第10話 カラヤン虜囚 後編


「フセインには、そうは伝えなかったはずだが」

 ジェヴァト特佐は眉間の溝を深くして、カラヤンを見据える。


「悪いな。魔女から嫌われる回数ならこっちの方が豊富だ」

「魔女から嫌われているのか?」

「好かれているほうが珍しい。さあ、魔女の名前を教えてくれ」


「知ってどうする。お前はここから出られないというのに」


「魔女は神出鬼没だ。どこにもいないし、どこにだって現れる。おれはこの城塞に籠もっている間は、魔女以外から殺されることはないと分かった。

 なら、あとは魔女の名を聞いておけば、どんな攻撃を仕掛けてくるか分かる」


「はっ。本気で言っているのか。魔女がたった一人で城攻めをすると?」


「魔女はいつでも魔界から眷属を借り入れられる。不死の骸骨兵団かもしれない。獣を人の姿に変えた、剛力の人狼かもしれん。はたまた、暗殺に長けたヘビをこの城に放つかもしれんな」


「ずいぶん古い手ばかりだが」

「だが確実だ。おっと、そうだ。特佐、あんた魔女に呪いをかけられていないよな」


「なっ、なんだと?」

「魔女の名前を明かすと、魔女がかけた呪いが話した相手に伝染うつると言われている。呪われているんだったら言ってくれ。聞かなかったことにする」


 その言葉を最後に、二人の間に沈黙が支配した。カラヤンは相手の目を見つめる。

 やがて、


「……アストライア。そう名乗った」

「アストライアっ。なら、星盤はっ?」


「星盤……? 出したかな」

「見たのか?」

「見た? いや、星盤を出した……それ、だけだ」


 尋問者のはずの将官の表情に苦悶が混じりだした。様子がおかしい。


「なら、聞いたのか?」

「いい加減にしろっ。私に一体何を言わせたいんだ」

「これはお前にとって重要なことだぞ。ジェヴァト・ウサイン・イブラヒム。聞いたのか。聞いたのなら、何を聞いた。思い出してくれ。こちらから誘導はできない」


「……ッ!?」


 ジェヴァト特佐はカラヤンの真摯な眼差しに気圧されたように押し黙ると、肘を持って考えこんだ。だがやがて、首を振った。


。何の音か分からない。星盤の上で何か跳ねたように記憶しているが」

「いくつ跳ねた」

「いくつ……三つか四つくらいだと……。ばかな。なぜ私は、?」


 ジェヴァト特佐の表情に動揺がにじみ始めた。

 カラヤンの見つめる眼差しが鋭くなる。


「ジェヴァト特佐。こっちを見ろ。俺を見るんだ。魔女は〝おれを殺せ〟と言ったんだな?」


「っ!? ああ、そうだ。〝帝国の繁栄を願うなら〟。と。だが音の数がどう関係している?」


「魔術の類いだ。知らない方が身のためだ。──狼。このことをシャラモンに報せろ。おれ達の命運は二〇日以内に決まる」


 嫌だ。あなたから離れるなんて無理だ。俺は顔を振って拒否を叫びかけた。

 だがそれを訴える前に口吻マズルを掴まれた。


「こいつは頼みじゃない。命令だ。おれだってこんな所で死にたかねえ。メドゥサを連れて町へ戻れっ。そして、シャラモン達と次善策を考えろ」


 口吻を放されると、カラヤンに胸をどんと押し出された。

 その勢いのままへたへたと後退った後、俺は廊下へ走った。


 馬車の周りには兵士が数人、革袋を手に集まっていた。

 金の音を鳴らして「何か売れ」というサインらしい。


 俺は呪文のようにジェヴァト特佐の名前を唱えながら、彼らを押しのけて御者台に上がる。手綱をあおって馬を動かして門の前に行くと、憎しみを込めて彼の名前を叫び続けた。


「ジェヴァト・ウサイン・イブラヒム! ジェヴァト・ウサイン・イブラヒム! ジェヴァト・ウサイン・イブラヒム!」


 門が開いた。二頭立ての馬車は火でもついたかのようにビハチ城塞を飛び出した。


「おい。カラヤンは?」

 幌カーテンをはねのけて、メドゥサ会頭が覆面をしたまま顔を出してきた。


「捕まりました。これからセニに戻って、シャラモン神父と対策を取ります」

「なにっ? 何の容疑だ」


「容疑じゃありません。ここの城塞を守っている司令官が、〝ハドリアヌス海の海虎〟を倒したムラダー・ボレスラフの顔を覚えていたんです。自分の部下になれと迫られました」


「〝ハドリアヌス海の海虎〟っ!? 三年前のあれか……それで、カラヤンは」


「拒んで、今ごろ牢屋に入っていると思います。俺とあなたはセニに戻ってシャラモン神父と次善策を練るよう、カラヤンさんから命じられました。この件、魔女が絡んでいます」


