第2話 婀娜(あだ)めく龍となるために(2)
ホテルのような広い玄関ロビーに、老人が待っていた。
その姿に気づいた時には、すでにウルダは俺を追い越していた。
「お師匠様っ!」
「ウルダ……っ」
灰髪の少女は彼の足下に片膝をつくと、顔を伏せて隠した。
「申し訳ございません。任務を全うすること、叶いませんでした……っ」
老人は少女の髪に手を置くと、やさしく撫でた。
「もうよい。もうよいのだ。大公の目を醒まさせるための計画であった。お前が出て行った後、前宰相は背任の罪で解任となってな。わしは後悔した。わが技を継がせた愛弟子を、あの程度の捨て石などにするのではなかったとな」
「……っ」
「よくぞ帰ってきてくれた。ウルダ。不甲斐ない私を許してくれ」
「お師匠様。……もったいない、お言葉です」
捨て石。エディナ・マンガリッツァ暗殺はやはり玉砕任務だったのだ。差し違え上等。失敗してもこの国に損失が響かぬようになっていたんだろう。
俺はむかっ腹が立った。
「彼女は、ハドリアヌスの海を見て、不帰の覚悟をしたんです……っ」
ウルダが素早く立ち上がって押し留めにきたが、俺は突き進んだ。
「彼女は暗殺が失敗した後、捕まってひどい拷問を受けました。大の大人でも二日も責め続ければ絶命したかも知れない拷問だそうです。それでも何一つ口を割らなかった。彼女に小さな、とても小さな幸運が舞い降りなければ、マンガリッツァ・ファミリーに処刑されていたんですっ」
「
「あなたが〈
喉が犬のように唸った。ウルダが彼の前にひざまずいたのだ、疑いようもない。
老人は穏やかに会釈した。
「オイゲン・ムトゥでござる。ウルダをここまで連れ帰していただき、感謝の言葉もありません」
「ムトゥさん。彼女は今、俺の所有になっています」
俺は挑みかかるように言った。老人の穏やかな表情は変わらなかった。
「マンガリッツァ・ファミリーからの決定事項でそうなったのですが、彼女がこの地にとどまれる期間はそれほど長くはありません」
「
「──ッ!?」
驚いたのは俺以上にウルダだった。目を見開いて、硬直している。
「公国は三〇年。四方を壁で囲み、外界を拒んで参りました。ですが、わが弟子にとっては窮屈な水槽のようなもの。されど、海に放ってやる術が、それがしにはありませんでした。狼どの。なにとぞウルダのこと、よろしくお願いいたします」
頭を下げられて、いつの間にか相手のペースに丸め込まれていることに納得いかなかった。任務を失敗した手駒の厄介払いにしか聞こえなかった。
「お師匠様っ」
「ウルダ……この用術家のもとで、幸せになるのだぞ」
少女は感極まって老人の胸に飛び込んだ。
何いい話にしようとしてんだ、この人。用術家って何だよ。あんなくだらない暗殺劇のために、この子が、俺たちがどれだけ苦しんだと思ってるんだ。
「狼っ」
声に振り返ると、カラヤンが階段の踊り場から顔を出した。
「ちょっと上がって来い」
まだ言い足りないんですっ。俺は衝動的にぷいっと顔を背ける。
「いいから来いっ!」
強い口調で命じられて、悔しいけど階段を昇る。渋々のぼってやる。
カラヤンのそばに行くなり、バフリと頭をはたかれた。
それから首根っこに腕を巻き付けられて、二階まで引き上げられた。
「いつまで済んだ話をこだわってやがんだよ、お前は……っ!」
耳許で小さく説教された。
「あの事件は個人の怨恨じゃねえ。国家とおふくろの政治的な攻防だったんだ。おれやお前がいつまでも腹を立てたって、もうロジェリオの家族は帰ってこねぇんだよ」
「そんな言い方はないでしょうっ? 事件の黒幕に文句を言ってやらなきゃ気が済まないじゃないですかっ」
