第7話 その花の名は


 およそ一ヶ月ぶりにリエカの町に戻る。


 花屋〈毛むくじゃらの豚ウーリーピッグ〉まで、馬車を返してもらいに行く。すると店前には年寄りたちで黒山の人だかり。

 お目当ては、十数年ぶりに宿下がりしたメトロノーラらしい。海外ファンタジー小説の完結編発売日なみのお祭り騒ぎだ。


「お前さんたちゃあ、若いから知らないだろうが。この町一番の器量よしが公爵夫人になったんだ。町を挙げてえらい騒ぎになったもんさ」


 外周にいたおじさんが教えてくれた。


「どうする。狼」

「噴水公園で時間を潰そう。チェヴァピでもつまみながらね」


 子供たちを連れて、チェヴァピ屋──縁日の焼きそば屋なみにめちゃくちゃ忙しそうで十五分も待たされた──でテイクアウト。詫びポテト多めのチェヴァピを入れたバスケットを持って橋を渡った。


 旅の出発点だった噴水公園に、見知った顔がベンチで長い足を組んで座っていた。


「あれ。モデラートさん。家に帰れないのですか?」

「あれでもだいぶ減った方だ。それと一応、仕事だ」


 円サングラスにスーツ姿。そして傍らには銅製マグ。中身は匂いから察するに、〝ヴィン・ブリュレ〟。見た目にふさわしく、香辛料と果実をきかせたホットワインだ。格好よく生まれてきたヤツが格好いいスーツを着て座っておられる。


「マムが、あの馬車を八〇〇〇で買いたいと言っている」

「お断りします」即答した。

「なら、そっちの言い値だ。もちろん、値切らせてもらうがな」


「条件は二つですね。それなら、お譲りしても構いませんよ」

「ほぅ……」


「一つは、エディナ様が持っている〝ケルヌンノス〟の研究データをください」

「ケルヌンノス……?」

「知りませんか? 〝神蝕〟の」


「マムの口からは、子供の頃の夜伽よとぎ話で聞いたくらいか。研究? いや、そんな話……ふん、聞いたことがない」


「もう一つの条件は、エウノミアがつけていた眼帯と同じ黒絹を探しています」

「ふふんっ、それも不可能だ」


 イケメンに鼻でせせら笑われた。動揺がないのでそっちは知っているらしい。


「なぜです?」

「おれも現物を見たわけじゃない。おれが生まれる前から存在するかどうかもあやしい伝説だ」


「おとぎ話。ということですか?」


「いいや、伝説だ。おれの業界の長老達は、それをおとぎ話ではなく伝説に留めている。かつては存在したのだと言い張ってるわけだ」


「なるほど」


「その伝説によれば、エウノミアの眼帯は〝水のくろ羽衣はごろも〟と呼ばれている。生糸は〝夜光蜘蛛〟ノクトゥルヌムアラーネアと呼ばれる魔物から獲れた黒い糸を使って織られているという。

 だが、絹は本来カイコガのまゆから作られてこそ絹だ。蜘蛛などという美しくもない存在から作るものを〝絹〟と称するのは、どうにも気に入らんがな」


 美意識高い系男子か。


「また魔物の繊維ですか。【艶夢】ディザイア系じゃないでしょうね」


 ズィーオの一件で、俺は懲りた。


「そんなリスクがあれば、眼帯などにはしないだろう。それに、その蜘蛛糸には利点もあるそうだ。

 一般的なクモの糸は熱や外圧に弱いのに対し、この魔物の糸ははたりに耐えられる強度を持ち、【火】のマナに耐性があるそうだ。

 しかもその糸で織られた製布は絹に匹敵する滑らかさで、〝絹の黒真珠〟とたたえて上流貴族の間で、もてはやされたそうだ」


「それでは、その〝水の黒羽衣〟はどこへ行けば手に入りますか?」


「ふっ、知らんな。三〇〇年以上、製布どころか生糸でさえヴェネーシア、テューリンの市場にもオークションにも出回ったことがないそうだ。おれも出品された話は一度も聞いたことがない。だが存在を信じて止まない連中がいる。だから伝説なんだ。

