第5話 反乱の終わり 犯行の始まり
「グルドビナ」
修道院の鐘楼から王府と王宮を眺めていると、下からシュカンピに呼ばれた。
「帰ってきた?」
「ああ。けど……ひどく怯えて要領を得ねぇんだ。話を聞いてやってくれねえか」
「わかった」
鐘塔を降りると、
ここでウインチを使ってロープを巻きあげて鐘を傾けて、振る。だがミュンヒハウゼン軍が王都を包囲してから、一度もここに修道士が昇ってきたことはない。
待っていたのは、パラミダの手下が十三人。なかでもカメニツェとダグヴェには、昨晩から王都の下水道を通って王宮の食糧事情を調べさせていた。
ふたりは、顔を夕陽に照らされていたが、目に見えてしょげていた。
「おかえり。どうだった。報告してくれ」
「……っ」
二人は何も言わない。エチュードは根気強く待つつもりで二人にコップを持たせ、手ずから水差しで注いでやる。
二人は同時にそれを飲み干すと、カメニツェが震える声で言った。
「い、言った通り、王宮の地下に食糧はあったよ」
「うん。あとどれくらいだったかな」
「ひと月……いや、半月くらいかも。もう何百人も食わせるほど残ってなかったと思う」
「うん。予想通りだね。他には?」
「そこで、人が殺された」
「地下の食糧倉庫で?」
二人は震えるように小刻みに頷いた。
「犯人は?」
「見てない。暗くて……。それに殺された騎士の後ろに隠れてて見えなかった、でも腕の細さから、女だと思う」
「ふうん。女か。……倉庫でなんかいいニオイでもした?」
「ニオイ……そうか。匂いだっ。今流行ってる〝ペルクィン〟のバラのやつ」
「殺された騎士は、どこをやられてた?」
ダグヴェが水を喉に流し込んで、むせ返る。
「……は、背後から、喉を掻き切られたんだ」
「手際も凄かったよ。パラミダなみだった」
カメニツェが声を震わせて言った。
エチュードは水差しを持ったまま肩をすくめた。
「パラミダくんの場合は、手際がいいんじゃなくて単に思い切りがいいんだよ。誰にも容赦しないって感じだから」
「けど、グルドビナ。おれも戦場で人が死ぬのは見てきたけど、あんな生々しい殺し方は見たことがない。暗闇からそっと手を伸ばして、楽しそうに殺すんだ」
「楽しそう?」
「うん、おいらもそんな風に感じた。まるでエサに気をとられてるブタの背後にこっそり回り込んで仕留めた感じだった。人の……浅ましさを馬鹿にした感じ。怖かった」
カメニツェが思い出したくないとばかりに身を震わせた。
「どういうこった、グルドビナ。王宮内で食い物をめぐる裏切りか?」
シュカンピが腕を組む。ダグヴェは兄を見上げて顔を振る。
「兄貴。そんなんじゃなかった。アイツ殺した後、笑ってたんだよ。男か女かも分からない声だった」
「うん、ケタケタケタって夜啼き鳥みたいな不吉なヤツ」
カメニツェも大きな息を吐き出して、顔を振った。
「おめぇら、幽霊でも見たんじゃねぇのか。この忙しい最中に、女が趣味で騎士を殺しただあ? どんなトチ狂った女だよ」
「とりあえず、そのことは今置いておこうか。僕たちには関係なさそうだ。二人とも偵察ご苦労だったな」
エチュードが断じると、そこに弟のポロネーズが階段を上がってきた。
「兄さん。マズいことになったよ」
いつもはのんびり屋の弟が張りつめた声を投げかけてきた。
「国王が……死んだらしい」
「死んだ? このタイミングで病死かい」
「殺されたみたい。ボーラヴェントっていう宮廷魔術師と侍従騎士長がその場で成敗されたんだって。今朝の話だから。王宮内は今大混乱してると思う」
見切り時は、ここか。エチュードは、眼帯男を見あげた。
「王府のパラミダに脱出の合図を。僕たちも今夜中に王都の外へ脱け出そう。あと、グラーデン侯爵にもこのことを伝える」
「えっ、そっちにもか? いいのかよ。国王軍の敵だろ?」
「王が死んだのなら、この王都は無統治状態だ。誰かが指揮を執らなきゃ、地下食料庫で起きたような無差別殺人が起きて町は暴徒であふれかえり、余計に収拾がつかなくなることもある。
それなら理性が残ってる方に話を持っていった方が円満にまとめてくれるはずだ。
