第3話 魔狼の王(2)
居酒屋〝クマの門〟。
好きな酒は、バーボンだそうだ。
マクガイアは、俺の知ってる別世界のカナダ出身ドワーフ。
中華料理を愛し、アメリカ蒸留酒を好むグラサンオヤジ。
バーボンは、十八世紀。ケンタッキー州バーボンで醸造され始めたウイスキーをいう。
ウイスキーとは、蒸留酒の一つで大麦、ライ麦、トウモロコシなどの穀物を麦芽酵素で糖化し、これをアルコール発酵させ蒸留したものである。
実は、蒸留酒はいつも馬車に積んでいる。
公国方面の宿泊する居酒屋の各店に、隙あらば店主人に頼んで置かせてもらってきた。
アルコール度数は六〇から七〇度あたり。熟成は半年。
前世界。日本洋酒酒造組合の定義によれば、国産ウイスキーの熟成は最低三年が必要とされる。海外は英国スコッチで二年。米国バーボンで三年の醸造期間がなければ、ウイスキーを名のれない規則だ。酒飲者が二〇歳以上なのと同じく、酒にも年齢が必要だった。
それでも〝タンポポと金糸雀亭〟のイルマからはウケが良かった。三度目の追加発注を得て、前金ももらっている。前回ハティヤとライカン・フェニアを迎えに来た時から〝クマの門〟にも置かせてもらって、評判は上々だったとさっき聞いた。
だがここのドワーフはもっぱらビール党保守派らしい。
しかし営業活動というのは、根気と地道な下積み作業だ。挫けてはいけない。
これは西へ旅して分かったことだが、酒そのものを居酒屋が醸造している店が多い。俺もそこに目が行かなくて、酒を置かせてもらっている立場としてはいささか不勉強だったと反省しきりだ。
幸い、俺の蒸留酒を好意的に受け取ってもらって、試飲気分で味見して良かったから客にも出してみた。という居酒屋ばかりで救われた。
とくに〝タンポポと金糸雀亭〟はイルマみずから「うちは酒はよそから買ってる」と教えてくれるところもあった。ウルダがいなければ絶対に聞き出せない居酒屋の秘密だった。
だから俺も顧客に対して、「三年後には必ずうまい酒を届けられるから」と言い続けている。若い酒と駆けだし営業。冬なのに冷や汗をかく思いだ。
そんなわけで、マシューとオルテナにも、俺の作った蒸留酒を飲んでもらった。
ちなみにドワーフは、六〇度以上のアルコール度数をストレートでグラス半分飲み干しても涼しい顔をしている。さすがドワーフというべきか。
「どう、でしょうか?」
販路拡大のため、俺は感想を聞いた。
「うーん。どーならぁっちゅうてものお。酒じゃが」
「あたいもガイ兄ちゃんほど酒好きじゃねぇから、なんとも言えんけど。形にはなってると思うぜ」
「形、かぁ」
「うん。ウイスキーっぽくできてる。けど記憶にあるウイスキーはもっとこう、厚みってのかな。香りとかうまみとかっての? ただのアルコール利かせた水じゃねぇよなって。カールはどうよ?」
〝ホヴォトニツェの金床〟の店主も首を傾げるばかりだ。
「いやぁ、おれはこれくらいがちょうどいいぜ。ビールに飽きたらちょっと口先を変えるって感じのな」
その表現に、ドワーフ兄妹が頷く。その上で、オルテナが言葉を続ける。
「狼は、
マシューもうんうんと頷く。
「これで、マクガイアさんの機嫌を直してもらえそうかな?」
「「それは無理」」
兄妹そろって顔を振られて、俺は思わずテーブルからズッコケそうになった。
「ガイ兄ちゃんが山の手の家政長を欲しがり始めたのは、あんた達があのカビを持ち込んだ直後くらいからさ」
「あの後……何かあったの?」
「さあ。ただ、シンクロックドライブとパラレルリンクシステムのアルゴリズムを──」
以下、数字と機械用語が滝のように流れる。相変わらず、この女ドワーフは酔うと頭が変に冴える性質なんだろうか。金床の店主はポカンとして聞いていた。
「──ってわけでさ。わかる?」
「えーと、すみませんね。マクガイアさんが何かの駆動モジュールの改変プロトコルをひらめいた。ということまでは、何とかかな」
「ほんまか。今の話聞いて分かるとか、どがぁな頭しとるんなら」
「狼の頭だけど」
「そこ、マジレスいらんけぇ!」
マシューがあごをしゃくらせて拗ねた顔をする。俺はオルテナに訊いた。
「一体、どうして急に?」
「わからねぇんだ。いきなり『どう思う?』て相談してくるからさ。あたいも久しぶりに面食らったぜ。そのくせ、理由だけ言わなくてよ」
