第29話 魔狼の王(28)


 一方、その頃。

「スコール──」

「ダメ。単独行動禁止」

「はい?」


 俺は魔法陣から顔を上げて、となりを見た。

 スコールが疑わしそうに俺を見つめてくる。


「オレを伝令に走らせてる間に、また一人で突っ走ろうとしてるだろう。馬車係から聞いてるぞ。オレも前から、その何でも単独で動こうとする狼の癖、危ないと思ってるんだからなっ」


「いやいやいやっ。本当に伝令に走ってもらわないと困るレベルだからっ」


 ほれ。と。魔法陣の真ん中を指さして、俺は言った。

 〝秩序の昏瞑とばり〟が、真っ赤に燃えていた。夜に見ていればその大きな灯火ともしびひとつでお互いの顔が確認できそうなほどだ。


 旗艦が、産卵体勢に入った。


 ホリア・シマ以下一〇〇名近い討伐部隊を餌食にしたあと、産卵期の食欲が止まらなくなったのか、残り三隻の護衛艦までも喰らったらしい。


 そして、身を隠そうと穴を掘った。


 寒波によって産卵環境が確保できなくても、種の保存を強行させたのは腹腔内の抱卵状態が限界に達したのかもしれない。


 デーバの町からアルバ・ユリアを経て、この場所まで三〇数キロ。オラデアを目前にして孤独の出産を覚悟したようだ。

 だが同情はできない。旗艦を母にすれば、また町が喰われるのだ。


「なあ、スコール。頼むよぉ。伝令に飛んでくれよぉ」

「旗艦はしばらく動けないんだろ。なら、一緒に戻ればいいだけの話だ。ここでオレだけ町に戻ったら、後でオレが、ウルダや馬車係から小言をいわれるんだからな」


 環境によって、人は一年も経たず変わるものだ。スコールも部下や仲間をもつ身になって、頑固になった。カラヤン寄りに。


〝秩序の昏瞑とばり〟を閉じると、俺は盛大に白い息を吐いた。


「伝令の内容は、〝狼、旗艦を誘導し、町に向かう〟だ」

「えっ!?」


 俺は、旗艦が潜った旧地下空洞の岩壁の最奥を指さした。

 実は、旗艦の背中が地下に潜りきれずに地上から露出している。


 そしてその指をすすっと上に動かした。その先にはせり出した岩盤があり、ちょうど旗艦の頭上の延長にあって、雪から旗艦を庇っている。


「あそこのせり出した岩を〝月鎌突風サイズブラスト〟で鋭斜角八五度に切断。旗艦の背中に落とす。すると、どうなる?」


「そりゃあ……旗艦が潰れる?」


 俺は顔を振った。

「旗艦の大きさは今や遠洋帆船なみだ。それに岩から旗艦までの高さは二〇セーカーもない。あれくらいの岩じゃ死なないだろう」

「じゃあ、驚く……あ、敵襲の存在?」


 俺はうなずいた。


「おそらく産卵を中断して、その場を飛び出してくる可能性が高い。卵を産みきったわけじゃないし、身を守ってくれる護衛艦もいないから、自分が逃げなきゃいけない」


「逃がすのかよっ!?」

「そうしないために、俺が残って引きつけるんだ。それで──」

「やっぱりまた一番危険な役じゃねーか!」


 スコールが怒った顔で腕を掴んでくる。俺はそっとその手を外した。


「魔法使いにしかできない、仕事だ。貧乏クジだとは思ってないって」


「ウルダと馬車係呼んでくるっ。それまで、その計画待っててくれよ!」

「スコール。これは仕事だ。そして役割分担だ。俺に私情はないよ」

「けどっ!」


 俺は言うべきかどうか迷ったが、言うことにした。


「それと、これはまだ俺の勝手な想像だ。本当にそうなると決まったわけじゃない。だからマクガイアさんには言わないでおいてくれ。外れたら恥ずかしいからさ」

「なんだよ……」


「旗艦は、卵をすべて産み終わった時点で──、死ぬ」

「──ッ!?」


「そうなると、旗艦の死骸の下にある卵が母親の身体でフタをする状態になる。地上から旗艦を燃やしても卵まで破壊することが難しくなる可能性がある。だから──」


「地底の卵も破壊するために、狼が旗艦を地上へ追い出す……?」

 俺はうなずいた。

「命がけの産卵の邪魔をするんだ、旗艦も相当怒って向かってくるだろう。けれど、そのまま何とかヴァラディヌム星形城塞まで、アイツを引っぱっていく。そのために〝飛燕〟ラスタチカで来たんだ。スコールは、マクガイアさんにこのことを報せるんだ」


