第十二章 魔狼の王

第1話 異世界が思い通りにいかない


 お湯で沐浴をすませると、次の移動先となる北の城塞都市オラデアへ。

 幌の中にスコール達の他。それからヴェルデが寝袋に入って寝ていた。


 先客が乗っていることよりも、俺は例のブツがないことに少し狼狽えた。


「ティボルー。紙の仕入れは?」

「あぁん? あー、今年は大鹿が不猟みたいでな。大判の良質ならリエカで買った方が安かったから買掛かいかけしてねーよ」


「違うっ、羊皮紙じゃなくて植物紙だよ!」

 訴えると、ティボルにきょとんとされた。


「はあ、植物? んなモンで紙が作れるわけねーだろうが。どこ探したってねーよ。お前、何言ってんの?」


「ない? いや、だって……っ」

 思わずウルダを見たが、彼女は怪訝な顔で見返してくる。まるで夢を見ていたようだ。


「ムトゥさんの遺言状に使われていたんだ。あれは紙だったよ」

「遺言状ぉ? ……ああ、そりゃたぶん。あれのことか? いや、あれは無理だろ」

「無理? どういうことだよ」


 ヴェルデの寝袋をまたぎ、俺は幌から身を出して訊ねる。

 ティボルは御者台で前を向いたまま言った。


「ムトゥ様が使っておられた紙の一部に、羊皮紙以外の物があったのは憶えてる。たぶんそりゃあ〝絹紙けんし〟のことかもな」


「絹紙?」

「作り方はオレもわからん。ただ生糸のカスを集めて、一枚の紙に調えた代物だとは思う。あと、そこに書きつけるインクも特注品だろな。中央都の大公宛ての上奏書をしたためたり、内部公文書に使われたりする時に使用された。まず市場には出回らないし、国外にも出ない。門外不出の技術だろう」


「でも、ティボルは知ってるじゃないか」

「知ってることと、作れることと、手に入れられることとは別だろ」


「そりゃあ。そうだけど……。あ~、もうっ。何だよ。ここまで来て骨折り損かよ」


 俺が狼頭を抱えると、それが愉快とばかりに笑われた。


「あっはははっ。旦那との勝負で勝ったんだってな。ウルダから聞いたぞ。お前の勝負運は大したもんだ。少なくともこの先、カラヤン中隊はお前に一目置く。損はねーだろ」


 紙がないなら、慰めにもならない。


「さっきの、〝魔狼の王〟ってなんだよ」

「んー? 魔物が村や町を襲ってるってだけの話だ。動きが広域にわたってるんで、旦那が興味を持ってな。んで調べてみたら、アラデアに出たって話を聞いた。それで慌てて戻ってきたって、わ・け」

「ふーん」


 嘘くさい。駆け込んできたティボルの急ぎっぷりは尋常じゃなかった。カラヤンも報せを聞いて部下へ下知する対応も、迅速だ。これは徒事ただごとじゃない。 


「それじゃあ、ティボルもオラデアへは〝魔狼の王〟に用があるのか?」

「オレはバトゥ様のお使い。お前、〝ホヴォトニツェの金床〟の親方って憶えているか」


 バトゥ、様……っ?