 なんなら、帝国魔法学会でも聞いてみるか? 保守に凝り固まった石頭どもなら魔物の居場所くらい教えてくれるかもしれないぞ。もっとも──」


 そこで言葉を切り、サングラスが俺を見てニヤリと笑った。

 仕方なく肩をすくめて応じてやる。


「俺が訊きに行ったら、そのまま捕まえられて、人体実験されそうですね」


 モデラートは、ふっはははっと笑った。

 くそ。笑い方までかっけぇ。こいつ絶対女性をダース単位で泣かしてる。間違いない。


「兄貴が馬鹿笑いするなんて珍しいねぇ」


 その声で、俺は反射的にベンチの後ろに飛び退くと、さっきまで座っていた場所にヴィヴァーチェが着地した。


「逃げるなよぉ、狼。再会を祝して、もふらせろぉーっ」

「やなこった」

「ヴィヴィっ。まだ話は終わっていない。じゃれつくな」


 次兄が厳しく叱りつけてしっしと手を振ると、末っ子は渋々ベンチから下りて席を外した。


「最初の話に戻す。あの馬車は〈マンガリッツァ・ファミリー〉がもらい受ける。八〇〇〇で手を打たないなら、それまでだ。本当いいのか」


 さすがマフィア。ボスが欲しがってるものは、相手の皮を剥ぎ取ってでも献上するつもりらしい。しかも言い値だと言っておきながら、八〇〇〇固定に設定しだした。預かっている限度額の余剰を懐に収める気だろう。


