第30話 どうしてこうなった……!?


「あーあ。本当に穴を開けちまうとはな」


 破られた鎖国の壁は、一区画。

 穴というより壁一枚分だけがすっぽりと抜けたようになくなっていた。自然崩落ではないのは子供でも分かる。


 カラヤンが鎖国の壁の前に立つと、向こう側にはすでに一個中隊の騎馬隊が整然と待ち構えていた。

 その先頭に立つのは、ブラウンに白髪の交じった品のいい紳士。甲冑も剣も身につけず、仕立てのいいスーツが彼の人生であるかのように着こなされていた。


 カラヤンが壁のあった手前に立つと、その紳士も同じように壁跡を踏まずに立ち止まった。

 先に頭を下げたのは、カラヤンだった。敬礼はしない。軍務ではなく、外交使節という建前だった。


「七城塞公国ティミショアラ遊撃隊カラヤン・ゼレズニー大尉であります」


「ヴァンドルフ家家政アデル・クレイフェルトと申します」


「クレイフェルト……? いや、失礼。此度の件に尽きまして先般、お手紙を差し上げたと思いますが」


「はい。伺っております。可愛らしい獣人の少年が手紙を持って参られました。ヴェアヴォルフの末裔。あの人族の敵と怖れられた戦闘民族が、実に人懐っこい。よほどの愛情に恵まれたのでしょうね」


 この人物、もしかして……。


「恥ずかしながら、あの者は我が弟です。母の愛情を受けて育ちました」


「ほう。それはそれは。エディナ様はその後もご壮健であられますか」


「はい。やはり母をご存じでしたか」


「ええ、もちろんでございます。〝神々の研究〟を例の学会に目をつけられたこと、大変残念に思っておりました」


 そこでお互い沈黙で間合いを取って、本題に入る。

 先に切り出したのは、クレイフェルト卿だった。


「狼という人物は、この場にお見えでしょうか」

「いいえ。彼の者は現在、公国内で発生しております〝魔狼の王〟撲滅を任務とし、現場に出ております」


「なるほど。では、当家当主の接見は貴殿が?」

「はい。僭越ではございますが。龍公主ニフリート・アゲマント・ズメイの名代として参上をお許し願いたい」


 するとクレイフェルト卿はゆるゆると顔を振った。


「えっ? あの……」


「狼という人物の手紙には、そのよう慰問の旨はございませんでした。『陰謀に荷担せよ。されば、当主の病を救う手立てを考えてみる。使者が行くから、その証をご覧じよ』という内容でございました」


「なっ!? お、お待ちください。そのような話、それがしはいまだ聞いておりません」

「ええ、そうでしょうね。手紙にも使者に伝えないということも記述されていました」


「誠に申し訳ありません。どういうことなのです?」

「さあ。例えば、その狼という人物から、何か預かっておりませんか」


 預かった。カラヤンは思わず後ろを振り返った。非公式とはいえ、交渉ごとで何も聞かされていないのは、裸も同然だ。羞恥に近い感情で泡を食う。

 するとそこへ、部隊後方から一頭の馬が駆けつけてきた。アルバストルだ。


「旦那、申し訳ありません。遅くなりました。狼の言付けをお持ちしました」


「どういことだ。狼に何かあったのかっ?」


「オラデアで、〝魔狼の王〟の旗艦を撃破しました。我々の完全勝利です」


「何だと!?」

「それで、狼は旗艦を町の要塞に引きつける役をかって出たようで、左足を失いました」


 カラヤンは交渉中であることもとっさに忘れて、身体ごとオラデアに向けた。


「あのバカっ。また無茶しやがったなっ」

 思わず吐き捨てたが、カラヤンはまた振り返ると、かつて壁だった場所を見あげた。


(てことは、この壁はあいつの仕業じゃないのか……誰が?)


