第4話 悪くない選択
「パラミダとメドゥサ会頭の双方に情報を流していたのは、あなたですね。ロジェリオさん」
〝爆走鳥亭〟。
タコサラダ。軽く揚げたタコをぶつ切りにして、オリーブオイルとニンニク、タマネギ、バジルなどでさっと和える。それだけだ。
でも、俺はたぶんタマネギとニンニクが危ないかも知れないので、それらを外してもらう。かわりにワイン酢で香りと調味を足してもらった。もう西洋タコ酢。たこが揚げてあるし、ほどよい塩味と酸味があって、これはこれで、うまい。
ロジェリオは悪びれなかった。
「オレは、ウスコクをここらで商会形態に組織を組み直すってう、メドゥサのアイディアはいいと思ってる。だがオレはウスコクだ。スミリヴァル様には船を下ろさせてもらった恩義もある。パラミダはそのついでだ」
「なぜ船を下りたんですか?」
「女に惚れちまったのさ。女は
「……」
「それまで十三年勤めて溜めこんだ金を全部はきだした。情けねぇだろ?」
「俺は海の男じゃないですから……それも悪くない選択だと思いますよ」
「ふんっ……それも悪くない、か」
ロジェリオは俺を
「じゃあ、この居酒屋は?」
「もともと親の店だ。ウスコク船団の一等航海士で〝海牙〟と呼ばれてた。老後は、スミリヴァル様からここの居酒屋の経営を任されてた。オレが船を下りてから親父が族長から買い取った。本人は墓の下にもぐったが、オレが続けてる」
親子二代の店。表情は安堵の混じった後悔のない微笑だった。
「最初に会った時、パラミダに殺されかけたのは」
「ん? ああ。オレがメドゥサの肩ばかりを持つからパラミダがキレたんだろう。オレは、あいつの味方はできねえって言ってるのに、いつも裏切り者呼ばわりだ」
「味方するのは、メドゥサ……いえ、スミリヴァル族長だけですか」
ロジェリオは当然だと言わんばかりに頷いた。
「オレは陸に揚がっても、あの人へ忠義を果たす。何があってもだ」
「なら、教えてください。パラミダは今、どこです?」
「あいつに会ってどうする」
「会ってから考えます」
やめとけ。ロジェリオは顔を振った。
「おとなしく石けん作ってろよ。よそ者がウスコクに首を突っこむな」
「俺の前をうろちょろされると、邪魔なんですよ」
「あん……そりゃ、どういうことだ?」
「パラミダは、おそらくタマチッチ長官と組んでます。ずっと以前から」
ロジェリオがもたれていた食器棚から背中を浮かせた。
「パラミダが行政庁と組む? そんな話、聞いたことねぇぞ……っ」
「行政庁じゃありません、タマチッチ長官個人とです。ここへ俺が呼ばれたとき、タマチッチ長官が俺に投げてきた言葉は、どこから得た情報だったか知ってますか?」
ロジェリオの目が虚空を彷徨いながら、沈んでいく。まだ町で流れている悪評じゃないらしい。俺が作った石けんを知ってる人間にだけ流れている。
ロジェリオが言う。
「けどな、狼の。石けんの売れ行きは順風満帆。品切れ問題さえ解消できれば、商会は商売の風に乗る。オレの耳にあの石けんが顔を焼くような被害が出るなんて話はどこからも……狼の。そっちで何か掴んだのか」
「ええ。その悪評の発信源にロカルダがいたんです。タマチッチ夫人宅でマルガリータとの会話を何者かが盗み聞きし、流したものだったようです。でも、その場にタマチッチ長官はいなかった。
しかも長官が俺に言った内容は、刺激的な所だけを伝えていたんです。真実は、被害が出るのは、石けんの完成品の成分ではなく、作業工程中の材料成分でした」
「あー……つまりどういうことだ?」
「長官は、情報提供者から仕入れた石けんの悪評は本来、メドゥサさんにぶつける予定のものだった。けれど長官は、情報提供者からの情報の信憑性を信用していなかった。だから、製造元である俺にぶつけてきたんです。彼は石けんを製造しているのが、狼男だと知らなかったはずなのに、です」
俺は自分のもふもふの頬を叩いてみせた。
ロジェリオは納得した様子で表情を明るくさせた。
「……そうか。だからタマチッチさんは落ち着いていたのか」
「というと?」
「タマチッチさんとスミリヴァル様の会合だ」
俺は一瞬考えて、顔を上げた。
「工場の建設? ウスコクが本気でヤドカリニヤ商会に手を貸す。と?」
「そうだ。タマチッチさんは、石けんを作る工場をメドゥサが欲しがってると考えていた。それはそのままこの町に再びウスコクが幅を利かせることを危惧していた。ところが工場を欲しがっているのはお前で、お前はどこでも工場は作れると言った」
