第20話 翡翠(ひすい)龍の子(4)
「カーロヴァック戦役……」
オイゲン・ムトゥは小首を傾げる。カラヤンは言葉を継いだ。
「ふむ。身体の特徴はありふれておりますな。他に何かござるかな」
「その者、武器商人と称しながら用兵術に長け、諜報活動や流言操作などの情報戦を得意としております」
ムトゥ家政長はポンチョの下で手を摺り合わせながら、相づちを打つ。
「それで手始めに当地でとっかかりを探そうと動く予定でございましたかな」
「はい」
老人は口許に拳を押し当てて思案げに目線を下げていたが、ふと困った顔を見せた。
「なにか」
「ふむ。グルドビナ・ヴェルスなる人物かどうかは判然としませんが、半月ほど前に奇妙な動きを見せた一団のことは、それがしの耳にも入っておりまするな」
「奇妙な動き。とおっしゃれると?」
老人はカラヤンから手のひらサイズの小さな革袋を差し出された。
「これは?」
「おれの友人が作ったものです。炭と石灰と塩で作ったものだと言いますが、この時期にはとても良い品です」
「ふむ……なんとっ。ほほう。温かいですな」
「友人が申すには、〝かいろ〟というものだそうです。
「おお、なるほどなるほど。これはありがたい。ご友人は用術家でございますかな」
用術家。あらゆる分野の学術、学芸、学問を究めた有識者のことで、帝国魔法学会に所属しない有識者をそう呼ぶ。カラヤンの知る限り、魔術師のほうが圧倒的に少ないので、一般的な会話では知識人や発明家をさすことが多い。
「おれ達は魔法使いだと踏んでいるんですが、本人がそれを嫌っていましてね」
「ほはははっ。その方はなかなか面白い人物のようで」
脇道に逸れた話を沈黙で修正する。
「そう。ここから南西のルヴィツァという中規模の都市がありまして。アスワン属領の城塞です。そこにアラディジという旅団が騎馬六〇〇〇でこれを侵し、ついには城を落としたそうです」
「騎馬で城を落とした?」
「報せを聞く限り、落としたというよりも落ちてしまったといった方が良いかのう。アラディジ騎兵が城の外でやりたい放題に暴れ回るので、城塞の守備軍が忍に耐えきれず全軍をもって討って出た。
その空城になった間隙を突かれ、まんまと乗っ取られた。という顛末のようです」
カラヤンは険しい表情を浮かべた。
「それがグルドビナの計略なら、パラミダ軍が本格的な拠点を持ったか」
「いや、すぐに城を棄てたようですぞ。宝物庫と食料庫、武器庫のすべてを空にして」
カラヤンは手綱を持っていない手で口許を覆い隠し、唸った。困惑したのだ。
やり口としてはおそらく〝騎行〟だろう。その騎行を陽動に使って城内の兵達を挑発して城から引きずり出し、その留守を抜く。
言うのは容易いが、機を逃さぬ視野の広さと優れた統制術がいる。
わからないのは、町よりも堅固な城塞を棄てて、あえてまたシスキアに戻ったことだ。
「だめだ。さっぱりやつらの目的が掴めん」
カラヤンは冷たくなった頭皮を撫でた。ムトゥ家政長も頷く。
「左様。国盗りかと思えば、夜盗のごとく城の財産を持ち去っただけ。
その財はどのように使うつもりでありましょうな」
「無論、兵士の報酬として分配されるでしょう。それでアラディジからの信頼を掴む。騎馬隊の結束強化も図れましょう。いや待てよ。シスキア……そうか。交易だ」
シスキアは、カーロヴァック市、王都ザグレブ。そしてここティミショアラを結ぶ物流の中継都市である。さらにシスキアからなら河川を利用した船も出せる。
「ヤツの目的は、軍備の増強と物資の転売。資金の運用か。だから商人と商品が集まるシスキアから動かなかったのか。くそっ。なんて抜け目のねぇ野郎だ」
「のう、カラヤン殿。グルドビナなる人物が騎兵隊を掌握できたとして、みずからの肥満短躯では
カラヤンは老人の思いつきを最初、冗談だと解釈した。だがすぐに真意を理解した。
「グルドビナは、一人じゃない……っ?」
ムトゥ家政長は頷いた。
「推測の域をでませぬが、それがしにはそう思えたのです。肥満体の小男。いかにも周囲から軽んじられる風貌です。
そのような者が軍組織の中でいかに妙策を上申したところで、指揮官が
しかし、もし仮に代表名であるならば、各員それぞれの長所がまとめられ、やがて一人の策士グルドビナ・ヴェルスが作り上げられた。そうなれば、誰もその正体が掴めぬのではないでしょうか」
カラヤンは感に耐えない声で唸ると、破顔した。
「いやはや、なんとも。ムトゥ殿の貴重なるご意見。カラヤン・ゼレズニー感謝に言葉もありません。」
「ほっほっ。大げさな。あくまで年寄りの一案でございます」
「なれば、その大知恵袋に甘えて、いま一人、この地にて人を探しております」
「ふむ。どういった者でありましょうな」
カラヤンは真摯な眼差しでとなりを見つめた。
「〈
§ § §
ティミショアラ郊外を東に向かうと、龍公主邸がある。
カラヤンの馬車が到着をもって、門扉が閉ざされた。
「何やってんだ、こいつら?」
温かい暖炉のある二階の客室に向かうと、カラヤンは割と本気で独りごちた。
二台あるベッドの一つで、ティボルはうつぶせで大の字になって寝ていた。
その背中に、四肢のない少女が貼りついて寝ていたのだ。
おかげで、ティボルの寝顔は苦悶を浮かべ、呻くような寝息を立てている。
