第28話 魔狼の王(27)


 わあっ!

 家の外でティミーが声をあげて、マクガイアは自分が眠っていたことに気づいた。


 今朝は眠りが浅かった。たまにあることだが、今日はとくに寝付けなかった。

 目を開けると、玄関からフードをかぶった少女が転がり込んでくる。

 フード越しからでも透けて見える引き締まった体型。そして転倒回避の重心の取り方で、誰かすぐにわかった。忘れようがなかった。だが信じられなかった。


(お嬢……っ?)


「マック。お客さんみたいよぉ。表でずっとカメムシみたいにドアに張り付いてた」


 食料品を入れたバスケットを手に入ってきた同居人はまだ客の正体に気づいていない。


「だ、誰がカメムシやねん! この乳デカ女っ」


 声で確信した。これは幸運か。それとも陰謀か。


「はっはあ~ん。悔しかったらこれくらいになってみなさいよぉ。夜な夜な肩こりに苦しんでみなさないよぉ。ほれほれ~」


 いまだに九三式複製体に慣れないのか、自分の新ボディを物扱いだ。


「おい、客いじりはそれくらいにしとけ。コーヒーを頼む」

「砂糖とミルクたっぷりよね。可愛いお客さんはどうする?」

「水でええ。すぐ帰る」

「あら、そ」


 同居人がキッチンに消えると、フードローブの少女はキョロキョロと室内を見回した。


「あの、どちらさまかね?」

 声をかけたら、フードの下からむっとした視線を投げつけてきた。マクガイアは両手を挙げて降参のポーズを取る。

「はははっ。悪かった。……もう三二年だ。ここに住みついて」

「えっ?」


「正直、会えるとは思ってなかった。十八年の周期耐久がある生態スーツが、なぜかここオラデアの龍公主だけ十二年周期しか持たないと風の噂で聞いてな。それを生態スーツ調整官まで訊ねにいったら、狼藉者扱いで町から追い出された。

 しかもドワーフ族丸ごとだ。おまけに、例の調整官がまさか家政長の座にまでのし上がる。人生ってのは何が起こるか分からねえもんだ。

 それで、あっという間に三〇年だ。お前さんの訃報を三回聞いた。十二年ごとのな。目と鼻の先にいながら会いにいけなかったこと許してくれ。この通りだ、カプリル」


 少女はふらふらとドワーフに近づくと、途中から両手を広げて駆けだしていた。やがて突進する勢いでごつい岩のような短躯に抱きついた。


「博士ぇっ! 博士ぇ……寂しかったよぉ。ずっと寂しかったよぉ」


「ああ。よく頑張った。すまなかったな。オレの意気地のなさが、お嬢を守ってやれなかったんだ。許してくれな」


「アカン、許されへんわ!」

「は?」

「よりにもよって、あんなケバケバな女と一緒に暮らすやなんて、あり得へん。博士らしゅうないで!」

 マクガイアは目をぱちくりさせた後、がはははっと笑い出した。


  §  §  §


「龍公主様は見つかったかっ!?」

「ダメです、こっちにも見当たりませんっ」

「城下(旧市街)を出て、ドワーフ街に向かったのかも」

「あっちには土地勘がないはずだ。……いや、城下で見当たらぬ以上、捜すしかないか」


 そこへ、部下が戻ってきた。足下をふらふらさせながら歩いてくる。顔面を痛々しいほどに腫らせて彼がついには倒れた。慌てて全員で駆け寄り、隊長が抱き起こした。


「マルスコットっ。どうした!? 誰にやられた」

「お、女、の子……」

「それはカプリル様か?」


 次の瞬間。立って眺めていた部下の両肩に人が座った。


「えっ?」


 頭の左右を膝に挟まれ、あっと思った瞬間には、天地がひっくり返って倒れた同僚の上に投げ飛ばされていた。


「ごはっ!?」

「こ、子供……ッ!?」


 戸惑いながら剣の柄を握った部下の手を踏んで、あごに膝蹴り。子供にしては洗練された容赦のない一撃だった。五年後の体重が乗っていれば、部下は三日以上ベッドから起きてこられなかっただろう。