「でも、報せても、住民が避難する時間はどうするんだよっ」

「必要なのは、避難する時間じゃない。迎撃できる兵力と環境を調える時間だ」

「でもっ」


 俺はスコールの引き締まった肩を軽く叩くと、その背中を町に向けて押し出してやる。


「スコール兵長。命令だ。町に戻れ。なお、心音を三〇〇数えた時点で【火】マナを空へ向かって打て。それを合図として、こちらも行動開始する」

「っ……くそ、了解っ!」


 スコールはもう振り返らず翔び去って、俺も黙ってそれを見送った。


「ふぅ……。それじゃあ。ここからは大人の話を始めましょうか」

「せやなー」


 断崖下からひょいと手をついてエミー・ネーターが昇ってきた。

 探索魔法にはずっと彼女の姿が〝赤〟で引っ掛かっていたし、断崖に指がかかっていたのも見えていた。彼女なりに隠れたつもりらしいが、情報局長の肩書きを持っているとは思えない雑な盗み聞きだった。


「欲しいのは、〝王の卵〟ですか」

「うん。くれるんか?」

「いいですよ。ここには、俺とあなた以外、誰もいませんから」


「お、ほんまええんか? 言うて見るもんやなあ」

「ただし、シャセフィエル殿下が次期大公になれるだけの分は残しておいてください」

「はぁ? そらまた難儀な注文やなあ」


「俺は、オラデアの町で旗艦が死滅と、事後処理での〝魔狼の王〟の全滅。この二つの結果がほしいだけです。卵に関しては、シャセフィエル公子に一生の恩を売りつけられたら、今後の商売に有利かな。くらいに思ってるだけです」


「商売ねえ」

「あと、持ち去ってる途中で孵化して帝国で不測の事態が起きても、俺は責任を負いかねますからね」


「確か自分。帝国に嫁を盗られたんちゃうんか?」

 盗んだのはお前らの仲間だけどな。


「彼女の心配はしていません。ラルグスラーダ皇太子殿下に、ちゃんと保護下に置いてもらえるよう高く売りつけましたので」


「ふぅん。ちゃっかりしとるで。ま、殿下も大概お人好しやからな」


 うん、だから心配なんだよ……心配? 心配って何だ。


「それで? 俺の前にいる人情家の局長さんは何を手伝ってくれるんですか」

「ん。うち手伝う言うたか?」

「じゃあ、なんで盗み聞きまでして、ここに残ったんですか」


 エミー・ネーターは跋悪げに目線を逃がして、頭を掻く。


「物語の主人公が、ボス級の敵に喰われるバッドエンド、見てみたいやん?」

「おい、メタ発言やめろ」

「ま、なんや……卵代くらいは払ってやらんとな」


 巨大なけん玉を肩に担いで、にしししっと笑う。不覚にも屈託のない笑顔がちょっと可愛いと思えてしまった俺は、前後不覚。


「邪魔です。ここから北へ十五キール先にある壁を破壊してきてくれませんか」

「壁て、自分なあ。ほんっまにうちに解体業やらせる気かあ?」


「確か、あなたは大きな白いワニを飼ってましたよね。穴の大きさは任せます。派手にやってください。卵回収後の脱出経路として使えば、今のタイミングなら可能でしょう。死骸に口なしってやつです」


「えっぐ。えぐいで自分! 卵だけに」却下だよ。

「ちなみに、〝王の卵〟と他の卵とは、見分けがつくんですよね?」

「……ん?」

「つきます、よね?」

 春雪の降る曇天に火の玉があがった。


  §  §  §


 落下に、音はなかった。

 衝撃した音は、ひどく生々しい肉の音がした。

 三〇トンはあろうかという大きな落石が、やすやすと押しあげられる。

 地上へ這い出した八肢を狂ったように痙攣させ、全身で巨石を放りだす。

 弧を描き、俺の頭上を敗北の影が通り過ぎた。

 砂煙を巻きあげて着地した巨石が、この場唯一の出口を塞ぐ。


 その岩に向かって俺は〝飛燕〟ラスタチカを放つ。身体が引き寄せられた直後の影に、巨大な尖脚が突き刺さる。

 岩を越えて細い断崖の隙間を脱けた。夜のような時間。上を見あげる勇気はなかった。


 断崖を飛び出すと、すぐ前方で視界に収まりきらない巨大な狂怒が、凄まじい速度で地を掻き這ってくる。


 恐怖が、アドレナリンを放出。時間が緩やかに延びる。それとも、これは人間だった頃の錯覚なのだろうか。考えてる時間はない。感じる暇さえ惜しい。

 生き残った後で考えよう。いくらでも。


【火】マナを連弾。八つ眼の狼頭に弾幕を張る。その炎幕の中を傲然と突き破って、〝魔狼の王〟が距離を縮めてくる。


(──くっ、逃げ切れ……っ!?)


