第27話 魔狼の王(26)


 会議後。

 第二公子とおつきには客間があてがわれ、カラヤン達は早々にマクガイア家を辞去した。

 リビングに残ったのは、俺とマクガイア。

 グラサンドワーフの前に、その新聞記事を差し出した。


「その記事を読んでくれませんか。心当たりがあれば、どんなことでも構いません。教えてください」


 マクガイアはそれを受け取ってひと目見るなり、テーブルに伏せた。

 サングラスの奥で敵意の炎が揺らめいた気がした。


「狼。これを誰の指示で、ほじくり返してきた」

 怒鳴らない。闇の中で微かにうごめく静かな怒りが、核心の根深さを示していた。


「指示はありません。情報ソースは言えません。ただ、この記事の真相から、大公陛下のお気持ちが──」


「変わりゃしねえよ」マクガイアはぴしゃりと言った。「もう変わりようがねえんだ。あの人の気持ちは微動だにしねえ。……ああ、そうだったな。そのことをオレが、忘れてたんだ」


 自嘲を呟くと、マクガイアはうつむき硬そうな髪を掴んだ。


「この記事はな。加害者も被害者もドワーフだったんだ。一人を除いてな」

「被害者も、ですか?」

「ああ。生き残りがそう言ってるんだから間違いねーよ」


「それじゃあ、この重傷者の少年が」

「うん。砕けたヘッドライトのガラスが目に刺さってな。人より余計に光が眩しくなっちまった。それ以外はおふくろが守ってくれたから、かすり傷ですんだ」


 マクガイアがおもむろにサングラスを取る。つぶらな両目は、若干灰色に濁っていた。


「視力は」

「幸い、人並みだ。夢だったパリ=ダカや南北縦断レースは諦めたがな」


 パリダカとは、フランスのパリからアフリカ大陸最西端セネガル共和国の首都ダカールまでの大陸横断自動車レースのことだ。セネガル共和国が独立前はフランス領だったことに由来する。


「車が、お好きなんですね」

「ああ。機械いじりが講じての延長だがな。ラリーレイド・ワールドカップのメカニッククルーに誘われた時は三日徹夜してガキの頃から溜め込んでいたアイディアをノートに書き込んだもんだ。そしたら、飛行機が現地に到着する直前に──、ヤツらが来た」


 徨魔か。


「大公陛下がお気持ちを変えられないのは、なぜですか」

「ああ。理由も思い出したよ。もっとも、そいつをお前に話すわけにはいかねぇな。おそらく、ライカン・フェニアですら口を開かねえだろう。あとは、お前の幸運次第だな。あの大公がお前を呼んだら、会ってみるといい」


「……大公が俺を呼ぶ?」


「まあ、なんだ。お前がオレの家政長への弾みをつけるために〝魔狼の王〟を政治利用しようと動いてくれてたのは、作戦企画書でだいたい察しはついてた。気持ちはおありがてぇが……もう、あんまり無理すんな」


 ガッカリしているのは先細る声の弱々しさから理解できた。本気で家政長を目指して、希望をへし折られた人の声だった。


「でも、マクガイアさん……。わかりました」

「うん。何でもかんでも一足飛びに事は運ばねぇもんだ。筋道を立てて一歩ずつだ。だろ?」

「……そうですね」


 俺は新聞記事を引き取ると、一礼してマクガイア家を辞去した。

 ことは一足飛びに運ばないもの。確かにそうかも知れない。

 でも──、


 これまで俺やカラヤンがやってきたことが、そもそも一足飛びに事を運ぼうとしているように見えたのなら、それはおかしい。


 たしかに俺は一歩一歩。話を進めているわけではない。

 疑問や問題が順序だって一列に並んでやって来ているわけではないからだ。車の製造工場みたいに流れ作業で片付けている暇はない。

 物事を納得できるまで、納得できないまでもこれ以上は改善しない所まで、やる。

 同時に。並行して。


 だからたまに周囲からミスを指摘されれば、自分の思慮の粗や迂闊さに恥じ入るばかりだが、それくらいの精度で物事を処理しなければ、掬える命を掬えないし、誰も幸せにならない。