「貴様、何者だ」

「殺してない。足止めだから」

「足止め……?」

「あと、隊長に用がある。手紙、もってきた」

「隊長は、私だが。誰からの手紙だ」


 少女は不思議そうな顔をして、


「隊長? 狼、知ってる?」

「狼?」

「生態スーツのほう」

「……あっ。ダンジョンの」


 少女はニコリと一瞬だけ微笑むと、紐巻きにした小さな書簡を差し出す。

「あの時の貸しを今、取立てる。この指示通りに動いて」


   §  §  §


「それでな。シマのやつ、五〇〇ペニーしか出さんの。うち龍公主やで? どんだけケチ臭いねん。なあ、そう思わへん?」

「ああ、そうだな……」


 生返事めいた声で応じつつ、マクガイアは龍公主の義足パーツの換装に手を動かす。


 右脚部レギンスのジャイロパーツの軸が歪んでいた。基本は戦闘用だ。どんな衝撃でも歪まないように設計した。もし歪めば違和感を覚える場所だ。ずっと我慢していたのか。

 関節部の摩耗も激しい。ごく最近、よほどの敵手だったのか激しく立ち回ったようだ。だが日頃から細かく整調メンテしていればここまで摩耗することはない。


 左脚部の骨格カーボン摩耗にいたっては五〇%以上。損耗イエロー。細かなヒビがいくつも入っている。シリコン人工筋肉アクチュエータの劣化は四二%。損耗オレンジ。柔軟性が失せ、硬くなりつつあった。神経系伝達コードにいたっては、損耗レッド。二本の経年破綻が起きていた。


 まるで整調していない。


(生態スーツが十二年、それが三回。野郎ぉ……何が民族浄化だ。使い捨てにしやがって)


 ホリア・シマに初めて、メカニックとして怒りを覚えた。同時に知りたかった。

 龍公主の健康状態をここまで放置してまで、ヤツは何をしていたのか。


「なあ、お嬢。シマはそこまでケチを続けて、何を買ってたんだ?」

「ん? さあ……でもな。よう土地の話をしてたで」

「はっ、家政長が土地だと?」


 思わず義足から顔を上げた。カプリルは義手を腕組みして首を傾げた。十二歳の少女がやる仕草にしては様になっていた。


「確か、ジェノアやったわ。土地買って、それをそこの僭主いう人に売りつけようとしたんやて。そしたらな。向こうも外国人に自国の土地を売ることは法律違反やー言うて、賠償金言うてきよったらしいで」


 盗み聞きか。主人の前でできる会話内容じゃないようだ。法律違反で賠償金というのは繋がらないが、おそらく訴訟になって負けたのかもしれない。その補填をアラム家の金で?

 ま、責める相手はとっくにバケモノの腹ん中だが。


「ほう。それじゃあ儲けるどころの話じゃねぇな」

「そやねん。めっちゃ大損こいてたらしいわ。でもあの会話からすると、一度や二度やないかもなあ」


 盗み聞きにしては良く覚えている。要は、ホリア・シマは不動産投機に失敗したらしい。それをしばらく繰り返した。補填に次ぐ補填。自転車操業という経営状況だったのかもしれない。

 指示した上司もマヌケなら、確認報告しなかった部下もマヌケ。投機なんて素人が手を出していいシロモノじゃあない。


「オルテナ」

 玄関から入ってきたばかりの妹分を呼んだ。

 オルテナは来客の存在に気づいて、目を見開いた。


「ガイ兄ちゃん。どうしたんだよ、これ!? 龍公主がなんでここにいんだよっ」


「ここ最近の薮から棒と青天の霹靂へきれきは、だいたい狼の手引きだろうな。そんなことより今からダンジョンへ出かける。面を貸せ」


「今からっ? 無茶言うなよ。今週中までに片付けないといけねぇ仕事をいくつ抱えてると思ってんだよ。〝魔狼の王〟のことだって片付いちゃいねぇのによ」


「つべこべ言うな。マシューも呼んでこい。四人で行く」


「四人って……もういい加減にしろよっ!」


 オルテナが両手を強く振って、叫んだ。

 龍公主が緊張した顔で、マクガイアを見る。


「ガイ兄ちゃんは、狼なんかに本音を話すのがそもそもの間違いだったんだよっ。今じゃ魂まで鷲掴みにされて踊らされてるのがまだ分からねえのかよっ。こいつは賭けたっていいぜ。狼が龍公主までエサにして、ガイ兄ちゃんを骨抜きにする気だよ」


