第6話 殺人狂と戦闘狂


 グルドビナの合図があって五分後。

 パラミダは厨房奥にある食糧保管庫のマンホールから地下におりる。


「貴様、そこで何してるっ?」


 知らない将校に呼び止められた。自分より七、八歳年上。徽章は中尉。


「あ、あなたはもしや……アルハンブラ少佐っ!?」

「あぁ? 見りゃわかんだろうが」


 無愛想ぶっきらぼうに応じて、パラミダはさっさと縦穴を降りる。背中に負った新相棒のツヴァイヘンダーが引っ掛かった。外して、左手に持ってハシゴを下りる。


 ミュンヒハウゼン軍精鋭三〇名の王府襲撃を、たった独りで食い止めた猛将。そう褒められていたが、舌先三寸だけでのし上がったみたいなオヤジどもの褒めそやしは大道芸。耳障る。正直言って、〝脱出せよ〟の合図はありがたかった。


 あの油壺はあらかじめ取り決めていた符牒ではなかった。だがアレを見て敵の襲撃以外の何かに思い当たるのは、パラミダしかいなかった。


「にっ、逃げるのですか。ひ、人を呼びますよ!?」

「好きにしろ。じゃあな」


 冷え切った地下下水道は静かで、腐臭はさほどでもないが、埃くさい。雪解けにも間があるようで水位も側道の下だ。グルドビナが推測で描いた地図の通りだ。地上の街路の引き写し。


「なら……こっちか」


 落ち合う場所は王都の東。


「アルハンブラ少佐。あの、待ってください!」

「あぁ?」


 振り返ると、さっきの中尉が追いかけてくる。思わず肩を落とす。


「何やってんだ、てめぇは!」

「あの、自分もお供させていただいても……」

「面倒くせぇ。お前、あっち行け」


 北を指差す。


「なぜ少佐殿と違う方角なのではありませんかっ?」


 なぜバレた。


「てめぇの命はてめぇで守れ」

「下水道には魔物が巣くっているので、単独行動は危険であります」

「だぁから、てめぇの命はてめぇで守れっ。じゃあな」


 歩き出そうとしたら、軍服の裾を掴まれた。


「……っ!?」

「あの、こ、怖いのでついていっても?」


 この時のパラミダは自分がどんな顔をしていたのか覚えていない。


「お前、いい歳して何言ってんだ?」

「だって、真っ暗じゃないですか! 灯りもナシにどうやって独りで進めと?」

「じゃあ、帰れよ。脱走は罪なんだろ?」


「うっ……。なら、少佐殿も戻りましょう!」

「ちっ。オレはいいんだよ。体面を守らなきゃならねえ家もねぇ。もうこの軍にも未練はねぇ。いい潮時だ」


「じ、自分もそう思いますっ。ですからお供します!」

「だーっもう、離せっ。自分の進む道くらい自分で決めろっ」


 掴まれた手を払うと、今度はその手首を掴まれた。


(うぜぇ……マジうぜぇ)


「もう真っ暗なんですよ! どっちに進めばいいか……っ」

「それを決められねぇなら、戻れっ」


「少佐殿。一人で進むのは怖くないんですか?」

「はぁ? あのな。お前、死ぬことを畏れて軍隊に入ったのか」

「えっ。いや、あの……自分は、ずっと事務でして」


「だったらその腰からぶら提げてる物は飾りか」

「剣の心得は……、ないです」

「荷物かよ」二つの意味で。


「でもあの、毎朝ジョギングを始めたので、足手まといには──」

 言い終わるのを待たず、パラミダは自由な左手で中尉の胸倉を掴むとしゃがみ込んだ。


「声を出すなっ。誰か来るっ。三人……いや五人」


 地上からの灯りからはずれ、闇に身を溶かす。

 やがて北の通路から甲冑のすれる音と松明の明かりが近づいてくる。速度は早足。先を行く灯明カンテラ係は二人。誰かを守っているようだ。


 やがて、灯明が立ち止まる。こちらの地上の灯りに気づいたようだ。


(殺ってもいいが、揉めるにしてもここじゃマズいか)


 地下下水道は天井が低い。相棒のツヴァイハンダーでは剣先が天井にかかる。騎士相手でも素手でねじ伏せる自信はあったが、地上に騒ぎを聞かれたら今度は剣の心得がある騎士がわらわらと下りてくるかもしれない。


