第4話 とある老人の死


 その日、ひとりの老人が死んだ。


 いつもの時間に召使い頭が起こしに行くと、まだ寝ていた。

 ヴァラジュディン宮殿がミュンヒハウゼン軍に囲まれて、二ヶ月が過ぎようとしている。


 ミュンヒハウゼン軍は最初の王府占拠が失敗に終わりこそしたが、王都ザグレブを十重とえ二十重はたえに取り囲んでいる。

 事実上の兵糧攻めに遭っているが、地下の備蓄は酒宴さえしなければ、あと一年はもつと豪語している。


 国王は泰然として執務室の机に座り、読書や思索にふけっていた。

 最初の起床確認から、五分後。再び召使い頭が部屋に声をかけに行く。

 まだ寝ていた。


(……おかしい)


 今日はとくに冷える朝ではあった。だが国王は時間に正確だ。

 召使い頭は室内に入り、寝台に近づいた。


「陛下。お時間でございます……陛下?」


 王に触ることは許されないが、唯一、息をしているかの確認は取れた。


 息を、していなかった。


 召使い頭は、まず侍従長よりも宮廷魔術師ボーラヴェントの私室へ走った。

 ボーラヴェントは身支度を調えている最中だった。


 国王よりも王様然としたこの宮廷魔術師は、異変を聞いてすぐに廊下を速歩した。


「オクタビア王女は!」

「ま、まだ報せておりません」


「そうではないっ。オクタビア王女の所在だ!」

「えっ!? それは、まだ部屋でお休みかと」


「たわけっ! 所在を確認してくるのだ。陛下の聖骸を毀損されては諸侯に言い訳が難しくなる。部屋におられない場合は、騎士長ルカーチを陛下の部屋に来るように伝えよ。行け!」


「はっ、はいっ!」


 聖骸を毀損。召使い頭は廊下を走りながらこの言葉だけが頭に入ってこなかった。


 ボーラヴェントが国王の寝室に入ると、女が寝台の国王に馬乗りになっていた。

 両手でナイフを握り、頭上まで高々と振り上げ、二度、三度と振り下ろす。


 ボーラヴェントは杖で女を背後から殴りつけた。よろけたところを髪を掴んでベッドから引きずり下ろした。ふわっと髪から香ったバラの匂いに顔をしかめる。


「ハァっ、ハァっ……やってくれたわ。このイカレ女めっ」


 ふくくっ。ふゃっひひひっ。ひゃははははっ


 頭から血を流しながら、女は勝ち誇った哄笑をあげた。


「ボーラヴェント~ぉ。私を担ぎ上げなさいな~ぁ」

「……っ」


「どぅ~おせ、グラーデンと示し合わせて、この国を帝国に売ろうとしてたんでしょお? 陛下を欺き続けてきた獅子身中の虫、ボーラヴェント~ぉ?」


 女は床に大の字で倒れたままギョロリと魔術師を見上げた。


「そうはさせねぇぞ。バカヤロウ」

「……ッ!?」


「お前はエスターライヒ家と一緒になって、この国で最後まで踊り続けて死ぬんだよ。と一緒に火刑の灰となって地獄に墜ちるがいいっ!」


「ボーラヴェント師っ」

 侍従騎士三名を引き連れてやってきた騎士長は、現場の状況を見渡して混乱した。


「これは……ッ!?」

「ルカーチ少佐。オクタビア王女の警備は」


「今朝方、担当者が二名が、その……行方が分かっておりません」


「地下の食料庫は確認したかね」

「はっ? いえ。なぜ、そのような場所を……」


 ボーラヴェントは床に仰向けになったままの女に尋ねた。


「備蓄はあとどれくらいもちそうですかな。王女」

「そうだな。ざっと二週間くらいってとこだったかなあ」


「二週間。週とはなんでしたかな」

「七日ごとを一周期とする時間の単位。日数計算で十四日だ。教えてやったろう、呆けてんのか、ジジイ」


 侍従騎士達が恐怖に目が凍りついている。


「そこの君」

 ボーラヴェントは、呆然としている騎士一人を指名した。


「は、はっ」

「兵舎に戻って、信頼のできる同僚を三人。ここへ来るように報せてきてくれないか。その上で、君だけで地下の備蓄倉庫に調査に入ってくれ。その報告は、ルカーチ少佐にするように」


「は、はあ……」

「行きたまえ」


 話は終わりだと、ボーラヴェントは再び王女に向き直る。

 騎士は上司を伺うと、ルカーチ少佐は「他言は無用だ」とクギを刺して部下を行かせる。


「ルカーチ少佐。監視を頼む。儂は、陛下のお身体を調べる」

「了解しました」

 ボーラヴェントは寝台に向かった。


(このタイミングで、国王のまま死ねるとは幸せでしたな。カロッツ) 