「魔女っ?」

「アストライアという魔女だそうです」


「すまん。魔女の知識はない」

 さもありなんだ。俺は頷いた。


「俺は、シャラモン神父から〝金色の林檎会〟という魔女のコミニティの中に、その名前があったと記憶しています。魔女アストライアは、あの城の司令官に『アスワン帝国の繁栄を願うのなら、ムラダー・ボレスラフを殺せ』と言ったそうです」


「それじゃあ。今ごろはもう……っ!?」

 俺は強くかぶりを振った。


「いいえ。アスワン司令官はムラダー・ボレスラフが刑死したことになったのを奇貨として、無名剣士カラヤン・ゼレズニーを部下に欲しています。

 またアスワン帝国にとっても、魔女アルサリアによって帝国帝王を三代にわたって籠絡された苦い経験は彼らの骨身に染みこんでもいるようです。魔女の予言など聞く耳を持っていません。だから、カラヤンさんもそこに賭けているのだと思います」


「すまない。つまり、どういうことだ?」

「カラヤンさんは、俺に言ったのです」


『──狼。このことをシャラモンに報せろ。おれ達の命運は二〇日以内に決まる』


「二〇日……っ!?」


「はい。その間に何か起きるのです。おそらく、星盤に跳ねたのは、星占術に使われる賽の音だった。それが三つ。賽は六面だとすれば最大で十八。だからカラヤンさんは二〇日以内とざっくり期限を切ったわけです」


「アスワンと戦うのか」

「魔女と戦うんですっ!」俺は苛立った声を上げた。


「狼……っ」

「すみません。俺、怖いんですっ」


 いい歳をした男が、鼻水をすすって恐怖に声を震わせている。

 情けないが、誰でもいいから聞いてもらわないと、しゃべっていないと発狂しそうだった。


「このままカラヤンさんを失ったら、俺はこの世界で本当の独りぼっちになってしまうのです。もう誰も頼れる人がいなくなる。だからカラヤン・ゼレズニーは絶対に失わせない。殺させない。アスワン帝国を滅ぼしても、カラヤンさんを取り返します」


「できるのか。帝国を滅ぼすことなんて」

「カラヤンさんの存在は、俺にとって一国じゃ足りないかもしれません」


 父親、兄。家族とも違う、掛け替えのない人。この人について行けば、自分は安心なんだと信じさせてくれる。

 歴史はそういう人物を「英雄」と言ったが、本人が聞いたら心底嫌がるだろう。


 しばらく夜を走っていると明かりが見えてきた。ツァジンの町だ。


 昨日は、この宵を過ぎたら明かりはすっかりなくなっていたのに、今日は町の中央広場──噴水もない人工池っぽい何かがあるだけだが──に、松明たいまつを掲げた男女が手に農具を持って集まっていた。


