第21話 狼と鉄狼(8)
画面の中で、狼が囚人を抱きかかえて泣いている。
三〇分ほど前の映像だ。
狼は、霜で真っ白に凍結した木製の檻を蹴やぶって中に入った。
中の囚人も全身に霜をかぶっていたが、それは着弾観測するよりも前からだ。
地面に着弾した〝遠距離魔法〟は、地面にめり込んで氷柱のオブジェを造り、狼にさりげなく蹴り壊されていた。
囚人は、通常の人間であれば、とうに寒さで凍え死んでいる。
だが画面に表示されるコンディションカラーは、レッド点滅。
微弱ながら電気信号を拾っている。
ここから見る限り、囚人──ティボル・ハザウェイは、顔面頭部を何十回にもわたって殴打され、水を浴びせられて寒冷の檻に閉じ込められ、その上で、右胸を撃ち抜かれた。
それでもまだ生きてる。死ねないというのも、業が深い。
「アシモフ家政長」
指揮所に、〝群青の魔女〟が入ってきた。
「魔女さん。ウルダの様子はどうだい」
「うん。軽度のマナ欠乏だよ。二、三日は安静だね。でも、若いし、成し遂げたことが力になっているみたいで、調子はいいみたいだね。あのマクミランって弓が気に入ったらしいよ」
「ふっ。そうかい」
アルサリアは画面を見つめて、
「あれで、生きているのかい」
「三〇分前だ。狼も現場で、とっさにあの有様を見て、ティボル・ハザウェイが生身じゃねえってことを忘れたみたいだけどな」
「それにしても、ひどいやられっぷりだね……。これ、どうやって見てるんだい?」
「無人偵察ドローンって、オレの……まぁ、使い魔ってのか? そいつで空から眺めてる。拷問は向こうの常套手段だよ。何かを吐かせるためじゃねえ。ただ暴力で心まで砕いて、自分たちに絶対服従させるように造り変えんのさ」
「
マクガイアはごく自然にうなずいた。
「大昔。オレのいた世界の、とある国で人類史の汚点とまで言われた政治警察組織があった」
「……」
「綱紀粛正、人種問題解決。国家保安政策。ありとあらゆるお題目を並べて、ああやって無抵抗な人間を根拠なく破壊していった。数十万、百万単位でな」
「お前さんのいた世界に、神はいなかったのかい?」
「ああ。その頃はとっくの昔に死んでたか。匙投げて次の世界に引っ越してたのかもな。その時代に生まれてなくてよかったぜ」
「どうだかね。その顔見りゃ、どの時代に生きても頭に血が昇ってたと思うよ」
いわれて、マクガイアは無言で冷め切ったコーヒーをすする。
「あの野営地にいるのは、その政治組織だかを真似て活動しているのかい」
「場を仕切ってるロイスダールというのが、その政治組織長のラインハルトという男の思考パターンを踏襲している。おかげで各治領の家政長までヤツの顔色を窺いながら立ち回らなけりゃいけなくなった。今日までな」
「狼のせいかい?」
「ああ。やっこさんを造った神様には、感謝してもしたりねえよ」
「っ……ふふん。今度会ったら、伝えといてやるよ」
アルサリアはマクガイアから差し出されたイスに腰掛けると、
「この後はどうするんだい?」
「狼の話だと、あの野営地に情報を置いてくることになってる」
「情報?」
「大公が死んだ、ってな」
「そんなこと? 今さらだろ?」
マクガイアは太い首を振った。
「情報ってヤツは、先に知るか後に知るかで、動きがまるっきり違ってくる。とくに軍隊では命取りにもなりかねん」
「そりゃあ、そうだけど……向こうもバカじゃないんだ。中央都との連絡は密に取ってただろう」
「ところがだ」マクガイアはサングラスを外してテーブルに置くと、両手で顔を撫でた。「五時間ほど前だったか。ウルダとオルテナが野営地から出た伝令を屠ってる。例のマクミランでな」
「えっ?」
「死体回収はついさっき、オレがした。伝令内容は【兵站不通。追加物資支援を請う】。平文(一般通信)だった。危機感なんかどこにもねえ。狼もやるなら今だと思ったんだろう」
「ちょいとお待ちよ。そもそもあのマクミランとかって弓は、三キールまでしか届かないんだろう?」
「そうだな。だから伝令が、いったん北のここを経由して中央都を目指したことになる」
「なんのためにそんな山沿いを遠回りしてんだい」
