第24話 朝帰りの馬車に揺られながら


 東の彼方。山と空の境界が青く生じ入るあかつきの頃。

 二頭立ての馬車が、厚く積もった雪を蹴って進む。


 俺たちは〝翡翠荘〟までの帰路についていた。

 背嚢は軽くなったが、幌の中でみんな毛布の中で押し黙り、まんじりともしない。


 その中でライカン・フェニアだけは温かそうな寝袋に入り、ヘレル殿下の膝に頭を乗せて昏々こんこんと眠っている。


 どうやら用法用量を守ったにもかかわらず、鎮静薬が効き過ぎたらしい。呼吸は正常なので寝袋に入れて運んだ。


「狼。お前、オレらにいろいろ隠してることあるよな」

 ティボルが長い沈黙をそっと破った。


「うん。どれをどこまで話していいのか、わからないんだけどさ」

「なら、全部話せよ」

「全部はいらないだろ。何が知りたいのさ?」

「あぁ? そりゃあ……」


「言っとくけど。俺が持ち帰った情報はどれも決め手がないからな」

「決め手? 何の決め手だ。オレにわかるように説明しろって……言ってンだよ」


 ティボルもヘトヘトだ。俺もヘトヘト。みんなヘトヘト……達成感は割と薄い。


「カラヤンさんやムトゥ家政長にも説明しなくちゃいけないんだ。無駄に説明したくないだけ」


「ちぃっ。ああ、そうですか」

「ティボル。あんた、これからどうするんだ?」


「どうする? どうするって。そりゃあ……か、帰るに、決まってん、だろうが」


 お互い床を見つめている。声色から既に迷い彷徨ってるのがバレバレだ。


「そっか。じゃあ、そのこともムトゥさんとメドゥサさんに伝えていいよな」

「ちょっ、ちょっと待てっ。なんでそこでヤドカリニヤ商会が出んだよっ」


「ティボル。思い出せよ。あんたの今の立場はヤドカリニヤ商会所属の手代だ。これから自分がどうすればいいのか決めかねているのは、あんた自身だ。

 あの墓場で、あんたがティボル・ハザウェイと認められた時点で、おおよその推測が自分でも立ってるはずだろ。その上で、俺から何が聞きたい?」


 そっと諭すと、ティボルはそれっきり黙り込んでしまった。

 やがて、馬車が止まった。

 俺は立ち上がり、幌カーテンをはぐって御者台に顔を出した。


「どした?」

「狼しゃん、あれ」


 毛糸の帽子をかぶったウルダが前方を指さす。

 行く手に、黒・赤・銀の騎馬団がいた。もう二度と会わないつもりだったのに。


「まさかずっと、あそこで待ってたわけじゃないよな」

「どげんすっとね?」

「半端だけど、この場で小休止にしよう。彼らに生態スーツを渡してくる。スコールとウルダは幌の中に入ってったまってて」


 二人の返事を背中で受けて、俺は上着を脱ぐと、大革袋を一つ掴んだ。


「ティボル。来てくれ。あと、防寒着脱いで」

「あん? なんでよ……ああ、そういう虚仮威しかよっ」


 俺はちょっと小首を傾げておどけてみせると、馬車を降りる。


「狼頭。余の出番はあるか」

 ヘレル殿下が声をかけてくる。なんだか暇そうだ。


「大丈夫です。すぐに戻ります。ちょっとダンジョン土産を渡してきます」


 膝下まで雪に沈む道を、ティボルが腕組みして横を歩く。


「うぅ~さびっ。なあ。もし、あいつらが〝龍〟を見たって言ったらどうすんだ?」


 かき抱く胸許の隙間から少しだけ六芒星ソロモン刺青タトゥが垣間見えた。


「さあね。見たのは彼らで、俺たちが見たかどうかなんて関係あるのか? その〝龍〟とやらが飛んでいった先の人にでも訊いてみれば。とでも返すかな」


 ティボルはおひい様のことになると心配性だ。この純情が、なんかムカツクぞ。


 それから一〇分ほど、俺とティボルは騎士達に取り囲まれた。

 まず騎士たちは、俺たちの血まみれの姿にギョッとして、にわかに怯んだ。


 俺は生態スーツを渡し、型どおりの感謝を受け、世間話のような気安さでダンジョン内部のことを訊かれた。


 その事情に関して、俺にはまずムトゥ家政長に報告義務があるので、そっち経由で訊いてくれ。とかわす。渡す物は渡した。それ以上の利益を渡す義理はない。


 オイゲン・ムトゥの名前は、水戸黄門の印籠なみに効果があって、誰もこの名前を踏み越えて尋ねようとはしてこなかった。もちろん、顔は納得してなかった。

 あと、龍の話はひと言も出なかった。

 よって、解散。馬車を再発車させる。


「あいつら、ついてこねーみて──ッシャン!」


 ティボルが後方確認して盛大にくしゃみをする。

 俺は彼の背中に防寒着を投げてから、


「スコール。行き先に待ち伏せの影は」

