第4話 魔狼の王(3)


Aterアーテル vermiculareヴァーミキュラ


 英訳された物を和訳をすると〝黒ヒル〟〝黒ミミズ〟と命名されたらしい。

 一見、ヒル(ヴァーミキュラ)に酷似しており、環形動物に見られる多くの体節をもつ黒い生物。全長は確認されている個体で、四センチから一二〇センチ。ぬめぬめとした粘液をまとい、前後の両端に吸盤型の口兼肛門をもっている。


 単独でも行動可能だが、おおむね二〇〇〇から五〇〇〇体前後で結束し、波打ちながらエネルギーを発電させ、行動。


 その形態は、犬狼の頭をもった八脚の黒トカゲないし黒蜘蛛と表す。


 また、結束中の体長は、大きいもので全長四~五メートル。肩高二メートル。体重は七トン前後と推定。これを体幹の長いアフリカゾウと表す。


 突進最高速度は、時速六〇キロと推定。尻尾を持たないので、突進中の回頭が不得手。どこにでもへばりついて活動する一方で、角度九〇度、高さ三メートル未満の壁面はなぜか登ろうとせず飛び越えようとする。


 また結束中、意思決定器官となる脳がどこにあるのかは不明。結束率が四〇から三七パーセントまで低下すると活動停止。いわゆる気絶状態に陥り、解束。再び結束すると別個体となって行動を再開する。


 活動環境温度は、マイナス三〇度から二〇〇度程度。無酸素空間でも行動可。

 食性は、雑食と見られるが中型個体。とりわけ人間の体液を好む。


「おい、アフリカゾウってのは何だ?」

 カラヤンが仏頂面で訊いてくる。

 俺は〝古文書〟を読むふりをして、

「えーと。南大陸に生息すると言われる大型動物の、ゾウのことだと思います」


「んじゃあ、〝じそくろくじゅっきろ〟ってのは?」

「うーん。四頭立て馬車で思い切り走った速度くらいだと思いますけど」

「あと〝むさんそくうかん〟は?」

「息が続かない場所ですかね。海の底とかでしょうか」


「お前。なんでそこまで詳しいんだ?」

「えっ。いや、なんでって言われてもここに……ていうか、今そこツッコみます?」


「そりゃあ、ツッコむだろ。お前に古文書が読めるなんて初耳だ」

「いやあ。俺自身もこの世界に読める古文書があったこと自体、驚いてますけど」


 もちろん、アラド神殿跡から出土した古文書なんていうのは嘘っぱちだ。


 カラヤン中隊到着からおよそ七日前。

 オラデアの東。オロシグという地区にある集落が三つ、消滅した。


 人族の村落群で、総住民数は二五〇人そこそこ。それが一夜にして喰われた。ティボルが仕入れてきた〝魔狼の王〟出現の情報はここの被害のことのようだ。

 マクガイアは、この一村の村長宅にミスりルで作った髪飾りを納品しに行ってその不幸に出会った。


 しかも、そこの村は〝魔狼の王〟の襲撃に抵抗した様子が見られ、その〝黒ヒル〟の痕跡から、マクガイアだけが徨魔の眷属〝アーテルヴァーミキュラ〟と断定できた。


 徨魔。マクガイア達〝ハヌマンラングール〟が追ってきた、宿敵だった。


 彼はこのことをどうにかこの世界の住人に伝える方法はないかと考えて、古文書という体裁で伝えることにした。


「お前、口が達者だったよな。やれよ」


 そんなノリで、マクガイアに〝アラド神殿の古文書〟という名の小道具を手渡され、洞察の鬼カラヤン相手に、ひと芝居打つことになった。

 そして、なんとそのアラド神殿のシャーマンの末裔が、スキル【古文書】が──以下略。マクガイアの大根芝居の脚本設定で真っ先にボツにした。どう考えても無理があった。


 とんだ茶番である。


 でも、カラヤンは情報収集シゴトで来てるわけで、その異次元情報を興味深く聞いた。


「アシモフさんよ。そいつがこれまでの諸悪の根源だとしてだ。それをおれ達に手伝わせるのはどうしてだ?」


「マクガイアでいい。もう知ってると思うが、オレらとここの家政長とはずっと折り合いが悪い。

 旧市街から地元ドワーフを追い出し、この新市街をスラムと呼んだ。はなっからここの都市とは見なしてねえ。だから兵を出してもらえない。そういうわけで、外から来たあんた達に頼みたいんだ」


