第4話 キキンダ平原の決闘(後編)


 馬が血泡を吹いて、頭から地面に突っこんだ。

 互いに地に投げ出されたが、パラミダはツヴァイハンダーを杖にしてすぐに立ち上がれた。


 一方、カラヤンは倒れた馬の下敷きになった。


(今なら。とどめを刺せる……っ)

 千載一遇の好機。前に出ようとするその後ろ髪を、何かが掴む。

(これが、おれの……実力っ?)


 見えないチカラに戸惑った。一歩前に踏み出すのにどれだけかかった分からない。

 足下の地面に敵の矢が刺さる。跳びすさって着地した時には、部下と思われる屈強な男たちが駆け寄っていた。

 たった二人だけで血泡を吹いた馬を軽々とどかし、他の二人がカラヤンを助け出した。意識はあるようだった。


(よし。まだやれる……っ)


 好機は逸したが、負け惜しみでもない。わき起こった感情の名前もわからず、苛立たしい。

 パラミダは頭を振ってツヴァイハンダーを構えた。その時だった。


 そこに後方で鐘が鳴った。ヴァンドルフ側でも撤退の戦鼓が打ち鳴らされる。


「ちぃっ。ここまできてっ、ここが退き際だってのかよ!」

 おれはまだやれる。おれはやれるんだっ。


「ぐっ。ううっ、パラ、ミダ……っ」

 二人の男に両肩を担がれつつ、泥にまみれたカラヤンが睨みつけてくる。その目は死んでいなかった。


「三時間後だ。今日一日で決着カタをつけるぞ。明日からはお互いのツラを見ないようにな」


「あ……ああっ! 次こそてめーをぶった斬るっ!」

 うなずく。望むところだった。


 駆けつけたムカリの馬に引き上げられ、パラミダは撤退を開始した。


「あいつ、一体何なんだ? 恐ろしく強かったが」

 併走してくるボオルチュの問いに、パラミダは清涼すがすがしく笑った。


「次に、ヤツをたおせたら教えてやるよ。おれが斃されたら、ヤツにでも訊け」

「やれやれ……後者はお断りしますよ」


 キキンダ村の教会に戻ると、シュカンピが首から左腕を布で吊っていた。

 聖堂の奥の作られた仮設寝台にグルドビナが仰向けで寝ていた。


「何があったっ!?」


 パラミダは思わず敵の奇襲を予感した。

 シュカンピが疲れた声で応じた。


「お前らが勝手に一騎打ちを始めたと聞いて、グルドビナが鐘楼に登ってな。撤退の合図を出した時に足を滑らせて足場から落ちた」


 その後を弟のダグヴェが継いだ。


「それをとっさに兄貴が受け止めたんだ。けど、グルドビナはテーブルに頭と背中を打って気を失ってる。命には別状ないみたい」


「シュカンピ。お前の腕は」

「グルドビナを受け止めた時に左肩が外れたんだ。大したことじゃねえ」

「んだよっ、あれ生きてんのか……よかった」


 同郷たちが怪訝そうな顔で見つめてくる。


「んだよ、お前らっ」

「いや……。それで、一騎打ちには勝ったのか」

「お互いの馬が潰れたから、仕切り直しだ。三時間後にまた出る」

「よほど相手だな」

「相手は、ムラダーだ」


「なんだと?」もと不良達が一斉に総大将を見る。


「敵の総大将は、カラヤン・ゼレズニーだ」


「ちょっ。おい、ウソだろ? あんなバケモノがこんな所にまで現れるのかよ」

 シュカンピは額に脂汗をかいた。

「どうりでグルドビナが泡食って撤退の鐘を鳴らすわけだ」


「グルドビナは、カラヤンの顔をしらねーだろが」

「さあな。それより三時間しかないんだろ。武器の調整、回しとけよ」


 割と雑にあしらわれた気がして面白くなかったが、反論する言葉もないので、そのまま従う。と、潰れた馬の代わりを頼もうとして振り返ったら、シュカンピは仲間から手渡された木札を厳し横顔で読み込んでいる。