 脱走が想像以上に重い罪なのは聞いた。さて、どうする。


「あのぉ、恐れながらっ。恐れながらっ!」

 中尉が急に立ち上がり、両手を振ってカンテラの一団に近づいていく。


「──ッ!?」


 コイツを今すぐぶった斬りてぇ。パラミダは心の中で叫んだ。

 案の定、カンテラを掲げていた騎士が近づいてくる。そして剣を抜いた。

 馬鹿がっ。パラミダは地を蹴った。


 中尉を追い抜く。同時、彼の帯剣も逆手に抜く。カンテラの明かりが中尉を捕捉している間に、闇から騎士の喉笛に剣先を突きつけた。


「よお。ご機嫌麗しいか。お互い脱走のよしみだ。ここは一つ、仲良くしようぜ。なぁ?」


  §  §  §


 騎士達が守っていたのは、頭に包帯を巻いた二〇代半ばの女性だった。

 頭が高いと言われて、条件反射的にひざまずく中尉の後に、パラミダも渋々片膝をおる。


「こちらにおわすは──」

「おい、その話なげぇか? こっちは下水くせぇ場所までお行儀良くしてやるヒマはねぇんだ。ご高説はネズミにでも語れや」


「なっ。貴様っ、無礼なっ」


「聞こえなかったのか。オレ達はさっさとこんなクソみたいな場所からおさらばしてぇんだ。こっちに必要なのは灯明一つ。あとはどうでもいい」


「分かりました。灯りを一つ渡ししましょう」主人格の女性が鷹揚に頷いた「その代わり、外までの案内を頼みます」


「東だ。それでいいな」

「ええ。結構です」

 パラミダは騎士からカンテラをひったくると、先に歩き出した。


  §  §  §


 どれだけ歩いたのかは、気にしてない。

 まっすぐ行けば、そのうち東の果てに着いて出口がある。はずだ。

 ただ、そこまでに障害が現れた。


 魔物だ。冬場の避寒か、マダラオオカミや泥精ハグがいくつもの群れを形成し襲ってきた。出現ポイントがそれぞれ違う方面からやって来た。


 中尉は本当に剣の心得がないらしく、代わりに使ってやる。


 マダラオオカミの成獣八頭目のうなじを貫いたところで、その刃がなまった。石の割け目を探して、そこへ刃を滑らせて肉片だけでも研ぎ落とす。


「おいっ。貴様のその背中に負ってる剣は、飾りか」


 騎士の一人が吠える。相手にするのも面倒なので、さっさと先を急ぐ。

 追いすがられた。肩を掴まれる。


「おい。耳はあるのか。無視すんでゃ──」

 振り返りざまに、下あごを鷲掴んで黙らせる。


「黙れ。声を出すな。てめぇらが愚痴をたれ流せば流すほど、魔物が寄ってきてんのが分からねぇのか。これ以上、世間知らずなお貴族サマの尻ぬぐいなんざ御免だ。

 わかったら黙って歩け。そのくせぇ息も止めろ。次に、オレの機嫌を損ねたら、てめぇの息の根を止める。警告したからな」


 掴んだ下あごを押し放すと、先を急ぐ。胸糞が悪くなるサエズリは消えたが、背中をきりで刺すような殺意を感じた。それでいい。

 やがて道が二股に分かれた。


「中尉。東はどっちだ」

 中尉は万年筆に靴紐を結びつけて、


「このまま真っ直ぐですね」

「おい。勘弁しろ。そんなもので──」


 パラミダが酷薄な目を向けると、騎士も慌てた。


「今のは正当な抗議であろう。我々だってここを出たいのだっ」


「十五分休憩だ。中尉。斥候に出る。ついてこい」

「了解」

「おい、そう言っておいてお前たちだけで──」


 パラミダは騎士の胸当てを蹴った。ベコリと鉄製装甲にいやな音をさせて壁に激突。本当に息の根が止まったのだろう。四秒間ぴくりとも動かず、五秒後で地面に激しく咳き込んだ。


