第3話 キキンダ平原の決闘(前編)


 アデル・クレイフェルトは困惑した。

 なぜだ。病状を診ても聞いてもいない状態で、見ず知らずの匿名者に主人の薬が作れた。

 あり得ない。信じられない。

 おまけにグラーデン公爵が、気の遠くなるような年月をかけて実子を手にかけようとしていたというのか。

 だが、ミュンヒハウゼン家からの贈り物には心当たりがあった。


『アデル。またノボメストの父から贈り物にあの〝石〟が届けられてきたよ。きれいなんだけど、芸がない。お前を召し抱えようと、こんな物で私の機嫌を取ろうとしてるなんて笑えるな。

 アデルを私の生涯の家族だと言ってるのに。まったく、いつになったら父も聞き分けてくださるのかな』


 そう言って苦笑した。わが主ダーヴィット・ヴァンドルフが十六歳の時だ。


 グラーデン公爵が二〇年にわたって三男に贈り続けていた物は、マナ鉱石だった。


 高濃度のマナが高温高圧によって結晶化したとされる稀少石で、親指の爪ほどの大きさで時価三〇〇〇ロット。古代魔術師は、これ一つで〝原転回帰リザレクション〟が発動できたと伝えられ、〝命の石〟とも称された。

 ところが近年、帝国魔法学会がこの石から大気中に揮発きはつ放出されるマナが、周辺環境に悪影響が出るおそれがあると中間報告を発表した。


 マナ汚染の被害が進むと魔物が現れる場合がある。と。


 その鉱石から放出されたマナが柱や壁にしみついて被爆したのなら、もはやこの居館は使い物にならない。焼き払って土に還し、マナを還流させてその希釈を待つほかない。


(マナ鉱石から魔物が生まれる。マナ鉱石の揮発マナを吸ったダーヴィット様が魔物……っ!?)


 主は鉱物を集めるのが趣味で、元親から贈られる美しい七色鉱石を好まれていた。


 手紙を読み進めるほどに、それらに辻褄が合ってしまう。

 けれどグラーデン公爵がわが子を殺そうとした証拠はない。悔しいが、ないのだ。


(わが子の無邪気な趣味を逆手に取り、あまつさえわが子を魔物に変えても、おのれの魔人集めの趣味を貫くか……グラーデンっ)


