第11話 狼、石けんをつくる(3)


 ひと目見て、それが〝アランビック〟とわかり、俺は幸運にため息が洩れた。

 アランビック。

 アラビア語で「蒸留器」のこと。形状は、蛇口管のついた蓋付きポットと表現すればいいか。錬金術で、化学物質を蒸留するのに使われた。


 ラノベでは、ファンタジー小道具として挿絵さしえの一風景として描写されることがあっても、名前が出てくることはまずない。


 ツカサが一時期、ミーハーな興味でアロマオイル作りたいというので、東京から京都まで配達させられたことを思い出す。


『これで、ワサビやショウガのアロマオイルとか斬新すぎへん?』

『ワサビは、防虫効果。ショウガは食欲増進効果だな』

『はあっ!? なんやぁ。前人既踏かぁ……はぁ。やる気失せた』

『まだ梱包も解かないうちから飽きるんじゃないっ!』


 そういえば、あの蒸留器。結局どうしたんだっけ。思い出せない。


 鍛冶屋〈ホヴォトニツェの金床〉

 この店は、武器防具だけでなく銅製のジョッキやカップなどの金属雑貨も作っている器用な店だった。冷却フラスコ代わりに、ジョッキ二つとカップ二つを購入。


 ガチムチの店主にアランビックを載せる台が欲しいと言ったら、店の奥から三脚台を持ってきてくれた。なかなか〝わかっている〟店だ。


「あんた。蒸留するなら、泥炭がいいぜ」

「へ? あー、いえ。蒸留酒ではなく、ハーブオイルを少々」


「ハーブオイル? あー。あんた。もしかしてカーロヴァックのペルニカ先生ん所のお弟子さんかい」

「ペルニカ先生?」

 俺が首をかしげると、店主は意外そうに肩をすくめた。


「うぉれ? 違ったか。この町でハーブオイルなんて洒落た真似する獣族なんざ、あの方の弟子だと思ったんだが。悪いな。妙なこと言っちまって」


「いいえ。それで、どんな先生なんですか?」

「ま、ひと言でいって、美人らしいぜ」


 うん。そこは重要だよな。どうやら女性らしい。


「ハーブを使った薬膳酒が絶品なんだ。アスワンやアウルスからも買い付けにやってくる商人がいるくらいだ。えらく値が張るらしいから貴族向けなんだろうが、商人どもは平気な顔をして買っていくって話だ」


「なるほど。ご店主はそのペルニカ先生に面識がなさそうですけど、随分詳しいのですね」

「あん? まあ、カミさんがペルニカ先生の弟子だったからよ」


 ほう。魔法使いの弟子が鍛冶屋の女房はまた奇特な。


「へえ。そうなんですか。それなら、今カーロヴァックが戦渦に巻き込まれて、先生の安否を心配されてるのでしょうね」


「まあな。けど、あそこに六要塞がある限り、ペルニカ先生に指一本触れることはできねえって言ってたから。それほど心配してねぇのかもな」


「爆走鳥亭で聞きましたよ。アスワンからアルサリア要塞と呼ばれてるそうですよ」

「ほう。アルサリアか」


「ちょっと、お客さん。それ、誰から聞いたんだい?」

 店の奥から、ふくよかな童顔の女性がたまらず出てきたといった様子で現れた。


「えっと。ロジェリオさんに聞きましたから」


「ロジェリオっ。あいつ、噂の本当の意味も考えずに流行りそうってだけで言いふらするんだから。いいかい、犬のお客さん。他所でその名を言わないでおくれよ」


 彼女の不機嫌を察した。なんか面白そう。俺は何度も頷きつつ、話に踏みこんだ。


「ペルニカ先生の名誉に関わることですね。なら、この場限りで他ではもう言いませんよ。でも理由を聞いていいですか。同じように呼ぶ人に、注意できますからね」


「ああ、そうしておくれ。アルサリアって名前はね。アスワン帝国じゃ、〝魔女〟の代名詞なんだよ」


 きた。


「魔女ですか」

「ああ、そうだよ。魔女アルサリアっていってね。何代か前の帝王スルタンを三人もたぶらかして、国を傾けたかどでいまだに賞金首になってるらしいんだ。


 ペルニカ先生はね。アウルス帝国魔法学会も一目置く魔法使いで、カーロヴァック要塞の設計者でもいらっしゃってね。

 あそこは石灰岩と森しかない田舎だけど、先生は気に入られて長く住んでいらっしゃる。あの場所を守るために要塞建設を、時の国王にも認めさせたんだよ。先生は、薬師として静かに暮らしたいだけなんだよ。それを魔女呼ばわりなんてとんでもないっ」