「次しゃべったら、殺す。オレ達が戻ってくるまでの間、女を休ませろ」

 騎士達が女性を見る。体調が悪そうに肩で息をしている。


「……わかった。すまん。忠告に感謝する」


 口ひげの騎士が片膝を立ててその膝をイス変わりにする。よほど高貴な身分なのだろう。

 つくづく誰かにかしずく人生が向いていない。

 パラミダは歩き出した。


 一〇分ほど歩いた先に格子が見え、真っ白な陽光が射し込んでいた。

 外はもう夜が明けていた。


「中尉。連中に報せてやれ。オレは扉を破壊して、少し外を見回ってから戻る」

「了解」


 中尉が嬉しそうに敬礼して、来た道を引き返す。

 パラミダは錆びついた鉄格子を見て触るのも嫌になり、軍靴で蹴った。


「魔物は入れやがったくせに、クソ頑丈に作ってんじゃねえぞ!」

「そこを蹴っても無駄だよ。そいつは上げるんだ」


 聞き覚えのある声で足を止めると、鉄格子の向こうに小太りの小男が現れた。


「グルドビナ。おまえら、来てたのかよ」

「今来たばかりさ。東を目指すなら、ここだろうと思ってね。──シュカンピ」


 片目眼帯の副長が長い鉄棒を持って格子の隙間にひっかけ引く。鉄格子をくるりと上下に半転させた。


「あぁん? オレが蹴ってたのに回らなかったのに、どうなってんだこりゃ」

「真ん中を蹴るからだよ。今度ここを通る時は、下を蹴ってみたらどうだい?」

 あしらうように言われて、パラミダはむくれた。


「おおっ。やっと出口かあ。さあ、王女」

 その声にパラミダが振り返ると、乱暴に横へ押しのけられた。


「シュカンピ」

 グルドビナの合図で、鉄格子が閉まった。

「おい、平民。貴様どういうつもりだっ?」


 グルドビナは背中に左拳、右手を胸に当てて社交礼をとった。


「天は、労をいとわぬ者を助け、楽におごる者を罰するとあります」

「ああ? なんだと?」

「なので、労を厭わずお働きになり、どうぞここをお通りください」


「我ら貴族に対して、この汚れきった鉄格子を開けよというのか。平民の分際で小賢しいマネをするな。痛い目を見たいのか」


「いえいえ、滅相もない。ところで、貴方様のその甲冑。どうされました?」


「っ……これはちょっと。そこの小僧が私に小癪なマネをしたのだ!」


 グルドビナはぽっこりお腹を抱えてかかかっと大笑した。そして格子の隙間から、蔑む目で騎士を見上げた。


「闇の中でする悪事がバレないとでも思ったのかい、落ち武者。アンタのその潰れた甲冑についてる〝血の手形〟は何だって訊いてんだよっ」


 その時、パラミダは動いていた。

 戦場の直感。怒りより悲しみより先に自覚したのは、戦うべき敵の存在。


 戦場の鬼は今、彼らを〝敵〟と認識した。


 かかとで地面を叩くようにやってくるパラミダの殺気に、騎士は思わず剣を抜いていた。いまだ血糊ちのりの乾かぬ切っ先を向ける。


「く、来るなっ。貴様も斬られたいのか! 来るなぁ!」


 振り下ろした剣は腰の入っていない。パラミダは半身でやすやすとかわす。剣先が石畳を叩くや、手首と肘を掴み、握ったままの剣をすばやく持ち主の首筋にあてがった。


「同じ脱走者ならあい身互みたがうことも、あるかも。そう思ったのは、オレの甘さだ。

 敵は魔物だけで、てめぇのようなクズ騎士でも自軍の将校を手にかけることもねぇだろと信じてたのは、オレの浅はかさだ。

 一番腹が立つのは、出口を目の前にして、あいつの剣を返していなかった、オレの落ち度だ。剣さえあれば、あいつは自分の身を自分で守れたはずだからな」


 あてがった剣を離してやる。

 騎士の表情に仮初めの安堵がよぎった、その瞬間だった。

 パラミダは騎士の腰から刺突短剣スティレットを抜くや、こめかみに刀身すべてを刺しこみ、ねじった。騎士は自分が何をされたか分からない表情で、崩れ落ちた。


「ぱ、パルマスーっ!? ──おのれぇ、乱心したか!」騎士が剣を抜く。

「乱心だぁ? そりゃこっちのセリフだ。オレが伝令にやったはどうした?」


「そ、それはっ」

「言えよ。言わなきゃ。テメーも朝陽を拝めねぇことになんぞっ」


「パルマスが処断した。情報ろうえい──」

 言い終わるのを待たず、額にスティレットが突き刺さった。パラミダは赤黒い穴を穿うがたれた顔を踏みつけながら、刺突短剣を抜く。


「そりゃそうだよなぁ。オレもお前らに情報漏洩されると困んだよ。これでも脱走の身だからよ。悪く思うな……中尉アイツにもそう言ったのか? なら、おあいこだ」


「お、おのれぇっ」

