第5話 武運 対 悪運
再開に言葉はいらなかった。
五〇セーカー。間合いは、前よりも離れていた。
パラミダの戦法は、単純だ。馬の突進力に物を言わせた攻撃と離脱。だが頭でわかっていても早々避けきれるものではない。元より同じ単騎馬上にあっては受けて立つほかない。
カラヤンは頭の中であらゆる角度からの攻撃を想定した。思わず脇腹に意識を向ける。
「勝負は一手詰み……か」
受け
そのこちらの挙動を合図に、パラミダは猛然と突っ込んできた。
不思議と焦りはない。
カラヤンは呼吸の
§ § §
──あと、この花はどうしたらいいですか。
──そいつは町を出るまで枯れても持ち歩け。フードを上げて奥襟に差してもいい。とにかく、それが町のモンに見えるようにしとけ。町を出たら捨てていい。
リエカの町で、ムラダー・ボレスラフのとなりに妙なヤツがおさまっていた。
半人半狼の怪人。なんだありゃ。わけがわからなかった。ひどく混乱した。
その夜。
ロジェリオをダシにしてカマをかけた。戦斧を剣と同じ動きで使う。それなりにできるヤツだと思った。
ケンカを売った。姉があの怪人をかばった。本気で商人になるつもりらしい。また混乱した。
姉も奪られ、奪った英雄のとなりに立つ権利も、怪人に奪られた。
もう、嫌だ。全部ぶっ壊してやる。
なのに、その怪人がおれに言った。
──その日から、パラミダの名はアスワン軍から高額の賞金首に成り上がる。ムラダー・ボレスラフを超えた大悪党として三国に響くだろう。〝ビハチ落としのパラミダ〟。ウスコクのパラミダじゃない。お前だけの名前だ。
おれがあの英雄を越える。たぶん、おれは怪人の口車に乗せられて、他の不良と一緒に体よく町から追い出されたんだろう。おれがいなくなった後の町は、石けんで大儲けして今じゃどこに行っても、あいつの作った石けんがある。
まだ一年も経ってないのに。
「そっか……まだ一年経ってねーのか」
去年の夏は、どんな暑さだったかもう覚えてなかった。
秋は、渡る世間が敵ばかりで何かうまい実りを食えたかも、覚えてなかった。
ここの内陸の冬は、寒さだけが身に沁みる。
この一年、無我夢中で突っ走ってきた。
そしてもうすぐ、その結果が出る。
──パラミダ。きみの得意なことは何だ?
「へっ。おれの得意なことはな。強ぇヤツと戦うことだ!」
カラヤンが得物を左に持ち替えた。
ここだ。
パラミダはツヴァイハンダーを右に構えて馬の腹を蹴った。
カラヤンが左手で得物を使うためには、パラミダの左面につかなければ劣後する。必然、向こうが長い距離を走ることになる。その進路を阻み、先にパラミダがこのまま直進して右面から突っ込めば、ガラ空きの脇腹を強襲できる。
速度の出た馬上で重量のある長柄物を構えて突っ込む場合、途中で体勢の切り替えはできるが、その針に糸を通すほどのわずかな
恨みっこなしの
このまま押し切ってわずかな
あと一〇セーカー。接刃まで二秒後──。その時だった。
カラヤンが、
(──左は
パラミダの背筋を寒気が駆け抜けた。だがここで集中を途切れさせれば、死ぬ。
おれは、おれの道を──、信じろっ。
「だぁあらああああっ!」
騎馬が交差した。
馬の頭首が宙に舞った。ツヴァイハンダーが馬ごとカラヤンの胴体を閃斬──。
(なっ!?)
馬の首とともに地面を転がったのは、パラミダの剣身だった。
カラヤンの右手には、細身の片刃剣。
こっちが本命か。
(ツヴァイハンダーが、斬られた……ッ!?)
刀身の半ばから切断された剣を見て、パラミダは一瞬、自分の知覚を疑った。
走る馬の骨肉をも斬り断ったほどの剛剣を、切断する剣など存在するのか。
違う。パラミダはすぐに否定した。
(今、おれは、剣が斬られたと自覚した。なら、カラヤンが斬ろうとしたのは、最初からおれじゃなく、剣だった)
なら、次が──来るッ!?
『これを持ってお行きよ』
パラミダは長剣の柄を手放し、振り返りざまに腰の剣に手をかけた。
『これは武器じゃない。きみ用の盾だ』
刃を抜き放って眼前にかざした時、上段構えで飛襲するカラヤンの影がもう間近にあった。
『今のきみに死なれては、ぼくが困るんだ』
ガキンッ!
