第50話 狂紳士グラーデン


 暴食の嵐が過ぎ去った。

 双方の子供たちが食事を終えて、わいわい言いながら厨房で皿を洗っている。料理が美味しいと仲良くなるのも早いものだ。


 おとな達はチキン南蛮をさかなにして、酒を飲む。


「なんで、このメシにおれ達が呼ばれてなかったんだよっ」


 食事が終わりかけた頃に現れたゼレズニー夫妻。カラヤンが揚げ鶏を一切れ口に入れるなり、恨みがましい目で俺にからむ。


「カラヤンさん達はヤドカリニヤ家の料理があるでしょう。そちらの料理人の名誉にかけて呼ばなかったんですよぉ」


 俺はこの世界に即した、しごく真っ当な身分的配慮を主張した。


「カラヤン。このソース……めちゃくちゃ美味いぞ。こんなソース食べたことがない」


 メドゥサ会頭がタルタルソースを指で舐めて、そのまま口惜しそうに俺を見る。


「狼。おれのいないところで知識をひけらかすなと言ったろっ」

「いやいやいや、料理くらい自由にひらめいたっていいじゃないですか」


 俺も心外とばかりに抗弁する。


「狼どの。よもやこのソース、〝なぞなぞ姉妹亭〟の独占ではないだろうな」

「ふっ、ふふっ。契約の提案がひと足遅かったようだな。メドゥサ」


 酒が入ってるせいかペルリカ先生が悪戯あくぎ的なことを言う。メドゥサ会頭はテキメンに指をくわえたまま萎れてしまった。


 イジメ、ダメ絶対。ただでさえ根が真面目なのに、自分の商才のなさにコンプレックス持ってるんだからやめたげてよ。


 俺は肩を落として訂正する。


「そのドレッシングは、保存に問題があるので商品化が難しいのです。なので、当面はヤドカリニヤ商会に商品登録し、後日このレシピだけを一般販売する予定です」


「レシピを売る? そんなので儲けになるのか」

 メドゥサ会頭は少し嬉しそうに、しかし困惑気味に言う。


 するとペルリカ先生は盛大なため息をついた。


「なあ、狼。メドゥサはもしかして商家会頭として鈍いのではないか?」

「先生っ。それ以上はいけませんっ」


 俺が慌てて押し留めた。これだけでメドゥサ会頭は目をうるうるさせて「泣くぞ泣くぞ」と俺を見つめる。もう泣き上戸ってことにしておこうかな。


 酒の席で会議なんか二度とやらない。俺は無理やり話を変える。


「そろそろ本題に入りましょう。カラヤンさん。例の物をお願いします」


 カラヤンは頷き、手から木札がほうられる。

 木札はテーブルを滑って、ペルリカ先生の前で止まった。眼帯の魔女はそれをとなりのライカン・フェニアに渡して読み上げさせた。


[ムラダー・ボレスラフとその相棒に告ぐ

 生存を当局に知られたくなければ、石けんを作ったという

 狼の頭を持つ魔人を捜し出せ。例の看板もその者の入れ

 知恵だとすでに判明している。

 見つけ次第、カーロヴァックに連行せよ


                 ミュンヒハウゼン家証印]


「フェニア。証印はミュンヒハウゼンのもので間違いないか」

「おそらくのぅ。しかし、ムラダー・ボレスラフとは誰のことかや?」


「おれだよ」カラヤンが憮然と言う。


其許そこもと、身代わりを斬首台に送って死んだことにしたのかや? 案外ひどいヤツじゃな」


「そのそしりは甘んじて受けよう。意図的に身代わりを仕立てたわけじゃあねえがな。

 成り行きでおれに風体がよく似た部下が、おれを殺そうとして狼たちの返り討ちに遭った。その逃げた先で馬車強盗をやらかしたが失敗。首だけ残った。それを有効利用させてもらったのさ」


