第3話 婀娜(あだ)めく龍となるために(3)

 

 カラヤンとティボルの寝室。

 そこに、メドゥサ会頭やウルダを含めたカラヤン隊全員が集まった。


 メドゥサ会頭はカラヤンのベッドに横になり、顔色の悪い様子でダンジョン突入の話を黙って聞いていた。


「それで、カラヤン。そこから生きて戻れる保証はあるのだな?」

「それは……」


「メドゥサさん。ご心配なく。カラヤンさんは連れて行きませんよ」

 俺がさらっと答えると、全員がこちらを見た。


「おい、狼っ。何言ってやがるっ」

「言葉の通りです。所帯持ちがダンジョンに入ると、パーティが生還できる可能性はぐっと下がる。そう、とあるベテラン冒険者サンから聞きましたからね」


「あー、それ。私も聞いたことあるぅ」

「あ、オレもオレも」

 ハティヤとスコールが愉しげに茶化してくる。


 俺は灰髪の少女を見た。

「ウルダは、そのダンジョンに入ったこと、ある?」

「うん」

「マジか。先輩かよ。どんな感じなんだ?」スコールが好奇心を向ける。

「教会? みたいな所だった。ツルツルした壁、高い天井、静か」


「へー、そっか。そんで、その時はなんで入ったんだ」


 ウルダは少し黙ってから、


「父さんの死体を回収するため」

「え゛っ!?」

「もう腐乱してたけど」

「ちょっと、スコールっ」

 ハティヤが長男の腕を肘で小突いた。ウルダは俺を見る。


「いつまでも置いておくと、掃除されてしまうから」

「掃除される?」


 俺が聞き返すと、ウルダはこちらに向き直ってこくりとうなずいた。


「ひと月くらい死体回収できないと、置き去りにした階層から死体がなくなる噂あった。だから、お師匠様にも止められた。でも死体を回収するだけ。罰ないと思った」


 俺は興味深くうなずいて、次にダンジョン経験者に目顔で意見を求めた。

 カラヤンは頭皮をつるりと撫でて、


「聞いたことねえな。普通のダンジョンは白骨になってもそのまま放置だ。ダンジョンが侵入者を掃除するなんてな。その点、ムトゥ殿はなんと言ってる?」


 なにも。とウルダはかぶりを振った。


「お師匠様はダンジョンのことはあまり話してくださらない。あそこに入るたびに何かをくして戻ってくる気がするとおっしゃられて。知るべきではないと」


「ふむ。確かに的を射た感想だな」

 カラヤンは俺を見つめてくる。ダンジョン行きから外されてはなはだ不満のご様子だ。


「どういうつもりだ」

「そんなに入ってみたいんですか。その、〈ナーガルジュナⅩⅢ〉に」

「ふんっ。お前がおれを見くびる日が来るなんてな」


 俺は真摯な目でボスを見て、かぶりを振った。


「あなたを年寄り扱いした覚えはありませんよ。おれ達がダメだった後の切り札になって欲しいんです」


「莫迦野郎っ。ダンジョン攻略は一発必中でやれ。予備だの切り札だの余裕かましてたら、いつまで経っても目的は果たせねぇんだよ」


「おじさん。メドゥサお姉ちゃんのことも考えてあげなよっ」

 ハティヤがたまらず声を尖らせた。


 カラヤンも弱点を突かれて顔をしかめ、自分を見つめてくる婚約者の顔を見て、また押し黙る。

 うん、だめだな。そこで俺はふと思いつきを口にした。


「それじゃあ、勝負しましょうか」

「なに? 勝負だぁ?」

「ええ。明日の朝。ここの裏の広い場所をお借りして、模擬戦をやりましょうか」

「おおっ。海でやったヤツか?」


 スコールが身を乗り出してくる。ウルダと対戦して痣だらけになりながらも楽しかったようだ。


「まあ、そうだけど。形式はアレとは違う。一対四の波状戦をやろう」

「おい、狼。まさか、今更おれの腕を試そうってのか?」


 カラヤンが沽券こけんを傷つけられた様子で顔を歪めた。

 俺は鼻先を左右に振った。


「カラヤン・ゼレズニーをみんなでかかって倒せるか力比べです。カラヤンさんが、無傷でここにいる四人を倒せばダンジョンへ入ってください。

 ウルダを除く三人はメドゥサさんと留守番。その逆なら、カラヤンさんが留守番です。それならいいでしょう?」


「それって、狼が入ってないよな。一人だけズルくね?」

 スコールが久しぶりにやんちゃ時代の不平を口にした。


「だって、ほら。俺は、魔法使い枠だから」

「ずっるーいっ。普段は魔法使いじゃないって散々否定してるくせにぃ!」


 ハティヤまで目をまん丸にして非難した。