「だったら、さっきので気がすんだろうが。あの人が実行上の黒幕だ。政治上の黒幕はアスワン帝国太后シャリアだそうだ。そのバアさんの要請に、この都市の執政長が大公に
こいつの
今、その執政長はアスワン帝国との密通がバレて、とうに中央で処罰されていた。だからもう、この件は終いだ」
「それじゃあ。ロジェリオ家族は本当に犬死にじゃないですかっ」
俺の言葉に、カラヤンの眉が跳ね上がった。
「だったら、お前はロジェリオ家族のためにオイゲン・ムトゥを殺すのか? あの人は多くの人々に頼られ、敬意をもたれてるこの都市の良心だ。確かに相当な修羅場もくぐって根っからの善人であるはずもねぇよ。
だがな、あの人が消えて喜ぶやつは、この都市にとって害悪になる連中ばかりなんだよ。だからみんな、あの人にいなくなられちゃ困るんだ」
「でもっ」
「狼、聞き分けろっ。おめぇが納得するしないの問題じゃねぇんだよ。ウルダもまたムトゥ殿を守るために、うちのおふくろを狙ったんだ。
こいつは恨み怨まれの銭仕事じゃねえ。政治闘争だ。死んだロジェリオ達と同じように、ウルダもまた報われない死の犠牲になろうとしてた。だから、おれ達にはもう、あの家族をただ哀れんでやることしかできねぇんだよ」
「だったら、せめてアスワン帝国シャリアを……」
カラヤンは処置なしとばかりにため息をついた。
「そっちはもうおれ達の獲物じゃなくなった。おふくろやモデラートの獲物だ。その意味あいの手紙も出した。ムトゥ殿の証印を借りたから、無検閲でここを出たはずだ」
「くっ……くそっ!」
拳で階段の手すりを叩こうとして、その拳をカラヤンに受け止められた、
「それよりも、これからちょっとこの国で人助けをしねぇか?」
「はいっ? ふざけてるんですかっ!?」
その話の流れで、そのフレーズはおかしいだろう。
俺はまじまじとボスを見た。
カラヤンはニコリともせず、言い直した。
「人の命がかかってる。お前、おれとダンジョンに入る気はねぇか?」
§ § §
話は、俺がまだカラヤン達と合流する前にさかのぼる。
〝
建国は東方暦一〇四五年と記録にある。もっとも、一部の歴史家から東方暦三六〇日が各国でねつ造、改ざんなど
とにかく、それから三二〇年。
ジーベンビュルゲン大公サルコティア・ズメイの名は世襲され、現代十五世。
そして、七つの要塞都市には龍公主と呼ばれる大公の養女なった四人の少女を頂点とする都市同盟が成立。外敵から領土が守られてきた。
アウラール公主(黄金龍)エリダ
アルジンツァン公主(白銀龍)セレブローネ
アラム公主(赤銅龍)カプリル
そして、アゲマント公主(翡翠龍)ニフリート、である。
龍公主には、各都市議会の決定事項に対して承認権と拒否権がある。
また、軍事統帥権が代理執行者付きながら、ある。しかし承認権以外の権利が行使されたことは、この三〇〇年一度もない。
「なぜ、なかったのですか」
カラヤンが上座に訊ねた。
ムトゥは真摯な表情で軽く応じると、
「まず、議会はこれまで龍公主に都市政治を教えてきませんでした。その理由は、有り体に言うと──」
「ワシら公主の寿命が短いからじゃろう」
ニフリートがあっさりと言った。不満そうに唇を尖らせて。
「最長で十九歳と聞いたぞ。のう、じい?」
「はい。誠に……残念ながら」
カラヤンが二の句が継げないでいると、ムトゥが続けた。
「原因は、龍公主が身につけている生態維持スーツ〝
「では、新しい物と交換すれば?」
「ティミショアラに残っておるスーツは、現在三着です。他の公主については各家政長が管理把握しておりますが、似たり寄ったりな状況でしょう」
