第2話 魔狼の王(1)


 オラデア・バロック宮殿。

 侍従官に従って回廊を歩いていると、窓の下に赤い集団が見えた。


「失礼。あれは?」

 カラヤンが声をかけると、侍従官が淡白な様子で、


「ああ、あれですか。龍公主様のお戯れですよ」

「ほう……」


 赤い腕鎧とすね当てだけを装備した少女が、赤い甲冑の騎士を七、八人に包囲させている。一対多数の乱取り稽古。得物は棒杖だ。


「龍公主様は、槍をお使いになるのですか」

「えっ、ええ。本人は騎士達に稽古をつけているおつもりになられているようです。困ったものです」


「お困りですか」

「あの騎士達も今日は非番なのですよ。タダ働きというヤツです」


 カラヤンは何も言わなかった。侍従官はまた歩き出す。


 彼が言うほど、少女の戯れには見えない。騎士達は龍公主相手に遠慮こそあるが、みな真剣だ。なにより龍公主の視野が怖ろしく広い。ウルダとそう歳も違わない子供が、だ。


 それにタダ働きとは言うが、せいぜい二時間だろう。グチ酒を飲む時間を護衛対象との交流と思えば、そこまで徒労とはなるまい。

 侍従官が「お戯れ」と言ったのは、龍公主に指南役がいないからだろう。我流で一対多数の乱取り稽古を所望するのなら、騎士達は接待半分としても、相当使うのではないか。


 と、龍公主が顔を上げた。細面で、眉の凜々しい少女だった。


「これは恐れ入った」


 カラヤンは窓越しに、笑顔で会釈して返す。


  §  §  §


「〝魔狼の王ツァール・ヴァルグ〟か」


 四〇がらみ。長い銀髪を後ろに撫でしつけつつ耳を隠す、怜悧な容貌の男だった。


 家政長ホリア・シマ。


 侍従官のさっきのセリフは、この男の言動を反映しているとカラヤンは思った。


「左様にございます。ヴィクトール・バトゥは広域連合をもってこれに当たるべしとの判断。まずは直近で出現したとされる、当地へ合力せよと、それがしが遣わされた次第でございます」


「無用だ」

「……っ」


「〝魔狼の王〟の悪名は、当方も聞き及んでいる。だが、アゲマント家の推参は無用と伝えてもらいたい」


「いらぬお節介はするな、とおっしゃいますか」

「カラヤン殿、だったな。四龍には内政不可侵という不文律があるのだ」


「それは……バトゥ様より聞き及んでおります。しかしながら──」


「しかしながら、ヴィクトール・バトゥ新家政長の忠告はありがたく受け取っておく。以上だ。もう話すこともない。ああ、それと。書簡は一応送ったが、生態スーツの件。感謝すると重ねて伝えておいてくれ」


 シマが侍従官に目顔を向けると、心得たようにドアが開いた。

 お帰りはこちらというわけだ。カラヤンがアゲマント家の敬礼をした時だった。

開いたドアからガシャガシャと音をさせて、少女が飛び込んできた。


「おお、おったおった。なあ、おっちゃん。ちょっと顔貸してくれへんか?」


 龍公主カプリル・アラム・ズメイだった。

 ニフリートも屈託のない少女だが、それに類する気安さだった。まるで物怖じというものがない。心ある者が近寄れば、とたんに心を開く。

 彼女もまた、カリスマを持っていた。


「龍公主様。その者は公務で参ったのです、手を患わせてはなりません」


 ゾッとするほどの乾いた諫言かんげんだった。

 龍公主と家政長の関係はみな同じなのだと思っていた。違った。少なくともここは違う。

 ホリア・シマは、龍公主を慈しんではいない。


「ええやん。ちょっとくらい。なあ、おっちゃん。うちと稽古しよう」

「騎士達に相手をさせているでしょう。私を困らせないでください」


 無関心に応じた。本当に関心がないのだ。


 少女の顔を見れば、眉がぐっと強ばった。じっと寒さに耐えるように。

 家政長の態度を、龍公主もまた知っている。それでも尚、彼女は明るく振る舞っている。摩擦が起きないように。


(やれやれ。メドゥサがこの場にいなくてよかった)


 いたら、即抱きしめてムトゥの時以上に家政長へ説教していただろう。


(果たしてメドゥサあいつの慈愛が、この男に通じるだろうか)


