第22話 動乱の中を行く(20)


 魔法陣に点在する灯火の中で、店の前にあった赤い灯火が一つ消滅する。

 すると残りの五体が西へ動いた。二つの緑色の灯火は店の前から動かない。


「おや。表の囲みが動いたな」


 魔法陣を眺めていたペルリカが怪訝そうに言った。

 印を結んだまま窓の外を眺めていたシャラモン神父が、ため息交じりに肩を落とした。


「うちの子です。自分よりも二回りも大きな相手を、回し蹴りというんですか。見事にこめかみに入っちゃってました。あまりにも鮮やかだったせいで、見ていた周りの暴徒がおののいて逃走を始めています」


「なるほど。他の暴徒はボーッと見ていたのか」

師匠せんせい?」


「すまん。あまりの気詰まりで、つい言ってみた。表の連中がそれで戦意喪失して退いたのは大きい。これで敵の囲みは残り八。ルシアンもよくやっているようだ」


 そこへ入店のドアベルが鳴った。少年が少女を連れて入ってくる。


「ちーっす。あれ、先生も面接?」

 飄々と入ってきた長男を見て、シャラモンは大きなため息をついた。


「ここから見ていましたよ。スコール」

「マジで? オレなんかやっちゃったかなあ」


 ちっとも悪びれない。シャラモン神父も微笑するだけで、あえて褒めなかった。

 少年は守りたい者を守れる道を得たようだ。なら、親はわが子がその道を踏み外さないよう眺める。それだけになりつつあることが少しだけ寂しかった。


「そのやっちゃったついでに、上の三人も頼みますよ。いつまでも刃物を持って窓に貼りつかれると、二階の子供たちに悪影響です」


「へーい。──ペルリカ先生。ここから道具借りていいですか?」

 砕けた調子でことわってから、スコールは厨房へ入っていく。


「武器になるような物は、包丁くらいしか置いてないと思うが?」


「いやいや。ああいう屋根みたいな所だと、刃物対刃物は逆にやりづらいんっすよ。じゃあ、お玉で。借りときますね」


 そう言って、スコールはそのまま厨房の勝手口から出て行った。


「レイ。お前の息子。なんというか、成長したな」


「ええ。きっとカラヤンさんの厳しい薫陶と良き仲間を得て、狼さんから温かい引き立てがあったことで自信になったのでしょうね」


「そろそろ士官学校か?」


「この情勢ではなんとも。まだ本人からもその手の希望を聞いていません。実は公国の家政長オイゲン・ムトゥ殿から、公都の用兵学校に入れてみないかという打診を戴いていました」


「ふむ。七城塞公国か。それでどうした」

「スコールと話し合う前に、ご本人が不帰の病にかかられたようです。この話は自然消滅とみてよいと思います」


「そうか。そういえば、狼は今、その人物亡き後の跡目争いの渦中にあるのではないか?」


「ええ。ライカン・フェニアを連れて帰るだけだからと仰ってましたが、オイゲン・ムトゥ殿の逝去と重なって面倒なことに巻き込まれていなければ良いのですが」


「あの~ぉ」

 フレイヤが恐るおそる魔法使い二人に声をかけた。


「今日、わたし、こちらの面接を受けにきたんですけど」

「フレイヤがですか? ──師匠」


「う、うん。忘れておらぬぞ。忘れていないのだが、その。あれだ。面接時間なのだが、すまん。今は文字通りに、手が放せなくてな」


「はあ……わかります」


 魔法陣を眺めながら途方に暮れる少女に、さしものペルリカもどうしたものかと狼狽うろたえた。自分が魔法使いだと知られるのを、今さらながらに避けたかったのだ。


「うっ。うーん。当店は給仕と厨房の担当があるのだが」

「えぇと。それなら、厨房でお願いします」

「おお、そうか。それは、ヴェルビティカが喜ぶな。客層も増えて、助手を欲しがっていたのだ」


(この情況で面接するんだ……)

 図らずもシャラモン神父と執事ノルバートの内心が一致した。


「それでしたら、ペルリカ先生。卒爾そつじながら」

 ノルバートがうやうやしく一歩前に出る。

「皆さんにお茶を振る舞う試験などいかがでしょうか。わたくしが監督致しますので」


「おっ。おお、それは実に理に適った良い試験科目だな。──フレイヤ。それで良いかな」

「はい」


「では、こちらに」

 ノルバートの案内でフレイヤは袖をまくりながら、厨房に入っていく。

 