僕らには御恩と奉公なんて義理もないし、一国の趨勢にも興味はない。王国から論功行賞も終わって、もらえる物はもらった。なら、もうここには用がないだろ?」
「けどよ。パラミダは今や国王軍の一軍の将だぜ?」
「それじゃあ、訊くけど。彼が動かせる兵は今どこに? 旗印である国王が死んだこの上で、誰のために戦う?」
「えっ。そ、そりゃあ……」
「忘れているようだから言うけど、僕たちは国王軍に騎馬一万五〇〇〇をネコババされてるんだ。この国に貸しはあっても義理立てしてやるのは、もうこれでお終いってこと。逆に言えば、パラミダくんは身体一つになっている今しか脱け出せない。
アラディジの幹部達にも連絡は廻しておいたよ。どれだけついてきてくれるか分からないけど、パラミダの脱出に
「けど、次はどこへ行くんだ? ミュンヒハウゼンか?」
「今こんな状態で反乱軍に就くのは、再就職先にするにも外聞が悪い。だからなるべく王都に離れた領地でほとぼりを冷ます必要がある。日和見してる大貴族へ取り入ろうと思ってる。さあ、
エチュードがパンッと手を叩くと、十三人のパラミダ軍は自分達の役割に鐘塔を降りていった。
§ § §
その夜。
王府公館に向けて、〝
放たれた場所は、不明。周りに高い建物もないことから、包囲陣の外。一二〇セーカーから遠投されたものと推測された。
土器製の油壺が割れて、王府庁舎三階付近の壁に炎の雨だれがつたった。
これに王府庁舎内の将校達は消火に廻らず、自然消火の構え。ミュンヒハウゼン軍右翼三〇〇が見るに見かねて、弓兵の護衛を受けながら消火活動に入った。
「雪だっ。雪をかけろ、急げ!」
近いうちに自分達の王府になるのだ。兵士達は急いで火を消した。
それを中央後方の陣屋で見ていたグラーデン侯爵は伸び放題になった無精髭をひねる。
「何らかの合図であろうな」
「左様でございますね」
となりで参謀長ヴォルター・ワイズマン大佐も肯定する。
「この囲みを突破することは不可能でありましょうから、地下を脱けますか」
「うん。……それにしても、遅いな」
「通信官や斥候も、今のところ密告者との接触はない模様です」
「御前っ!」
そこにクラウザー大佐が杖をつきながら、通信官三名を連れてやってきた。
セニの敗戦で足を骨折していたが、今ではもう歩けるようになっていた。その回復力に主人のグラーデンも呆れたものだ。
だがそのことを呑気に茶化せそうな雰囲気ではなく、クラウザーは厳しい表情で手にした伝文をグラーデンに手渡した。
「怪文書です。密告者は不明。斥候の通過点に御前宛てに置かれていたそうです。しかも内容が真実であれば、一大事ですぞ」
クラウザーの切迫した報告に、グラーデンは手紙を開く。その内容に目を瞠った。
【国王カロッツⅡ世
シトゥラ侯グラーデンにおかれては、確認調査を求む グルドビナ】
「クラウザー。
「三〇分ほど前に王宮、並びに関係各所へ放ちました。もうじき第一報が戻ってくるはずです」
言ったそばから、黒装束をまとった者が
「ご注進っ。国王陛下、崩御っ。間違いございません! 礼拝堂にて御安置」
グラーデンは、すぐに側近達を見た。
「ワイズマンっ。王宮への使者に
「承知いたしました」
「クラウザー。王府に矢文をかけよ。文面はこうだ。
『宮廷軍事局長フェルディナンド中将殿へ 至急 国王陛下崩御の件
グラーデンみずから停戦旗にて迎えに行くので幕僚三名と王宮へ同道されたし』」
「承知しましたっ!」
側近と部下が活動を開始する。
グラーデンはイスに腰掛けると、あぐらをかいて膝に頬杖をつく。
その背後に、少女が背中あわせで座っていた。
グラーデンの身体が壁となり、表の将校に気づいた者はいない。
「どうだ。この結末に、満足か……〝リンクス〟」
「別に。ぼくはあんたが望むことに対して星の巡りを告げただけさ。この戦、あの狼と戦えば、あんたが勝つ。狼と戦わなければ負ける。その勝敗どちらでも、あんたの本願は叶わない」
「私は、あの狼が欲しかっただけだ」
「片思いだけで、何もしない奥手もいるさ。でも、あんたは事を起こした。周りの反対を押し切ってね。そして、しっかり負けた。でもそれが、逆にあんたが王国軍にあさっての方角に居場所を知られて情報が混乱した。死兆の星があんたの頭上からうまく遠ざかった証拠だよ」