 通じないとは言い切れないが、可能性は薄い。この男の関心は常に自分へ向いている。


「私なら、構いませぬぞ」

「ほんまかあっ!? よっしゃ、やろうやろうっ! ええよな、シマ」


「……十五分だけです」


 余計なことはするなよ。目顔でクギを刺された。

 カラヤンは、相棒に習って知らぬフリをした。

 言いたいことは言葉にしなければ分からないものだから。


   §  §  §


「すまん。遅くなった」


 オラデア郊外の集落。

 カラヤン隊は、使えそうな空き家を十六軒借りて、当面の拠点としていた。

 住民感情を考え、下士官に制服や甲冑も脱いで普段着で生活させるよう命じてある。手の空いた隊員は近所へ行って家の修繕を手伝ったり、手紙などを代書して出してやったりした。


 その甲斐あって、数日であっという間に警戒は解かれて、有り難がられた。

 カラヤンの野盗時代となんら変わりはない。

 盗みは悪だったが、悪を背に肩で風を切って歩くだけでは生きていけないのだ。


 違うのは、活動資金はすべてティミショアラが持ってくれていることくらいだ。


「おかえりなさい。隊長、そのお顔は?」

 帰ってくるなり、副官のラムザが指摘する。


「うん。龍公主に一手指南を所望されてな。一本獲られた」


 すると副官ロイズまで書類から顔を上げて、意外そうな顔をする。


「ほう。それはそれは……負け癖がついてしまいましたか」

「バカ言え。二度も幻影を見るほど耄碌しちゃいねえよ」

 からかいに応じると、周りの隊員達が爆笑した。


 カラヤンも笑ったが、すぐに引っこめた。報告に入る。


「結論として、協力要請はだめだった。家政長の態度はでな。余計なことをするなとクギを刺されたよ。おまけに〝魔狼の王〟も軽視していた。存在は知っていても住民の損害を無視してる。他の二家と同じ流れだ」


 他の治領アルジンツァン家も〝魔狼の王〟の存在を、魔物の襲撃=災害として軽く見ていた。

 ところが蓋を開けてみれば、被害集落は、四三カ所。そのうち四〇カ所が全滅という凄惨な事実だった。残った三つは、高い城壁を持っていたため辛くも難を逃れたと推測された。


 集落の規模は、おおむね二〇〇人未満の村落だったが、中には五〇〇人近い町村が襲われて人畜の別なく食い散らかしていき、一夜で町を無人に変えた。

 また魔狼とは言っているが、実際にオオカミなのかどうなのかさえもまだ突き止められていない。情報が少ないために、恐ろしく移動の速い集団ということしか分かっていない。


 これらの情報は〈串刺し旅団〉の調査で分かっていたことで、オイゲン・ムトゥが生前、軍に働きかけて公式に調査させていた。

 だがティミショアラ軍もまた、〝魔狼の王〟をやはり魔物の襲撃と見なして、あまり熱を入れて対応してこなかった。その累積が、全滅集落を四〇という数字にまで膨れあがらせていた。


 上層部が無視し続けるのは、被害が広域にわたっていたこととその特異な襲撃習性のためだ。

〝魔狼の王〟は四つの公領を渡り歩いて、巡回するように集落を襲っていた。これを盗賊用語で〝季節働き〟といって、足がつきにくいやり方だった。


 ただ、人の盗賊ならこの季節働きは冬にやらない。家屋に人が籠もり、また雪の跡で逃走経路を追われるおそれがあるからだ。

〝魔狼の王〟はそれすらもお構いなしで襲っている。しかも集落を全滅させる。証拠らしい証拠も残さない。およそ人の心を持った所業ではなかった。


「こちらも、旧市街と新市街を聞き込んできました。あの家政長、あまり良い噂を聞きませんでした」

「というと?」

 ロイズが〝霧〟をみる。アルバストルが切り出した。


「ホリア・シマは、オラデアでクリシュナ民族運動で領民をまとめたハーフエルフで、三〇年前の鎖国政策に賛同する代わりに、ドワーフ族を城塞の外に追い出す政治取引を中央都から引き出して、家政長に就いてました」


 カラヤンはつるりと頭を撫でた。

「なるほどなあ。ハーフエルフ。耳を隠してたのはそういう意味か。それで」


「はい。クリシュナというのが、あの土地に土着化して人族と融和したエルフ一族ですが、純血はもういないとのことです。ホリア・シマは城塞内の人族すべてがクリシュナ族と唱え、同じ城塞内に住んでいたドワーフ族とは長年の紛争の火種になっていました。