 マクガイアは龍公主と顔を見合わせて笑った。こんなに気持ちよく笑えたのは随分久しぶりだった。悔しそうに歪めるオルテナの顔目がけて、龍公主の義足を投げ渡す。


「うわっ。な、なんだよ」

「お嬢の右の脚部レギンスだ。そこの人工筋肉、ダンパー。ジャイロも見てみろ。ホリア・シマの負の遺産だ」


「負の遺産? ……んだこれっ。マジかよ。なんなんだよ、これ。換装日いつだ。ちっとも仕事してねぇじゃねえか」


 なんだかんだ言っても、彼女も一流の職人の目を持っている。

 マクガイアはしかとうなずいた。


「オルテナ。こいつは由々しいぜ。カラヤン達が集めてくれた不正書類より、この脚部一本を中央都の管理部へ提出するだけで、ホリア・シマは破滅してたんだ。だから、カプリルを人の目に触れさせたくなかったんだ。

 こいつは明らかな条例違反。養育放棄ネグレクトだ。狼が仮想したアイディアは、的のど真ん中を射貫いてたんだよ。もっともホリア・シマにとっちゃあ死に得だったかもしれんがな」


「くそったれがっ! ガイ兄ちゃん、シリコンの在庫は?」


「あるが、左脚部はなんとかしたが、左右の腕部スリーブまでは足りねえ。だからダンジョンへ入って素材を取ってこなくちゃならねえ。大事の前の大事だから、龍公主にもおいでいただくさ。最悪、四肢再生だ」


「えっ、再生っ!? ……ガイ兄ちゃん。それはさすがに」


 オルテナは戸惑い、表情を曇らせる。それを見てカプリルがこちらを心配そうに見つめる。

 マクガイアは自分でも不思議だった。とっさに口にできた瞬間から肚が据わった。


(一番いいのは、戦わないことだ。だが戦わないは、戦いを怖れるって意味じゃあねえはずだ)


