第8話 反乱の代償


 モデラートが帰った後、宿を出る。リエカの町で新聞を買う。

 材質は上等な繊維紙で、一部八ページ。二〇〇ペニー。


 この世界に活版印刷の技術がすでに普及していたことに驚きだが、インクの質は正直、悪い。印刷ムラがひどいし、誤植も多い。紙に比べて重い。それで銅貨二枚は安くはない。


 だがリエカは商人の町。識字率は高い。内容は、リエカで起きた事件や物産の相場と投機価格で占められる。


 一面記事は政治。

 グラーデン侯爵が王政を廃止。春から領邦議会制を敷く。国名も、ネヴェーラ王国はネヴェーラ共和国へと舵を切ることになった。

 国家元首は、グラーデン・フォン・ミュンヒハウゼン公爵。彼は王位につかず、王族の地位を捨てた。爵位はさがっても、手に入れた所領は莫大な勢が見込める大都市ばかり。名を捨てて実を取ったかたちだ。


 俺が帝都でネヴェーラ王国国王カロッツ2世の訃報を聞いたのが、七日前。たった一週間ほどで、グラーデン公爵は次々と帝国との融和政策や共和制法案を議会提出して可決。王国諸侯に考える時間を与えず既成事実を積み上げていき、反対勢力を黙らせたようだ。


 新聞の論調は、兎にも角にも、グラーデン公爵の維新賛歌が止まらない。そして帝国賛美も止まらない。帝国は豊かであり、共和国は戦争のせいで発展が遅れてきた国を豊かにすると強調する。


 具体的には、帝国との国交回復により物流、投機、技術それらの本格交流が一〇年ぶりに再開する。帝国の革新的な技術や生活知識は、ネヴェーラ共和国にとり刺激的で前進的な恩恵をもたらすだろう。とある。


 書かせているのは、明らかにグラーデン陣営だ。リエカの新聞社にしても新聞の地位を高められるので、持ちつ持たれつといったところだろう。そうは言っても、グラーデン公爵が所信表明に、新聞を利用したことは実にうまいやり方だ。


 二面に経済・投機。そして三面記事に社会大衆。

 メトロノーラ様の宿下がりが、婚礼当時の騒動をまじえて掲載されている。

 婚礼パレードの流れになったのは、重要参列者の一人が式中に逃亡し、新郎新婦も歩いて件の家族を探して町中を歩き回ったから。とあった。現在は、春まで家業の花屋従業員として仕事を手伝うことまで描かれていた。元気そうで何よりだ。


 もしかするとマンガリッツァ家に人が殺到していたのも、新聞が一役買ったのかもしれない。あの後、アンダンテの〈ヴェネレドーロ商会〉から傭兵が駆り出されて、野次馬整理が入った。

