第4話 婀娜(あだ)めく龍となるために(4)


 翌朝。

 外の騒がしさで目が覚めて部屋を出る。

 二階の廊下から吹き抜けの一階ロビーを見おろすと、人だかりができていた。


「ご家老っ。わたくしも、此度の調査団にお加えくださいっ!」

「わたくしも、お願いします。あのような、どこの馬の骨とも分からぬ者達を軽々しく信じてはなりません!」


 わたくしも、わたくしもっ。朝から賑やかで結構だが、暑苦しい。


「おはようございます。ムトゥさん」

 声をかけると、老人は昨日と変わらず穏やかな表情で会釈された。


「狼殿。今朝はよく眠れましたかな」

「ええ、おかげさまで。この騒ぎはなんでしょうか」


「おひい様が参加されるダンジョン調査団に志願する者達です」


「数は?」

「そうですな。ざっと三〇人程度ですか。いかがでしょうかな」


 急に責任をこっちに投げてこられてもな。そっちの手駒だろ。


「それじゃあ、この中で最も幸運が強く、逃げ足が速く、おひい様にもお気に召した人を一人だけ採用します。自薦他薦は問いません」


 大真面目に言い残して、俺は館の裏手に回った。


  §  §  §


「おそらく、おひい様の身体は、この冬を越すことはできませぬ」


 昨夜。

 家政長室で、俺たち三人は真実を聞かされた。


「では、あの背中にあったものは」

「セレブロスパイナル・フルイド──生態髄液の汚濁状態を示すセルメーターでございます」


 カラヤンとティボルが俺を見る。

 英語かよ。俺は犬がそうするように耳の後ろをガリガリと掻いた。


「生態髄液とはなんです? 脳の中にある半透明の体液のことですか?」


「然様です。ただ、研究員の話では、その髄液に〝竜髄漿〟と名づけた|〝龍衣ナーガ〟との感応促進物質が含まれており、使用劣化によって髄液は汚濁し、透析交換を必要とします」