「まずは足止め、成功だね」


 突然、背後から声がして外へ振り返ると、グルドビナの片割れが立っていた。

 ポロネーズだ。いつものニコニコ笑顔が鬱陶しい。


「お前の兄貴、鐘楼から落ちたらしいぞ」


「聞いたよ。兄さん、人より手足が短いんだ。だからハシゴとか登ってるとよく足を踏み外すし、高い所でうまくバランスがとれないんだ。今回もそんな感じかな。シュカンピが受け止めてくれなかったら、死んでた」


 口調はやわらかいが、目は人間性が散っていた。


「兄さんが死んでたら、きみらの首はこの場で、俺が獲ってたけどね」

「ああっ? 何言ってんだ、お前っ」

「兄さんはね。きみが死のうと死ぬまいと、もう次の計画に動いてるよ」

「次の、計画?」

「撤退戦さ」

「撤退ぃ? どこに逃げるってんだよ」


「シュカンピくんが今それを少しでも処理しようとして地図に書き込んでるだろ。彼は兄さんの傍で成長著しいからさ。ふふっ。みんな、どこかの誰かさんみたいに、いつまでも不良少年のままじゃないんだよ」


 撤退戦。グルドビナの真意を覗きたくてシュカンピのそばに行こうとしたら首を掴まれた。

 力はさほど入ってない。だが親指にわずかな力が入るだけで、堕される。この男にはその技術があると直感した。


「なんなんだよっ、てめぇ!?」


「きみの仕事はそっちじゃないだろ。大盗賊ムラダー・ボレスラフがまだ生きてたなんて知らなかったけど、でもきみがその息の根を止めてくるんだよね。それがきみに今できる仕事だ」


「おれに命令すんじゃねえっ!」

「俺は兄さんほど甘くないよ。飾りなら飾りらしく、派手に動いて周りの気を引いてればいいんだ」


「おれが飾りだぁ?」

「そうでないなら、次はちゃんと仕留めてこないとさ。できなきゃ、ずっと旗飾りだよね。もちろん、攻め焦ってその首がんだ時はわらってやるから、さぁ。ぷふふふ」


 ずっと掴まれていた首をようやく解放されたと思ったら、いなくなっていた。

 パラミダは掴まれた所を手でもんだ。


「あの野郎ぉ、ずっと猫かぶってやがったのか」


  §  §  §


「モモチ……どうだ」

 寝台に横たわり、カラヤンはフクロウの賢者に訊いた。

「肋が三本傷ついておるぞい」


「治癒魔法を使える兵は、いないのか」

「三時間で平癒するのは難しいの」


「かまわねぇよ。時間いっぱい頼む」


 モモチは小首を傾げて、魔法の詠唱を始めた。

 天幕の天井を見上げて、カラヤンは内心でため息をついた。


 ツキがなかった。馬が潰れたタイミングが同じ。なのに自分は下敷きで、パラミダは外に投げ出された。あのままジェリドやダルバインの救援が遅れていたら、止めを刺されていただろう。


(いや、救援が来ただけ、おれのツキはまだ終わっちゃいねぇ。のか)

 そのまま目を閉じると、カラヤンは眠気に誘われていった。


   §    §

  

