第19話 翡翠(ひすい)龍の子(3)
フードを背負って、老人は居酒屋で会った騎士二人とともに水路沿いを走った。
「ご家老っ。建物の屋根に、敵影3の増援っ」
「足を止めるな! この先の橋を渡れば、〝ヴァルナβ〟も手出しはできぬっ」
「はっ」
老いを感じさせぬ健脚で石畳の街を疾走する。むしろ老人よりもその前後を走っている騎士たちのほうが息があがり始めていた。
そんな時、前方の狭い路地から小鬼サイズの怪影が四つ飛び出してきた。
アルマジロに似た丸い装甲を背負った褐色の〝
「うおぉおおおおっ!」
先を行くフェイヤーが剣を抜いて、小動物を追い払うように振り回す。しかし〝ヴァルナβ〟は身体を球体に変え、その剣先を難なくかわし、逆に騎士へ次々とぶつかっていく。
最初の一体を剣で受けると、剣がはかない音をたてて折れた。さらには別の二体が立て続けに脇腹と顔面に衝撃し、あっさりと騎士を昏倒させた。
「フェイヤーっ、大儀!」
老人は騎士が切り拓いた道を駆け抜けた。
やがて、石橋にさしかかった時、老人は足を止めた。
「ぐっ……やれやれ。ここまでか」
橋の向こう岸に、〝ヴァルナβ〟が八機。そして、街路のあちこちから現れた十数機の単眼アルマジロが退路を塞ぎ、間合いを狭めてくる。
老人と従者一人は石橋の中央で囲まれた。
「ご家老」
「うむ。ここまで来れば充分であろう」
老人はおもむろに背負っていたフードから手を離した。
がしゃがしゃ、がしゃがしゃ……っ。
石橋に落ちたフードから緑色の腕鎧と
〝単目的演算装置〟たちは、まるで人格があるようにその場で左右に転がり、動揺を始めた。騎士はその怪しい人間性の群れに顔をしかめて身構える。襲ってくる気配はないとわかると、上司を見た。
老人は油断のない笑みを浮かべた。
「使役者よ。聞け。今すぐ包囲を解いて撤収せよ。そして、カリネスコに伝えよ。今夜のお前の思惑は失敗だとな」
その言葉に従ったわけでもないだろう。単眼アルマジロたちは躯を丸めて、夜の帳の向こうへ転がり去っていった。
騎士はその場に片膝をつき、ようやく忘れていた呼吸を再開した。
「ふんっ。さすがに、わしがおひい様を会ったばかりの旅人に預けるとは思わなんだか……。ラムザ。戻ってフェイヤーの救護を頼む。わしはおひい様を迎えに行ってくる」
「りょ、了解しました……っ」
騎士は立ち上がり、腕鎧と脛当てを包んだフードを小脇に抱える老人の小さな背中に敬礼した。
§ § §
「すまぬな……巻き込むつもりはなかったのじゃ」
ティボルの上着の中で、少女が小さく謝った。
「いいよ。こういうトラブルは……まあ多少は、慣れてる」
ヴァルラアム大聖堂。
ティミショアラで一番の大きな教会の天辺で、ティボルは少女を腕の中に抱いていた。
彼女に手足がなかった。
そのことを知ったのは、情報収集に出る直前。ベッドを明け渡す時だった。
本人も世ほど疲れていたのか、日常のクセなのか、さも当然に両義足を外し、すぐに慌てて毛布で自分の足を隠した。
ティボルは戦争による欠損者は方々で何十人と見かけてきたが、一度に四肢がすべてない子供を見るのは初めてだった。
カラヤンの目によれば、少女に手足がないのは生まれつきらしい。
『手足に縫合の跡がなかったからな。おれがガキの頃にいた村にも一人だけいた。そういう子は食が細くてな。永く生きられなかったようだ』
別に哀れむつもりも、気味悪がるつもりもなく、事実を淡々と言った。
『カラヤン。お前、ワシが気味悪くはないのか?』
『気味悪い? メシを五人前も食って、義肢を使えば馬も手入れができてた。その上、そこまで小生意気な態度でモノが言えるんだ。むしろ、何ができないんだって訊きたいね』
少女は呆気にとられた様子でティボルを見つめてくる。
『ティボル。お前はどうじゃ?』
『オレ? ……いや、戦争で手足を失った連中なら、もっとひどいのを見ているよ』
そこにカラヤンもしみじみと同意にうなずいた。