花屋に強面の警備員をならべたら、商売にならんだろうに。


「どうしたの、狼……?」

 新聞を畳んだ俺に、フレイヤが声をかけてくる。

「元気ない、みたいだけど」

「うん。どんな世界だろうと、世の中ってのはままならないなあって思ってさ」

「えっ?」


「狼ーっ」

 そこにロギが珍しく慌てた様子で掛けてくる。朝の海を写生に出かけると言って出かけたはずだが、もう戻ってきた。


「狼っ、いたっ。見つけた!」

「見つけたって、何を?」フレイヤが訊ねる。


 ロギはよほど急いで戻ってきたのか、全身で息をしながら、俺にカンバスを差し出してくる。帆布を木枠に貼りつけたものだ。

 そこに人物が六人も描かれていた。なので場所はどこかの路地ということしかわからない。だが人物の顔ははっきりと描かれていた。子供四人の対面に、大人二人。


 表題をつけるなら──『密談』。


「誰なの?」

 俺の背後に回り込んで覗くフレイヤが怪訝そうに言う。


「この子供たち……望遠鏡を壊した子に似ている」

「えっ?」


 ロギが膝に手をついて息をしながら、全身で頷く。


「でも、相手の男二人……誰だろう」


 二人とも三〇前後の男だとわかる。身なりはスーツ。商家風。知らない顔。そしてにじみ出る悪意。


「ロギ。この絵を描いた場所はどこ?」

「すぐっ、そこのっ、高そうな、宿……もう、いないっ、ひが、し」


「スコール。男の方よろしく」俺はカンバスを長男に渡した。


「ほいきた、了解」

 カンバスを一望してフレイヤに戻すと、スコールは〝梟爪サヴァー〟を装着。音もなく飛び去っていく。二女はそれを呆れた様子で見送った。


 俺はロギの頭をそっと撫でた。


「朝食。食べに行こうか。ロギ、好きな物を頼んでいいよ」


 まったく世の中はままならない。

 なぜか、ロギの写し取った顔ぶれに、俺の黒鼻が事件の匂いを嗅ぎ取っていた。


   §  §  §


仕立屋サルト〟の前で朝食を。

 モデラートの経営する服飾店〈メルクーアブル商会〉そばの喫茶店で、子供たちと朝食をとる。別にまたあのイケメンに会いたいわけじゃない。この店の雰囲気が好きだったから選んだ。


 スコールに居場所がわかるように窓ぎわに座って、コーヒーを飲む。


 ロギは三段重ねのパンケーキに、ハチミツと果物がたっぷり載った豪華版を楽しそうに頬ばる。フレイヤはそれを胸焼けしそうな顔で見やり、自分のオムレツにナイフを入れる。


 スコールが合流したのは、出かけてから十五分ほど。一人じゃなかった。


「おら、さっさと入れよ」

「押すなっ」


 入ってきたのは、知らない顔の少年。店奥に座る俺を見るなりギョッとした顔になる。


「てめぇっ。狼の手下だったのか! くそがっ」


 あれー。この声、どこかで聞き覚えのある罵声だなー。


「いいからさっさと奥行けよ。お前はおれに負けたんだからなっ」


 スコールに背中を小突かれて歩かされるのは、黒髪ショートヘアの中性的な若者。華奢な体型と吊りぎみの目許が猫を思わせる。フレイヤのフォークとナイフが止めて見入るほどの容姿だ。


「スコール。どうだった?」

「うん。ヤバい系の二人だったらしい。こいつがよく知ってそうだから連れてきた」


「ご苦労様。朝ご飯、好きな物を頼んでいいよ」


「へーい。うっわ、ロギ……少しは遠慮しろよ」

「えー。何言ってんの。これは報酬なんだって」


 シャラモン一家がわいわい始めたところで、猫少年が俺のむかいにむっつり顔で座る。黒革のジャケット。頬とあごにできたての青アザがあった。


「先に仕掛けたのは、そっちかな?」

「ばかか、てめぇ」


 切り出しが罵声。テーブルに片肘をついて、俺を下から睨んでくる。


「うちはまだ、ビゴール兄弟と事を構える気は更々ねぇんだよ。それをあの野郎が、襲いかかろうとしてたんだっ。こっちの仕事を邪魔してんじゃねえぞっ」


「待ってくれ。話の前に、まず名前を名乗ってもらえないかな」

「はぁっ? 五男だよ。この声でわかんだろうがっ」


 どこの有名声優さんかな。


「名前を訊いたんだ。うちのスコールと競り合って負けたんだったよね」

「……っ」黙秘。

「仕方ないな。保護者に来てもらおうか。ちょうどそこに二男さんのお店が──」

「リタルダンドっ」


 自分の名前すら吐き捨てる。罵声キャラのかがみ


「それで。ビゴール兄弟ってのは?」

「知らないで、あいつら追いかけてたのかよっ。マジ馬鹿かっ」

「当然だろう。俺たちはカタギだ。リエカの縄張り争いに興味はないよ」

「はっ。よく言うぜ。ジェノアの町をゴブリンまみれにしたヤツのどこが、カタギなんだか」


「御託はいい。ビゴール兄弟。誰なの?」

 店員が注文を取りに来た。俺はおかわりだけ頼んで、店員を帰す。


「カタギだってんなら、この町の裏路地を覗く必要があんのか?」

 うまく言い返したつもりなのだろう。往生際の悪いヤツだ。


「必要ないと思ったら、この店を出た瞬間に忘れるさ。そこをきみが判断する必要はない」

「っ!? このっ……それがカタギのセリフかよっ」


「俺は平穏にここで朝食を済ませたいだけさ。さっさと話してくれたら、きみは自由になれる。お母さんにも、このことは話さない。それでどうかな」


「完全に悪党のセリフじゃねえかっ」

「話す気がないのなら、今からモデラートに会いに行く。この失態で〝仕立屋サルト〟のきみへの信用がさがっても、俺は責任を持てない」


「くそがっ。……あの兄弟は、難民街を食い物にすることにしたらしい」

「難民街。セニの?」

「そうだっ。あの難民たちはどういうわけか、ノボメストの反乱から切り捨てられたらしい」

「なぜ切り捨てられたと?」


「さあな。あの兄弟がそう言っているのを聞いただけだ」

「きみの考えを聞きたい」

「くっ。ヤツらの話では……あの難民街だけノボメスト反乱と同調する指示が届かなかったらしい。リエカの執政長が反乱決行より先に中立宣言を出して、難民街の民兵が矛先を向ける敵を失った。だが失ったまま迎えが来なかった。だから群れからはぐれた羊は、狼の群れの格好の餌食になった」