 俺は涼しい顔で微笑んだ。


「それじゃあ、ハティヤは〝傷秒平癒〟ヒーリングペイン〝慰毒制毒〟リカバリークリアはもう覚えてるよね?」


「はぅぐっ! それは……まだ、だけど」


 シャラモン神父がハティヤに魔法を教えていたのは知っている。

 彼女が詠唱文の暗記よりも術式発動のマナ加減に手間どっていることも。


「大丈夫。俺、覚えてきたから。ダンジョンでケガしたり毒になったら任せてよ」


 親指を立てて微笑むと、ハティヤは悔しそうに頬をぷっくぷくに膨らませた。


「じゃ、じゃあ鍵開けとかはっ!? できる?」

「できるよ。牢屋の錠前くらいならね。ある事件で覚えたのに無駄になったけどね」


 ビハチ城塞でカラヤンが──以下略。


 どんな知識が必要で不要かなんて、子供の頃はちっとも理解できなかった。

 大人になると社会で何が必要かわかるから、子供の頃以上に必死で勉強せざるを得なくなる。たった、その差なんだけど。


「ハティヤ。まだ料理があるぞ料理……っ」

 スコールが茶化すと、ハティヤがムッと眉を跳ね上げた。

「うっさいなあ。どぅおせ、料理だって狼にかないっこありませんよーだ」


 俺は手を叩いて、傾注を促した。


「はい。会議は終わり。ウルダには、覚えてる分でいいからダンジョンの入口や内部地図を描いてきてくるかな。いいよね」


 灰髪の少女がこくりと頷く。


「各自、明日の模擬戦の準備と、装備品の確認を怠らないように。足りない物はムトゥさんに俺から請求するから言ってよ。

 現場に行って、携帯食料忘れたとか、いきなり武器の手入れ始めるとかしたら、即、帰ってもらうからね」


 はーい。子供たちが応じたところで、解散とした。

 ここからは、大人の時間だ。


  §  §  §



 男三人で蒸留酒を囲む。

 脚の長い円テーブルの上に、紺碧こんぺきのボトルとグラスが三つ。

 そこに硬く固めた処女雪を入れ、琥珀色の液体を注ぐ。


 メドゥサ会頭には厨房からリンゴのすり下ろしたのを持ってきた。リンゴは病人食としても万能選手だ。


「その話、嘘ですよね」

 俺は暖炉の火を眺めながら言った。


「ムトゥ家政長が言うように生態スーツとやらが三着もあるのなら、着回せばいいのです。その補修とやらが必要なら、新しいのを装備している間にダンジョンに入るなり、バッターリヤでも使って補修すればいいわけですから」


「けどなぁ、狼ぃ」ティボルが口を挿む。が、こいつ既にろれつが怪しい。

「あのじいさん、あのスーツがなけりゃあの子が生きていけねーってんだろぉ? なら、一度装備したら脱がすこともできねんじゃねーのかぁ?」


 俺はうなずいた。

「それは俺も考えた。でも、あと三着ってことは、あの子の代わりはあと三人までってことだよな。それがそもそもおかしい話なんだ」


 カラヤンが反省する面持ちで呟いた。

「確かにな。スーツの耐久年数は永くとも十九年。姫さんはまだ九歳。あと十年もある。それなら今、行きずりの旅人をダンジョンに差し向ける必要がない、か」


「はい。今の話を聞く限り、ダンジョンに入る必要がないのです。あくまでカラヤンさんの知りたい情報をいくつか与えておいて、任意行動を誘導しているに過ぎない。

 その一方で、ムトゥさんは何か重要なことを隠しています。まあ、彼の立場上、当たり前なんでしょうけど」


 カラヤンは鼻息して二、三度うなずくとグラスをあおった。

 人畜無害そうな穏やかな翁面の下に、遣り手の為政者の素顔が見え隠れする。それが悪いことだとは言わない。彼にだって守りたい立場はあるだろうし。

 でも、うちのお人好しのボスを利用することは許さない。

 俺の家族を勝手に操ることは、許さない。


 ──コンッ、コンッ。


 ふいのドアのノックで会話が中断された。カラヤンがドアに声をかけた。

「ハティヤか? 開いてるぞ」


 ……コンッ、コンッ。


 いっこうにドアを開ける気配がない。


 ……コンッ、コンッ。


 三人で怪訝を見合わせてから、俺が動いた。ドアを開ける。


「はー、い……?」

 廊下の左右を見回しても、誰もいなかった。


 と、次の瞬間。尻に衝撃があって部屋を押し出された。

 何事かと振り返ったら、もうドアが鼻先で閉まっていた。


 ドアの向こうでティボルが大爆笑している。


(ぐぬぬ……ティボルの仕業かよっ)