「考えられるとすりゃあ、監視だろうな。ダンジョン山に出入りがないか伝令の目を介して観察する目論見があったんだろう。大公と同じ〝魔法〟だ。で、その伝令将校狙撃の報告が、狼の動きを早めたようだ」
「もしかして狼が野営地でやったことは、ティボルの救出だけじゃないのかい?」
「そうだよ。魔女さん。オレのいた世界じゃな、狼がやったことを〝戦意作戦〟というんだ」
軍事宣伝。
戦場における宣伝は経済活動における宣伝とは異なる。
敵の一般的な士気や団結を低下させることを目的とした戦意作戦と呼ばれる宣伝と、敵に降伏・逃亡・対上官犯罪などの利敵行為を行わせる宣伝の二種類がある。
狼の狙いは、前者。ティボルの救出だけではなく、大公と複製体との視覚共有システムを盾に取った〝踏み絵〟の切断。延いては、合同軍二万五〇〇〇の解体にあった。
三万人分の糧食を届けて恩を売り、暴行されたティボルを射殺されたと騒ぎ、恩を仇で返された状況を作り出して戻る。同時に、ビクトール・バトゥ都督補ならびにヴァレシ・アッペンフェルド将軍の居場所を三家だけに報せ、野営地からの即時離脱することが目的だった。
狼は、ティボル逮捕の脅迫映像を見た瞬間、それだけのことを思いついたのだ。
〝子供たちの春節祭を祝うのに、こいつらがいい加減、邪魔だ〟──と。
「中央軍はまだ、自分たちの都が神蝕で滅んでることを知らねえ。大公の死を三軍に遅れてロイスダールが気づいたのなら、やつが削れた中央軍一万二〇〇〇をどこへ向けるかで、この公国の未来が決まると言っても言いすぎじゃないはずだ」
「情報の先後って、そういうことかい」
マクガイアはごつい鼻から盛大に息をついて、黒甲冑の一軍に守られるように大型馬車が野営地を出るのを眺めた。
「不当逮捕から、とっさの苦肉の策。たった五時間での突貫工事の奪還計画。さすがのロイスダールも気づいちゃあいねぇだろうが、このまま狼を逃がすとも思えねえんだよ……見せかけハッタリだけじゃあ、生き残れやしねえからな。だから、こっちから討って出ようと思ってる」
「それで。呼びつけたのは、わたしとリンクスに手を貸せってのかい?」
「ああ、防御魔法ってやつを頼みたい。なんつったって、うちの秘密兵器どもはみんな嫁入り前の小娘だからよ」
マクガイアはニカリと笑うと、艦内アナウンスボタンを押した。
「シスターズ三名。一〇分後、戦闘指揮所まで。作戦ブリーフィングを行う」
§ § §
渓谷にあるアルエシェニの村。
アウラール軍が小休止にはいったのは、夕方の四時を回る頃。この時期の日没は午後七時だ。どうやらオラデアの門限ギリギリに到着するスケジュールらしい。演習が長引き、兵站が底を突いているのだから当たり前だが、強行軍だ。
食材を刻んでいると、後方偵察に出していたスコールとトビザルが戻ってきた。
「狼。七キール後方に、敵軍勢。二個中隊(歩兵四〇〇人程度)。識別旗カラーは青」
「うん、中央軍だね。アウラール将校には?」
「そっちの斥候が伝えてるはず。帰りの途中まで一緒だった」
「わかった」
「……何してんの?」
「ご覧の通り、在庫処分。馬車を少しでも軽くしようと思ってね」
この村は炊事場は共同でかまどを使っている。そこを借りて、丸鍋をふるう。
品目は、生米からつくる
五合(約八〇〇グラム)の米にラードをケチらず使うのがポイント。あと、普段から馬車に積んでいる冷えて半固形になった鶏ガラスープをお玉半分だけ入れる。
具材はベーコンと卵、クコの実。味付けは鶏ガラとベーコンからでる塩味のみ。木炭をガンガン
頭がゴチャゴチャする時は、無心になりたくて料理を欲する。それも中華がいい。
匂いに引き寄せられた黒甲冑の将兵が、興味津々、物欲しそうに眺めてくる。
「ヤマガタ中佐ぁ。皿を用意してくれたら振る舞いますよおっ!」
馬車のそばで同じように眺めていた軍団長に日本語で声をかけた。
角刈りの東洋系将校は驚いた顔をしてから笑顔で手を振った。
「おい、補給馬車から食器類をおろせっ。あの狼に温かい飯を食わせてもらえるぞ! サナダ家政長に自慢できるぞ」
部下に号令し、さっそく馬車から食器箱を降ろし始める。
(自慢はやめてくださいましっ。またあの変態ヤローに変な絡まれ方をしてしまいますっ)