 俺は、うっすらと雪の積もった泥を歩く。

 真っ白な綺麗事だけの道を進むつもりは毛頭ない。

 スコールとウルダ、そして馬車係の待つところへ向かった。


「聞いてくれ……非情策サクリファイスを切ろうと思う」


  §  §  §


 二日後。

 ホリア・シマが、戦死した。


 家政長率いる赤鎧騎兵隊三〇〇が町から東へ向かったのは、会議の翌朝だった。

 ドワーフたちが何事かと見送る。城壁の上で、騎影がなくなるまで見送る赤袍せきほうの少女の姿が印象的だったという。


 それから赤鎧騎士三〇〇騎が半分になって戻ってきたのは、半日後のこと。

 彼らの顔は死人同然に顔色を失い、疲労し、絶望していた。

 その日は、風もなく静かな夜になった。


 翌朝。つまり、今朝のことだ。

 新旧市街双方の町で、広報官が家政長ホリア・シマの戦死を告げた。


 なぜか葬儀は行わず、家政長代行は、主計長のクリシュナ人の男が引き継ぐことになった。一ヶ月の喪に服すると宣伝されたが、新市街は普通に商売をしていた。

 意外なことに双方の市街から、動揺や悲しみを伝える声は聞こえてこなかった。それよりも人々の関心はリアルだった。


 ──家政長らは〝何に〟やられたのか。


 箝口令がかかったのかどうか俺は知らないし、どうでもいい。戻ってきた騎士達が善後策をどう打つのかも正直、興味がなかった。

 俺たちは俺たちの目的のために動く。


 まず、スコールを使ってシグログ地区の避難住民を中心に〝魔狼の王〟の吹聴を始めた。


「魔狼の王はシグログ地区の住民がこっちに来てしまったから、この冬で飢えている。そのことに気づいた家政長がこの町が襲われる前に駆除しようとして、逆に食われてしまったらしい。新市街で要塞を作ってるドワーフの勘が大当たりかもな」


 次に、馬車係に行商人のフリをさせて、宮殿に出入りする下働きの女性数人に声をかけさせた。新市街のマクガイアが独自に作戦会議を開いて、〝魔狼の王〟に詳しいようだと噂を流させた。


 そして、その日の午後。


 オラデア・バロック宮殿を見張っていたら、裏口からフードローブを来た少女が出てきた。素早い身のこなしから、只者ではなかった。


「ウルダ。頼んだよ」

「ん。任せんしゃい」


 ウルダを送り出し、一方で俺はスコールとともに、〝魔狼の王〟のご機嫌伺いに向かう。

〝飛燕〟ラスタチカで低空を飛ぶ。俺の少し上をスコールが併走する。


「なあ、狼。おっさんに報せなくていいのか」

「カラヤンさんは日帰りでティミショアラだ。報せるタイミングがなかった」

「へえ。案外それを見越して、町に噂を流したんじゃねえの?」


 ノーコメントで。


「スコールは、俺のアイディアをどう考えた?」

「どうって……。〝魔狼の王〟の旗艦を暴走させないためには、食い物が必要だった。オラデアの町を仕切ってたホリア・シマは自分の立場のことばかり気にして、〝魔狼の王〟をただの魔物退治と見て舐めてた。だから狼の詳しい作戦に飛びついた。かな?」


 説明は端折られていたし乱暴だったが、スコールの言いたいことは的の脇を射ていた。


「そこにもう一つ足してみてくれ。俺もカラヤンさんも、ドワーフ族のマクガイアさんに次期家政長に就いて欲しいと考えていた」

「なんで?」


「カラヤンさんの話では、ホリア・シマが龍公主を大切にしていなかったことに気づいて、不快に思ってた。俺はマクガイアさんの聡明で優しいところも厳しいところもダンジョンで知った。オラデアで再会して、この町全体のリーダーになって欲しいと思ってた。

 そのためにはホリア・シマという家政長は、俺の中で障害になっていた。会ったこともない相手だけど放置され続けた城壁。衰退し続ける町を見て、いい家政長だとは思えなかったからね」


「つまり、おっさんも狼も、ドワーフの肩を持ったってことか」


「外から見ればそうなるね。でも、俺たちの本来の目的は、三人の龍公主をニフリート様みたいに手足を戻して、スコールやウルダのように手を握ったり走れたりするようにすることだ。

 そのためにこちらを信頼してもらえそうな人物が家政長になってもらえれば、仕事がしやすい。なら気に入った人物になってもらえれば、みんな得をするってことだよ」


「気に入らないから、すぐに暗殺。じゃあ、ダメだってことか」

 スコールの口から出たその言葉が、なぜか俺を嬉しくさせた。

「そう。ただ邪魔だからと言って命を奪うのは、下策だ。お金も時間も人脈もない正体を明かせない密偵がやることだ。

 でも俺やカラヤンさんはどっぷりマクガイアさんと知り合いになってる。彼とはこれから先も友達でいたいと思ってる。だから時間をかけて頭をひねって策を練った。それが障害となってる壁に自分の意思で自滅してもらう裏工作さ」


「壁に自分の意思で自滅、か……魔法みたいな話だよな」


「俺一人じゃないから、できる魔法だよ」

 スコールを見あげると、なぜか顔を背けられた。あれ、ちょっと恥ずかしいセリフだったかな。


「でもさ、狼。それならオレたちがしたことって、べつに向こうの家政長を殺したわけじゃあないよな」


「うん。俺たちはホリア・シマが欲しかった情報を事細かに説明した手紙を渡しただけだ。カラヤンさんにこれを見ろと言われて、理解できなかった地図に解説をつけただけだ。

 それで彼なりに攻め時を理解して、慌ただしく退治に出かけたのは彼の決断だし、戦って生き残ったカラヤン中隊に共闘を申し出なかったのは、手柄を奪われまいとする彼の体面重視からの誤判断だ」