「ということは、あの子が龍公主でなければ、スーツ自体は無用の長物というわけですか」


 老人は、ゆるゆると顔を振った。


「その論法は机上論でありましょうな。ニフリート・アゲマント・スメイはあの方であり、あの方以外にこのティミショアラの龍公主は当面、並び立ちますまい」


「なるほど。それでは使用劣化とおっしゃいますが、原因は? 病気か何かですか」


「容易く言ってしまえば、〝魔導疲労〟です。此度は、六度にわたる家出です。

 壁の向こう側へ飛び越えるため、おひい様は〝ヴィマナーガ〟の無調整制御を六度も繰り返しました。そのため、おひい様の身体に過度の負担がかかってしまわれたのです」


「〝Vマナーガ〟とはなんですか」

「現段階でお答えできかねます。それを説明するには大公陛下の許可が必要となります」


「わかりました。では家出と、髄液汚濁の因果関係を」

「六度目の家出において、既に劣化した生態髄液のために、龍公主として本来の力を出し切れず、さらに飛行中に意識が混濁し、制御不能に陥ったのでしょう。

〝Vマナーガ〟は龍公主の生命維持を優先し、強制解脱モークシャして墜落したのです」


 こちらの知識量を探る専門用語の嵐。カラヤンとティボルはすでについていけずに呆然としていた。


「〝Vマナーガ〟という[機体]は、九歳には荷が重すぎたと?」


 俺の返答に、老人は目を見開いて言葉を失った。

「重いどころか、不可能です。なのに不安定ながら六度とも飛行状態を維持されました。整備部も驚いていました」


 飛行。機体……そしてあのスーツ。おいおい。待ってくれ。勘弁してくれ。なんなんだこの国は、この世界は。


「それほど、おひい様はあなた方の監視下に置かれている状態を嫌っていたのでしょうね」


 混乱ついでに皮肉を投げつけてしまう。俺はこの老人がどうしても好きになれない。しかし老人は俺の言葉に深々とうなずいた。


「おひい様のために最善の環境をと思い、努めて参りましたが力不足を痛感しております」


「カラヤンをダンジョン潜入へ思考誘導したのは、その生態髄液の新品の回収ですか」

「はい」

 煙に巻くこともせず、まっすぐに肯定した。


「俺は、あなたの〝Vマナーガ〟を無調整のまま放置したツケを、カラヤンに払わせるそちらの姿勢態度が気に入りませんね」


 俺の指摘は的を射たらしい。ムトゥ家政長の顔が暗く沈んだ。


「その点については、誠に申し訳なく思っておりますが、事態は一刻の猶予もありません。なにとぞ、ご協力をお願いいたしたく」


「断る、と言ったら」

「残念ですが、秘密保持するため、おひい様がご逝去遊ばされるまで、この町からは出せませぬ」


 ここで権力者のテンプレがきた。左右から俺を責めるような〝人でなし〟光線が突き刺さる。俺は盛大にため息をついた。


「それならいっそ、敬愛するおひい様のため、あなたご自身が老骨に鞭打ってダンジョンに潜入しようとは思わなかったのですか」


「もはや家政長となって三〇年。ダンジョンには十六度入り、髄液の回収を行いました。しかし、今やこの老身一つで火中に飛び込むことは許されませぬでな」


「それでは、なぜおひい様の身代わりとなって、おとり役を?」


 ムトゥ家政長の目に初めて狼狽で揺れた。反論しない。できないらしい。

 そういうことか。俺たちはそういう事情にまで巻き込まれようとしていたのか。

 

「おい、狼。じいさんに八つ当たりしたって始まらねーだろ」

 ティボルが腕を掴んで止めてきた。

 彼はもうダメだ。おひい様に肩入れしてしまっている。確かに幼い命を救えるものなら救ってもいい。だが、俺は、彼らの事情を深く知りもしないで危険に飛び込むお人好しにはなれない。