「ふん、所詮、結果論だな」
「もちろん、そうさ。だから占う時も、最初にそう言ったよね」
「それで。ペルリカが、狼についた。エディナも、じきに狼につくだろう。お前はどうするのだ?」
「さあ。それも星の巡り次第じゃないかな」
「星の話じゃない。お前の意思を訊いてる」
「……会いたいさ。でも無理だ」
「なぜだ?」
「狼はあの女を追ってる。ぼくはあの女が怖いんだ。できることなら二度と会いたくない」
「あの女は、今どこにいるんだ?」
「……」
「言えないのか」
「会いたくない。ぼくはそう言ったよ」
「ふん……乙女心とやらは、複雑なのだな」
「そうさ。デリカシーのないジジイには、ぼくの気持ちなんて分かりっこない」
「ほほっ。言ってくれるな。私も好きでこの格好のままでいるわけでないぞ」
「あんたはその格好がお似合いさ。あんたみたいな図太い星に〝道〟の真ん中を歩かれると、みんなが迷惑する。一国の王に納まって大人しくしてなよ」
「ふん。色気も可愛げもない小娘のままでは、狼男すら近づくまいな」
背もたれをどんと衝撃が貫いた。振り返ると〝星儀の魔女〟は消えていた。
「つつつぅっ。あやつ思いっきり蹴って行きおって。ふふっ……」
「御前」
〝鴉〟の第二報が来た。
「申せ」
「はっ。国王陛下、弑逆。首謀者は宮廷魔術師ボーラヴェント及び侍従騎士長ルカーチ少佐。両名とも国王陛下の寝室にて処断された由」
確定か。グラーデンは、目を鋭く細めた。
「オクタビア王女の所在はどうだ」
「弑逆の現場に居合わせ、ボーラヴェントの杖により殴打され、出血。駆けつけた侍従騎士に保護された由。自室で療養中とのこと。確認しております」
「ボーラヴェントが処断された時刻は分かっているか」
「〝起床の儀〟の直前と把握しておりますが。詳細な時刻が必要でしょうか」
「うん。できる限り細かく時刻が知りたい。召使い頭に金を掴ませて口を割らせろ」
「はっ」
〝鴉〟が入れ替わりにやってくる。第三報だ。
「申し訳ありません。オクタビア王女を
馬鹿者。喉まで出かかって、イスの肘かけを拳で叩く。
「いつ、どこで亡失した」
「はっ。国王陛下崩御後の、地下食糧倉庫です」
なぜ、王女がそんなところへ。
「サトリ。亡失の状況を話せ」
名を呼んだ。黒装束は身をさらに緊張させて、
「およそ半月ほどの食糧。また午前中に男性二名の死体があったようですが、すでに片付けられた後でした。残された血液の量からして致死量でございました。
それと壁に大人一人がくぐれるほどの穴があり、地下下水道に続いておりました」
〝起床の儀〟とは、毎朝八時半に行われる国王直々の朝礼のようなものだ。国王を拝謁できる名誉集会なので、大臣から上級行政官に到るまで身支度を調える。
そんな儀礼の直前に
よしんば、あのボーラヴェントがカロッツ2世を弑逆したとしても、なぜわざわざ身支度に忙しい時間帯を狙った? それにその時間、オクタビア王女が父親の寝室に入り込んでいた。どれもこれも話の筋が通らない。
(これは、直に兄者に会って、なぜ死んだのか聞いてみる必要があるようだな……)
「では、地下下水道でお前たちはオクタビア王女を見失った、そういうことだな」
「はっ。申し訳ございません。目下、手勢六名で地下下水道を捜索しております」
「わかった。継続して捜索よ。一時間後。歩兵一個中隊を地下下水道へ捜索に向かわせる。中隊長に情報を引き継いだのち、お前たちは手勢を率いて王都を離れよ」
「と、申されますと?」
「ヴァンドルフ領へ飛んでくれ。オクタビア王女が頼るとすれば、亡き夫の所領だ」
〝鴉〟が去り、独りになった陣屋は少し寂しさを覚えるほどの静けさを帯びた。
とにもかくにも、ようやくこの馬鹿馬鹿しい反乱が終わる。
終わったが、もう次の問題が起きようとしている。
「さしあたり、これで出世払いにした借金取りが押し寄せてこような……やれやれ」
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