(完全に懐かれたかな、こりゃ)
カラヤンは香ばしい笑みを浮かべて、剣と荷物を置く。その荷物から蒸留酒のボトルだけを掴むと、部屋の鍵を持って出た。
「あの、もし……っ」
ドアに鍵をかけようとすると、黒いブラウスの女性に声をかけられた。
「おひい様を見ませんでしたか」
「あんたは?」
「申し遅れました。おひい様の侍女を仰せつかっております。
カルセドニーと申します」
「賓客に預かったカラヤン・ゼレズニーだ。おひい様ならこの部屋だ」
「えっ!?」
「うちの連れの背中に乗ったまま寝ちまっててな。連れがキャベツの酢漬けみたいな顔して
「おひい様、なんてはしたないっ。か、畏まりました……っ」
(はしたないどうこうの前に、自分が愛されてることを教えてやれねぇもんかねえ)
カラヤンは心の中で呟く。
「あと、これから家政長オイゲン・ムトゥ殿と接見の予定がある。
部屋の場所を教えてくれないか。案内はいらねぇから」
「えっと、家政長様のお部屋はここを降りていただいて、ロビー脇にあるお部屋でございます」
カラヤンは礼を言うと、侍女に部屋の鍵を手渡して下階に降りた。
一階のいたる所に兵士の姿があった。町でちょっとした逃走劇になった後だから仕方ないにしても、目にうるさい。部隊を解散させない理由でもあるのか。
まあいい。カラヤンは家政長室のドアをノックした。
警備兵六人に固められた食堂に招待された朝餐は、鹿肉のシチューだった。
ジャガイモとパプリカを押しのけるように鹿肉がごろごろとスープ皿に浮かぶ。昨夜の晩餐用に用意されたが、主人が家出したので厨房の寸胴鍋の中で眠っていたものらしい。
ティボルとカラヤンは、あ然と主人席を眺めていた。
龍公主ニフリートの前に供されているのは、土鍋。そこから九歳児の外見をした少女が大匙を動かしてがぶがぶと肉を頬ばる。
「ん? どうした。お前たち。口が動いておらんではないか。遠慮はするな」
「あ、ああ……」
カラヤンとティボルは顔を見合わせると、木匙を手に取った。「食欲を失わせるほどの食べっぷり」という比喩を彼らは子供に抱くハメになった。
「旦那。テーブルマナーいらないじゃないですか」
「みたいだな」
短く応じて、鹿肉をほぐす。厨房係の腕はよく、肉がほろりと崩れた。
「公主殿。ムトゥ殿はその後、いかがされましたか」
「ん? んー。コーネリアと何か相談をしておったのは見たかのう。なんじゃ?」
「いえ。酒を酌み交わしながら、この町の特産物でもお訊きしようと思ったのですがね」
「そんなことか。特産物はハチミツじゃな」
「ハチミツ?」
「うむ。蜜蝋からハチミツ酒までな。春には森のあちこちでアカシヤが咲き誇るのじゃ」
「そりゃあいい話を聞きました。ぜひ町で買って土産にしたいと思います」
「うむ。というか、カラヤン。そのしゃべり方はやめよと申したであろう。気詰まりじゃ」
「時と場合により礼法は必要なものですが」
「ここはワシの家じゃぞ。なのに、そこに立っておるヤツらは誰もワシに心を開こうとせんのだ」
カラヤンは壁際に佇む兵士たちを哀れに見ながら、
「そいつは無理ってもんだぜ、姫さん。しゃべり方一つ変えたことで気が緩んで、賊の侵入を許したとあっては警護の名折れだからな」
「賊が入ってきたところで、ワシが叩きのめすだけのことじゃ」
「姫さんに手を出させないために、コイツらは金をもらって立ってるのさ。仕事を奪うことをしちゃいけねえよ」
「ふむ。そういうものか」
「ああ。そういうものだ」
「では、カラヤンに問う。お主が住んでおる町とはどんな町じゃ?」
カラヤンは木匙を置くと、
「セニという小さな港町だ。蒼い海の見える町で、南にどこまでも拡がっている。その先で、大きな船がゆっくり海の向こうへ消えていくのさ」
「ほう。船とはどれくらい大きいのじゃ?」
「高さはこの町の城壁の半分で帆を入れると城壁を越えちまう」
「なんと。そんなにも大きいのか。中には何が入っておるのかのう」
「いろいろだな。小麦や塩はもちろん、百を超えるオリーブ油の樽を運んだり、馬や牛などの家畜を運んだりもする。もちろん、人間も何百人と運べる」
「ほお。それはすごいのう。そんな船はどこまで行こうというのじゃ」
「さあな。おれの知ってる限りじゃ、一年の大半をかけて南や西を目指し、海の向こうにある誰も見たことのない国で商売をするらしい。珍しい毛皮や宝石を持ち帰って、巨万の富を掴んだ商人が多くいるな。そうだよな、ティボル」
話を振られて、ティボルは満面の笑みを浮かべた。
「ええ。ここから馬車で西に行ったところにジェノヴァ協商連合という連合国があるのございます。
そこで海の向こうにある町で商売をして巨万の富を得た商人達が集まって、町を造っております。それだけにその町では世界中の産物や動物が集まって、毎日がお祭りのような騒がしさなんです」
「ほぉ~。毎日祭りか。では、その町にゾウはおるのか」
「ゾウですか? ええ、まあ。おりましたね。一度だけ見たことがございます」
「まことか! どんな生き物であったっ!?」
龍公主は年齢相応の好奇心を爆発させて、大匙を握ったまま瞳を輝かせて身を乗り出してきた。
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