

「どうしてそんな中から……、拝見してもよろしいですか」

「もちろん」


 羊皮紙の企画内容を読み進めるに従って、カラヤンの禿頭が真っ赤になった。本当に何一つ、報されてなかったらしい。


「……あいつっ。こんなガキのイタズラみてぇなことするために、おれを……っ?」

 まあ、さすがに企画書の面上では理解が遅れるのは仕方ないか。だが偽策としては悪くない。


「カラヤン殿。彼はなかなか興味深い人物のようでございますね」

「え?」

 カラヤンが企画書から顔を上げた。


「率直に申し上げて、彼が重要視しているのは〝旗〟です。たった五旗の識別旗で、公国内の雰囲気を様変わりさせるおつもりのようです」

「そりゃあ、つまり……あ、和解ですか!?」


 及第点。クレイフェルトは、我が意を得たりとうなずいた。


「かつて、〝七城塞公国〟は、ある日突然、当領国内に壁を建設しました。壁と言うには図々しいほど厚い長城です。それを取り壊し、ヴァンドルフ家と旗を並べる。これは公国の民にとっては画期的なことだと思慮いたします」


「はあ、なるほど」

「ただ、この狼という人物の奇策にも問題がございます。なぜ、六旗ではなく、五旗なのでしょうか」

「六?」

「中央軍です。一般には大公旗と称されている群青旗。ティミショアラに親征軍が駐留しているのならば、その旗もあってしかるべきと存じますが」


「そりゃあ確かに。ですが、大公旗はいわゆる神聖旗。本隊にあるべきじゃないでしょうか」

「それでは、ゼレズニー殿。その本隊は今どこに」

「もちろん、ティミショアラで……」


 クレイフェルトはゆるゆると顔を振った。


「壁の中でございますよ」

「壁の中? それは……ちょっとわからないのですが」


 落第点。将器はあるが、国内政治にはまだまだ……。


「ふっ。わたくしも可能性の問題に留めておりますので、まあ、この件はよいでしょう。それよりも、ゼレズニー殿。あなたの作戦立案を報告していただけませんか」


 カラヤンは少し考えて、踵を揃えた。


「こちらの情報によれば、旧王国軍四万はキキンダ村に駐留の由。その村に、四万の兵士を賄える準備はなく、一両日中にも移動を開始すると推測されます」


「ゼレズニー殿は、旧王国軍がティミショアラには取りつかないとお考えですか」


「はい。わがティミショアラは高低差十八セーカーの丘陵の上に作られた城塞都市であり、その城壁の高さは十一セーカーです。あれを投石機なしに乗り越えるのは事実上、不可能です。

 よって、彼らがあそこに留まってできることは、街道を封鎖して国外からの物資を止め、消耗戦に持ち込むのがせいぜいです。もっとも、ここ数日の寒波で、野盗を働くにも四万の兵を養えるほどの獲物が通りかかる前に、糧食が尽きるでしょう。ティミショアラは門を固く閉じているだけでよいのです」


「なるほど。では、旧王国軍は、そうなる前に巣作りをしなければなりませんね」


「はい。キキンダ村から南下してデオグラードに向かうと思われます。かの町は旧王国南部の要衝。アスワン侵攻により陥落しましたが、城壁はまだ生きております。そこを再度落として今後の拠点とする可能性が高いと愚考します」


然様さようでございますね。あと最寄りのヴェルシェも落とせば、ティミショアラへの睨みが利きましょうか」


「はい」

「わかりました。では、当主ダーヴィット・ヴァンドルフ名代として、申し上げます」

 カラヤンが少し居ずまいを正した。

「我が領からの貸出し兵力は、二万。期限は十五日とさせていただきます」


「えっ、日割りですか?」

「手許の情報を整理する限りにおいて、ミュンヒハウゼン公の現地到着を待てばよろしいかと」

「新共和国が援軍をよこすまで、ということでしょうか?」


 クレイフェルトはゆるゆると顔を振った。

「ミュンヒハウゼン公は、オクタビア王女に荷担した反乱軍を、助けなければなりません」


 反乱軍の貴族達を助ける。

 この言葉の真意に気づいたのか、彼は目を見開き、嘆息した。


 古来から〝冬に喧嘩する馬鹿〟という俗説がある。


 勝敗や損益に関係なく、冬という環境はつくづく戦争に向いていない。とにかく戦費が多くかかり、兵の心身が疲れやすく病気にもなりやすいため行軍が遅れる。

 グラーデンの変における国王直轄都市への同時一斉侵攻に、国王崩御が重なってなし崩し的に反乱軍勝利として大勢を決した。その戦費は莫大であったとクレイフェルトも聞いている。

 グラーデン公爵はさらに王位に就かず、王位継承権を放棄。新共和国として統治制度を樹立させたが、この維新を軌道に乗せるのにも金がかかる。

 もはや、新共和国陣営には、この冬いっぱいを戦うだけの余力は、ない。

 このことは旧王国軍についた貴族達にも、同じ事が言えた。


 財を蓄えねばならぬ冬場に兵を起こした貴族達の出費は軽くはない。四万という数に旧王国軍の士気が高いのは、せいぜい十五日。そこから先は四万という味方が彼ら自身に重くのしかかってくる。寒さと飢え。爵位の序列。誹謗中傷。そのどれか一つでも改善できなければ、脱走する兵が続出するだろう。