「そんなわけで、その確認をして出てきたもので、こいつを旦那に渡すのが遅れました」


 アルバストルが差し出してきたのは、小さな木箱。蓋はなく、中におがくずで保護されたポーショングラスが納まっていた。いわゆる薬ビンで、中身の水溶液の色はきれいな緑をしていた。


「アルバストル。お前からこちらのクレイフェルト卿に説明できるか」正直よく分からん。


「はい。──クレイフェルト卿。わたくしは狼の配下で、アルバストルと申します。こちらのご説明をさせていただきます。

 狼によれば、この水溶液をそちらで用意していただいた物に少量かけて、効果のほどをお試しいただきたい。という話でした。効果が良ければ、こちらをお渡しすることになっております」


 クレイフェルト卿は穏やかにうなずくと、後方の騎士にうなずきかけた。

 やって来た甲冑の騎士は赤髪の獣人。カラヤンは思わず目を見開いたが、気持ちを職務に踏みとどまらせて何も言わなかった。


(食えねぇお人だ。ここにいるのは全部、滅びたはずのヴェアヴォルフ精鋭部隊なんじゃねぇのか。死んだ前当主がアスワンに捕まっても、戦線が小揺るぎもしなかったのはそういうわけか。

 てことは、兵を王都から国許に帰したのは、この秘密精鋭部隊を国王軍に知られないためって理由もあったのか? それじゃあ、グラーデンの大将に応じないのは……まさか)


 赤髪の騎士が持っていたのは、ペトリ皿。いわゆるガラス蓋付きのガラス容器でシャーレとも言うが、科学は門外漢のカラヤンには容器の名前まで知らない。


「では、そちらの物をいただきましょう」


 アルバストルが箱を差し出すと、クレイフェルト卿は中のポーショングラスを手に取り、栓を抜いてペトリ皿の〝何か〟に数滴かけた。そして、再びフタをする。


 効果は、数分を待つ必要もなかった。


「……消えた。跡形もなく。おぐしは残ったというのに」


「クレイフェルト様っ!?」

 赤髪の騎士が表情を明るくする。クレイフェルト卿も満足げにうなずいた。


「ジェリド。これで御屋形様は助かる。我々は、狼という人物の要求を呑むとしよう」

「はっ。我らも異存はございません!」


「ちょ、ちょっと待ってください。うちの狼が一体、ヴァンドルフ家に何を要求したんで?」


 カラヤンも場に振り回されている気分がして、つい言葉に地金が出る。


「オクタビア王女率いるへの挟撃依頼です」

「挟撃? そりゃあつまり……ヴァンドルフ家は、王女を裏切ると?」


「勘違いなされていますよ、カラヤン殿。我々は一度も、オクタビア王女に荷担した憶えはございません。決起会合の場所を貸せと言われたので、貸しはしましたが。──ヤーデン」


「はっ」騎士が拱手して進み出てきた。


「捕らえたミュンヒハウゼン家の〝鴉〟ヴァロナをすべて解放する。手紙をつけるから。上位者三名に私のオフィスまで来るよう指示を。一刻を争う報せだと尻を叩け」


「承知いたしました」

 騎士はすぐさま馬に乗って立ち去った。


「カラヤン殿。本当に何も聞かされていないのですか」

「真に、恥ずかしながら……」


 ガラにもなく首をすぼめる。だがクレイフェルト卿は朗らかに微笑んだ。


「それでは、本作戦における我らがヴァンドルフ軍二万六〇〇〇の統轄管理官を貴殿が勤めるという約定もでしょうか?」


 カラヤンとティボルは半口を開けて、その場を動けなかった。

 統括管理官。すなわち、千騎長を統べる万軍の大将である。


   §  §  §


 オラデアの町は、静かだった。

 勝利を祝う歓声も、生き残った安堵のため息も聞こえず、ただパチパチと火が燻る音が戦いの名残を呟く。

 マクガイアは楼閣の屋上から煙管きせるをくわえて夕陽を見ていた。


「マシュー。吹き溜まりの谷はどうした」

「三〇〇人使ぉて、卵を焼きにいかせとるで。もうじき帰ってくるじゃろ」

「……そうか」


 マクガイアは背中を丸めて息をついた。


「どうしたんなら、兄貴。ため息ついて。ぼぉれぇ珍しいのぉ」


「たまには休憩させろって。……お嬢のこと、この町のこと。まだまだやらなきゃいけねぇことは山積みだ。今日くらい気を抜いても罰は当たるめぇよ」


「なら、酒を持ってくるか?」


「バカ言え。こんな油くせぇ場所で勝利の美酒に酔えるか。あいつらが戻ってきたら〝クマの門〟で飲むぞ。オレの奢りだ」


「おっ。にっひひひっ。そうこなくちゃ」


 マシューは木箱に腰掛け、腰の袋から煙管を取り出す。ミスリル製で。管に巻き付くように泳ぐ鯉の彫金が、なかなか粋に仕上がっている。


「兄貴。ダンジョン出発は、いつになりそうかのぉ」


「ん? そうさな。ここを壊して、やっつけなくちゃいけねぇ仕事をあらかたすませて、少し落ち着いてからだろう。あと、狼に頼まれてた仕事もな。それから登ろうと思う。それまであの三人の反乱令嬢さまのご接待だな」