「忘れるはずがないだろ」


「その親方が今、オラデアで店構えた。反射炉の建設もそっちで交渉するらしくてな」

「えっ!? ちょっと待ってくれよ。それは話が違うっ」


 反射炉の建設はオイゲン・ムトゥにだけ手紙を送って仮契約を取っていた。他の都市との契約締結はしていない。

 ティボルは手綱をあおってから、長く息を吐いた。


「ティミショアラで建設許可が下りなかったんだよ。というか、議会が反射炉建設認可を渋ったのさ。特定の商会に受注させるのは独占になるからってな」


 何を考えてるんだ、この町の政治家は。独占も何も、この世界で反射炉を設計できるのは〈ヤドカリニヤ商会〉しかないんだ。


 早晩、帝国や共和国と戦いになるのも避けられないとわかっているはずなのに、敵軍の蹂躙から防ぐ鉄鋼よりも、自分たちに利益にならないことを優先するのか。

 平和ボケした金の亡者どもが。そう吐き捨てて片付けるのは簡単だった。


 どんなに先を読んで準備に動いても、彼らに危機感がなければ俺のアイディアなどただの絵空事、世迷い言だ。

 仮契約したオイゲン・ムトゥが死去した今、この契約自体が議会の遡上にのぼったこと、それ自体が奇蹟みたいなものかもしれない。


 その製鉄が公国にどれだけの利潤を生み出すかも考えず、もはやムトゥ政策は過去の遺物とばかりに計画を破棄したのだろうか。


「それで、バトゥ様が引き継いだ身として、親方のその後が気になったみたいでな。見てこいってさ」

「なるほど」


 建設許可が下りなかったことよりも、俺のアイディアを信じて動いてくれた〝ホヴォトニツェの金床〟店主には本当に申し訳なかった。


 その店主が、ティミショアラを離れてオラデア──ドワーフの町に移ったという。

 もう儲け話がフイになったとか、ティミショアラ都議会への恨みはもういい。忘れよう。

 今はただ、計画に引き込んでしまった張本人として、店主に会って謝らなければならないと思った。


  §  §  §


 オラデアに入った頃には、町はどっぷり夕闇に暮れていた。

 居酒屋〝クマの門亭〟

「よお、狼のっ。まだ生きてたようだな」

「ご店主も元気そうで」


 俺はホヴォトニツェの金床・店主カールとがっちりと握手を交わした。

 少し頬が痩せた印象を受けたが、肌や頭皮のツヤは前よりもよくなったくらいだ。ここの温泉に入っているのかもしれない。


「このたびは、大変なご苦労をおかけしました。すみませんでした」

「ん。あー、いや。先に謝られるとはな……。いや、お前からもまず詫びておこうと思っていたんだが」


「詫び、というと?」

「うん。ティミショアラの水がどうにも合わなくてな。彼に誘惑されちまって。実は議会の議決を待たずに、さっさとオラデアに移っちまってたんだ」


 店主は、となりのグラサンドワーフを見おろす。


「がっはっはっ。世間は広いようで狭もんだな。狼っ」

 ダンジョン保守管理ドワーフのマクガイアだ。あとマシューとオルテナもついてきている。


「どういう繋がりで知り合ったのですか?」

「こいつだ」


 マクガイアがポケットから無造作に取りだしたのは、卍型の白い金属部品。


「えっ。もしかしてこれ、アルミニウムっ!?」

「ほーらな。知ってただろ?」


 マクガイアは店主を見上げて、ニッとヒゲの中から笑ってみせる。


「どうしたんですか、これっ」

 喉から手が出るほど欲しかった金属を握りしめたまま、俺は二人を見比べた。


 店主が言った。


「カラヤンから譲り受けた、金属の魔物から取りだした部品だ。ガラクタいじりが好きだろうって五、六匹もらい受けたんだ。出所はさる高貴な身分のお屋敷からだとしか教えてもらっていない。

 少し前にその屋敷に雇われた時に仕留めたそうだが、身体のほとんどが知らない金属でできてやがる。それで、反射炉建設に暗雲がかげりはじめて、お前に頼まれてた目的を失ってな。手慰みに分解してたら、店に入ってきた彼に見つかってな」


「この町で新しい鍛冶屋ができたら、とりあえず覗いておくのが、オレのルーティンなんだ」


 訊いてもいないのに、マクガイアがえらそうにどうでもいい日課を誇る。

 そこからは立ち話も何だからということで、長テーブルを一つ貸し切って、再会の祝宴になった。

 食べ盛りの子供に、大酒飲みドワーフが加わって、テーブルはちょっとした戦場のようになった。

 何杯目かのビールジョッキをあおって、マクガイアが言った。


「単刀直入に言う。あの撹拌精錬反射炉の建設計画。オレに売っちゃあくれねえか」

「この町には、反射炉あるんじゃないですか?」

「ない。ありゃあキューポラだ」


 キューポラは、シャフト型燃焼溶解炉というタテに長い構造の、反射炉の原型とも言うべき溶解炉だ。

 炉内燃焼温度が低いため銅やすず──いわゆる青銅(銅と錫の合金)鋳造ちゅうぞうには向いているが、鉄を鋳造すると粘りのない硬くてもろ銑鉄せんてつができる。鉄に含まれる不純物がうまく取り除けないからだ。