「ない。大丈夫みたい」

 御者台の助手席から報告が入った。


 これで〝翡翠荘〟までは雪だけが障害となった。もう安心かな。


「狼頭」

 ヘレル殿下が俺の血まみれのズボンを見て、眉根をしかめた。


「なぜ、余をフェニアのそばに残した。余が貴様のそばにあれば、敵におくれはとらせなかったぞ」


 心優しい上位精霊に、俺は深くうなずいた。


「敵は、俺がずっと気がかりで警戒し続けていた〝魔女〟の使いでした。ついに俺の前にその使いが現れ、警告を残して去りました。それがこれです」


 赤黒く乾いたズボンをさする。殿下は俺の目の色を読んだ。


「敵の狙いは、フェニアの存在を消すことも含まれていたのか?」

「はい。博士は、あの墓の仕組みを一から構築した重要人物です。〝魔女〟の目的は、あの場の破壊ではなく、俺への警告。その痛烈な証として、ライカン・フェニアの抹殺でしょう。博士が俺たちに余計な知恵を与えることは織りこみ済みだったと思います。

 使いが、俺の相手をしている間に、魔女自身が博士の命を狙って部屋を訪れていてもおかしくはない情況でした」


 これは結果論だが。

 俺はライカン・フェニアが眠るベッドを本来の私室から別室に移動させていた。

 これは魔女が現れることを想定したものではなく、彼女の部屋がやけに薬品──睡眠薬の臭いがしたからだ。俺の黒鼻が高性能だからこそわかったことだ。

 

 もし、博士がその睡眠薬の臭い漂う寝室で眠れない夜を過ごしてきたのなら、俺は、そこに彼女を寝かせておくのは可哀想な気がした。その程度の危惧だった。

 結果としてカルセドニーはライカン・フェニアを忘失し、カテドラルターミナルへ直接乗り込み、俺たちと接敵することになった。

 俺たちは痛い思いをしたが、結果としてこれでよかったのかもしれない。


「では、なぜ貴様は、そんなになっても尚、余を呼ばなかった?」

 上位精霊といえども、他人のことは見えやすくても、自分のことは見えにくいらしい。


「殿下であれば、魔女の使いも全力であらがったでしょう。そうなればダンジョンにおよぶ被害が甚大になるのは必定でした。あそこに眠るきわめて重要な装置や研究文献が消失、全体の維持もできなくなり、このダンジョンを利用する大勢が困っていました。

 しかし、魔女にとっては、それこそがむしろ好都合なのです。だから俺たちは苦境に陥っても、あちらの手に乗るわけにはいかなかったのです」


「うっ。ふ、ふんっ。それほどの狡智こうちけた魔女か。忌々いまいましいっ」


「幸い。魔女は我々を過小評価していたので、俺の姑息な詭計きけいに油断し、被害は最小に留まりました。誰も命を落とすことなく魔女の害意を退けられました。でも、次はもっと強く攻めてくるかもしれません」


「ふむ。次こそは、上位精霊イフリートたる余の威を示してやろう」


(いや、そういうことではないんだよなあ……)


「殿下には今後、博士と連繋してケルヌンノスの追跡調査をお願いしたいのですが」

「なに、追跡? 追ってどうする」


「博士は、ケルヌンノスを視認することができません。でも、殿下がいてくれれば、ケルヌンノスの動向を観察できるかと思いまして」


「ならば。その間、狼頭はどうするのだ」


 あれ、殿下はこっちが気になるのか。俺はちょっと困った。


「俺は、同じくケルヌンノスを研究しているこの世界の魔女と情報交換。また、現在起きている戦争の戦禍拡大に備えて、心ある人間達との連繋を太くしようと考えています」


「人間どもは、懲りもずに同族殺しを続けられるものだ」

「ええ。そこにケルヌンノス。そしてケルヌンノスを滅ぼそうとしている今回の〝魔女〟が現れたらどうでしょう」


「その魔女は、アレを見逃がす気はないのか」

「ええ。それどころか、彼女はもしかするとケルンノスのある特性に気づいているのかもしれません」


「ある特性?」


「はい。殿下が、ケルヌンノスを〝植物〟と仰った時、俺は植物が本来持っている、ある不思議な可能性を思い出したのです」


「植物が本来持っている……ふむ」

 小首をかしげる殿下に、俺はうなずいた。

 おもむろに幌の中が明るくなった。山から朝陽が顔を出したようだ。


 たった一〇時間強のダンジョン初探索。


 俺たちは抱えきれないほどの成果と問題を手に入れた。

 それらを積んで、馬車はわだちのない真っ白な道を進み続けていくのだった。

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