「なら、二月後か」

「いや、一月以内だ。……この際、若いヤツらに仕事を任す、いい機会だろう」


「ほぉほぉ。急に器が大きゅうなったのぉ。家政長」


「茶化すなよ。本当に忙しいんだ。ふぅ……ホリア・シマが不動産投機に失敗して、アラム家の私産に大穴を開けてるらしい」


「おぉっ? いつからよ」

「カラヤンの報告では五年前ってことらしいが、西の城壁未改修の件もある。実際にバックヤードにはいって調べてみねぇことにはわからん。もしかすると、オレの胃にも穴が開くかもな」


無茶わやばぁしてったんじゃのぉ。ホリア・シマは」


「中身空っぽの民衆煽動家がうっかりガチの町政治をやらせたら、よくあるオチだ。お上もなんで家政長にしたんだかな」


「どうせ、ドワーフが嫌いじゃからじゃろぉ?」

「ふっ。かもな」


 二つの紫煙が夕空に昇っていく。

「……のう、兄貴」

「ん?」

「オルテナじゃあ、ダメなんか?」


「あん? ダメって、何の話だ」

「じゃけぇ。女房にもろぉてくれんのかってことじゃ」


 マクガイアは押し黙る。マシューは沈黙に耐えかねて、さらに踏みこむ。


「ダメなら、兄貴からあいつに引導渡してやってくれや。このままじゃあいつも、ずぅっとヘビの生殺しじゃけぇ」

「おめぇに、もうちょっと頼り甲斐があったら、それもよかったかもな」

「妹の気持ちを、ワシのせいにするんかっ!」


 マシューが怒り出した。マクガイアは手を挙げて苦笑した。


「冗談だ。悪かったよ。そんだけおめぇの妹は頼り甲斐があるんだよ。オレたちドワーフは、女房や娘は表に出さねえだろ? 成人した女だって表立って働いてるのは、この町でもオルテナくらいだ。

 針仕事ですら家の中に籠もってこっそりやって、業者が家まで受け取りに来る。女が店なんか出せやしねぇ。そんなだから、あいつもあえて男口調を使って、周りから何のかんの言われながらも、意地張ってやってきてる。違うか?」


「そりゃあ、まあ……」


「オルテナは女だてらに目端が利く職人だ。あいつを見て勇気づけられてる女たちもいるだろう。それを女房にしちまったら後ろへ隠すことになる。オルテナは表張ってこその職人だ。今のあいつには古いドワーフ世界を変えられる力になってもらいてぇんだよ」


「けど、そねぇなこと、所帯を持ってからでもできよぉが?」


「オレはそれじゃあダメだと思ってる。亭主の後ろ盾で評価されても世間の目は変わっちゃくれねえよ。まずあいつが一廉の職人になる。そこでオレたちの世界を変えないとな。

 これから先、オレは家政長だ。周りに『ああ、あの女の気風きっぷは、そういう虎の威か』と舐められたら、オレもあいつもそれでしめぇだ。

 だから、オレがあいつの前に跪くのは、もうしばらく先。そう言ってるんだ」


 我ながらしゃべりすぎた。狼の影響かもしれない。言葉を尽くすってのは難しいもんだ。


「えっ? それじゃあ、兄貴……ええのかっ?」


「ああ。オルテナのことはまあ、なんだ……気に入ってるよ。だがな。これから大公の代替わりに入る。オレもオルテナも、そしておめぇも、プライベートなんざ、まるでなくなる数年間が始まる。〈ヤドカリニヤ商会〉や他の三龍公主の協力も不可欠だ。お前も家政長補佐として動いてもらうからな」


「はあっ。わ、ワシが家政長補佐? ええ……なんでそんなことになっとるんじゃあ」

「なぁに言ってやがる。ここまできたら、オレたち三人は一蓮托生だろ」


 マシューが頭を抱えると、マクガイアはがはははっと笑った。

 だから二人は、階段をそっと降りていく足音には気づかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る