 口ひげの騎士がカンテラを捨てて剣の柄を握る。だが抜けない。パラミダが柄頭を抑えて抜剣を阻んでいたからだ。


「ば、馬鹿な……っ!?」

 カンテラを捨てた挙動の寸暇すんかで、間合いを奪われた。


 にたぁ……。

 鬼が目の前で弱者を嗤う。


「なっ……ひぃっ。卑怯なっ」

「お褒めいただき光栄の至り」


 刺突短剣が容赦なく顎から後頭を一気に貫く。それを抜いた直後に、背後にいた騎士に投げる。

「ひぃっ!」

 澄んだ金属音。とっさに刺突短剣を剣で弾いた。

 だが地面に跳ねる前に、パラミダがその柄を蹴りあげた。打ち払ったはずの短剣が舞い戻って騎士の左眼に突き刺さった。

 騎士はもんどり打って倒れる。その柄頭をパラミダが容赦なく踏みつける。騎士は断末魔もなく絶命した。脳まで達したらしい。


「宮廷の中じゃ、ダンスの練習ばかりで剣を振り回す時間もねぇってか。そんなヘボ剣法じゃ、年寄りすら殺せねぇぞ」


 それでこの戦いは終わらなかった。


 強烈な殺気が叩きつけられた。とっさに身体を地面に投げ出す。不吉な風切り音とともに後ろ髪を数本切り飛ばされた。地面を這うように方向転換。


「ちぇー。今のを避けられたか。ちょっと悔しいな」

 短剣を回しながら、頭に包帯を巻いた女は愉しそうに言う。


「脱走兵。お前、名前は」

「パラミダ・アルハンブラ」


「アルハンブラ……ああ、ノボメスト奪還の勲功者の。ふーん。お前、強いんだって?」


 くひひひっ。およそ美貌の姫君らしくないわらいをこぼして、短剣をもてあそぶ。


「お前、これからどこへ行くの?」

「地獄さ。てめぇも引きずりこんでやろうか」


「二人ぼっちじゃ寂しいねえ。行く宛てを探してるのなら、俺に宛てがないわけでもない。ただ、王宮暮らしが長くてな。この世界のことは何も知らなくてさ」


「どこだ」

「ヴァンドルフ領……知ってるか?」


「ヴァンドルフ? ……おい、グルドビナっ」

 名前を呼ぶと鉄格子の向こうからぴょこりと小男が顔を出す。


「お奨めしないよ。代替わりした今の当主はあのグラーデン公爵の実子だって言うし」


「だが一応、まだ俺の義弟ということになってる」

「ふーん。姉さん。そういうこと」


「勘のいいヤツは、長生きしないぜ。子豚ちゃん」

「その勘で、ここまで生きてこれたんだよ。──パラミダ。やめといた方がいい。でも決めるのは君だ」


 女はパラミダに向き直った。


「さあ、決めてくれ。ヴァンドルフ領まで俺を連れて行くか。人生最高の殺し合いをするか。俺はどっちでも構わねーよ」


 パラミダは立ち上がると、騎士の眼玉を貫いた刺突短剣を引き抜いた。


「おっ。やろうっての? いいぜいいぜぇ。くひひっ」

「おめぇ、ちょっと外に出てろ」

「あぁ?」


「言ったろ。俺はこのクソみてえな場所からとっと出て行きてぇんだよ」

「んふぅん? それで?」

「オレについてきたばかりに、アイツを脱走兵で終わらせるのはなんか気分が悪りぃんだよ」

 パラミダは血塗られたスティレットを持ったまま下水道の奥へと戻っていった。


  §  §  §


「ヤマト課長。殉職したってよ」

「殉職? だってあいつ、主計課だろ?」


「グラーデン国王代行閣下がそう決められたんだ。例の国王陛下を殺して逃げてるオクタビア王女。その取り巻き四人をスティレット一本で相手して、刺し違えたんだと。王女は取り逃がしたみたいだけどな」


「んふっ。なんだそりゃ。嘘くせぇ。相手は近衛騎士だぞ?」


「おまけに財務局筋からの話じゃ。女房からプレゼントされた帝国土産を下水に流して、それを探しに下水道まで下りていったんじゃねーか。てことで落ち着いたらしい」


「あー。割といい話で印象まとめようって魂胆ハラか。万年筆って筆記具だろ。定期会議の時、自慢げに見せられたよ。話半分としても……バカだな、アイツ」


「まったくだ。よりにもよって国王陛下崩御の日に、なんで万年筆一つで地下下水道にまでおりたかねえ」


「せっかく、あの若さで主計課長まで登りつめたってのに……なんか思い詰めてたのかな」


「女房が伯爵の娘だからな。しかも六つ上。そのお陰で主計課長に就けたんだったとしたら、万年筆は見つけておかなきゃ後が怖ろしかったんだろう。案外、真相は籠城にかこつけて、今の境遇からも脱走しようとしてたのかもな」


「お先真っ暗な現実からの逃避。最後は騎士らしく、か……お先」

「おう。……手洗えよ」

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