「狼、カラヤン隊と共闘しろとは書かなかったんだろう?」


「作戦企画書とは言っても、一応、匿名の投書だからね。それに共闘の重要性を説明しても受け入れてもらえないと思ったからやめたんだ。

 ホリア・シマは、自分から家政長になったけど、龍公主に認められた家政長じゃなかった。そのため龍公主の方から見初められたカラヤンさんに嫉妬していたんだと思う。だからカラヤンさんの言葉は、一言一句耳に入れたくなかった」


「はっ。なのに、狼がこっそり出した情報には飛びついた。子供かよ」


「その結果、彼は一〇〇人の部下たちと一緒に、飢えきった〝魔狼の王〟に食われた。俺たちは彼の〝名誉ある死〟を利用させてもらって、龍公主カプリル様をマクガイアさんのところに近づけることができた。それで今に到るわけさ」


「はー。その説明を聞いても、やっぱりオレにはできっこない計画だってわかるけどな」


「そんなことないさ。ウルダや馬車係やカラヤン隊と何度も話し合って考えてみればいい。俺がどこかに捕まったら、みんなで助けに来てくれよ」


「ていうか。ただでさえ面白い顔なんだから、簡単に捕まるなよ」

「面白い顔って言うなっ。エミー・ネーターから目をつけられてるんだからな。あの人の俺を見る目がマジで恐いんだよ」


 スコールは楽しそうに笑ってるけど、冗談ではないんだよなあ。


「そう言えば、あの姉ちゃん。出る時いなかったよな」

「アンテナ立つ場所、探しに行ったんじゃないかな」

「あんてな、って?」


 それには答えず、俺は高度を上げた。

 目的地点に到達。断崖の上にややつんのめりながら着地する。

〝魔狼の王〟は──、姿を消していた。


  §  §  §


「エイダ~? うちやけどぉ」

『十五日七時間十三分ぶりの連絡ですね。定期連絡はもっと密にお願いします』

「それがなー。公国内はなんや知らん、アンテナ立ちにくぅてなあ。なんでやろな」

『例の壁のせいではないですね。ところで、何か新事実は掴めましたか』

「うん。〝アーテルヴァーミキュラ〟の冷凍保存カプセルをもってたんは大公やったわ」

『やはりそうでしたか。では〝王の卵〟あるいは〝旗艦構成細胞〟のサンプル。再度回収可能ですか』


「うち、手づかみは嫌やねんけど」

『こちらも、局長のポケットからあの黒いヒルを掴み出されたら、消火器で局長ごと氷結させます』


 彼女の消火器には水の精霊召喚術式図が貼られて、解放と同時に水精霊が七秒で室内ごと凍結させる。うちの情報局長補佐は、面白いことを大真面目で言うから、好き。


「そっちになんかお役立ち情報はいってへんの?」

『お役立ち……たとえば?』


「オラデア東三キロ地点から〝魔狼の王〟がロスト」


 携帯電話をもったまま、断崖の下を覗く。切り立った崖に囲まれた楕円形の袋小路に赤い甲冑が野ばらのように散乱している。食いカスだ。きれいに金属だけ吐きだしている。


 沈黙が数秒続いた。


『アーテルヴァーミキュラの母体は現在……同地点から動いてませんね』

「動いてない? おらんで? 見えへん」

『なら、地下でしょうね』

「うわ、めんどくさー」


『局長。9時方向(西)から生命反応が高速接近中──数は2。かなり速いです』

「それ、狼たちやろな」

『えっ』

「狼と今、協力体制とってる」


『局長……。そういうことを一番に報告するべきだと思いますけど』

「あと、オラデア家政長のホリア・シマいうんが母体に喧嘩売って、討ち死にしよった」

『狼の差し金とお考えですか』


「たぶんな。あんな慢性思考停止症の小者が急にイキイキ動き出した理由が他に見つからんし、ポンコツに利用価値を見出すんは、あのわんこ頭くらいしかおらん。あのくそドワーフ・マクガイア量子工学博士が税金だけ払って関わらんようにしとった愚物やったからな」


『ほんと、どうやったらそんな台風の目にひょいひょい踏みこんでいけるのかしら。天才的だわ』


「エイダちゃん。本音ダダ漏れてるで」

『失礼しました。では、まだしばらくそちらに?』

「うん。おる。……あ、あとな」

『なにか?』


「ニフリート・アゲマント・ズメイの暗殺、やめよか。探知犬の存在も気づかんと毒を盛り続けて、犬一匹殺すのにも手間取りすぎてる。エラリィ・クイーンでも、もう少し段取りええで。さすがに脚がつく頃や。首謀者消して、痕跡掃除しとってくれへん?」


『了解しました』

「そしたら。また連絡するわ」


 通信を切ると、エミー・ネーターは制服の胸ポケットから葉巻を一本抜いて、ジッポライターで火をつけた。


「まだまだか。また知恵者ケプラーおじさんのガードを破れんかったわ……」


 あと、第二公子と一緒にいることも本部に伝えなかった。なんとなく言う気になれなかった。

 それを情が移ったとは思いたくない、エミー・ネーターだった。

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