 直感した時には、俺の頭上に尖脚が降ってくる。

 と、その脚が第二関節から宙にはね飛んだ。

 旗艦の左舷。石つぶての雨がうねる黒い蠕毛ぜんもうに次々と突き刺さる。

 巨大な蜘蛛の躯がわずかに傾ぎ、一瞬だけ迷いを生じる。


 その間隙で、距離が開いた。


 誰が助けてくれたかは言うまでもないので、感謝も口にしない。下手な小細工はこちらに不利。スコールとマクガイアを信じて、ひたすら逃げることだけに専念する。

〝飛燕〟を使い始めて三回目。どこに撃ちこめば効率的な速度が得られるのか、まだよく分かってない。とにかく地表すれすれを飛んで、戻ってきたらすぐ撃ち出した。樹木はもちろん、岩壁、廃屋、廃車、思い余って飛んでいた鳥にも撃ちこんだ。


 たった三キロ先にある町の灯りが、逃げるほどに小さい。

 だが、着実に城壁と星形城塞の作業足場が近づいてくるはずだ。


「あとちょっとっ。あとちょっ──ぐあぁああっ、はあっ!?」


 脳天を貫く激痛。振り返ることはできないが、左下半身が少し軽くなった気がする。飛行やたら右にふらつくが飛び続けることはできる。

 この時の俺は、激痛よりも恐怖よりも身体が軽くなってラッキーだとすら思えた。


 痛みとアドレナリンが、俺の人間性を狂わせる。


 背後でバキバキと顎を鳴らす音がうるさい。


 やがて進む彼方から、けたたましい早鐘が鳴った。敵襲警鐘だ。


 届いた。その耳をつんざく金属音に涙が出るほど嬉しかった。


「狼、邪魔だーっ! 上に飛べーっ!」


 マクガイアの胴間声が、俺の感動を蹴っとばす。その時初めて、後ろを振り返った。


 ──ヴォオオオオオッ!


 背後で唸りをあげて、火の手が左右にはしった。

 石油のニオイがする紅い炎壁。ついに〝魔狼の王〟の退路が断たれたのだ。俺はいつの間にか〝魔狼の王〟を戦闘圏内まで引き込めていたらしい。


 そして、俺の左足は膝から下がなくなっていた。痛いわけだ。


 城塞の楼閣てっぺんに鉤爪ハーケンを撃ちこんで、外堀の三メートル壁の上を残った右足で蹴る。ザイルを強く巻き取ると、身体がつんのめったように浮上した。


「狼ーっ!」


 楼閣の屋上で、子供たちが両手を広げて待ってくれていた。

 かえってこれた。この上なく、嬉しかった。この安堵とやり遂げた気分は、ラノベの主人公にでもなった気分だ。


「──っぇえっ!」


 マクガイアの号令一下。黒くうねる宇宙生物に向かって、バリスタからの巨大火矢が撃ち込まれる。〝魔狼の王〟は狂ったように激しくのたうち回る。だが前進も後退もできない。

 楼閣の外──炎壁の外側にもバリスタが設置されており、前後左右から放たれた巨大火矢には鎖がついていた。ドワーフたちの強靭きょうじんな鎖の巻き取りで、〝魔狼の王〟はじりじりと堀へ引きずり込まれる。


 そこに楼閣の窓に備え付けられた火炎槍が一斉放射された。火炎槍とはいわゆる火炎放射器で、放水状に噴射した油に火をつけて放つ兵器だ。


 ドワーフたちの鯨波げいはが楼閣を震わせる。怪物に向かってボウガン、投げ槍が次々と叩き込まれる。


〝魔狼の王〟は今や、拿捕だほされる大海竜リヴァイアサンとなって身動きがとれないまま、全身を悶えさせながら炎上させていく。


「兄貴っ。いや、家政長っ! 旗艦が堀に落ちよったでぇ!」


 楼閣の屋上から〝魔狼の王〟と正対しながら、マシューが指揮官に伝令する。


「手を緩めるなっ。あそこまでのデカさならすぐに這い上がれる。ミミズ一匹、堀から這い上がらせるんじゃねえ! 矢弾も油もケチるなっ。油漬けにして闇の芯まで火を通すんだ! いいか、てめぇらっ。狼の心意気を無駄にするんじゃねえぞ!」


「狼しゃんっ。狼しゃん! しっかりしんしゃい!」

 ウルダが俺の頭を抱きしめて、声をかけてくれる。耳は聞いてるが、実は焦点が合わない。


「スコールっ。もういいか!」馬車係の急かす声。


「よしっ、止血帯は締めた。──馬車係、板そっち持って。──ウルダ。狼に声かけ続けろ」


 肩もカバーできていない狭い板に乗せられて、ウルダに手を握られながら、俺は楼閣の階段をおろされていく。


 終わった……。


 俺の仕事はここまでだ。やるべき〝裏工作〟は、すべてやった。

 あとは、みんながうまくやってくれることを願うしかない。

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