 だが今は、わが主の治癒が最優先される。あの薬は少量だったが効果はあった。

 三年ぶりに主に声が戻った。

 礼は言わぬぞ、狼という男。しかし、お前の鬼謀には乗ってやる。


「それではカラヤン殿。ご武運を」

「はっ。西方都督補ヴィクトール・バトゥに代わりまして、感謝を申し上げます」

 公国式の敬礼がどこか板につかないこの男を、脅迫者はどうやら出世させたいらしい。


  §  §  §


「これを持ってお行きよ」

 キキンダの町。

 馬に乗ろうとした時、背後からグルドビナが声をかけてきた。

 振り返ると、剣をひと振り持っていた。


「武器ならある」

「これは武器じゃない。きみ用の盾だ」

「あぁん、どこが盾だよ」

「バックソードと言ってね。片刃だ。うちの売れ筋商品でもあった」

「いらねーよ。今持ってる剣で重量超過だ」


「面倒くさがるなよ。一日半の足止めだ。剣が折れた時の予備だと思ってくれていい」

「買ったばっかでろくすっぽ使ってねえだろうが。第一、く場所がねえ」

「剣を背負ってるきみの胸から下は足だったのか?」

「歩きにきぃんだよ」

「馬に乗っていくんだろう。まったくもう、正念場になってもつべこべ言うね。じゃあ、仕方ない。これだけは言わせてくれ」

「んだよっ」


「今、きみの背中が隙だらけだった」

「は?」


「僕に武術の経験はないけど、たまにそんな人を見かけることがある。だから持ってお行きよ。今のきみに死なれては、僕が困るんだ」


 パラミダは差し出された剣を見ず、小太りの小男を見つめる。


「おれぁ、ここで死ぬのか?」

「何言ってんの。知らないよ。きみこそ、自分の武運がここで尽きそうかい?」


「……へっ。いや」

「なら、気張りなよ。撤退の鐘を打ったら、帰っておいで」

「撤退? どこへ逃げようってんだ」


「あのね。敵を足止めするんだろう? 退がっても追ってこられないよう派手に叩きのめせばいいじゃないか」


 パラミダは一瞬呆気にとられて小男を見る。


「あー。んだよ。そういうことかよ」

「うん。そういうこと。他に気がかりはある?」


「いや。ねーよ」

 即答した。バックソードを掴み、腰に佩く。抜くと厚刃で、峰の方が厚い。


「重さで切る感じか」

「基本的にはね。でも切ることは考えないでくれ。あくまで盾や意表を突くための囮として使うんだ。雑な言い方をすれば、使い捨ての保険だよ」

「ふんっ、わかった」


 鞘に戻すと、パラミダは馬に乗った。

 もはや互いにかける言葉もない。馬上から地上へうなずくと、パラミダは馬の腹を蹴って歩かせる。その後をアラディジの騎馬が続く。


「お前ら。死にたくなかったら、おれの後からついてこい」

 すると、部下達は爆笑して、

「あんたの後ろにいると給料が増えないんだ。グルドビナは見てないようで、しっかり見てやがるんでな」

「ふん。なら、このツヴァイハンダーより多く敵をあの世におくったヤツには、おれが一杯奢ってやるよ」


 ひゅ~っ。部下から歓声と笑いが起きた。およそ死地に向かう雰囲気ではなかった。

 パラミダは表情を引き締めて、声を張る。


「敵は一万を超えた。相手にとって不足はねぇっ。斬って斬って斬りまくれぇっ!」


 歓声はやがて馬蹄と混じり合い、そして鯨波になっていく。

 敵陣まであと三〇〇セーカーとなったところで、先頭を征くパラミダが停止命令を出した。


 敵が、静かすぎる。


 グリフォンと四色の龍旗が風にたなびく。

 その先頭にたたずむ一騎は、革の鎧。そして──。


「あの頭巾兜は……ウスコクの」

 こんな海のない平原で見かけることになるとは、夢でも見てるのか。


「カシラぁ!?」

「カシラ。なぜ止まるっ!」


 部下達が怪訝に吠える。決死の覚悟に水を差されて機嫌悪く、うなる。

 わかってる。おれはもう一軍の将だ。部下を持った身だ。軽率ワガママはもうできねえ。

 けど、もう一人のオレが言ってる。

 いや、そうじゃねーだろ。おれは一軍の将になった。


 今なら、〝資格〟があるんじゃねえか。今こそ──、


(──豪傑バケモノと戦う資格が)


「ムカリ、ボオルチュ。頼みがある」

「頼み? おい、パラミダ。ここまで来てふざけてるのか」

「向こうで先頭テッペンにいる奴と、一騎打ちタイマンを張る」


 とっさにボオルチュが吠えようとするところを、ムカリが無言で顔を振る。

 ボオルチュは一瞬、気後れした表情を見せると怒ったように吐き捨てた。


「死に際まで来て、冗談だろっ。あんたが獲られたら、オレたちゃあ嬲り殺しにされんだぞ!」

「あの先頭にいるヤツは、おれの一生に一度の獲物だ」


「獲物? 知り合いなのですか」ムカリが訊ねる。


「たぶんな。あの頭巾兜は、おれの家で使ってた海賊兜だ」

「海賊。どういうことですか? 相手は誰です?」


「カラヤン・ゼレズニー。名前以外は、うまく説明できねー。ずっと憧れてて、恨んでて、殺したいと思っていた。けどあいつの本気が見られるんなら殺されてもいいとさえ思う。そんな相手だ」


「そんなわけわかんねぇのが、今頃来んのかよっ。こんな所にいるわけ……っ」

「ボオルチュ」ムカリがその先を言わせなかった。「もう無理ですよ。カシラにしか分からない心境なのでしょう。人違いなら今のカシラに敵う者はいない。違いますか?」

「っ……くそっ。もう勝手にしろっ」

「悪ぃな。ムカリ、ボオルチュ。……恩に着る」


 パラミダは馬の腹を蹴って、ゆっくりと単騎で進んだ。

 すると、頭巾兜も単騎で近づいてくる。背後の軍勢は一歩も動かない。

 馬頭はやがて、およそ三〇セーカーを空けて止まった。


「王国軍アラディジ遊撃隊隊長パラミダ・ヤドカリニヤ・アルハンブラ」

「七城塞公国西方都ティミショアラ遊撃隊長カラヤン・ゼレズニー」


「約束通り、将になったぜ。。おれと本気で仕合ってくれんだよな」

「ああ。約束だったからな。もっとも、たった四年でこんな所で実現しちまうことに、正直驚いてる」


 約束。覚えていてくれた。パラミダの胸に初めてじんわりと熱がともった。


(そうさ。おれは、やっと、ここまで来た……っ!)


 背中からツヴァイハンダーを抜く。

 本来は、左手で柄を握り、右手は〝刀柄リカッソ〟と呼ばれる刃引きして猪皮を巻いた刀身を握るのが一般的だ。

 だが、パラミダの長剣にはひと工夫あって、このリカッソに四指を入れる指貫穴が空けられており、刃がガードになった状態で振れる。手の大きさにぴったりで握りやすい。


 対して、カラヤンは厚刃の偃月刀クレイブだ。柄は本来の半分にして取り回しをよくしてある。そして、腰には魔剣〝ルーナガルム〟。


 お互い、身の上を懐かしむ言葉はかけなかった。意味がなかったから。


「「いざ、勝負ッ!!」」

 両騎は同時に地を蹴った。


 ──グゴォオオオン!