 集団の外にいた男性が一人、俺たちの馬車に気づいて松明を振り回しながら近づいてきた。


「おーい。〈ヤドカリニヤ商会〉が戻ってきたどーっ!」 


 町に馬車を入れると、あっという間に町衆に取り囲まれた。炎の明るさに眼を細める。


「皆さん。一体どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたも、あるもんかよっ」

「お前たちがあいつらに連れ攫われっちまったからよっ」


「そりゃあもう、あたし達も心配でさあ」


 頼むから誰か代表して事情を話してほしいんだが。

「私たちはカラヤンの身柄と引き替えに解放されました」

「あの丸ハゲさんかいっ?」


 ひどい呼ばれ方もあったもんだ。俺は頷いた。トマト投げの件もある。彼らの同情を買えるだけ買おう。何かの役に立つかもしれない。


「皆さん。訊いてください。実は、彼は以前からアスワン軍に目をつけられていた、シュコダ王国で活躍した傭兵だったのです」


「な、なんだってーっ!」


 うん、俺も自分で言っててびっくりだよ。


「今回、暗愚な国王の制止を振り切り、〈ヤドカリニヤ商会〉の手代に身をやつして、カーロヴァック戦役に参加するつもりでした。

 しかし、カーロヴァック要塞に近づくあと一歩というところで敵将に捕捉され、捕まってしまいました。私と主人は彼の尽力によって解放されたのです」


 おおおぅ……っ。と海外ドラマの観客のような感嘆が漏れた。


  §  §  §


 俺は、人生初の即興演説を続けた。


「彼は救国の剣士です。皆様が丹精こめて育てた羊や野菜、食糧を奪っていく山賊まがいの兵隊ではありませんっ。

 それは〈ヤドカリニヤ商会〉が保証いたします。どうか皆さんの力で、彼を牢獄の難から救ってやっていただけないでしょうか」


 馬車を取り囲む松明の熱がやおら温度を上げたように感じられた。


「そしたら、今から城へ乗り込むか!」

「おおっ!」


「そうでは、ありません! ですが、私に名案がございます!」


 俺は声を張りあげて叱り、血気に逸る彼らに冷や水を浴びせた。

 土一揆みたく衝動に任せて無統制に乗りこんで行ったって、学生デモ以上の効果はないんだ。城壁に阻まれて体よく追い払われるだけだ。


「今朝。この町の長どのより、アスワン軍がカーロヴァック要塞攻略のための攻城兵器を本国からこの町を通過して運ばれるという噂を聞きました」


 町衆は互いの顔を見合わせて、ざわざわと騒ぎ合った。


「こうじょうへいき? なんだそれ」

「ああ。例の〝キャノン〟ってのか。アスワンはそれ使って城壁をぶっ壊すって」

「ああ、中に妖精だかなんだか魔物を詰め込んでるんだろう?」


 なん、だと……妖精?


「そちらのお嬢さま。今の話、本当ですか?」


 俺に見つめられた中年のおばさんは、急におたおたと居心地悪そうに身じろぎした。


「あら、お嬢様だなんて。そんな……っ。なんかさ、そういう話らしいよ。誰から聞いたのかはもう憶えてないんだけどさ」


「わかりました。大変結構。耳寄りな情報でした。感謝いたします」

 俺は調子に乗って、御者台の上で胸に手を置いてぺこりとお辞儀した。


「さて、皆さんにお願いしたいのは、その〝キャノン〟のことなのです」

 ええっ? 観衆が後退りして、静まり返った。


「皆様におかれましては、その兵器の破壊をお願いするわけではございません。ご安心いただきますよう」


「……」彼らはお互いの怪訝顔を見合わせていた。


「私のお願いとは、その〝キャノン〟がいつ、ビハチ要塞に運び込まれるか。その時期を報せていただきたく存じます」


「要するに、運び込まれたら報せればいいんだな?」

「左様でございます。ただし、期日は一〇日。その間に連絡をセニの町にまでいただきたいのです」


「そうすると、どうなるんだ?」

「わたくしがその〝キャノン〟を使って城壁を打ち壊し、見事、救国の剣士カラヤン・ゼレズニーを救い出してまいる所存っ」


 おおっ! まるで観劇の舞台中央に立ったような歓声を浴びた。ここでちょっとエサもチラ見せて、彼らの本気を引き出さんとほっす。


「なお、その情報提供の報酬といたしまして、〝キャノン〟の所在を報せていただきました暁には、この町の皆様だけ特別に塩一〇オンス=五ソルダで販売させていただきます」


「狼どのっ。一体何を言っているんだっ!」


 さすがに幌カーテンの奥からメドゥサ会頭が出てきて、背後から俺の首に腕を回すなり締めあげた。俺は続けた。


「ご主人っ。ご主人の伴侶とならんとする剣士の身命奪還と思えばこそ。一〇オンスの塩特売など、祝言の振る舞い酒と同じではありませんか。ねえ、皆さん!」


 俺の悪ノリで、町のみんなもあっさり察して、拍手喝采をあげた。


「お前っ。あたしはまだ何も……って、どうするのだ。この空気をっ!」

「俺は手段を選びませんよ。選んでいる場合じゃないですからね」  


「だが、今のはやりすぎだっ。あたしとカラヤンはまだ、そんな関係では……っ」


 気にしてるのは、塩の特売じゃなくて祝言のほうだった。この人もさっさと堕としておこう。


「でも──、カラヤンさんから、言質はもらってましたよね?」

「はうっ!?」


 松明に囲まれる中でも、メドゥサ会頭の顔がはっきりと熱をもった。


『うるせぇ! お前は今から、おれの女房だ。いいなっ』


「俺を味方につけておくと、あとあと有利なのでは~ぁ?」

「ううっ。くっ……このペテン狼めっ!」


 吐き捨てると、俺の後頭部を張り飛ばして、幌カーテンの中に引っ込んでしまった。ててて……ふっ、チョロいな。

 メドゥサ会頭は手にそれを持って現れた。


「ここに〈ヤドカリニヤ商会〉専用の鳩がある。〝キャノン〟発見の一報は、これで頼む。我々はいったんセニに戻り、人手を集め、これからの作戦を練ってくる。それまでにどうか、彼を助けるための尽力をお願いしたい。この通りだ」


 メドゥサ会頭が日本人のように頭を下げたので、町衆は歓声をあげて応じた。


 世界は違っても、人の形をしている以上、心の根本は変わらないらしい。

 助けて──。その声を上げれば、ひと肌脱ごうと思ってくれる人たちは必ずいる。

 戦争がどの世界でもなくならないように、誰かを助けてあげたい気持ちもなくならない。

 それは、これから先も異世界ここで俺が生きていく上で、忘れてはならないことだろう。



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