 俺は上着のポケットから羊皮紙をとりだした。


「なんだ?」

「アオスタで、あの馬車の代車用に買った馬車と馬四頭の代金。それからメトロノーラ様の運搬用のひつぎ代。締めて五七〇〇ロット。それを八〇〇〇に上乗せして請求します」


「な、に……ッ!?」


 俺の請求書に、購入した車屋と棺屋からの領収書を添付してある。

 ちなみに領収書の金額は、各店主に水増しさせた。実際は総額二七〇〇ロットだ。これはモデラートには反証不可能なので、文句のつけようがない。


「あとは俺の工賃、材料費も入れて、キリよく一万五〇〇〇ロットを提示させてもらいますよ」

「うっ。ぐぬぬぬ……っ」


「モデラートさん。俺はカラヤンの相棒ですが、俺が欲しいものを提示できないのなら、あまり甘く見ない方がいいですよ」


 本物のマフィア相手に脅し返す。割と気持ちいい。だが怒らせると後が怖い。

 モデラートが苦り切った様子でヴィン・ブリュレをあおった。


「一万だ。その代わり、〝水の黒羽衣〟の件。こっちで調べてやる」


 物証請求が効いたらしい。実費だから、当然だ。モデラートが折れた。俺はその譲歩の隙間へさらに踏みこんだ。


「わかりました。それでは、エディナ様に花の名前を訊いてきてもらえませんか」

「なんだと?」


 モデラートの表情がテキメンに不機嫌になった。調子に乗るなよ、と。

 俺も、五千の譲歩は安くはねぇぞ、と真っ向から色眼鏡の奥を見つめた。


「エディナ様に訊けば分かりますよ。〝ケルヌンノス〟を花とするなら、その花の名は何か。それだけ訊いてきてもらえませんか。恩に着ますから」

 恩なんて一ミリも感じてない口調で言い添えた。


 モデラートは細い眉を怪訝そうにしかめて俺を見据えてくる。ワケがわからないのだろう。無理もない。だが、そこに交渉の付け入る隙がある。


「お前。あの旅で、マムとどういう話をしたんだ」

「それはマザコン五男から訊いてもらえればわかります。あの旅で俺を監視するために帝国までついてきていたはずですから」


「あいつからお前に接触してきただと? おい、狼っ。ヴィヴァーチェといい、ラルゴといい。お前はどれだけウチに食い込んでくる気だ」


 胸倉を掴まれかねない剣幕で迫られて、俺も思わずのけ反った。


「そ、そんなこと言われても知りませんよ。そちらのご兄弟に好かれるのは、俺のせいじゃないですし」


 正直に言った。まったく心にやましいところはない。ただ、あの旅で接点がほとんどなかったはずのラルゴにまで興味を持たれていたのは、意外だった。


  §  §  §


 翌朝。

 リエカで一泊した宿に、またモデラートが現れた。


 しかも昨日と違う意匠のスーツで。俺もこんな頭じゃなけりゃ、一着欲しくなるくらい良い仕立てのブルースーツだった。


 その格好で、俺に差し出されたのは一輪の〝バラ〟だった。

 くきにびっしりとならぶ硬いとげ。さらにその棘にびっしりと〝むし〟のついた、真っ赤なバラだった。


「おいっ、さっさと受け取れっ。気持ち悪いんだからっ!」


 嫌悪を込めて押しつけてくる一輪の棘バラを、俺は受け取った。

 美意識高い系男子は虫がダメか。

 さすがに彼にも、この意味が分からないだろうな。


 このバラの棘についている小さな〝蟲〟が、二種類いることに。


 俺はその真紅を見つめながら、バラとは関係ないことを言った。


「あの、そういうスーツって社交会に出られます?」

「は? お前、その顔で社交会に出る気なのか」顔は関係ねぇだろ。


「いいえ。どこに行けば、このスーツの良さが引き立つのかなって」


 前世界でいう、ビジネススーツなのだ。ネクタイの代わりにレース調のスカーフが結ばれていてオシャレ。〝仕立屋〟のセンスの高さを感じた。

 俺はファッション分野には詳しくない。ブランド名はアルマーニくらいしか知らない。

 前職中は結婚式場にも式典礼装をレンタルで着て行ったし、編集者になってからはノーネクタイの革ジャケットで作家さんと会っていた。採用面接の時はスーツを着た記憶はあるが、量販店の安物。それすらどこにやったか思い出せない。


 するとモデラートはあからさまに「何を言っているんだお前は」という顔をされた。


「商家同士の商談なら、リエカでも協商連合でも皆これだ。帝国の商家にも徐々にこのスタイルが浸透しつつある。貴族の社交会や宮殿での商談がある時は、いまだバロックスーツを着なければ恥をかくがな。

 もっとも最近はカツラを着用せずに出席を認める社交会も増えたから、バロックスーツも徐々にすたれる傾向なのかもしれんがな」


 さすが〝仕立屋サルト〟。服のことになると饒舌で、マフィアの顔がひっこみ、服飾家の顔になる。しかもイケメン度が二割も上がる。


「そんなことより……そんなバラで何が分かるんだ」

「ええ。まあ。エディナ様にはくれぐれも俺が感謝していたとをお伝えください」


 そう言って、俺はそのバラを一瞬で灰まで残さず燃やした。


「あっ。おい。マムが渡した花は、町を出るまで持っておけ」


「いいえ。これは周囲に見せてよい花ではありません。俺とエディナ様の密約としての花です。モデラートさんも他言しないようにお願いします」


「お前。〝蟲のついたバラ〟の花言葉を知ってて言ってるのか?」

「はっ? いいえ……愛情、とかではないですよね」


 モデラートは一瞬、ムッとした顔で俺の不見識を非難した。


「〝不貞の愛〟だ。マムは親父と死別して、今も独身だがな」


 俺は素で慌てた。


「いやいやいやっ。滅相もないですよっ。俺はあくまでもケルヌンノスの秘密の〝なぞらえ〟として花の名前を聞いただけです。ていうか、そんな花言葉の花を町中に持って歩けないでしょうが」


「ふんっ。だといいがな。あと、これだ」

 羊皮紙の筒巻きを渡された。紅のヒモで封蝋印は〝豚の横姿〟。


「なんですか? マンガリッツァの印章ですが」


「封は切るなよ。その封を切っていいのは銀行員だけだ。マンガリッツァ家を保証人として、ジェノヴァ銀行にお前の口座を作った。中に五三一万六〇〇〇ロット入ってる」


 ……ぱーどぅん?