「それで、どう答えたんだ?」
「システム構築はともかく、演算シミュレーションどうするんだって訊いたんだ。そしたら」
──ダンジョンに行ってなんとかする。……そうか、管理者権限がいるな。
「だってさ」
「管理者、権限……本当に一体どうしただろう。マクガイアさんが、思い悩みすぎじゃないか」
「まったくだね。らしくないっていうかさ。でも相変わらず、詳しい事情を話してくれねぇ。だからさ、狼。あんた行って聞いてきてくれよ」
「さっき本人怒らせたばかりの俺に向かって、よくそんなこと言えたね」
「まだ兄貴の鉄拳が飛んできとらんけぇ、大丈夫じゃろ」
マシューが経験者は語るみたいなしたり顔をする。
やめろよ。縁起でもない。
§ § §
とりあえず詫び酒の蒸留酒をもって、マクガイアの自宅に行く。
外はすっかり暗い。息は白い。
どれが冬の星座なのかわかりもしない、異世界の
「ナーガルジュナⅩⅢで天文学者っていなかったのか?」
思いつきで、となりの女ドワーフに訊ねる。
「そりゃいたさ。だけど、あたいらで知ってた天文学者は、大学の名誉教授だったことを勲章みたいに口からぶら下げてる鼻持ちならない爺さんでさ。〈パンドラシステム〉のライドを拒否して、バケモノに喰われる寸前になって、自分の〝偉大な〟脳を未来のために保存してくれと懇願するような阿呆だったよ。
上層部が本気で守ってた方は、顔は知らない。ライカン・フェニアみたいな天才が乗ってたって話は聞いたけどさ」
「ほぅじゃったのぉ。研究棟の中でも一等室に部屋をもろうとって、私室も艦長のとなり。セキュリティも厳重じゃったで」
「天文学者というのは厚遇される存在だった?」
「言ったろ。ソイツは本物。あの
徨魔討伐戦隊〝ハヌマンラングール〟。その進路を決めていた水先案内人。
「それじゃあ、〝失楽園事件〟で、その天文学者はどうなったんですか」
「当然、逃げたに決まってんだろ」
オルテナはにべもなく即答した。
マシューが星を見上げながら嘆息する。
「ニコラ・コペルニクスのことを姉様、姉様言うてのぉ。その後をついて回るくらい仲が良かったらしいで」
(もしかして、その天文学者は子供なのか……?)
「異世界にパラレルジャンプするたびに、星間座標レーザーセオドライトのスキャン結果に誤差が二度でることを発見した功績で、ライカン・フェニアと同じくらい艦内で有名人になってたっけ。けど、本人は人間嫌いって言うのか、重度の恐怖症だったらしくてな。懐いた人間も限られてたらしいぜ」
妹の後を、マシューがどこか物憂げに続けた。
「口走った不幸の予言ばぁが当たりまくって、両親から悪魔呼ばわり。挙げ句に目の前で銃自殺されたらしいけぇのぉ。天才に生まれた人間の最悪な人生パターンを地で行っとったらしいでぇ。
おまけに、世界を金で牛耳っとる大富豪どもに予知能力者あつかいされて追い回されとりゃあ、思わずあの艦に飛び乗って逃げたくもなろぉが?」
「兄貴。もしかしてアイツのゴシップ追っかけてたのかよ。キっモお」
妹が汚らわしそうに兄を見る。
「えっ。それって天文学者じゃないんですか。星占い師?」
オルテナはつまらなさそうに頭の後ろに両手を回して、
「天文学は、艦に乗った後に学んだんだとよ。そこから怖ろしいほどのスピードで博士号まで取ったんだとさ。それを奨めたのが、
だからあの女は、その天才の親代わり姉代わりってところなんだろ? 噂通りの同性ロリコンだったかどうかは知らねぇけどさ」
「お前も、しっかりゴシップ追っとったんじゃろうが。ヒマ人」
直後に、妹から兄の腹へ無言のパンチ。ドワーフなので遠慮がない。
不幸を紡ぐ占星術。コミュ障の少女……。
俺には一人だけ、心当たりのあるが。
昔語りが尽きたところで、マクガイアの自宅に着いた。
ドアをノックすると、ティミーが白衣姿で現れた。
「あら。また来たの? あんたも好きねぇ」
どういう意味だ。俺はさっさと用件を告げる。
「あの、マクガイアさんはいますか?」
「いるよ。帰ってくるなり部屋に籠もったまま出てこないけど」
「ティミー、コーヒーもらうぜ」
俺たちの横を押しのけてドワーフ兄妹がどかどかと家に入っていく。勝手知ったるなんとやらか。