「タダ働きはしねぇ。そう言ったら?」

「金貨二〇〇〇枚までは用意できる。撃退ボーナスも考えよう。もちろん、ギルド同盟の互助金の範囲内でということになるがな」


「いや、悪かった。今のたとえ話は忘れてくれ。おれ達はバトゥ都督補の特命で動いている。そっちから出る金は期待してねぇよ」


「直属か。タダ働きで構わねえってのかい」


「そこまでお人好しに立ち回るつもりもねぇさ。ここを拠点にするんなら戦闘の装備品や糧食の配給。薬や薬師の手配なんかも頼みたい」


「ああ。もちろんだ。任せてくれ」

「うん。では作戦を聞こう」


「作戦……」

 マクガイアはどこか逡巡した様子で、テーブルのジョッキを右に置いた。その周りにビールで五芒星を描く。


「ここからちょいと東に行った先に、アラド神殿遺跡を中心とした星形城塞がある。そこの掘を今、さらに深く掘って、返し杭を埋めて、立て籠もる。それだけだ」


 カラヤンはテーブルの上に載った小樽からジョッキへビールをつぎ足しながら、

「籠城戦はいいとして、町の住人全員か?」


「新市街のな。旧市街は赤騎士どもの管轄だ。敵がそっちに流れても、テメェらで始末するんだろうよ」


 カラヤンはおもむろに酒肴にしていた燻製チーズの食べかけを左へ動かした。それを指差す。


「川向こうの西の城壁が崩れていたようだが?」


「ああ。かれこれ百年以上もあのままだ。家政長は、あそこまで修復させておいて、湿地帯での作業に賃上げを要求した地元ドワーフの石積み人足を追い出したらしい。既往の給料も払わずにな。

 総額二二一〇ロット六三〇ペニーだ。当時の労働者は今も全員ピンピンしてるし、未払い記録も木板で残ってる。

 それにこの町にはクリシュナ・レベテって川がある。魔狼どもがあの川で寒中水泳する度胸があるかは、オレにもわからねえ」


「こちらの避難させる住民の数は」

「一六〇〇と十七人ってところだ。収容はギリギリだが、数日の辛抱だ。ただ毎日二ケタずつ町の外から買付客や温泉客が増えてる。そいつらも入れてやるつもりだ。女子供も頼まれれば受け入れる。予定では二〇〇〇人を見込んで作業させてる」


「龍公主はどうだ?」

 カラヤンの指摘に、グラサンドワーフは言葉を失った。


「無論だ。頼まれれば、だが……」

「すまん。これも喩え話だ。おれはどうも、旧市街の城塞の未修繕どうこうより、あのホリア・シマじゃ今回の危険から龍公主を守ることは無理な気がしている」

「……っ」


 マクガイアはサングラスの下で感情を出さないよう、ぐっと顔面に力を入れているように見えた。


 カラヤンは自分の擦った頬傷を指差して、


「これな。昼間。龍公主と棒杖で仕合って、不覚を取っちまったやつだ」

「はっ? がはははっ。ほうっほうっ、そいつはまた油断したな」


 マクガイアが思わず笑い、照れ隠しのようにジョッキをあおる。

 カラヤンは続ける。


「ティミショアラの龍公主とも面識はあるんだが、元気なのはどっちも同じぐれぇだったよ。けど……こっちのお嬢は、なんだかニフリートよりも寂しそうでな」


 マクガイアはビールジョッキをもったまま動かなくなってしまった。


「なあ、隊長さんよ」

「カラヤンでいいよ」


「なら、カラヤン。ドワーフってのは、そんなに人族から見て、劣ってるように見えるかね」

 まじまじと訊かれても、カラヤンは困惑する様子もなくビールジョッキを乾した。


「逆だよ。マクガイア」

「逆?」


「劣ってるからじゃあねえ。お前さん達が何でもわかった顔をしてテキパキ仕事をして、仕事終わりに盛大に酒でばか騒ぎしてる。その人生の謳歌してる様が見てて悔しいから差別してるんだ」