 ドアノブを掴んで開けると、一瞬、寝室の風景が変わった気がする。

 ベッドで寝ていたはずのメドゥサ会頭がベッドから出て、木製イスにすわっている。そして、彼女の膝の上には緑色の鱗を持った少女を抱きあげていた。

 なんか二人とも嬉しそう。


「やーい。狼頭が、ひっかかりおったわぁ!」


 してやったりのご満悦で俺に〝腕〟を指す少女には、四肢がなかった。


「えっ!? もしかして、さっきのは、その子が?」

「うん。まあ、子供の悪戯だ。勘弁してやれ」


 苦笑するカラヤンと腹を抱えて笑うティボルは、すでに面識があるらしい。少女の肢体にも驚く様子がなかった。


「それじゃあ彼女が、例の?」

「うん。紹介しよう。この都市の象徴。龍公主ニフリート・アゲマント・スメイだ」


 九歳なのに、四肢がないだけで二歳児に見えるほど小さい。でも元気いっぱいだ。


「……なあ。カラヤン。ちょっと」


 ふとメドゥサ会頭が少女の背中を見ながら言った。

 カラヤンはグラスを持ったまま、婚約者のとなりに寄り添って目線を合わせる。すると、いつもの味付けのりみたいな太い眉がきゅっと緊張した。


「狼。ちょっと来い」


 なぜか俺も呼ばれた。すると呼ばれてないティボルまで一緒に少女に近づいた。

 

「なんじゃ? お前たち」


 不思議そうに見上げてくる少女をよそに、おれ達は彼女の背後を見つめた。

 とっさに、声が出なかった。


 人間の骨格部位で背骨。いわゆる脊髄部分に半円筒形のセルパックがあった。

 セルパックは脊髄に沿って四つに区切られ、うち三つが黒。残りの一つが半分。オレンジを点灯させていた。俺は直感的に絶望を嗅ぎとった。


「あと三着あるんじゃない。これが〝三着目〟なんだ」

 俺は思わず口ずさんでいた。その時だった。 


 突然、ドアが開かれて廊下から狐目の女性が入ってきた。その殺気にニフリートが怯えて身体を翻してメドゥサ会頭にしがみつく。背面のセルパックが露わになった。


「あ、あなた方はっ、見てしまわれたのですね……っ!」


 殺気に敵意を含ませて、女性は少女とメドゥサ会頭に詰め寄る。そこへ絶妙なタイミングで、ティボルが甘ったるい笑顔をたたえて女性の前に壁を作った。


「やあやあ。お美しいお嬢さぁん。そんなに棘を逆立てたらせっかくの美しさがもったいないよお」

「お黙りなさい、酔っ払い! あなた達、どういうつもりでおひい様の背中に触れたのですかっ!?」


(メドゥサさんが抱きしめたとき、背中に触れてこうなったのか。なら……)

 俺は少女の背中をそっと下から上に撫でてみた。


 少女は一瞬、びくんと小さな背中を反らせた直後、セルパックが周囲の緑色の鱗にコーティングされて鱗と一体化する。


「この鱗……、もしかして神経伝達デバイスなのかな?」

 俺の言葉に、狐目の女性はパオの袖から短剣を逆手に抜いた。


「おひい様の秘密を知られたからには、生きて返しませんっ」


「秘密? この程度が?」俺は鼻先で笑った。

「悪いですけど、小物に用はありません。後ろの大物にいろいろ伺いたいものですね。どうして俺たちを騙してまでダンジョンで何をさせたいのかをね」


「ふんっ。そんな手には、のり──」

「カルセドニー。よさぬか」


 ドア口から声がかかって、カルセドニーと呼ばれた狐目の女性は振り返った。


「ご、ご家老──」

 短剣を身構えたまま彼女は白眼を剥く。メドゥサ会頭が首筋に当て身を入れたのだ。

「ふんっ。女のヒステリーほど、手に負えぬものはないな」


「メドゥサさんがそれ言わないでくださいよ……」

 俺はがっくりと肩を落とした。手紙が来ないくらいで、俺は殺されかけたんだが。


「ムトゥ殿。そろそろ真意ワケを訊かせちゃあくれませんか」

 カラヤンがやや声を低くして頼んだ。老人は頷くと、枯身をひるがえした。


「それがしの部屋でお話ししましょう。御内儀には今しばらく、おひい様を預かっていただいて」


「承知した。喜んで!」

 メドゥサ会頭は笑顔でうなずくと、おひい様を抱きしめた。

 ニフリートは声もなく、手足と呼ぶには短すぎる四肢でしがみついていた。


 彼女自身、言葉にしなくてもわかっていたのだ。

 自分の命がもう、幾ばくも許されていないことを。


 カラヤンもティボルも、俺と同じ事を思ったのかどうか。

 ただ、目にあった酔いはとっくの前に消え失せていた。

 

 

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