 俺は振り払うこともせず言った。


「では、話を変えます。基本的な質問をします。ウルダと龍公主との関係は?」

「姉妹にござる」


「なにっ?」

 カラヤンも目を剥いた。ティボルにいたっては思考停止して俺の腕から力なく手を離した。

 俺には、この場であっさりと認めてしまうんだな。という意外性だけだ。


「ウルダの父親のことも含めて、すべて話していただけませんか」


 老人はあっさりとうなずいた。

「彼女たちの父親はアオイダと申し、長年それがしの下で龍公主に仕えてきた〝旅団〟の民でございました。

〈串刺し旅団〉は、アオイダが、それがしのために組織した〝耳目〟なのです」


  §  §  §


 十年前──。

「串刺しとはまた……剣呑な名前だのう」

 ムトゥが難色を示したが、アオイダはむしろ嬉しそうに破顔した。


「泣く子も黙る秘密部隊って感じで、よか名っちゃろう」


「しかも、この登録リストにウルダも入っておるではないか。まだ四歳になったばかりというに。あまり無茶な人選はするでないぞ」


 ムトゥがたしなめると、アオイダはひげ面を忙しくふって真顔になった。


「いいや。ウルダはわいの娘にしちゃあ天才っちゃけん。ご家老が、あん技を仕込んでくだされば、うちのウルダは次期頭目。ゆくゆくは龍公主様の剣になっとじゃ」


「アオイダ……。四歳の幼子にアレは無茶だぞ」


「ふははっ。将来の器量よしの娘を二人もお国に差し出すんじゃ。大公しゃんもわいら〝トスパナ旅団〟を無下にはできんっちゃろう?」


「アオイダ……まことに行くのか?」


 何度もいさめた。おそらくこれがきっと最後の慰留になる。ムトゥが見つめる中、アオイダはふいに鬼の泣き顔ともいえる悲壮な表情で頷いた。


「ご家老。いや、ムトゥの旦那。やっどここまできたんじゃ。ここまでして龍公主を死なせみぃ。わいと旦那の積み上げてきたもん、なんもかんもが水の泡っちゃろが。

 わいらは旦那から土地ばもろうて、こんティミショアラばもう故郷と決めとぉとよ。ここに骨ば埋める覚悟で、みんなよう働いとぉよ。せやけん、わいが必ず回収してくっけん。

 わいが死んだ後は旅団。ウルダんこと。どうかよろしゅうお頼みもす」


  §  §  §


「それでウルダの父親は、戻ってこなかったのですね」

 俺の指摘に、ムトゥ家政長はうなずいた。


「生態髄液は、彼の部下が持ち帰りました。今、おひい様が着ているスーツがそれです」

「その持ち帰った部下は」


 ムトゥ家政長は顔を振った。


「〝アオイダは務めを果たしました〟と言い残して……。まだ十八の若者でした。地上に戻れたのはその者だけでした」


「それをカラヤンにも、やれとおっしゃるのですね」

「はい」


 ムトゥ家政長はこちらをまっすぐ見て決然と言った。


 俺は拳を握りしめた。

 いちいちムカつく人だ。手を汚さず事を成し遂げようとする陰謀家の眼じゃない。仲間の死も痛みも泥まですべて引き受けて感情に出さない、この浪花節が俺にはウザい。

 死んだ枯木に華を咲かせる暇があったら、なぜ打開策を講じなかった。十数回のダンジョン調査から生還して、その知識も経験もあったはずなのに。


 俺は口から煙を吐きかねない怒りとともに言った。


「カラヤンはダンジョンに向かわせません。ただし、ダンジョンの情報をありったけ、国家機密にいたるまで全部、俺にください。俺が選んだ特戦隊で行きます」


「おい、狼っ」

 今度はカラヤンに肩を掴まれた。俺はその肩越しに振り返った。


「カラヤンさんには他にやってもらいたい仕事があります」

「な、なにぃ? なんだ、仕事って?」


「ここの兵士の練度を早急に爆アゲさせることです」

「はあ? ば、爆アゲ? な、なんで……?」


 戸惑うカラヤンをほうっておいて、俺はムトゥ家政長を見た。

 今度は目を合わそうとしない。

 やっぱりこのジイさん、大嫌いだ。


「俺達がいない間、この館でちょっと籠城戦をしててくれませんかね」


  §  §  §


 雪の積もった朝に腕組みしながら、俺は館の裏手に向かった。


 馬場といっても厩舎きゅうしゃ前の広場だ。昨日の雪ですっかり冬景色だが、おっさんの怒声と若い声の周りだけ、泥雪になっていた。


「スコールっ、足場が悪いからこそ重心を崩さず向かってこいっ。──ウルダっ。スコールとおれの動きを見てから動くんじゃない。遅れてるぞ。お前たちは二人で一対の剣だ。お互いの呼吸を合わせることをまず考えろ。状況に応じて攻守を素早く切り替えて、素早く獲物の首を狩りとれ!」


「「はいっ!」」


 二人はいつもの魔導具ドラグーンをつけていない。地上でブーツを泥だらけにしながらカラヤンに食らいついている。


 カラヤンは婚約者が持ってきた薙刀グレイヴの柄を二〇センチほども斬り落とし、手触りを確認している。鞘をつけたまま右へ左へと攻撃をいなす。


 薙刀の鞘は、この町に来るまでに俺が手慰みで作っておいた。樫の板を削ってニカワで貼りつけたものだが、強度もそれなりにあるはず。うっかり頭に当たれば木刀よりも痛いだろう。


「あれ、弓兵の二人がいない……」

「狼。朝から精が出るのぉ」


 あくび混じりで、おひい様ニフリートが眠そうな顔で近づいてきた。

 それと一体化したメドゥサ会頭が俺のとなりに立つ。


 おひい様は、彼女が肩から吊った布にくるまれて、懐の当たりで頭だけ出していた。前の世界でも若い母親がやっていたのを見たことがある。スリングだったか。


 この二人、たった一晩で本当に仲良しになったな。


「メドゥサさん。ハティヤを知りませんか?」

「カラヤンの命で、ティボルと東の森に入ったよ。なんでも、ハティヤの弓の腕が落ちていたらしくてな。模擬戦を中止して個別集中教練に変えたそうだ」


 しまった。俺の落ち度だ。戦闘はスコールやウルダばかりに任せていた。とにかくあの機動剣士コンビが強いので、俺も頼り切っていたところはある。


 ハティヤも囚われになったり、家族の世話だったりで久しく弓に触れる機会もなかったろう。いつだったか自分だって戦えるんだと軽く拗ねていたが、その焦りを深く考えてあげられなかった。まったく俺の怠慢だ。


「狼。お前は、何もせんのか?」

 おひい様が俺をしげしげと見上げてくる。


「家政長からダンジョン講義を受けます」

「じいがダンジョンのことを話すのか。わしも聞いてみたいのぉ」


「風邪で公務を休んだことになっているのでしょう? カラヤンから聞いてますよ」

「むぅ。そう言えばそういうことになっておった。ますますつまらんのぅ」


 軽くぼやいて一番ぬくぬくとした場所で「ふわぁああ」と幸せそうな大欠伸をする。それだけ見れば、死にひんしているとはとても思えなかった。


 おひい様は今朝から、歩行禁止が家政長から言い渡された。ダンジョン潜行も、そのスリングをティボルが下げて、進むことになっていた。

 もう時間がない。なのに本人だけが緊張感がなかった。

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