 そして大公の威を借りて解決し、一昔前までは絶大な権威を誇ってました。ところが、鎖国後になって徐々にその陰りが見えてきた。それが新市街〝ヴァラディヌム〟の勃興だったようです」


「つまり、追い出したはずのドワーフが造った町が旧市街を置き去りにして発展したってわけだな」


 アルバストルが頷いた。


「この〝ヴァラディヌム〟建設の中心人物となったのが、マクガイア・アイザック・アシモフという元は公国の外、北方に住んでいたドワーフだそうです。姓名を持っているドワーフはあの町でも彼だけだそうです。その人物が地熱を利用したマナ還流装置というものを発明。金属精錬を始めてできたその白い金属を〝ミスリル〟という名で売り出したところ、公国内で需要が伸びたそうです」


 その説明のあとをカラヤンが先回りした。


「そして、ドワーフたちはその金属をクリシュナには売らなかった。か」

「そのようです。実際に新市街の製品はティミショアラより値は張りましたが、上質でした。

 領外から買付けに来る商家は、オラデア旧市街地の製品には目を向けなくなり、現状、旧市街の寂れようはドワーフを追い出す前よりもひどいのだとか」


「小競り合いは」

「それが、起きていませんね」

「起きてねえ? 一度もか?」


 訝るカラヤンに、アルバストルが強く頷いた。


「はい。俺が聞き込んだ限りでは、そういう話は起きてないようです。というのも。マクガイア人が、旧市街との諍いを絶対に起こすなと、地元ドワーフたちに厳命したそうです。

 教えず、助けず、関わらず。川向こう相手に武器を買う金があったら、酒を買え、商売をやれ。それがドワーフの誇りだ。そう口癖のように言ってるそうです」


 カラヤンは腕組みをして低く笑った。


「そいつぁなかなか面白ぇヤツだな。じゃあ、クリシュナ族は何を売って稼いでんだい?」

「温泉から出る、硫黄や温泉水で薬を調剤してるそうです。肌患はだわずらいに効くことでけっこう有名なようです。公国内の貴族も温泉に入りに来るらしいですよ」


「くくくっ。因果な話だな。いがみ合ってる者同士が、同じ場所で地面から出てるもんを売って生活してるんだからな。じゃあ、〝魔狼の王〟については?」


「ドワーフたちの話では、逃げ込む準備は進めてるそうです」

「逃げ込む? どういうこった」


 するとアルバストルとラムザが地図を運んできて、カラヤンの前に置いた。


「これがオラデアの市街地区の地図です。真ん中に横たわってる川がクリシュ・レベテと呼ばれる川で、川の北側の城塞都市が、旧市街。南側が、新市街です」


「ん。おれが通った西側の橋周辺に城壁なんてなかったがな」

「聞いたところによると、そっちは湿地帯なので、ずいぶん前に城壁が崩れたそうです。なのでホリア・シマはこれを長年放置しているそうです」


「ふんふん……それじゃあ、ドワーフたちが逃げ込もうってのは、こっちの城郭か?」

 カラヤンは地図の東にある、星形の溝を指差す。


「はい。元はアラド神殿と呼ばれた旧時代の城跡だそうで、地元ドワーフが城壁の外に追い出されて最初に集落を作ったのもそこだそうです。

 のちにそこから温泉が噴き出し、三〇年経った現在は枯渇。別のところから掘削して温泉を出しているので、ここ十数年は使われていなかったようです。

 それを今回かなり堀も深く掘り直されて、〝魔狼の王〟の防砦ぼうさいとしてまた機能させると言ってましたね」


「なら、マクガイアは〝魔狼の王〟について何か知ってるな。しかもかなり頭が切れる」

「新市街の評判では、頭が切れすぎてて、ついて行けないところもあるそうです」


「だろうな。うちの狼なんかも最近、特にそうだぜ」


 つい本音をポロリというと、隊員達からくすくすと笑いが起きた。

 そこで、アルバストルが思い出した顔を浮かべた。


「あ。その狼ですが、マクガイア・アイザック・アシモフと接触したようです」

「あいつも、その男と知り合いだったのか!?」カラヤンは軽く目を剥いた。


「ダンジョン潜入の時に知り合ったみたいで、昨日。居酒屋〝クマの門〟で、彼の弟妹を名前で呼んで町の事情に探りを入れてたようです」


「それ、どこから入れた情報だ?」

「ヴェルデです。弟の」


 あのぼぅっとしたの、とぼけてるようで耳がいいのか。

 カラヤンは狼が連れている〝霧〟の再認識をした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る