「あの、マクガイアさん。店主の前で言うのもアレなんですが、それならダンジョンから知識を引き出せば作れるのではないですか?」


 だめだ。グラサンドワーフは頑なな態度で顔を振った。


「あそこから知識を引き出すには中央都の諮問会議の承認に基づく大公の特許がいる。製鉄に関する申請は何度もしてきたが、却下され続けてる。

 だからお前の頭で図面を引いたあの反射炉ならから出た知恵だ。中央都も文句はつけられねぇはずなんだ」


 とんちだな。俺は羊肉の蜂蜜スペアリブをかじりついて、言った。


「回りくどい上に、苦しいヘリクツですね。反射炉は反射炉ですよ。それに建設計画がティミショアラ議会で通過しなかったんですから……ああ、そういうことか」


 俺は目をすがめて、ドワーフを見た。

 ティミショアラ議会が建設計画を否決したんじゃない。議会の背後で中央都が阻止したんだ。


「確かにティミショアラ議会が不許可にした建設計画を、他の都市が受けても問題はないのかもしれません。でも製鉄鋼業が行われれば、その富は莫大ですよね。でも、それだけですか? 俺はその話の先が訊きたいですね」


「家政長に、オレはなる」

「えっ!?」

「オレは、アラム家の家政長の座を狙ってる」


 ビールをあおると、俺は自分の吐いた呼気に疲労が混じっていることに気づいた。


「他の都市で、ドワーフが家政長になった先例は?」


 すると、マクガイアはビールジョッキを砕く勢いでテーブルに叩きつけた。


「先例がなんだ! オレが最初になってやろうって言ってんだ!」

 子供のかんしゃくのような激高に、俺はすがめた目を硬化させた。


「その目的で、反射炉を建設して鉄鋼を密造し、莫大な利益を得ても、その金で家政長の椅子を買うことはできませんよ」


「な、何だとっ。この野郎っ!?」


 マクガイアがテーブルを乗り越えて俺の胸倉を掴んだ。マシューとオルテナ。それから店主も仲裁に入ろうとしたが、俺が手で制した。


「あとで家に帰って頭を冷やしてゆっくり考えてみれば、分かることです。無許可で反射炉を建設した罪で逮捕され、中央都に連行。挙げ句、その罪をそれまでの鉄鋼で儲けた売上げと追徴課税でチャラにされて、終わりです。


 中央都は無許可反射炉操業を免罪し、恩情という名の白々しい恩をあなたに売りつけることができるわけです。それは生涯の首輪と言い換えてもいい。

 結果、あなたがこれまで貢いだ献金や尽くした奉仕の功績は露と消え、あなたはこれからもダンジョンの保守をやることになる。彼らの懐を潤しただけで終わるでしょう」


 マクガイアはごつい拳を震わせて、なにかを言いかけた。

 それを、俺はじっと見つめた。


「ここが辛抱のしどころなのですよ。マクガイア・アイザック・アシモフ。時を待つのです」


 マクガイアは急に酔いが醒めた目で俺を振りほどくと、席に戻った。顔で浴びる勢いでジョッキをあおった。


「だったら、狼よ。待つべき時とは、いつだ。オレはいつまで待ちゃあいい!?」


「それも、あなたが決めるのです。これまでの情報、これからの情報を整理し、情況を見極め、仲間の意見を聞き、敵の盲点を見つけて油断しているまさにその一瞬です。その急所を突いて黙らせるのです。それと勘違いをしないでほしいのです」


「勘違いだあ?」


「古今東西。先例を作るというのは、起きた異常事態に対する法の不備や、過去の先例の不備がなくては生まれません。その時だけ、止むに止まれぬ横紙破りが道理として採用される、応急的な事務処理手続き──例外なのです。

 先例を作れる人は、組織の頂点には立てません。政治や法律の〝棘〟にならぬよう、運営者によってへし折られる異端者に過ぎないのです。マクガイアさんは、これまでの生活のすべてをなげうって、そうなる覚悟がありますか?」


「ぐっ、ぐぬぬ……っ」


「何があって家政長を望むのかは、この場では聞きません。マクガイアさんにとっては強い決意あってのことでしょうから。

 でも、あなたが家政長に就けば、マシューさんやオルテナさんを含めたジェットストリート商会、そしてティミーさんのこと。町のことをどうするのか。そのことをもっとじっくりと深く考えることをお勧めしますよ」


 マクガイアは急に静かになると、席を立って居酒屋を出て行ってしまった。

 長兄を追ってマシューとオルテナが席を立つと、俺は慌てて押し留めた。


「実は、お二人にどうしても教えて欲しいことがあるのですっ」

「教えて欲しいこと? ……長生きの秘訣かい?」

 悪いけど、もう死んでるからいらないんだよなあ。

「このオラデアという町について」

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