「ならば、作れば……」
その指摘に、ムトゥはゆるゆると首を振った。
「我ら公国の技術をもってしても、いまだ製造は難しいのです。〝補修〟すれば一〇年は維持できるという話でしたが、そのためには〝バッターリヤ〟なるものが必要なのです」
「バッターリヤ? ……それはどこに?」
「アスワン帝国です。そこのライカン・フェニアという
「そのためにサルコティア大公は、太后シャリアについたのですか」
「大公陛下のご決断は。やむを得ぬ仕儀かと存じます」
四人の龍公主達の延命と引き替えに、自分の母の命を狙った。それはもうカラヤンの中で理解されて消化しきった。
だがその一方で、言い方は悪いが、そうまでして龍公主を延命させる国家の目論見とはなんなのかが気になり始めていた。
「しかし、この外交取引の約束は果たされませんでした」
「原因は、〝ハドリアヌスの魔女〟暗殺失敗ですか?」
ムトゥ家政長は顔を振った。
「三ヶ月ほど前にアスワンから報告が入りましてな。ライカン・フェニアが首都にある自身の魔法工廠から出奔したそうです」
「逃げたぁ?」
カラヤンはすっとん狂な声をあげた。それが魔導砲によるビハチ要塞陥落と前後することを、カラヤンには直感することさえできなかった。
「はい。そこで、我々は独自の延命策を模索することになりました。この案件につき、すでに大公陛下のご裁可もいただいております」
「それは?」
ムトゥはカラヤンを見据えて、言った。
「ダンジョンです。帝国魔法学会が
カラヤンは眉をひそめた。
「帝国魔法学会はともかく、ナーガルジュナⅩⅢとは?」
「ダンジョン本来の名でございます」
カラヤンは目をパチパチとまばたきさた。ムトゥは話を続ける。
「当国が鎖国に踏み切ったのも、このダンジョンからの盗掘防止。〝龍衣〟の国外流出の防止。そして、龍公主不在となる事態が起きた時に外敵からの侵入を防ぐためでございます」
「それでは、龍公主とは一体なんですか」
「この国を守護する〝龍〟でございます」
「では、その〝龍〟とは」
「外敵から威風をもって圧倒する力でございます」
「ならば、外敵とは」
「公国の平穏に仇なす害意のすべてにございます」
カラヤンは困惑した様子で頭皮を掻く。
すると、横からニフリートがいやらしい目を向けてきた。
「どうじゃ。カラヤン。ワケがわからぬであろう」
「そんなに偉そうに言ってていいのか。どうせお前も解っちゃいねぇんだろう」
「まあ、な。百聞は一見にしかずとダンジョンに潜りたいと言うておるのに、じいが認めてくれぬのじゃ」
偉そうにニフリートは言った。自身が短命である恐怖はまだ実感になっていないのだろう。無邪気さが逆に痛々しい。
だが、百聞は一見にしかず。言い得て妙だな。
説明されるより、そのダンジョンを見に行った方が早いかもしれない。
「旦那。まさかダンジョンに潜る気じゃあねーですよね?」
となりからティボルが心配そうに言ってくる。顔色を読まれたか。カラヤンは憮然と肩を落とした。
「ムトゥ殿がこれだけの国家機密をタダで話すわけがねぇからな。強制参加は間違いねえ。断れば、まあ、これだろだな」
言って、カラヤンが首許で手刀を切る。ティボルはうんざりした様子でイスに背中を投げ出した。
「げぇ……てことは、あっしもですかい?」
「まっ、そうなるな」
ティボルは、トホホとため息をついた。が、ニフリートが見つめてくるのがわかると、心配するなと笑顔でうなずいたのだった。
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