「その彼が襲撃したのが、私の馬車でしてね」シャラモン神父が飄々と言葉を継いだ。

「身代わり首殿は、私の馬車を襲ったばかりか、乗っていた子供たちにも危害を及ぼそうとしたので、正当防衛として処断しました」


「子供は宝ですからね。なら仕方ないですね」

 俺が間髪入れず、もっともらしく肯定する。博士に現代倫理まで持ち出されたら、本題からもっと脱線していきかねない。


 カラヤンが眼帯の美女を見る。


「それより、ペルリカ。ミュンヒハウゼン侯爵のことを前から知ってたそうだな。なぜ言わなかった」


「訊かれなかったからだよ。あと、彼とその家族は妾の患者でもある。もう五、六〇年の交誼になるか。妾の客の中でも上客だよ」


「なら、帝国魔法学会に襲われる直前とその後。ミュンヒハウゼンの陣営と接触したな。その辺の事情を訊かせてもらえるか」


「断る」ペルリカ先生は短く応じた。「妾も薬師として患者の持病を広言するわけにはいかんな。ただ、名刺の内容からして大体の察しはつく」


「察しがつく? 何をだ」


「お前たちが本人と会って訊ねれば解決できる、ということだ。妾からはそれ以上何も言えんよ。それが薬師としての患者に対する信義というヤツだ。そもそも……」


「ん?」


「そもそも。お前の相棒が狼男だということを、グラーデン侯が把握していなかったのは、何故だと思う?」


 確かに、石けんや難民をカーロヴァックへ仕向ける立て看板を作ったのが狼頭の魔人で、カラヤンの相棒が狼の頭をしてるとはまったく把握してない文面だ。


「……ん、情報の出所が違う?」


 カラヤンの指摘に、ペルリカ先生は静謐な面持ちでうなずいた。


「ご明察だ。ならば、彼は一体誰からその情報を得た。狼はいつ、グラーデン侯によって魔人と見なされるようになった。さあ、狼。身に覚えがあるのではないか?」


 身に覚えと言われても、こっちは侯爵本人を知らないしな。俺は首を傾げた。

 そこへ、厨房からコーヒーの香りが漂ってきた。ハティヤがティーセットをミールワゴンに乗せてやってきた。


「狼。大司教ジョルジュ・セオドア・バイデルじゃない」


「ええっ。あー……あのでたらめ邪教芝居か」

 思い出すと、ハティヤは笑顔を浮かべてコーヒーカップを俺の前に置いた。


「太陽神ラーメンだっけ。大司教、本気で怖がってたんだから」

「おい、そりゃ何の話だ?」

 カラヤンが怪訝そうに片眉を引き上げた。


 俺は、カーロヴァック市内教区大聖堂において、大司教によって監禁されていたハティヤら八人の少女達を救出した後、彼女たちに復讐をさせるために大司教執務室に押しかけたことを説明した。


 彼女たちによる杖打ち。そして俺が望遠鏡のレンズで大司教のうなじを焼いたことを話した。


「かの大司教に、なんという蛮行を」

 と嘆いたのは、信仰心の篤いメドゥサ会頭だった。


 大司教の子分であるはずのシャラモン神父は涼しげに長女からミルクティを注いでもらっていた。

 彼にとって、わが子の命を救った蛮行は、老いさらばえた組織的権威よりも尊いのだ。

 カラヤンはワイングラス片手に、頬杖をついた。


「ふぅん。要するに、大司教がお前を邪教崇拝の魔人だと喩えた話を聞いたんで、それをそのままここに書いただけか」


「おそらく、そういうことだと思います。……ということは、ですよ」

 俺はヤドカリニヤ家でのたうち回ったことを恥ずかしくなりながら、


「邪教崇拝の魔人と手を結んでも、俺の知恵を頼ろうとしているんじゃないか、と」


「なるほどな。確かにそういう文面にも読めてくるか。だがな、おれの生存をネタに脅しつつ、連行しろとは随分な高みから物申したもんじゃねぇか」


 カラヤンとしても見ず知らずの貴族から居丈高に脛の傷に触れられては、反骨の虫が騒ぐらしい。俺も大いに同意して首を縦に振る。


「なあ、ペルリカ」

「さっきも言ったぞ。妾からは何も言えない。本人から聞くのだな」


「ちっ。言ったのか言えないのかどっちだよ。──おい、そこの客人」


 えっ。俺たちはカラヤンの目線を追って顔を向けた。

 海の見える窓際の席にいなご豆コーヒーカップと厚焼きパンケーキの皿。しかし客の姿は見えない。元は居酒屋だ。灯明はある。


 それでも真っ黒い帽子と外套が、黄昏たそがれと同化していてまったく気づかなかった。臭いも食べ物の匂いが邪魔して不如意。ここが魔法使いの店だからと油断していた。


「最初から直接来るんだったら、こいつは回りくどいんじゃねえのか?」


「それは二日前にしたためた物だ」声低っ。

「しかし、この町は良いな。特にここからの海の眺めが気に入った」


「もう夜だ。何も見えやしねえよ」

 カラヤンが手厳しく相手の誤魔化しを一蹴した。


「ウソでしょ? あの人がそうなの?」

 俺が言おうとしたセリフをハティヤが困惑した声で洩らした。


 カラヤンが面倒くさそうに頭皮を掻いて、


「そこからじゃ話が遠い。コーヒーと菓子だけじゃ腹も減っただろ。こっちに来て事情を話せよ。爺さん」


 老人なのか。声の張りはカラヤンと遜色ない。もしかして、この人……。

 黒ずくめの人物は席を立つとこちらにやってきた。身長はカラヤンとほぼ変わらない一八〇センチ超。首の細さから痩ぎす。だが足取りは若者に引けを取らない活力のリズムがあった。