「なあ、あんた。大義賊のムラダー・ボレスラフなんだろう?」

 四年前──。セニの町。


 釣りをしていたら、地元のクソガキに呼び止められた。

 その中に義兄弟スミリヴァルの息子がいたのは、海に投げ込んだ後で知った。

 一応、詫びに行ったのに、夫婦そろって感謝された。


「私もブロディアも忙しくてな。パラミダを叱ってやれる時間がないのだ。そのせいか家にも寄りつかなくなってしまった。恥ずかしい限りだ」


 パラミダ。そこで名前を知ったが、同情してやる気にはならなかった。とても愛情に飢えた裏返しでやさぐれているようには見えなかったからだ。


 悪の快楽を愉しんでいるように見えた。

 そういうヤバいのは大人子供の隔てなしだ。

 カラヤンは意図的に、パラミダを避けてきたところがある。

 面と向かって諭す気になれなかった。悪を悪と知っててやっている。理性的に悪を試す。


 生きるための悪ではなかった。娯楽としての悪。暇潰しの悪なのだ。

 注意すれば、彼は自己弁解に欺瞞を吐き捨てる。


 他人の迷惑になっていないんだからいいだろう。と。


 声上げられぬ弱者を興味本位で虐げる行為を小賢しく正当化する。

 弱い境遇にあることに乗じて甘え、怠惰で悪だと。高い場所から見下して。


 そして、事件は起きた。


 パラミダが少女を人気のない場所へ連れ込み、暴行未遂を働いた。相手はスミリヴァルの片腕とも言える主計長の娘。未遂で済んだのは、同じくスミリヴァルが目にかけてきた船頭ゴーダの息子が現場に飛び込んだからだそうだ。まだ十二歳にしては勇敢だ。

 その息子の行方が分からないと騒ぎになった。


「海だ」


 カラヤンはゴーダに言った。迷っている暇はなかった。ゴーダに船を出させる。その船にカラヤンも乗った。


「こんな時に、夕まずめ(日の入り前後)の潮目がいつもと変わってるっ」

「だったら潮目が変わる前の、一番誰も近づきそうにない水域に向かえ」

「旦那。どうしてそんなことでわかるんです?」

 とっさにパラミダの顔が脳裏に浮かんだ。どう説明していいか分からない。


「犯人は娯楽や暇潰しで悪事に手を染めてる節がある。そんなヤツが考えることは、まず、〝自分に責任がかからない方法〟で、気に入らない人間とその家族を絶望させることだ」