『まったくだ。手足を失った兵士は痛みや苦しみが消えず、呪いのように身体をさいなむんだ。そこから逃れるために酒や幻覚草に溺れ、身体や心を蝕んで、最後は死を選ぶ奴らが今も後を断たん。それに比べたら姫さんの明るさは、うん。安心するな」
少女は毛布に顔の下半分をうずめて、低く唸った。
『信じられぬ。そんな話……初めて聞いたぞ』
『まあ、そうだろうな。この国は三〇年鎖国し、戦争とは無縁でやって来た。それはある意味、幸せなことだと思う。だがおれ達はそういうことも起きてるひどい世界からやってきたんだ』
『では、この世界とは、一体どのような世界なのじゃ?』
『ん? 難しい問いだな。……綺麗で美しいが、汚くて醜いこともある、かな』
『それなら、なぜ、お前たちはそこから離れようとせぬのじゃ?』
カラヤンはニカリと笑った。
『世界ってのは、離れようとすれば離れてくれるのかねえ?』
『なに?』
『例えばだ。姫さんが今、自分がいると思う世界を嫌だと思う。で、その世界から逃げるとする。その振り切った嫌な世界が見えなくなって周りを見た時、何が拡がっていると思う?』
『えっ。それは……そうじゃ。きっと美しくて、綺麗な世界じゃ』
『姫さん。おれ達は、この町の城壁の外から来たって言ったよな』
『あ……そうか』
幼い子供には酷な問答だが、ティボルは相棒の会話を黙って眺めた。
『でもな。どこに行っても、姫さんが望む美しくて、きれいな世界は、ある。だが同時に、裏と表がひっついているように醜くて汚い世界がそこにも、ここにも、あるんだ』
『ならば、ワシは、どうすれば良いのじゃ……』
『そうさな。おれ達は姫さんの目線や生活を替わってやれない。だが、同じ醜くて汚いのを少しだけ削ったり、洗ったりしてやることは、できるかもしれねぇな』
『けずる? あらう?』
『うん。もちろん、おれ達じゃなくても、姫さんの近くにいて姫さんが辛くないように頑張ってる人間が何人かいるはずだ』
『じいじゃ! きっとじいならワシのためにやっておるに違いない!』
意地を張るほどの声を力ませて、少女は訴える。カラヤンは目尻をさげてうなずいた。
『そうか。よかったじゃねぇか。それなら、たまにでいいから、そのじいやに〝ありがとう〟の一言くらい言ってやっても罰は当たらねぇぜ』
『ありがとう……。そんなので、よいのか?』
『さあな。言った後にじいさんの顔を見て、喜んでいるのか物足りないと思ってるかは姫さんの目で確かめてみるんだな』
『うむっ。そうするとしよう』
『なら、もう寝ろ。おやすみ』
それが数時間後には居酒屋を飛び出して、鬼ごっこだ。
店を出るとき、じいと呼ばれた老人から、この教会の鐘楼に登れと言われた。
おそらくここが隠れ場所であると同時に待ち合わせ場所になるのだろう。そして、老人は少女の義肢をそのフードに隠して持っていった。
それがどんなに危険な貧乏クジであるかは、すぐにわかった。
「姫さんのじいやさん、すげーよな。誰から褒められようとしてるわけでも、愛されようとしてるわけでもねぇのにさ。さも当然に自分から泥かぶっていったんだぜ?」
少女は返事する代わりに懐で寝息を立てていた。
ほんの少しだけ、そっと抱きしめると、温かくてやわらかかった。
「ほんと。……すげぇよ」
§ § §
夜明け前。
ヴァルラアム大聖堂の前に、一両の貴族馬車と三台の装甲馬車が止まった。
装甲馬車が停車と同時に二〇名近い軽装兵を吐き出し、大聖堂の周囲を固める。
指揮を執っているのは、女の騎士だ。
鐘楼の上からでは敵か味方か判然としなかった。ティボルが鐘楼を降りる気がしないでいると、その包囲網を割って見慣れたハゲ頭と白髪がやってきた。
「旦那ぁ……っ」
ティボルはどっと疲労に襲われ、腕の中の重さを思い出した。
「姫さん。迎えが来たぞ」
少女は熟睡しきっており、赤ん坊のような寝息ばかりが聞こえてくる。