「心穏やかな魔法使いなんですね」

「そうだよ。本当に地母神のような方なんだ。帝国も学会も諦めればいいのにねえ」


 薬師が要塞を設計。魔法使いが国王を説き伏せて造らせた要塞か。また、その堅牢すぎる要塞を作ったがために、アスワン帝国を必要以上に刺激し、警戒させ、敵視されるようになったのではないか。

 ペルニカ先生みずから混沌を招き寄せたのではないか。という俺の憶測は口にしなかった。


「あの。戦争が終わったら、カーロヴァックに行くことになってます。ペルニカ先生にお会いすることがあれば、女将さんが心配していたと伝えますが、お名前を頂戴できますか」


 ついビジネス口調になる。昔取った営業の杵柄きねづかだ。

 女将さんは童顔に魔法使いの威厳を総動員して、背筋を伸ばした。


「ヴェルビティカが、いつ久しくお健やかに、と伝えてちょうだい」

「わかりました。必ず。先生は、会えばひと目でわかる美人なんですよね」


 俺の認識に、女将さんは全身を揺すって笑った。冗談がお気に召したらしい。


「先生は、今の時期なら要塞北に庵を構えておいでだと思うよ」


 時期によって住所を変えるらしい。前の世界にもいたなあ。そういう遊牧民みたいな売れっ子作家。


「ちなみに、先生のお好きなお菓子とかありますか?」


 先生と名の付く相手に、菓子折は大事だ。初対面で心を掴まないと良い仕事をしてくれない先生は多い。


「やっぱり〝ロジャタ〟だね。バラを食べてるんじゃないかってほどリキュールをたっぷり効かせたヤツ」


 レシピをひと通り教えてもらうと、プリンのような焼菓子だった。ただ、バラのリキュールがくせ者で、先生の自家製だという。醸造期間も三ヶ月。石けん用とは別に、リキュール用のアランビックを買おうか迷う。