補給馬車と言えば、前職で補給係を担当した時の〝野外炊具1号〟のことを思い出す。
ただ、迫撃弾にも耐えそうなごつい鋼鉄製なのでトラックで牽引しなければならない。さらに燃料にはガソリンや電気が必要だ。まさに現代だからできる戦場キッチンだ。
「狼っ。敵が目の前に来てるんだぜ? 呑気にメシなんか食ってる場合かよっ」
スコールが大真面目に訴える。トビザルもリーダーに同調してうなずく。でも目は鍋だ。
「ヤツらは俺たちの視界に入ったても、交戦する理由がない。近づいてこないよ」
出した皿をスコールとトビザルは不服そうに受け取って、匙を持った。
「食べながら聞いてくれ。地図を思い出すんだ。ここから少し戻った先に
南側の山を鼻先で指すと、二人はうなずいた。スコールは何かを察して目を瞠る。
「もしかして、敵の挟み撃ち!?」
アウラール軍が供してきたランチプレートにお玉で半球を盛っていく。
そこへ、ヤマガタ中佐が米俵を肩にかついで話に割って入った。
「取込み中のところを、失礼する。こいつを使ってもらえないか」
「ヤマガタさんっ、米を持ってたんですか!?」
「サナダ家政長のご指示でな。だが、これが味方に不評でな。飯炊きに燃料がかかりすぎる上に、炊き方を知らん麦党のヤツらばかり。ずっと荷物になっていた。使ってもらえると、むしろ有難い」
「この一俵だけ?」
「まさかな。補給馬車にあと一〇俵ある」
お玉一杯の炒飯が一食として、二五〇〇食。米俵一俵が六〇㎏だから、一㎏=七合計算で四二〇合。その一〇掛けだから、四二〇〇食。余裕だ。ラードはここですべて消化するとして、油なら売り物のベーコンを削れば充分だ。ミネラルのクコの実が切れたらクルミで代用しよう。
俺は感謝を言葉にし、有難く米を使わせてもらうことにした。
それにしても、ダイスケ・サナダ。相変わらず味方想いの天才かよ。
俺は鍋をふりながら、子供たちに説明を続けた。死角でヤマガタ中佐が気配を消してその場に留まる。俺は子供たちの心配と鍋を振るのに忙しくて、いっとき忘れた。
「今つかず離れず追ってきてる二個中隊は、囮だ。あの数でまともにぶつかったら向こうに分が悪い。こちらの注意を引きつけながら進んで、本来の斥候をここに残したまま頃合いを見て引き上げるだろうな」
スコールもトビザルもじっとこちらを見つめて続きを待っている。炒飯が冷めるぞ。
「ヤツらの目的は、俺たちとアウラール軍が別れる時期を見計らってる」
「オラデアまで? そっか。俺たちが軍と別れて孤立したところを、ズバッて」
「うん。それに俺たちがオラデアに入らず、ダンジョンに向かうことも計算に入ってる。見えない方の偵察は、俺たちがダンジョンに入る前に盗賊のフリをして襲ってくるはずだ」
「それじゃあ、オレたちは」
「そこで、ここからが任務だ。向こうの偵察を残らず殺して、雪の中に隠してきてくれ。数はわからないけど、すべてバレないようにだ。できるか?」
「わかった」
二人は同時にうなずくと、炒飯をかき込んで飛び出していこうとした。俺はお玉を鍋に落として、両手で二人を引き留めた。
「食べた臭いを消していくんだっ。これからは飢えたオオカミの縄張りに入ると思え。絶対に敵を侮るな。接近を気取られるなっ。離れる時は痕跡を残すなっ。いいな?」
二人は慌てて、水桶に張った氷を割り、手酌で口をすすいだ。
怖い、怖いよ。彼らが未熟だからではない。なまじ腕っぷしが強いのと魔導具があることで相手を見下しかけていたのだ。
「ヤマガタさん」
「なんだ。バレていたのか」おどけるようにうそぶく。
「アウラールの斥候を、この先の平野南西部の森に伏せてもらえませんか」
「ああ。ブルシュトリの森に設置済みだ。あの囮が退いた後、連絡が私の所へ届くだろう。良い出目が出ることを祈りたいものだがな」
「はい。ありがとうございます」
これは撤退戦──〝狐狩り〟なのだ。
人もアンドロイドも関係ない。化かし合いをして、読まれた方が喰われる。
商売で通い慣れたはずのオラデアまでが、いまだ遠い。
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