 顎や足首の硬直から推定して、死後六時間から八時間。床に入って少しして心肺停止に陥った可能性が高い。それに昨夜から今朝にかけてひどく冷え込んだ。


 首から胸部への刺創は十三カ所に及ぶ。だがどれも傷の深さに対して出血が少なく、致命カ所からも外れている。


 これは刺す前からすでに死んでいたことを理解しており、致命傷を与える必要がないことを示唆していた。

 つまり、この女は自分の父親の死体を傷つけることだけが目的だったことになる。俗な言い方をすれば、鬱憤を晴らそうとしたのだ。


 復讐ではない。鬱憤晴らし。その言葉が正確でないのなら、意趣返しと言い直してよいだろう。


 父は娘にそれだけのことをしてきた。

 オクタビアという、この〝悪魔憑き〟に。


  §  §  §


 二四年前──。

「母体の中毒症状が重い。残念だが、今回は堕胎を強く勧める」


 黒い眼帯をつけた女薬師は、国王カロッツ2世に告げた。


「ならぬ」 


「王よ。ただの中毒症状ではない。弟子の見立てによれば、腹部が黒く変色するまで鬱血しているのだ。あえて言おう。王妃にゴブリンの懐胎と類似する症状が出ているっ。忌むべき魔の存在を王妃は懐胎した可能性がある。胎内の子供を諦め、今からでも殺すべきだ」


「ペルリカ。余の子供なのだ。間違いない」


「王よ。聞き分けてもらいたい。わたしとて人の出産を助けるためにここにいる。だがこれは……異常事態だ。王家の災禍さいかとなるぞ」


「頼む。余も四十を越えた。次は、ないかもしれんのだ」


「泣き言など聞きたくない。この世には、六〇を超えても孫のような若い娘を孕ませるオークのような狒々ひひじじいが掃いて捨てるほどいる。女を子供を作る道具と考えねば──」


「もうよいっ! 貴公の、その何人にも歯に衣着せぬ諫言かんげんが聞きたくて召喚したのではない。命令じゃ、薬師ペルリカ。わが子を救え。この国の世継ぎを救うのだ。……それに、イザベラは今は亡きスロヴェキアの王女だ」


「今なんと言ったっ?」

 女薬師の語気が槍衾やりぶすまを立てた。


「ペルリカっ。よせっ」


「止めるな。ボーラヴェント。──王よ。今なんと言った。めとった姫の国がもはや滅んだから、見殺しにしても構わぬと言うのか。王よっ。今の言葉、人でなしの蛮族王に墜ちたくなければ、撤回したまえ!」


「うっ、ぐぬぅっ……撤回する。余が短慮であった」

「っ……ならば王よ。今から寝台に立ち会われよ」


「なに?」


「王妃の寝台に寄り添い、その手を握るのだ。そして彼女に、わが子を産め。王国の世継ぎを産めと励ますのだ。生まれてくる子をこの国の世継ぎにする。そう誓ってやれ。彼女にはもう、この国で生きることしか残されておらぬのだからな」