 そうだった。石けんにいれる香料を造る道具を買いに来たんだった、俺。


 それからまた数日後──。


 ヤドカリニヤ商会のリベンジは、大成功をおさめた。

 売り子は、ヤドカリニヤ家の操舵長ゴーダの奥さんマルガリータ夫人(三七)を採用。


 漁師町で五つの井戸端会議を掛け持ちし、そのすべてにおいて議長権を手放したことがないという情報網。婦人会でも有名人だそうな。


 俺は彼女に石けんの試供品として二つ渡し、それでまず自分の髪と身体と服を洗ってきてくれと頼んだ。もちろん俺が直接頼んだのではなく、メドゥサ会頭から頼んでもらった。

 彼女はすでに試用済みなので説得力がある。


 するとこの奥さん。「あと三つ、およこしよ」と言ってきた。そのかわり、

「お嬢が売ろうとしてる、あの石けんを造った端から全部売りさばいて見せるからさ」と豪語したという。


 俺は製造担当なので、否やはない。マチルダとメドゥサ会頭に判断を任せた。


「案ずるな。マルガリータは曲がったことが大嫌いだ。何か策があるのだと思う」

「あの、狼さん。彼女にあと五つ、渡してもいいですか?」

「えっ、五つ?」


 マチルダがここ一ヶ月ほどで、なにか商売の勘のようなものを掴み始めていた。そばかすのある可愛らしい笑顔が、どこかアクドイ。


「あのおば様を完全にこちらへ味方につけるんです。石けん三つというのは、わたし達に欲張ったところを見せないギリギリの妥協だったと思います。

 つまり、それ以上の数の石けんを複数人にせがまれた結果の三つだったと思います」


「だから、こちらから彼女の顔を立ててあげようってわけだね」


「はい。でも、こちらから見せられる誠意はここまでです。おば様が結果を出せなかった時は、商売の責任として容赦なく切り捨てるべきです」


 少女の口から出た決断は、発破だ。マルガリータにそれだけの実力があるとわかっての誇張。その効果はあったのか、メドゥサ会頭の表情に緊張がはしっていた。


 ここが最初の勝負どころらしい。


「メドゥサさん。町市場で再出店する見世棚は確保できましたか」


 商人見習いであるマチルダの確認事項に、会社で言ったら社長であるはずのメドゥサ会頭は肩身を狭くしつつうなずいた。


「ああ、うむ。できたことは、できたのだが……。すまない。管理者からあてがわれた場所は、あまり人通りの良い場所ではなくて、だな。私の力不足だ」


「ふふ。それ。関係ないですから」マチルダが自信たっぷりに胸をそびやかす。


「だって、商品は石けんなんですから。食品の近くに置けないじゃないですか」

「それもそうだね」

 俺も真っ先に納得してしまう。


「それに、狼さんの技術で、ラベンダーの匂いが客を引っぱってきてくれます。大丈夫。あとは、ヤドカリニヤ商会の本気、元気、活気を見せつけるのです!」


 まるで舞台へ上がるベテラン女優のような気合いが入っていた。

 マチルダも初舞台のはずなのに。


   §  §  §


「さあさあっ、寄って頂戴。見てって頂戴! この美しい港町セニに本日、お目見えいたしまするは、新装開店ヤドカリニヤ商会とバルナローカ商会セニ支店でぇ、ございますっ!


 都はザグレブ王都の一流店。フェリツィア商会、オクタヴィア商会、ファヴォリット商会で宝石べに白粉おしろいつけたお御貴族さまから下さい頂戴で、頂きますのは五百が六百、六百が七百、七百が八百、一ロットはする品物だが、今日はそれだけ下さいとは言わないよ!」


 マチルダが丸一日で覚えたとは思えない啖呵たんか口上をきりまくる。


「おい、ありゃあなんなんだ」

 フードの下からカラヤンが太い眉をしかめた顔を、俺に近づけてくる。


「呼びこみですよ。口上は俺が書きました」

「いや、あんな長い呼び込みは聞いたことがねえな」


「あれでいいんです。まずは注目されないと。通行人が足を止めてくれないと、客になりませんから。……それじゃあ、ここの警備をお願いします」


「ああ。任せとけ」


 カラヤンの目許が鋭くなる。

 俺は、町市場をカラヤンに任せて、波止場へ向かった。


  §  §  §


 石けん作りから、ここまで約一ヶ月ちょっと。順調すぎた。


 何らかの嫌がらせや妨害は一度もなかった。薄気味悪いくらいに静かだった。

 メドゥサ会頭の弟パラミダのことだ。


 最初に会った夜。パラミダは酔っていたとはいえ、宿主人を本気で殺そうとしていた。その目的がいまだに俺にもカラヤンにもわからない。


 また、姉がここまで一人前の商人になるべく奮闘しているのに、弟は〝爆走鳥亭〟に迷惑をかけた謝罪どころか姿さえ現していない。商売への蔑視があるのだろうか。


 対して、メドゥサ会頭の商売への情熱は確かだ。父親から止めろと言われても突き進むガッツがある。そう父と娘は交流があるのだ。反面、彼女にとって弟パラミダの家族愛がどこにもない。完全な部外者だ。


「ウスコク全体は、メドゥサさんの商売をどう思ってるんでしょうか」


 以前、カラヤンにそんなことを訊いてみた。


「ウスコクの族長スミリヴァルは、海賊としてジェノヴァ協商連合傘下、ダルマチア海軍に参与しているかたわらで、〈セニ商会〉という海運業を表でやってる。

 この辺の島集落に生活物資を運んだり、協商連合の商家が経営する塩田からこの町へ塩を運び入れる下請け仕事だ。だから愛娘の商売を否定こそしないまでも、商家としての発展はないと諦めている。

 そこをあえて、おれが説き伏せたんだ。子供がお前の背中を見てやりたいと言ってるのに、その将来の可能性を潰すもんじゃねえ。三年やらせてみろってな」


「それじゃあ、その三年目が、今なんですね」


 カラヤンはうなずいた。

「ウスコクの中には、海に生きる民の、海賊の誇りを手放せない古株連中もいる。物を売る商売ができなくても海で船を襲うのが商売だ豪語するような連中ばかりだ。

 パラミダは次期族長で、そいつらの代弁者にでもなったつもりなんだろう。そいつらの生活がどんなに惨めかも見てやらずに、海賊の誇りだ歴史だとのぼせあがってんだ」


 この一ヶ月。パラミダが海賊らしく虎視眈々とこちらの事業を潰しにかかるタイミングを見計らっていたのなら、狙い目は販売開始となる今日だ。



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