とにかく、ここは寒い。鐘楼のらせん階段を降りていくと、下からカラヤンの声が登っていく。
「旦那。終わりやしたか」
姿が見えないまま、思わず下に声をかけた。
「ティボル。無事だったか。姫さんは」
「へい。無事です。今ぐっすり眠ってます」
「了解だ。そのまま降りてきてくれ。──ムトゥ殿、我々は先におりましょう」
「左様ですな」
ティボルに少女を預けた老人の声だ。
(もう大丈夫だ。これでオレは、お役御免だ)
ティボルは芯から安堵して、そっと少女を抱き直して階段を降りる。
そうだ。今日のことは
鐘楼から荘厳な大聖堂を通って、ティボルは
ザッ。正面を物々しい兵隊が整列し、壁を為していた。
無言でこちらを見据えられ、ティボルはとっさに安堵の深呼吸を飲み込んだ。
(おいおいおいっ。なんだよこれ。貴族と同格どころか一国の王様待遇じゃないの)
行く先で待つカラヤンの姿がなかったら、回れ右をして大聖堂に逃げ戻る自信がある。緊張感と警戒感と圧迫感が凄まじい。
これって、いじめだよなあ。その場を駆け抜けるようにして少女を運ぶ。
「ティボル。お前はこれに乗っていけ。うちの馬車は後からおれが持っていく」
嘘だろ。ティボルは音を上げた。
「旦那ぁ。冗談でしょ。もう腕がパンパンですよ」
「情けねぇことを言うな。姫さんを寝鼻を起こすのも可哀想だ。貴族馬車なんざ一生に一度の経験だぞ。いいから早く乗れ」
労をねぎらっているようで有無を言わせず急かしてくる。少女を抱えている手前、これ以上ゴネても
ティボルは仕方なく銀の彫金装飾がほどこされた馬車に少女とともに乗り込んだ。
ドアの外で、老人が女騎士を見る。
「ミルシア。おひい様の警護、頼んだぞ」
「はっ。お任せください。ご家老は同乗なされないのですか」
「わしはイルマの店に迷惑をかけたので、挨拶と始末をしてくる。おっつけこの方の馬車で〝翡翠荘〟に戻るとしよう」
「承知しました。──
女騎士の号令で、ティボルと少女を乗せた馬車が動き出し、同時に装甲馬車が慌ただしく兵士を収集して動き出す。
ティボルは心細げな目で、ガラス窓の外から流れ去るハゲ頭を見送った。
§ § §
「改めて、アゲマント家・家政長オイゲン・ムトゥと申します。この度は主人の危ういところをお助けいただき、かたじけなく存じます」
御者台の助手席で老人は名乗った。
ティミショアラの市街地を離れて東へ。石橋を渡りきったところ。
馬の行く道は薄く雪がつもり、幾筋もの黒い轍と馬蹄が泥を作っていた。
「私は、カラヤン・ゼレズニー。セニの町ヤドカリニヤ商会で、外廻り商人の護衛をしている傭兵です。この土地は初めての来訪にて、不調法があればご容赦ください」
「いやいや。心ある旅人に主を保護していただいたこと。アゲマント家は大変かたじけなく思っております」
カラヤンは軽く目を瞠り、白い息を吐いた。
龍公主。つまりあの少女は、〝七城塞公国〟大公の娘であるらしい。
ムトゥ家政長はそっと笑顔をおさめた。
「カラヤン殿。単刀直入にお伺いしたい。おひい様のアレを見ましたな」
カラヤンはうなずいた。
「ですが、広言するつもりはありません。我々には途方もなく理解できないモノであるようです」
「さもありなんでしょうな。しかし怖ろしいモノではありません。あれはおひい様の身体を保護する衣装にて」
「なるほど。下着の類。ということでよろしいですか」
「ふむふむ。いささか幼い娘が身につけるには派手ではございますがな」
ジジイとオヤジが下ネタで笑い合った。
和らいだ雰囲気が息と一緒に凍ると、ムトゥ家政長が訊ねた。
「ゼレズニー殿。此度は、いかなる用向きにて当地に参られた」
「カラヤンで構いません。ある情報を求めに参りました」
「ふむ……」
「カーロヴァック戦役の顛末と、スペルブ・ヴァンドルフ中将の死の真相についてです」
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