「ニフリート嬢ちゃんが先例だ。それでも中央都がゴチャゴチャ言ってきたら……オルテナ。悪いが、オレと死んでくれ」


 オルテナは義足を持ったまま、目をパチパチさせた。


「え。それって、プロ──」

「ちーっす! 兄貴、町の連中がなんか騒いどる──ぶぉへぇ!」


 マシューは赤い義足で顔面をジャストミートされ、もんどり打った。


「このバカ兄貴っ。今肝心なことを言ってる途中だったろうがっ。一モルの空気も読めねぇのかあっ!」

「はぁあ!?」


 入ってきたばかりのマシューにはワケが分からず、困惑の悲鳴をあげた。

 龍公主は腹を抱えて、短くなった足をばたつかせた。それからマクガイアの袖を掴んだ。


「博士。あたしもニフリートちゃんみたいに手足が欲しい。……あかん?」

「なら、オレをお嬢の家政長にしてくれるか? それだったら、御意のままに、だ」


 カプリルは目を見開くと、次いでそこから感情を溢れさせた。踵のない両足で椅子に立ち上がり、ドワーフの首に飛びついた。


「もう、独りぼっちは嫌や。寂しいのは嫌やぁっ。博士やみんなと、また一緒にいたい!」


「よしっ。なら決まりだな」


 そう言ったのは、抱きとめたマクガイアではなく、玄関口に立っていたカラヤンだった。


「おお、カラヤン。もう戻ったのか」

「徹夜の強行軍だよ。──狼はいません。マクガイアとともに龍公主様も同席されております」


 カラヤンが外に声をかけて、入口を譲る。

 そこに現れたのは、西方都督補ヴィクトール・バトゥだった。

 さらにその後ろから、翡翠鎧を身にまとった十五歳の少女が指二本で敬礼する。


「ニフリートちゃんやっ!? キレイ……」カプリルは頬を上気させて目をみはる。

「に、ニフリート……翡翠荘がなぜここにっ!?」

 続いて、銀鎧を身にまとった偉丈夫と腕に座る白銀袍の少女。


「セレ姉っ!?」

 ドワーフの太い首にしがみついたまま、カプリルが目を見開いた。

 さらに──、


「どうして街の中にわざわざ山小屋を建てるのかしら。どうせなら高層ビルでもドーンッと建てればいいのに。お兄ちゃん、そう思わなくて?」


「こういうのが粋というものですよ。材質も一つ一つよく吟味されていますから、相当な数寄者……ほら、マクガイア・アシモフじゃないですか。彼は生粋の数寄者ですよ」


 優しげな微笑みをたたえて、黒髪少女を腕に座らせて入ってきたのは黒甲冑の青年。


「エリダ・アウラールにダイスケ・サナダ! 黄金荘まで……こいつはどういうこったっ?」


 マクガイアは腰が抜けそうなほど驚いた。

〝ハヌマンラングール〟の四天使──四龍公主の揃い踏み。家政長も、ホリア・シマを除けば、この場にすべて揃っていることになる。

 バトゥ都督補が言った。


「悪いが、我々には時間がない。早速だが始めさせてもらうぞ……マクガイア・アイザック・アシモフ。ここへ、なおれ」


 マクガイアは、カプリルを椅子に立たせると三家政長の前に進み出て、片膝をおった。

 バトゥ都督補が胸の先へ指二本を突き出した。


「アゲマント家の名の下に、赤銅龍公主カプリル・アラム・ズメイの新家政長にマクガイア・アイザック・アシモフを推挙することを宣する」


「アルジンツァン家の名の下に、赤銅龍公主カプリル・アラム・ズメイの新家政長にマクガイア・アイザック・アシモフを推挙することを宣する」


「アウラール家の名の下に、赤銅龍公主カプリル・アラム・ズメイの新家政長にマクガイア・アイザック・アシモフを推挙することを宣する」


 複製体の人工脊髄が過剰通電で震えた。青天の霹靂へきれきとはまさにこういう時のことを言うのだろう。


「マクガイア・アイザック・アシモフ。推挙の栄誉、つつしんで受けるとともに、身命を賭してカプリル・アラム・ズメイの行く末を守り抜くことを、ここに誓約いたします」


「では、戦いのついえたるその日まで、誓うか」


「誓います」


「ならば、よし。カプリル・アラム・ズメイへいま一度、我らが眼前にて、アラム家の繁盛はんしょうと慈恵を誓うべし」


 マクガイアは椅子に立ったカプリルの前で、膝を折り、頭を垂れた。


「マクガイア・アイザック・アシモフ。身命を賭して、アラム家に繁盛と慈恵をもたらさんがため、粉骨砕身を誓います。家政長として、お側にお仕えすることをお許し戴きたく存じ奉る」


「許す」

 カプリルのその一言で、マクガイアは胸に置いていた手を拳に変えた。不覚にも目頭が熱く潤った。


「カラヤン・ゼレズニー。連盟血判をここに」

「ははっ」


 カラヤンがテーブルの上に、上等な羊皮紙と羽ペン、インク壺。そして朱を置いた。

 三家政長は、その用紙にペンを連署すると指輪の章印に朱を落とし、判を押した。


「その署名、待ってもらえぬか」

 部屋の奥から少年が現れた。

 バトゥ以下、三家政長は素早くその場に片膝をついた。


「あら。シャセフィエル。あんた、いたの」

 エリダが天然記念物を見つけたような口調で言った。


「姉様がた。その署名に、私も名を連ねてよろしいでしょうか」

 三家政長が驚きに表情を強ばらせる。


「いいけど。おまえも反乱軍の片棒を担ぐことになるわよ。いいの?」


「えぇっ、反乱!?」

 マシューとオルテナが面倒ごとの臭いを嗅ぎ取って、顔をしかめた。


「はい。万が一のために、姉様たちは蚊帳の外に置かれる。それではちょっと面白くないですよね」


 面白くない。その表現の軽さに、マクガイアは彼ら龍人の心胆の大きさを測りかねた。


「いいわ。なら、バトゥの上に署名なさい」

「エリダ様っ、しばらくっ!」


 今度はバトゥ都督補が慌てて押し留めた。だが黄金龍公主は、続けていった。


「大公陛下崩御の後、おまえが新大公になるの。ここにいる四人の家政長を統べ、公国の民すべての頂点となるために、この危ない橋の先頭を走りなさいな。お前を支えるわたくし達の後ろに隠れるようなマネをしたら、殺すわよ」


「はい」


 十歳程度の少年は、特に気負うこともなくうなずいた。バトゥ都督補の名前の上に自分の名前をサインする。そして太傳たいふヴォイクから、ひときわ大きな金の指輪章印を受け取ると、そこに朱を落として羊皮紙に押しつけた。


 少年がその連判状を両手に掲げると、四人の家政長を始め、人やドワーフの区別なくその場の全員が膝をおった。


「公国の未来に栄光あれ!」

 太傳ヴォイクが万歳をすると、その場の全員が復唱した。


 のちに──、

 狼はこの時のことを聞いて、「俺がいない時を狙って反乱軍の蜂起が行われたのですね」と苦笑いしたという。

 自分の家政長内定のタイミングと重なったのだから、マクガイアも、


「まったく人生ってのは何が起こるか分からねえもんだ」

 と、おののいた。


〝魔狼の王〟の暴走は、もう目の前だった。

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