「ちょっとお。ここはあなたのおうちじゃないでしょお?」
ティミーが頬を膨らませる。俺は思わず目をみはった。
「えっ。ここ兄妹で一緒に住んでないんですか?」
「兄妹一緒? 違うよ。ライト兄妹の家は三軒向こう」
「ライト……きょうだい?」
「そ。オーヴィルと、キャサリン」
「ワシは、マシューじゃ」
「あたいは、オルテナだよ」
「ほらね。兄妹でしょ?」
いや知らんがな。確かにこれまでの交流も含めてこの二人も科学者名をもってておかしくなかったけど。
俺は背中を丸めて、ドワーフ三兄妹の真実なんか割とどうでもいいなと思った。
§ § §
三〇分ほどして、マクガイアが部屋から出てきた。
俺たちを見るなり、びっくりした様子でやってくる。
「おいっ、お前ら。雁首そろえて、いつからそこにいやがんだ」
「何度も呼んだって~ぇ。もうっ、寝るぅっ」
ティミーは赤らんだ頬を膨らませてイスを立ち上がると、ふらつく足取りで自室に戻った。
「おい、お前ら。あいつに酒飲ましたのか」
「本人が狼の蒸留酒に興味示したけぇのう。味見させてやったんじゃ」
マシューはちっとも悪びれない。
「ったく。弱ぇくせに酒好きはタチが悪いんだよ。アイツの二日酔いを世話するのはオレなんだぞ」
「それで、あいつとは、もう寝たの?」
オルテナがずけずけと訊く。
「ばか。
「ご挨拶だねえ。未来の家政長さん。あたいらは兄ちゃんを心配して見に来てやったんだよ」
蒸留酒で酔ったフリの勢いで踏みこんでいく。意外と可愛い小細工をする女ドワーフ。
マクガイアが鼻から盛大な嘆息を吹き出すと、俺を見る。
「お前もかよ」
銅製のマグカップに蒸留酒をドブドブ注ぎながら、俺にすごんだ。
「いえ。正直、今のところ居酒屋で言ったことくらいがせいぜいかな。と」
「じゃあ、なんで来た!」
雷のような胴間声に、俺の首がすぼんだ。
「実は、オラデアには、俺の上司の後を追ってきたんです」
「上司?」
「カラヤン・ゼレズニーといって、今、ティミショアラで遊撃隊の隊長をしています。その人に会ってもらおうかと」
「遊撃隊?」マグカップの九合目でボトルの傾斜が止まる。「数は」
「一個中隊です」
「使えるのか」
「相手によります。上司個人は、折り紙付きです」
「石頭か」
「いいえ」
マクガイアはボトルを置くと、銅製カップをビールのようにあおった。見てるこっちの喉がヒリヒリする飲みっぷりだ。
「そいつの上司は」
「ヴィクトール・バトゥ都督補です」
「違うっ。直属の上司だ」
「えっ、えっと……すみません。そこまでは把握していません」
迂闊だった。カラヤンとバトゥ都督補の間には大隊長他、幕僚幹部がいるはずだ。その上司の名前まで俺は訊いてこなかった。いや、待てよ。
「あの、そこまで訊くってことは、悩んでることって荒事ですか?」
マクガイアは目許を苛立ちで強ばらせた。
「それはお前の上司とやらに直接会って話そう。ツナギを頼みてえ。時間がないかもしれん」
「なあ、狼」マシューが口を挿む。「上司の後を追ってきたんじゃったら、おどれの上司は、なんしにオラデアにきたんじゃあ?」
俺は正直に言った。
「〝魔狼の王〟という魔物の集団がこの町の近辺に出たという報告を受けて」
室内がしんっと静まり返る。オルテナが
「ガイ兄ちゃん……ッ!?」
「狼っ」
マクガイアが真摯な目で見据えてくる。俺は思わず背を伸ばした。
「今夜中に上司とツナギをつけろ」
「えっ。今夜中?」もう深夜だぞ。
「そうだ。今すぐだ! さっさと行ってこい!」
ドワーフが拳でテーブルを叩くと、聞いたこともない轟音を放った。
「ひゃいっ!」
なかば脅しつけられて席を立ち上がった。その時だった。
玄関のドアが不躾に開いた。
「灯りがついてたんでな。夜分に邪魔するぜ。ここにマクガイア・アシモフってお人がいると聞いて──あ、お前」
ノックもなしに入ってきたのは、肩にビールの小樽を担いだカラヤンだった。
「あんた。誰だ。オレになんの用だ」
「あの。マクガイアさん。さっき話した、俺の上司です」
マクガイアの
あからさまにタイミングが良すぎると、こうもその場を拍子抜けさせるものらしかった。
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