金属の刃合はしかし、その一音だけ。
護身の剣が根元からあっさりと斬断された。そのまま鎧を割り、刃が鎖骨まで斬り下ろされる。
(誰だよ。このバケモノにバケモノみたいな剣を渡したヤツは……勝てねーじゃねえか)
パラミダは断たれた刃の方を掴むと、ハゲ男の首に突き立てる。
覚えていたのは、最後の反撃が切なく空を切ったところまでだった。
(あーあ……。まだ、戦い足りねー、なあ)
§ § §
敵将を馬の背から押し落とし、カラヤンはとっさに跳び離れた。
首筋に鋭い風を感じた。指で触れるまでもない。パラミダは折れて残った片刃を掴んで応酬してきたのだ。この男もただの悪運だけで、のし上がってきたわけではないらしかった。
「はぁっ、はぁっ。この野郎っ、あの体勢から逆襲とはな。……バケモノめっ」
パラミダは先手をとるため、馬の首ごと正面から斬り込んできた。あの意表を突かれたところから自分は負けていたのかもしれない。偃月刀を手放すのがあと少し遅ければ、魔剣ルーナガルムを抜ききる前に胴体を真っ二つにされていただろう。
「ぬぐ……っ!?」
肩に刺突の衝撃を覚えてカラヤンは振り返った。
馬が二頭。こちらへ突進してくる。
「うぉおしゃぁあああっ!」
馬上から鋭い槍が次々と突きこまれた。カラヤンはその連撃を地面に転がってかわし、ついに穂先を斬り払って、その場を逃れた。
『ムカリ、パラミダはっ!?』
『大丈夫です。深手ですが、まだ息がありますっ』
弓手が意識を失ったパラミダを抱え上げて槍持ちの鞍に載せる。槍持ちは穂先を失った槍柄をカラヤンに投げつけると素早く反転。二騎で逃げ去った。
「アラディジ旅団が、あいつを助けたか」
カラヤンは肩に刺さった矢もそのままに、その場に座りこんだ。地面を転がったせいで、肩に刺さった反対側から
判断ミスをした気がする。
あそこで脇腹の痛みをこらえて斬り下ろしていれば、すべてが終わっていたのではないか。
そんな気がする。気がするだけだ。
「痛ぅっ。……なあ、狼。これで満足かよ。ったく。……やれやれ」
いつの間にか、騎馬たちが逃げ去っていった南の空が暮れなずんでいた。
§ § §
「撤収するよ」
頭に包帯を巻いたエチュードが呟くように宣言した。
「逃げ出すなら、今しかない」
シュカンピ達は無言でうなずく。
教会を痕跡一つ残さず引き払った後、シュカンピは聖堂の扉にナイフで皮紙を縫い止めた。
【 指名手配書 金50000枚
オクタビア・エリザヴェーチェ・バトリ
罪状:聖骸損壊 要人殺害 他、余罪あり
備考:生存のみ 無傷連行 】
それが、グルドビナとパラミダ隊の旧王国軍退役届だった。
エチュードが自分の馬車に行くと、ポロネーズが助手席でマントにくるまってぐったりしていた。
「中でお休みよ。疲れているだろう?」
「んー、兄さんこそ……」
一騎打ちで重傷を負ったパラミダの傷は、エチュードが縫い合わせた。
施術は教会にあったありったけのランタン、燭台を使って行われ、四時間におよんだ。患者はすでに気を失っていたから、麻酔なしで血管を縫った。
ポロネーズを助けた時から数えて十年以上ぶりの外科手術になる。絹糸と上物の蒸留酒がまだ残っているのをポロネーズが渋々思い出したのは、パラミダの運だ。
術後。パラミダの発熱が始まっており、その峠を越えれば安定するだろう。
深夜にさしかかり、パラミダの身体を動かすべきではないが、旧王国軍での義理は果たした。なら、後はこの騒動の火の粉が飛んで来る前に、一刻も早く遠くへ逃げなければならない。
「ポロネーズ?」
「あいつと寝るなんてまっぴらだ」
アラディジは旅団だ。馬車一台が家であり、隊商が町だ。兵士は家族と一緒に移動している。シュカンピ達の馬車はいっぱいで、ケガ人を寝かせて移動できる馬車はこれ一台しかなかった。
エチュードは弟の
「もう、子供みたいなことを言って。それじゃあ、ヒモで腰をつないでおこう。暗い道中で落ちたら大変だからね」
「身体の大きさからいっても、おれが落ちたら兄さんも落ちるじゃないか」
「その時は、二人一緒に落ちるもまた良し。かな」
あっさり言われて、ポロネーズは目を瞬いた。
「ほら。ぼくらは二人で、グルドビナ・ヴェルスだからさ」
弟はまんざらでもない様子で腰からロープを取りだした。兄の丸い腹にロープを結わえつけながら言った。
「兄さん。次は北西部のエスターライヒ領だよね。相手してもらえそう?」
「うん。手紙は送った。ノボメストで返信を受けることになってる。申請却下と無回答の場合は、スロヴェキアに入るつもりだよ」
「えっ? 帝国入り?」
ポロネーズが意外そうに兄の腹から顔を上げる。
「地図に書き込まれた情報から、そう判断した。背に腹は替えられないというやつさ。このままノボメストに到着する頃には資金が底を尽きかける。それまでにどこかの大きな傘に潜りこめないと、ぼく達は春を目前にして悲惨なことになる」
「それじゃあ、オクタビア王女の命運も、これで終わりかあ」
何の気なしに言ったつもりだったが、エチュードが鋭い目を向けてきた。
「ポロネーズ。彼女は平民じゃない。身の振り方はある。どんな悲惨な最後になるとしても、僕らと違って、死で最も惨めな飢え死にすることだけはないんだ」
「ごめん。兄さんはずっと、王女様の一番近いところにいたんだよね。それじゃあさ。公国へ寝返らなかったのは、彼女への義理を通す意味もあるの?」
「それもあるけど。旅団同士の仲が悪いらしくてね」
「あ。向こうは〈串刺し旅団〉だっけ」
「うん。それとドワーフとも仲悪いらしい。彼らは馬に乗れないからね」
「うわ……メンドクサ」
エチュードの腹にロープを結び終えると、なぜか弟は残った端を握ったまま押し黙る。
「ポロネーズ……なにしてんの?」
「いやぁ。兄さんのヒモでつながれた姿ってなんか、可愛いなって」
「むっ。どうせまるまる太った子豚か何かだって言うんだろ。妙なことで癒やされないのっ。もう行くよ」
ちょうどそこへ先頭を行く馬車のランタンが動き出した。
「兄さん……。五〇〇〇もの家族が一斉に夜逃げか。割と壮観だね」
「見た目はね。でも我らが流浪騎兵団の旅は、これからが大変なんだ」
エチュードは灰色の吐息をついて手綱をあおると、馬を夜の帳へ歩かせた。
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