 実に良い推測だ。頭もいい。さすがエディナ様の〝耳〟なだけある。


「ビゴール・ファミリーの本業は?」


「運送業。陸と海、両方の。だが最近はケツに火がついた状態になってる」

「というと?」


「ヤドカリニヤ商会だ。レントの商会と業務提携したことでハドリアヌス海東岸の海運シェアを徐々にだが食われ始めてる」


 ヤドカリニヤ商会の海運部門はセニ商会が一手に担っている。セニ商会はスミリヴァル会頭代行が元もと塩の運送業として所有している会社だ。


「シェア奪還の軍資金調達として、難民街に目をつけた?」

「取れるところから取るのは、なにも徴税官の常套手段おはこじゃねぇだろうがよ」


「だとしても、高級宿で会っていたあの四人の子供と、どういう関係が」


「そこまで知るかよ。難民街とどんな関係があるかもまだ調べちゃいねえし。おふくろからの指示もねえ。てか、しばらく頭ん中は、姉貴と孫のことでいっぱいだろうからな」


 俺は下あごをもふった。

 

「お母さん取られて、妬いてんの?」

「はっ倒すぞ、クソ犬っ!」


 噛みついてくる猫少年を手で制して、コーヒーの給仕を受ける。


「リタ。きみも好きな物頼んでいいよ。朝食まだなんだろ?」


 少年が尻尾を踏まれた猫みたいに顔を真っ赤にして怒った。


「誰が、てめぇの施しなんざ受けるかぁっ!」

「その代わり、ちょっと調べて欲しいことがあるんだ」

「はぁあっ!? オレは忙しいんだよ。誰がお前の面倒なんか見るかっ!」


「この先の高級宿に泊まってる四人の子供を監視して欲しい」

「聞けよっ。誰がタダ働きなんてするか!」


「うん、その言葉が聞きたかった」

 俺はリタルダンドの前に、小ぶりの金袋を置いた。


「頼んだよ。報告は、俺が難民街の様子をうかがってから、こちらから連絡する。この後、俺たちはヴィヴァーチェを連れてセニに戻るから」

「はあっ!? おい、ふざけんなよっ。オレはまだやるとも言ってねぇっ! 馬鹿か!?」


 後は応じず、俺はコーヒーをすすった。シャラモン一家がとなりのテーブルでクスクス笑いながら食事の手を動かしていた。


  §  §  §


「なあ、狼ぃ」

 馬車の幌の上に乗っていたヴィヴァーチェが言う。

 カラヤンから馬鹿力の制御を習うために〝七城塞公国〟ジーベンビュルゲンへ連れて行く。

 ヴィヴァーチェは待ち合わせ場所に三〇分前から嬉々として待っていたらしい。だがリエカの町を出てから旅費の入った財布を家に忘れたことに気づき、さっきまでヘコんでいた。言葉だけ聞けばドジ可愛いのだが、遠足の弁当感覚で五〇〇ロットを置いてきたとなれば他人事にして笑うに笑えず、先が思いやられた。