 俺はとっさに席を立ってハティヤの肩を持ち、テーブルを回り込んでシャラモン神父のそばまで下がった。


「そう警戒するな、魔人よ」


 言いつつ、俺の席だったイスに黒ずくめの痩身が座る。割と図々しい。


「改めて自己紹介してもらおうか。あと帽子は取ってくれ」


 カラヤンの指示に、黒ずくめの帽子を取った。ふぁさりとあの白い長髪が肩に触れた。


「グラーデン・ミュンヒハウゼンだ」爵位は名乗らなかった。


「おれはカラヤン・ゼレズニー。こっちは妻のメドゥサ。その隣がレイ・シャラモン神父だ。あんたのとなりのペルリカは知ってるな。反対隣がアスワンで学士だったライカン・フェニア」


「そちらのお嬢さんは? かつて私の知っている帝国の亡き皇室令嬢によく似ておるな」


 とたん、カラヤンとシャラモン神父の目がギラリと鈍く光った。


「そうかい。シャラモン神父の娘で、ハティヤだ。だがこの場での挨拶は必要ないな。──ハティヤ、厨房へ下がっていろ」


 命令口調のカラヤンに、ハティヤは一礼してミールワゴンを押して厨房へ消えた。


「ゼレズニー。なぜ、彼女だけぞんざいに扱う?」


「今までずっと、あそこでおれ達が話してた内容は聞いてたんだろう? あの娘はまだ腹芸ができる歳じゃあねぇのさ」


「ふむ……。それで、これは何かな?」

「あん? ……鶏のフライだが」


 カラヤンが答えるなり、グラーデンは自前のナイフを抜いて肉を突き刺すと一口で食べた。カラヤンと同じ食べ方。この世界のおっさんたちはフォークを使わない。


「ほぅ……玉子の甘みと玉ねぎとピクルスの酸味が小気味よい。このソース。レシピを売るのだったな。いつだ?」

 しっかり聞いてたよ。この人。カラヤンも呆れた様子で酒をあおる。


「それで。用件を言ってくれ。こっちもいろいろ忙しくてな」


「ヤドカリニヤ君の延命に動いているそうだな。だがあれは肝の臓をやっている。最早、助かるまいな」


 無神経だ。メドゥサ会頭の顔色がサッと変わる。カラヤンは動じなかった。


「ああ。だからそれを、どうにかしようと今やってる最中だ。おたくの言う魔人の手を借りてな」


 グラーデンが俺を見る。眼光の鋭さまでロギが描いた似顔絵そっくりだった。


「なあ、魔人よ。お前の知恵で、ある人物を救って欲しいのだ。救ってくれれば、お前の望む物を差しだそう」


 そういうことなら、俺じゃなく悪魔にでも言ってくれ。冗談にしたい。


「望むという物とは、たとえば、国一つ。と言ったら、くれますか?」

「ああ、いいとも。こんな狭い、岩ばかりで麦もろくに育たぬ国でよければ、な」


 だめだ、この人。すでに正気じゃない。俺は困惑の視線をカラヤンに向けた。


「うん? 私がイカれていると思っているのか。ふふ、私が狂っているのは昨日今日のことではないぞ。些末な事だ。さあ、できるのか。できないのか」


「できる病とできない病があります」

「そこの薬師には、手遅れだと言われた」

「なら、そうなのでしょう」


 せつな、俺の胸倉をグラーデンに掴まれ、背後の壁に押しつけられた。握っていたナイフが俺の首へ蛇を這わせるようにあてがわれる。鶏の油で汚れた切っ先が生臭い。

 嘘だろ。いつイスから立ち上がった。いつテーブルを越えてきた。


(く、そっ……やっぱり、この人──魔法使いかっ!?)


「おい、ジジイ。そいつにキズ一つでも付けてみろ。五体バラして樽に詰めて、海に沈めるからな」


 カラヤンの本気の恫喝だった。ちょっと嬉しい。理性の決壊線寸前で踏みとどまる。


「魔人よ。できると言え」

「お、同じことを言います。できる病とできない病があります。その人物は、ペルリカ先生になんという病だと診断されましたか」


 グラーデンは狂気で血走った眼で、俺を見つめたまま言った。


「……〝脚気かっけ〟だそうだ」

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