「なっ……それじゃあ息子は、パラミダ、坊ちゃんが?」

 ゴーダも犯人の目星がついたのか絶望的な表情になる。

「ゴーダ。今は犯人捜しは後だ。急げ!」


 父はわが子を掬うため、手の皮がめくれるほど懸命に艪をこいだ。けれど、水域についた時、その手で海底にいる息子を引き上げるのは不可能だった。


 だから、カラヤンがナイフをくわえ、錨とランタンを持って海中に飛び込んだ。


 ランタンの中に「ランタンイカ」という発光するイカを三杯入れた。暗い海をイカの光でどうにかなるはずもないが、ないよりマシだと思って持ってきた。


 ところがこの三杯のイカが、ランタンの中で喧嘩を始めて発光が強くなった。

 いつ思い出しても、あれは幸運だったとカラヤンは笑うほかなかった。


 ゴーダの息子は、引き揚げた船の中で息を吹き返して父親を歓喜号泣させた。町も大騒ぎになり、ゴーダは有名人になった。


 カラヤンは、この事件で一度も自分の名前が出ないと、犯人はどう動くかを試した。

 それからスミリヴァルに頼み、ボロ屋を一軒借りて住むことにした。


「頭は狙わん。その代わり四肢は砕かせてもらうぞ。いいな、スミリヴァル」

「ああ……頼む」


 半殺しではない。生涯ベッドから起きれない状態にする。

 誰も裁けないのなら、裁かないまま誰かが地獄へ叩き込むほかなかった。


 その二日後だった。家に人影が現れた。


 命がけでわが子を救う父もいれば、家のためわが子の未来を殺そうとする父もいる。それが人間だとカラヤンは他人事で割り切るつもりはない。


 だが、まあ……なんというか。結局この制裁計画はうまくいかなかった。

 訪れたのは、パラミダではなく彼の姉のメドゥサだった。


「まあ、ムラダー。その、なんだ。今日は月がないので……いろいろとな」

「ぷっ。ああ、そうかもな。今日はツキがねぇ」


 カラヤンは来客を部屋に招じ入れた。

 後で分かったことだが、パラミダはすでにカーロヴァック市へほとぼりを冷ましに出かけていた。

 要所要所で難避を見せるパラミダの悪運は、どんな神に愛されたのか底知れなかった。

 今回も、そんな気がする。

 パラミダの悪運に、カラヤンは追い詰められている予感がした。


  §    §


「なあ、モモチ……」

 目を開けると、そばに大フクロウの巨顔があった。ちょっとびっくりする。


「悪運ってのは、いつ尽きると思う?」

「悪運か。さあて。戦場だけに限るなら、おのれを偽った時ではあるまいかの」


「おのれを偽った時……か」


「ふむ。そもそも悪運とは幸運ではない。思った通りにやったら、なぜかまかり通った。それが悪運じゃの。ならば、思ったことを押し通し続ける間はずっとその悪運が続く。

 しかし、少しでも思ってきたことをおのれで曲げれば、悪運は消えるだろうよ。つまるところは、危ない橋を突っ走れる勢いよな」


「なるほどな。……突っ走れる勢い、か」

「どうかしたかの」


 カラヤンは、ぼそりと言った。


「昔、小さな港町で悪さを働き続けたガキ共を痛めつけたことがあった。殴られるだけの悪事を働いたんで、おれも多少は本気になって相手の手足を折にいったつもりだった」


「ほー」


「だが、ガキは意外と良い拳を持ってて殴り合いになった。おれも年の功で、真っ向勝負は避けたつもりだった。そんな時、向こうがついに焦れてな。剣を抜きやがった」


「ふむ。若さゆえに勝ち負けを決めねば、どうにも収まりがつかなくなったかの」

「たぶんな。それでおれは、そのガキと妙な約束をしちまったのさ」


「ほっほっ。斬らなかったのかね」

「いくら悪ガキでも子供を斬る趣味はねぇよ」


「それとも、惚れた女の家族は斬れなかったかな?」

 カラヤンは思わずフクロウ老人を見た。


「なぜ、そこまでわかった?」


「悪運とは、時として幸運とは異なるが絡むことがある。お前さんが急に悪運など言い出したから、自分のことではなく向こうの若造のことだと推し量った。その若造を心から嫌いになれなかったのには、その周辺に事情があると踏んだだけのこと」


「くくっ。恐れ入った。あんた、うちの狼みたいに勘働きがうめぇな」

「ほっほっほっ。褒め言葉と受け取っておくぞい。それで、どんな約束だったのかな」


 ──おれに斬られたければ、一廉ひとかどの将になれ。

   お前の首級でおれを出世させろ。おれの剣は、ガキ相手に抜くほど安かねぇ


「大将殿……。次の一戦、斬れますかな」

「ああ。さっきの立合いでわかった。斬らなきゃ、おれが斬られる」


 寝台から起き上がると、痛みは薄れ、少し違和感が残る程度にまで落ち着いた。


「うん。なんとかなりそうだ。かたじけない」

 モモチがフクロウの目をぱちくりさせる。そこへ天幕の外からジェリドが入ってきた。


「大将。例の若造がまた来た。今度は手勢を後方に下げ、三騎だけで進んできた」

「了解だ」


「それと、これはラプタから力水の差し入れだ」水筒を差し出された。

「ありがたい。……ふうぅ、うまい。これが死に水にならなきゃいいがな」


「ふっ。そういう軽口が叩けるうちは、くたばりそうにないな。安心した。新しい馬の用意はできているぞ」


 肩を叩かれ、末弟にそっくりの獣族が天幕を出ていく。

「なあ、ジェリド」

「ん?」

「時に、あんた。いくつだ?」

「オレの歳か? ……五六だが」

 うちの末弟は、まだまだガキかよ。カラヤンは知らず、怖じ気が消えた。


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