「いい加減にしないか、ペルリカっ。推参だぞ。国王が触穢しょくえに立ち会うなど論外だ!」


「なら貴公は、次は女として生まれてくるのだな、ボーラヴェント。世継ぎを生む重圧と不安、恐怖と激痛をその身で体感すると良いぞ。──王よ。いかが?」


「……うむ。相わかった。参ろう」


「陛下っ!?」

「ボーラヴェント。余は今日から親になるのだ。イザベラも戦っておるのだ。ならば、触穢が何ほどのことがあろうか」


 王妃の寝室へ案内する眼帯の薬師のほっそりとした背中を、国王は戦場に向かう気迫で続いた。


 六時間後。


 寝所から悲鳴と産声が、同時に廊下へ飛び出した。

 小太りしたペルリカの女弟子が、純白の布に包まれた赤ん坊を連れ出してきた。


「王女様です!」


 エスターライヒ元帥が赤子を受け取り、大歓声とはいかなかったが、王女の誕生に騎士や女官らは歓声を上げ、報告に廊下を大広間へと駆け戻っていく。


 ボーラヴェントはその場に立ち尽くし、友人を待った。

 やがて部屋から疲労困憊した足どりで、黒い眼帯の薬師が出てきた。


「ペルリカ。イザベラ王妃陛下は」


 言葉なくかおを横に振った。

 窓のさんになまめかしい腰を引っかけて、黒い眼帯を解いた。瞑目めいもくした美しい横顔が、赤い月明かりに照らされる。


「あの子供は、悪魔だ」

「もういい……その話はもう口にするな」


「成長に従い、優美にして聡明となろう。だが、それらすべてがこの国を悪の方へ傾かせるだろう」


「それは……〝秩序の魔女〟としての預言か?」


「ボーラヴェント。為政者から悪魔を生み出した罪は重いぞ。このことはわたしも同罪なのだろうがな」


「……」

「あの娘から決して目を離すな。片時もだ。二十歳を過ぎた頃に辺境貴族とめあわせて、その地に幽閉しろ」


「ペルリカ。貴公の考えすぎではないか? 未来に何の確証がある?」

「あの娘には、すでに歯が生えていた」


「なっ。なんだとっ!?」


「じきに乳母の乳首を噛みちぎり、その血をすすって人の味を覚えるだろう。その後、もり役に物を投げつけて人を困らせる愉悦を覚え、傷つける快楽を覚える。

 いつしか人を殺す術を覚えた時こそ、完成をみる。そこからは鳴りをひそめ、虎視眈々と計算高く周囲を動かし、大量の人が苦しみ悶えて倒れていく様を眺めて、その快楽に耽溺たんできするようになるだろう。それを悪魔と呼びたくなければ、魔王とでも呼ぶか?」


「前例があると?」


「君らしくもない。歴史にたびたび現れた覇王、暴君、暗愚、狂王がそれだ。この国が初めてではないと言うだけさ。それに国とは、いつか滅ぶものだ」


「では、解決策は──」


「もう無理だ。最善策を打つべきときはすでにいつした。人の情とは、なんとも愚かで温かいものだな」


 美貌の薬師は窓から身体をおろすと、廊下を歩き始めた。


「ペルリカ。入閣する気はないか。今なら──」

「そうだ。金はいつもの口座に入れておいてくれよ。毎度あり」


 わずらわしい名誉をあしらうように、黒い眼帯が月明かりに振られた。


  §  §  §


 カーロヴァック攻城戦でのヴァンドルフの横死。

 あれがオクタビア王女の陰謀であった。


「ふーん。プードル(異母弟トゥドルの異名)のくせにしぶといわね。ヴァンドルフ卿が死んだのは予想外だったけどぉ」


 夫の訃報より、弟の無事を残念がり、冬に向けてマフラーの品定めをしながら聞き流した。


 仲が悪かったはずの異母弟を操作して功を焦らせ、戦場で暴走。夫ヴァンドルフに救援を強いると誰が予想しただろうか。


 王女に尋問したわけではない。だから確証はない。だがその一言で充分だった。

 近衛兵長一人が戦場で何者かに殺害された事実だけが残っている。近衛幹部は口を閉ざしたまま処断を受けた。


 この悪魔しか、いない。

 この悪魔になら、できた。


 あのまま救援軍が混乱潰滅してカーロヴァック市が陥落すれば、アスワン帝国に王都を脅かされ、多くの取りが蹂躙され、多くの住民が骸を晒していたかもしれない。


 国のためではない。ただ大勢の人が死にゆく様が見たいだけなのだ。


 その後、ヴァンドルフ家は無届けで、当主の遺体と共に家人を本領へ引き上げさせた。兵だけではない。王都にある屋敷使用人その一切を引き上げさせた。

 みずからを世継ぎと信じて疑わず、婚礼後も宮殿に残り続けた〝ヴァンドルフ夫人〟一人を残して。


 オクタビア王女の陰謀に怒ったのではない。恐怖したのだ。


 他の諸侯もようやくオクタビア王女の不気味さに気づき、王室に味方することを躊躇った。さらに、ここまでグラーデン侯爵に押し込まれた現在では、一発逆転の賭けに出る貴族も現れない。

 さっさと旧体制が潰れて、新国王の下に馳せ参じるタイミングを待っているのだ。


 そこへ、廊下から甲冑の音が近づいてきた。部屋に侍従騎士が三人はいってくる。

 とりあえず、どこかの部屋に閉じ込めなければ。国王崩御の発布とグラーデンとの講和。やることが山積み──


「きゃーっ! 助けてーっ!」

 突然、王女が叫んだ。


「ボーラヴェント師とルカーチ少佐が陛下を弑逆しいぎゃくし、わたくしをも殺そうとしていますぅっ」


「なっ!?」

 ボーラヴェントは呼吸を忘れ、足下の悪魔を見た。

 みずからの血で顔を洗った王女の口許が一瞬だけ、ニチャアと笑った。


「助けてっ。殺されるっ。早くこの者達を──っ!」

 事情を理解できていない騎士達は即座に抜剣した。


「ボーラヴェント師。長年、王国に仕えながら、この時を待っていたのかっ!?」


「待て、お前たち剣を引け。剣をひくの──ぐあっ!?」

 止めに入ろうとした侍従騎士長ルカーチの背後から部下の剣が脇腹を刺し貫いた。


「さようなら。ルカーチ様。今日から俺が騎士長をやりますんで」

「ぱ、パルマス。貴様しょ、正気……っ」


「おい。お前らはそっちのジジイをやれ。大逆罪だ。遠慮しなくていいぞ」


「違うっ、話せば分かるっ。私は──」

 それが、二六〇年王国に仕えた老人の最後の言葉になった。

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