 最初の一合は、およそ剣から出るような衝撃音ではなかった。

 二頭の騎馬が餓蛇がじゃのごとく互いを喰らわんと輪舞まわる。


 ──グゴォオオオン! グゴォオオオン! グゴォオオオン! 


 両陣営にまで届く刃合の鬼哭は、見守る者すべてを凍りつかせた。

 冷たい大気が熱く揺らぐ。ほとばしる鉄火の匂いが馬を狂奮させる。


「ごぁおおおおっ!」

「だぉらあああっ!」


 強烈な裂帛とほぼ同時に、二人の兜が飛んだ。

 パラミダの額から紅一条が伝う。

 カラヤンの頬にも赤い一線が走っていた。

 二人とも、愉しくてしょうがないといった表情だった。


   §  §  §


「こりゃあ、いかんな」

 ヴァンドルフ陣営。モモチはイスに座って杖を回す。

「おい。お爺。二人の戦いに水を差そうってんじゃねーだろうな」

 ダルバインが杖頭を掴んで止めた。


「そうではない。というか、誰があの中に立ち入って止められるというのだ。たちまち切り刻まれて鍋の具にされてしまうぞい」


「そりゃあ、まあな」

「止めるためではない。あの二人、決着がつかぬものを決着させようとしておる」

「あん?」

「お爺。呼んだかい」

 耳長のミスティオールがやってきた。


彼方かなたの観測士を捜してきてくれるか。このままでは埒があかぬでの」

「それなら、キキンダの村の教会鐘楼に物見が立ってたよ。それでこっちを捕捉されてた」


「よし。ならば、そこと連絡を取れ。撤退合図を合わせろや、とな」

「まだ前哨戦だよ。応じるかな」


「応じるに決まっておる。おそらく彼方の相手も、この戦の総大将じゃぞ」

「えっ。なんで?」


 モモチは丸い眼を鋭くすがめた。


「あの気迫。後がない者のそれだが、自分が討たれれば軍が崩れるとわかっておる鬼気だ。あれほどの将器。両者相討ちでは少々もったいない」


「マジかよ。総大将同士で一騎打ちとか、何やってんだよ。あいつら」

「あはは。人族ってつくづく面白いよね。じゃ、行ってきまーす」


「ダルバイン」

「お、おう」


「ジェリドとカラヤン回収の用意を頼む。馬が潰れてから用意したのでは間に合わぬでの」

「おし、任せろ」


一方──、

「グルドビナ。敵陣営から鏡面信号」

 鐘楼に登った観測班が、敵陣営からの鏡の反射光で信号を伝えてきた。

 鏡信号は本来、味方内で行う通信法だ。しかも敵に発見されやすい。それを敵陣営に向かってやる意味が分からない。


「よし、送れ」


「イッキウチ ナガビク テッタイ アワセロ」


 エチュードは嫌な予感がしてテーブルの地図から顔を上げた。

 弟から鐘楼に登るなと言われているので、観測班の情報しかわからない。


「なんで一騎打ちになってるわけぇえっ!?」

「わかりません。現在も単騎で交戦中です」


「そんな大事な報告、受けてない! どこ見てたの!」

 いつになく怒鳴ると、短躯で鐘楼のハシゴを登った。


 観測班から望遠鏡をひったくると、戦線を張っている平原にレンズを向けた。

 大きな軍勢の激突はない。静まり返った両陣営の真ん中で騎馬が二騎、凄まじい応酬をしていた。

 相手は禿頭の男だが、怖ろしく強い。あのパラミダと互角以上、豪傑クラスだ。

 そしてついに馬が二頭同時に倒れた。二人の戦いに馬がついていけずに潰れたらしい。


「あっ」エチュードはすぐに地上に怒鳴った。「シュカンピっ。撤退の鐘を鳴らせっ!」

「けど、グルドビナ。任務は足止めだろうが」


 地上からシュカンピが反論する。


「総大将が一騎打ちで負けたら足止めも足抜けもないでしょうが! 鳴らすんだっ、早く!」


 パラミダが死んだら、ここで僕も終わりだ。


 諦めるなよ。英雄は窮地にこそ輝くんだぞ、パラミダ。

 鐘楼の鐘が動き出して、大音量がエチュードの耳をつんざいた。


 思わず耳を塞ぐ。大音量に視界まで揺らいで、エチュードは鐘楼の足場から足を踏み外した。

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