「なんですか、その数字」俺は戸惑った。


 モデラートはこめかみを押さえて、俺をサングラスの隙間から睨みつけてきた。これがまた超格好いいから、本当嫌になる。横に並びたくない。


「馬鹿かっ。お前が作った石けんペルクィンの特許料だよっ」

「はっあぁ!? 売り出してまだ数ヶ月ですよ。なんでそんな突拍子もない額になってるんですか!」


「それだけ売れたからに決まってんだろっ。〈バルナローカ商会〉とウチと〈ヤドカリニヤ商会〉。全部あわせて入ってるからその額になったんだよっ」

 俺の逆ギレを、逆ギレで返された。


「こんな使い切れない額なんていりませんよ。ていうか所得税とか固定資産税とか協商連合でもかかるんでしょ。こっちに請求書とか来たことないですけどぉっ」


「知るか! 大方、ヤドカリニヤ商会が勝手に処理してるんじゃないのか。指摘されたこともないのか?」


 俺は顔をぶんぶん振る。徴税関連の納付勧告は、一度もされたことがない。


「お前。自分の金を商会に使い込まれてるんじゃないのか?」


「別にいいですよ。本当に使い切れないって言うか、手に負えない額になってきてますから。そもそも五〇〇万ロットって何が買えるんですか?」


「ん、屋敷とか?」いきなり家の規模単位がおかしい。

「しばらく定住は無理ですね。あっちこっち行かないといけないですから」


 モデラートはちょっと考えて、

「あとは……遠洋航海船が一隻買えるな。もちろん中古だが」


「諸経費込みで?」


「船単体だ。大商家が一〇年あきなって一隻持っていれば、大物扱いだ。そもそも遠洋航海は、二〇から三〇の大商家が合弁会社を設立して、時限的に経営されることが一般的だ。だから互助航行のために最低でも五隻以上の船団が必要だと聞いたことがある。その辺はレントが詳しい。あいつの将来目標も、今はそこだからな」


「ちなみに、遠洋航海って儲けが出るんですか?」


 モデラートは冷めた様子で、端正な顔を横にふった。


「あれはバクチだ。香辛料、象牙やベッコウなどの調度品、嗜好品、貴金属、生糸、織物、宝石、武器、奴隷。何を載せるかは、その商家の商業センスだ。

 取引がうまくいったとしても、海上災害ですべてがパーになるリスクも高い。それ以上のことは、おれもわからんな」


 なんだよ。この世界、俺のいた世界の十六世紀と変わらないじゃないか。


「最近は、アストラルディア大陸から採掘されるオリハルコンやエメラルダ鋼が武器転用されるんじゃないかというので、商業ギルドが諸侯列国に対して反対運動を起こしているがな」


 あ、やっぱり異世界だったわ。


「オリハルコン? エメラルダ鋼?」


「オリハルコンは、虹色に輝く貴金属で、ドワーフの鍛錬法でプラチナ光沢に落ち着く。宝石の台座などの宝飾具はもちろん、ドレスの装飾具としても珍重されるな。

 エメラルダ鋼は別名〝翡翠ひすい鉄鋼〟とも呼ばれ、宝石のエメラルドと同じ色と光沢を持つ貴金属であることから、そう呼ばれている。


 昔、北方ドワーフのマクガイア・アイザック・アシモフという男が、この金属を糸にして帷子かたびらを造り、時の皇帝に献上したことで勲功をえてドワーフとして初めて姓名を与えられた。もう何十年も前の話だがな。

 しかし武器転用を命じられたのを機に、弟子一門を連れて出奔しゅっぽん。いまだに行方知れずだとか。領主というのは度しがたいほどに戦争が好きなのさ」


 あれれー。どこかで聞いた名前だぞ~ぉ?


「なっ、なるほど。武器転用されたら、それらの金属の値段が高騰します。平和利用が難しくなりますもんね」


「そういうことだ。第一、ああいう美しい金属は人を着飾らせてこそ価値がでる。戦場で人殺しに使うなど、女にモテない軍人の考えそうなことだ」


 この人に言われたら、軍人全員がそうなんだろうなあ。

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