「手許の情報と話が合わない──。長官はそう思った」俺は独り言のように呟いた。「そうか。ヤドカリニヤ商会は、俺の石けんを売り出して再起を図ったが、まだ金の卵を掴んだだけ。ニワトリの方がまだ放し飼いだと長官は看破した」
石けんの製造は俺が勝手にやってる。商売上の契約は何も結んでいなかった。
バレていたのか。思っていたよりも早かったな。
「それじゃあ、スミリヴァル族長との会合の結果は?」
「工場建設は保留になった。お前の会話で
「タマチッチ長官の中で情報が確定しなかった。俺の作る石けんの安全性と、工場建設する意思があるのか。その二つの確認ですね」
「そんなところだろう。たぶん、近日中にお前の石けん製造の視察に入るだろう」
「行政庁がですか?」
「いいや。両方だ。スミリヴァル様もヤドカリニヤ商会への本格的な出資を検討し始めてる」
「それって、行政庁とウスコクで工場建設の共同出資もあり得るってことじゃないですか?」
俺が指摘すると、ロジェリオは目を輝かせて大きく頷いた。
「ああ、そうなんだよ。二人はお前の石けんをこの町の産業にしようと考えてる。おい、狼の。わかってんのか。お前はこの町で絶対交わらなかった線を動かしたんだぞ」
満面の笑みでロジェリオが言った後、その熱気がカウンターで冷えて、沈黙した。
俺は言った。
「パラミダとしては……面白くないですね」
「ああ、間違いなくな。あいつの頭の中じゃ今ごろ、自分の舌先三寸でスミリヴァル様とタマチッチさんが丁々発止で揉めてるところだろうからな」
翌日から幻想の通りに実家も行政庁も動いていなかったと気づいたら、あのパチンコ玉は次にどう出るだろう。
「ロジェリオさんの情報網で、パラミダの行き先、わからないですか?」
「今、探させてるところだ。あと、お前の監視を増やしたからな」
「え゛ぇっ!?」
俺は思わず悲鳴をあげた。それを見た宿主人は背中を仰け反らせて大笑いした。
「だっはははっ。狼の顔でそんな人間くせぇ
その間に大量生産、工場建設もしていかないと石けんはただの
「何を言っているのですか。今夜から俺、メドゥサさんと〝ディナル・カルスト〟ですよ?」
「わかってる。護衛も後から押っつけ追いかけさせる」
「あと、カラヤンさんの許可もないと」
「悪いが、そっちはお前でなんとか拝み倒してくれ。あの人の
そこへ玄関ドアが開いて、黒髪の美しい幼い少女が入ってきた。
「父さんっ。メドゥサお姉ちゃん、帰ってきたあ!」
「あいよっ。ほら、狼。さっさとカラヤン呼んでこい。出発準備はできてるぞ」
子供にまで見張りさせてるのか。俺はロジェリオに抗弁するのを諦めた。
この町に来て、俺たちはたぶん。この人の箱庭の中で動き回っていただけなのかも知れない。
「ふわぁ~。おおかみだあ」
外に出ようとしたとき、足下で黒髪の少女が両手を拳にして俺を見上げてくる。
「怖くないよ。撫でてみるかい?」
俺が屈みこんで頭を差し出すと、小さい手がおそるおそる触れてきた。
「おおかみさんにも、あるごなうたいの、かごが、ありますようにっ」
思わずちょっと泣けてきた。この町に来て石けんを作っただけなのに、どうしてこうなったんだろう。
「ありがとう。行ってきます」
俺は〝爆走鳥亭〟を出た。
パラミダは、なぜ族長の座が欲しいのだろう。
船乗り五〇〇〇人から上納金は受けているだろうが、それなら海賊を標榜するのはやめて漁業ギルドとか海運業商会とか作ればいいのに。……金がないのか?
「えっと……あの~、護衛の人。いるなら集合してもらえますか」
別に忍者のように飛んでくるわけもないだろうだが、手を挙げて周囲に声をかけてみた。きっと現れても二、三人くらいだろうと思っていた。
ところが横路地のあちこちからぞろぞろと男女が現れた。八人も。予想以上の数に圧倒されてしまう。あと呼んだら駆け足で来いな。
「えっと……俺の護衛、ですか?」
代表格らしい無愛想な男性がこくりと頷く。俺は一度だけ深呼吸した。
「最初の指示を出します。とにかくカラヤン──〝ハドリアヌス海の海虎〟を倒した英雄ムラダー・ボレスラフに、あなた方の護衛配備を認めてもらうためにも実績を作ってもらいます。よろしいですね」
「……じっ、せき?」うん、もう少しシャキシャキしゃべろうか。
「このあとの行動計画を説明します。まずは裏の馬車まで来てください」
俺は、この世界に来て初めて分隊班を指揮することになったらしい。
でもコイツらのやる気のなさよ。まるで使い物にならない。
だからこっそり、この町に置いていこうと思う。
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