 グラーデン公爵は、そのタイミングを待って反乱貴族らに調略をかけ、オクタビア王女がまとう対抗勢力の鎧を一枚一枚剥がしていく。というのがクレイフェルトの読みだった。

 当家の弱味につけ込んだ狼という男もまた、これと同じ事を読んでいたようだ。


「なるほど。そういうことでしたか。……まったくあいつも水臭ぇ。それならそうと言ってくれりゃあいいのに」


(言わなかったんじゃない。言えなかったのだよ)


 クレイフェルトは、つくづく狼という人物が奇妙な思考をする怪人に思えて仕方がない。

 これまで一度も面識がないのに。

 それなら、どうやってこのアデル・クレイフェルトを〝魔人〟と、看破できたのか。


【 ヴァンドルフ家家政 アデル・クレイフェルト様


 突然のお手紙を差し上げるご無礼をお許しください

 そして、このような脅迫めいた提案を申し立てなければならない無礼を、構えてお許し願えれば幸いです


 すべては、御当主ダーヴィット・フォン・ヴァンドルフ様、ご病状への一助とならんがためであることを、ここに誓約いたします


 しかしながら、時はさし迫り、危急存亡にあるのは公国も、貴家も同じ。その重大性を衡量こうりょう(天秤にかけて考慮するの意)いたしますれば、壁を隔てた彼我ひがにおいて見方も変わり、その軽重についての論議も不毛となりましょう


 この度、まず当方から、御当主治療のための試験薬を考案いたしました。ご査収ください。


 成分は、オラデアの硫黄水に、マナ溶潜という当方独自の製法で調製した〝中毒マナ中和ポーション〟でございます


 試験手順は、御当主様より患部切片と健常細胞(髪や爪など)の目視可能な断片を、お渡ししたペトリ皿に入れ、この試験薬を数滴おかけください


 結果が見事、好首尾に終わった暁には、試薬と引き替えに、当方の術策(別紙参照)を用いて貴家の兵二万を拝借いたしたいのです。


 尚──、以下のことは、当方の取り越し苦労として付記させていただきます  】


 あの手紙は、もう読み返したくもなかったから、焼き捨てた。

 事実だとしたら、由々しいどころではすまない。


 運命の分かれ道というのは、いつも後になって気づかされる。決して戻れない獣道だ。


 赤狼族にしては陽気な少年が届けたこの手紙。

 その到着があと六時間早ければ、クレイフェルトの胸に反逆の憎悪を燃やすにたる讒言ざんげんとなっていた。


 しかし現実に届いたのは、旧王国軍がこの領邦から進発した早朝から六時間後の昼だった。

 この入れ違いに……、運命を感じずにはいられない。


(返すがえすも、あの御方のご気性の、なんと度し難いことか……っ)


『少年。誰からの書簡を持ってきたのかね。悪いが知らない者からの手紙は受け取れないな』

『狼だ。悪いヤツじゃないぞ』

『狼?』


『うん。とってもいいヤツだ。うちのマムも気にいってる』

『ほう。きみのお母さんがなあ。お母さんは何をしてる人かな』

『花屋だ。リエカにいる』

『リエカ? ……お母さんの名前は』

『エディナだ』


 では、あの時の赤子か。二〇年ぶりに再会した赤狼の子はクレイフェルトに書簡を手渡すと、さっさと帰ってしまった。

 読み終わった書簡を手の中で灰も残さず焼き捨てると、クレイフェルトは衛兵を呼んだ。

 廊下をのんびり駆けつける靴音さえ癪に障って、部屋を飛び出した。駆けつけた騎士達の間を抜けて大股ですれ違う。騎士達は歩き去る家政を、途方に暮れた様子で見送った。


『クレイフェルト様、いかがされたのですかっ』

『みなを講堂に集めよっ。御館様をこの館から別館へお運びするのだ。そして只今をもって、当館を破壊する』

『えええっ。は、破壊っ!?』


 突然の決定を伝えると、集まった館内の衛兵やメイドたちも目を白黒させた。


 そして、慌ただしくわが主を館から運び出した後、クレイフェルトは長年に及ぶグラーデン侯爵の贈り物ごと思い出深い居館を爆破した。

 すなわち、カラヤン・ゼレズニーが訪れた家政の執務室は、別館の物置部屋を急ごしらえした部屋だった。


【尚──、以下のことは、当方の取り越し苦労として付記させていただきます 


 すなわち病前、推定一〇年以上の長期にわたり、グラーデン・フォン・ミュンヒハウゼン侯爵より御当主へ賜った贈り物がいまだ貴家にございますでしょうか


 もし、それらが御当主のそばに置かれているのであれば、一つ残らず、焼却なさいますよう


 おそらく、あなた様がこれまで考えておられる御当主の容態は、呪いではありません

 原因は、高濃度のマナ撒布さっぷによる被爆と推測いたします


 侯の狙いは、未必みひつによる御当主の死


 いては、〝魔人〟である、あなた様の御身なのかもしれません

                                      狼  】

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