「けっ。なんだそれ。結局、八つ当たりじゃねえか」


「ああ、そうだ。八つ当たりさ。ドワーフにこれ以上仕事を取られたら、悔しいどころか立つ瀬がなくなる。しかも寿命はお前さんらよりも短い身の上だ。だから塀の外へ追い出したんだ。

 だがその結果、オラデアはどうなった?

 城壁の内は静かだったぜ。人がいるのに無人街みたく活気がなくなっちまってた。安全なはずの城壁のなかで後悔している連中も一〇や二〇じゃねえだろうよ。


 あれで民族優位? はんっ、妙な話だ。人もドワーフも、メシ食ってクソして寝るのを死ぬまで繰り返す。それのどこにお互いの優劣があるってんだ? 

 龍公主から物乞いまで、みんな必死に生きて、苦しみながら未来に進んでる。みんな愛されたいって願ってる。

 だったら、それを叶えてやれる器量があれば、誰でも大将になっていいはずだ。クリシュナ族だのドワーフ族だの、チンケなことじゃあねえのかい」


「だが、ホリア・シマは、自分たちの優位こそがすべてだと思ってやがるっ」


「ああ。そうだな。あの男は自分が人族の優位であればと考えて、ドワーフ族をダシに使った。あんたらは争いを避けて、歯がみしながらもそれに従った。結果、ヤツの計画はまんまと成功して家政長にまでなった。それから何十年経った? 

 ホリア・シマはお前さんらに勝ったはずだ。なのにヤツはいまだに、人前でも尖った耳を髪の中に隠して生きてやがったぜ。

 だからおれは思ったね。この魔狼騒ぎで誰がアラム家の守護者なのか試されてるってな」


「試される? ……どういうこった」


「おれは公国の外から来たばかりで、この国の事情ってのにまだ慣れなくてな。家政長ってのも、オイゲン・ムトゥ殿のことしかよく知らねぇ。だから無茶を言えるんだが」

「ん?」

「なあ、マクガイア。家政長の椅子は一つだが、椅子で誰かを幸福にできるのか?」

「……っ」


 マクガイアはジョッキの中に映る自分の影を見て、押し黙る。


「カラヤン。照れくせぇ話だが、オレは龍公主様に惚れちまってるのかもな」


 オルテナがじっと長兄を見つめる。

 カラヤンは平然と頷いた。 


「ああ、ムトゥ殿もそうだったよ。ニフリートを愛してた。だから命をかけて命が尽きるその直前まで、彼女の未来を守ろうとしてたよ。おれや狼に、くれぐれもおひい様を守ってくれと遺言してな」


 マクガイアは悔しそうにため息を吐いて、ジョッキをあおる。


「オレだって、〝赤銅龍〟を守ってやりたい。あのを盛り立ててやりたいんだ」


「だったら、それを行動で示せばいいだけの話じゃあねえのかい。撥ねつけるべき敵はもう目の前まで来てるんだ。その結果で、大公様にうんと言わせてやればいいじゃねえか。

 なに、心配すんな。お前さんらだけを戦わせて、山の手のヤツらは高みの見物なんて、させやしねぇからよ」


 カラヤンはニカリと笑って、ジョッキをした。


  §  §  §


「どういうつもりだ。カラヤン・ゼレズニー大尉っ」


 ホリア・シマは、執務室にティミショアラから来た余所者を呼びつけた。

 禿頭の中隊長は悪びれる様子もなく平然とソファに腰掛けた。


「なんのことでしょうか」

「決まっているだろう。オロシグ地区の住民異動。それから龍公主様への無断接近だ」


「いやあ。カプリル様に見つかりましてね。龍公主様直々に、宮中内で、騎士達の見守る中、強く指南を所望されては、畏れ多くも大公様に仕える臣民としては断れるものではありませんからね」