「なんか、町の前で揉めてるぞぉ?」


 俺は幌カーテンをはぐって御者台に上ると、確かに城門前に群集ができていた。地方長官のタマチッチ長官が台に乗って声を嗄らしていた。俺は耳をそばだてた。


「ここはジェノヴァ協商連合の支配都市だ。入国許可がない者を入れるわけにはいかん! 町に入るのであれば入国許可状を持ってきたまえ!」


「おれ達は、グラーデンに騙されていたんだっ! もうノボメストに帰る金も食糧もない。どうかこの町に入れてくれ!」


 切り捨てられた民。リタルダンドの言葉を裏付けるには充分な光景だ。


「狼。どうする?」

 御者のスコールが手綱を持ったまま俺を見る。


「進もう。彼らの事情だ。──ヴィヴァーチェ。幌の中に入って……ヴィヴァーチェ!」


 群集を見る限り三〇〇人から五〇〇人近くいる。まだ殺気立った様子はない。その中をゆっくり馬車で進む。


「どいてくださーい。道を開けてくださーい」

 できるだけ感情をこめない声で、俺は群衆に道を空けるように言う。


「きゃあっ!」

 突然、幌内のフレイヤが悲鳴をあげた。俺が急いで幌に戻ると、見知らぬ男が入り込んでいた。


「あ、あんたっ、お願いだ。この馬車にのせて──」


 訴え終わるより先に、男はヴィヴァーチェによって両手で胸を突かれた。

 男の身体は後部の幌カーテンを引きちぎって軽々と吹き飛び、十数メートル先で地面を転がった。


「狼っ、どうした!?」前からスコールが声をかけてくる。 

「大丈夫、そのまま進んで。フレイヤとロギにケガはないから。止まっちゃだめだ」


 俺は呆然とするヴィヴァーチェを無理やりその場に座らせて、頭を抱きしめた。


(エディナ様が危惧していたのは、こういうことだったのか……)


「お、狼。おれ。ちょっと押しただけなんだ。アイツ押し出そうとしただけなんだ……っ」

「ああ。わかってる。大丈夫だ。お前はフレイヤとロギを守ったんだ。ありがとな」


 動揺するヴィヴァーチェをフレイヤに頼むと、俺は後部から難民に向かって牙を剥いた。


「聞けぇ! あの男はこの町の住人たる、ヤドカリニヤ商会の馬車を襲った。これは立派な犯罪であるっ。町に忍びこむため馬車に押し入った狼藉はいかなる弁明も許さない! お前たちは助けを求める身の上だと訴えるのならば、まずはおのれの身の潔白を立てろ!」


 静まる群集の中、海が割れるがごとく道が開かれた。

 馬車はゆっくりとセニの城門を潜っていく。

 路頭に迷う彼らの事情を知った上で、俺は彼らの落ち度を責め立てた。

 なぜだか、いつもより余計に喉がヒリついた。


  §  §  §


「いや~、助かった。彼らもとりあえずあの場は解散していったよ」


 セニの町。サンクロウ正教会。

 タマチッチ長官が教壇の最前列。通路を挟んだベンチに腰掛けていった。


「相手の意図はともかく、馬車強盗で重罪は確定でした。それとも、あの男を正当防衛で殺した方がよかったですか。俺には家族と荷物を戦っても守る権利を主張しますよ」


 ジェノヴァ協商連合の法にてらせば、強盗目的の馬車襲撃は満十六歳以上だと完遂・未遂を問わず吊し首だ。もの凄く罪が重い。ちなみに、無賃乗車の場合はムチ打ちの刑になるそうな。

 行政手続き上の正論をいくら説明したところで、あの場は感情の数が勝っていた。


 彼らは進退窮まる一歩手前まで追い詰められている。


「そう嫌味をいわんでくれよ。狼。こちらも正直、持て余しとるんだ」

 タマチッチ長官は弱り切った様子で頭をかきむしった。


「彼らの目的は? ちょっと買い物をするだけの雰囲気ではなかったですが」


「定住を申し入れてきた。だがノボメスト住民は難民認定されておらん。ノボメストに帰れと諭したが、裏切り者グラーデン公爵の元に返る気はないと、こうだ」


「それなら、同じ領地であり、大都市のリエカに助けを求めに行くのが筋では?」

「うん。その点についても説いたが、なぜか相手は無回答だ」


「答えない? おかしいじゃないですか。町側の次善策は」


「共和国首都ザグレブに、訴状を送る予定だ。とにかくうちは無関係だ。迷惑だと訴え続けるより手はない。本国にも通報はするが、定住を許せば国際問題に発展しかねない。一度に五〇〇人余りだぞ。やつらが民兵となれば、この首が一夜で露と消えてしまう」


 ノボメスト住民は、先の反乱で都市を制圧する戦闘能力アリと国の内外で知らしめられた。ヘタに受け入れて中から引っかき回されたら、執政長の首も危ない。


「となれば、このことが町の住民を刺激しなければ良いのですが」


 何気なく呟いたシャラモン神父の言葉に、俺は嫌な胸騒ぎがした。


「これからヤドカリニヤ商会に行って、カラヤン隊の出動招集を掛けます。当面、守衛長と連携をとるという形でいいですね。タマチッチさん」


「ああ。守衛長にも私から話を通しておこう」

 俺は頷くと、教会を出た。



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