 いけしゃあしゃあと大公の名前を出されて、ホリア・シマはとっさに二の句が継げなくなる。


「龍公主様はみだりに臣民に姿をさらせぬ御身ゆえ、大公様臣下であっても自重をお願いしたいっ」

「みだりにねえ……まあ、努力はしますがね」


 目線を合わせようとしない。この不神妙な態度がいちいち癪に障る。


「それで、オロシグ地区の住民異動についての釈明は」


「事実無根ですな」

 一言の下に切って捨てられた。


「ぶさけているのかっ。オロシグ地区に貴公の配下と見られるティミショアラの騎馬が目撃されているっ。貴公がオロシグ地区の住民をこの街に流入させているのだろうが」


「ですから、事実無根ですよ。確かに、配下に襲われた村の調査をせよとは命じてあります。多少なりとも〝魔狼の王〟なる不逞ふていやからの正体を突き止めなければ、ヴィクトール・バトゥ都督補閣下への報告もままなりませんからね。

 それくらいの立ち入りは、ご寛恕かんじょ願いたいですな。それがしはいまだ新参ゆえ、給料泥棒と上司から罵られる前に多少なりとも働いておきませんと」


 ふてぶてしくわらい、上目遣いに見つめてくる目は「黙って見てろ」と圧を投げてくる。

 虚仮コケにされてたまるか。


「それでは、この際でありますから、こちらからもお尋ねします。家政長様。〝魔狼の王〟の被害はオロシグ地区だけですか」

「何が言いたい。現段階の報告は、それだけだ」


「それなら、なぜ先日、ここに参った時、黙っておいででしたか?」

「ふんっ。当然だろう。身内の恥はさらせるはずもない」

「家政長様。そういうことを伺っているのではありませんよ」


 声のトーンが一段低くなった。


「あんたは、〝魔狼の王〟がアルジンツァン家、アウラール家の領内でも猛威を振るっていることを聞いて知っていた。

 なのに、何の対策も講じずオロシグ地区の村三つをむざむざと餌食にされ、かつ今なお、こうして策をなんら講じていらっしゃらないご様子。これは一体全体、どうしてなのか──と面妖に思いましてね。こうして伺っている次第です。

 まさかこの期に及んでも、内政不可侵という有りや無しやの盟約を持ち出しはしませんよね?」


 余所者の分際で、無礼なヤツだ。金を出し、人を動かす苦労も知らないで、外から見てるだけのヤツは気楽に文句ばかりを垂れ流すのだ。


「議会を緊急招集し、詮議させているっ。予算もその中で組まれるっ。差し出がましいぞ!」


 この男。たかが災害くらいで、何をムキになっているんだ。


 すると、ティミショアラから来た男は立ち上がり、失礼しますと敬礼して背を向けた。

「おっと。そうだった。バトゥ都督補から一つ、確認事項がありました」


「……か、確認?」

「公国法執政条例第二五の2。オラデアは義務を果たしているのか、とね」


「二五の2……? ──なっ!?」

 ホリア・シマは目を見開いた。このタイミングでそんな条項を持ち出すのは、ただの嫌がらせじゃないか。


「バトゥ都督補には、この町の現状をご報告申し上げる。では」


 今度こそ、カラヤン・ゼレズニーは執務室を出て行った。

 ホリア・シマはデスクから書類をすべて薙ぎ払い、頭を抱えた。


「おのれ、〝蒼ざめた馬に乗る騎士コーニヴ・リェードヌイ〟め!」



(注)作中では〝疫病神〟の意として使用した。ルビはロシア語の「蒼ざめた馬」





※注釈

青白い馬(蒼ざめた馬)に乗った「死」

『ヨハネの黙示録』第6章第8節に記される、第四封印が解かれた時に現れる騎士。そばに黄泉(ハデス)を連れている。疫病や野獣をもちいて、地上の人間を死に至らしめる役目を担っているとされる。

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