「ふぅ。……ルシアン。スコール。早く殲滅してくれ~ぃ。こんな非生産活動は耐えられ~ん」


 後日。

〝なぞなぞ姉妹亭〟の子供たちの間で、厨房からお玉を持って出てチャンバラをするのがブームになり、二人の女主人を困惑させることになるのだった。


   §  §  §


 男が二人、西の城門を出た。

 城門から遠く二人が見えなくなるくらいの頃、カラヤンは門番に声をかけた。


「ようっ。暇そうだな」

「ああ、カラヤンの旦那。ヒマなのが門番の仕事ですよ」

 門番ものんびり応じる。


「城壁はもう崩れなさそうか」

「ええ。城壁の南階段はなくなってしまいましたが、上に乗っても大丈夫なようです」


「そうかい。ところで、さっきの二人。マルセルだったか」

「マルセル? ああ、ですね。粉屋とカルヴァツ工房のガラス吹きです。ハッセだったかな」


 門番はヒマそうでいて、よく見ている。


「あいつら仲いいのか。初めて見る取り合わせだと思ったがな」

「いや、俺は酒場でつるんでたの見たことありますよ。五人くらいで呑んでましたね」


「ほぉ。そうなのか。他の三人の顔も知ってる顔だったか」

「ええ。まあ。……どうかしたんです?」


「まあな。ここだけの話、ペルリカ先生んとこのツケの回収にな」

 誰のツケとは言わない。アドリブとハッタリは盗賊の常だ。


「えっ。マジですかい?」

「マルセルは確か所帯持ちだったろ。だから妙な連中とつるんでるんじゃねえかと思ったんだがな。ハッセなら大丈夫そうか?」


 カラヤンは先を促すように見つめる。門番兵は肩をすくめた。


「まあ、大丈夫でしょ。あとはベクタとハトって同じ工房のガラス吹きだし。ああ、あと。旦那んとこのティボルなんかもつるんで呑んでましたね」


「あいつとっ?」 

 カラヤンは思わずすっとん狂な声をあげた。


「ええ。そんな驚くことですかい?」

 門番は、意外そうな顔をした。カラヤンはゆるゆると顔を振った。


「そりゃあな。ティボルがそいつらと同郷とは知らなかった」

「マルセルはここの生まれですけど、ガラス吹き連中は、そうみたいですね」


 狼からの事情聴取と、ライカン・フェニア暗殺の現場調書を見せてもらった限り、追っ手五人のうち一人だけ未確認の空白人物がいるのは気づいていた。狼が五人を追って、逆に彼らから取り押さえられた。そのうちの一人。これが誰か、全くの不明だった。

 監視役が男女二人なのもオイゲン・ムトゥの周到な性格を考えればすぐにわかる。


 よって、暗殺側にとっての排除対象は二人。


 ここ西城門は、城壁沿いの南北路と東大通りの三つのみちがある。


 襲撃進路は南と東の二方向から進められた。五人でするなら、本隊と陽動。その中に監視役の注意を散らすために城壁から弓の援護。カラヤンはそんな策を描いた。


 その援護役がまさか、ティボルだとは思ってなかった。

 だがティボルの弓の腕なら誘われるのも頷ける。

 しかし、この町であの男の歌声よりも弓を知っている人間は、ごく限られている。


 狼が邪魔しなければ、暗殺対象のライカン・フェニアをのぞけば、死体は監視役の二つですんだ。だが、三つ。監視役二人と、北へ逃れようとした誰か。


「ティボル……。お前、なんであんな連中に手を貸したんだ」

 城門を出て、カラヤンは小さく呟いた。


  §  §  §


「そこでお客様の右に立ち、背筋は真っ直ぐ。そして、一礼。スプーンはお客様から見てカップの奥。砂糖の薬包は手前に……そうです。食器の音をさせてはいけません」


 面接試験なのに、マナー指導もはいる。しかも現役執事からの直接指導である。


「よし。敵影全消滅。──シャラモン、魔法を解いてよいぞ。……ふぅ、無駄に疲れた」


 独りごちて、ペルリカは供されたカップを手に取り、香りを楽しむ。


「ふむ。茶葉はリンダージか。良い香りだ。……まったく、慰められるよ」


「それでは、フレイヤさん。一礼ののち、神父様にも提供をいたしましょうか」

「はい」

 ノルバートに促され、フレイヤがぺこりと頭を下げると、養父のほうへミールワゴンを押していく。 


師匠せんせい。カラヤンさんはどうなりました」

 シャラモン神父が席に座って訊ねた。


「二人を追って城門を出たよ。黒幕との接触を期待してな」


「片腕の男の傷薬をもらいにリエカの病院まで行ったのではありませんか?」


「四肢の外傷欠損というのは一般薬で血止めになればよいほうだ。おまけに地獄のような疼痛とうつうは長期間続き、薬でも消すことは難しい。それこそ治癒魔法でも使わぬ限りはな」


「でしたら、師匠はスミリヴァルさんの手術の際に、痛み止めを開発されたのではありませんでしたか」


「それこそ、おかしな話だな。手術自体も町衆に公言してこなかったのだ。いつの間にか手術が噂として広がっても、その中でわたしの沈痛薬が彼らの耳に入ることは皆無だったろう」


「そうですね。そもそも死んだはずの人間が二人も生きていた。なら、彼らのすることは、早々に身を隠すことでしょうか」


「うむ。ルシアンが真っ直ぐこちらに戻ってくれば良いのだが」


 確認問答が終わったちょうどそこへ、勝手口のドアが開いて厨房からルシアンが姿を現した。


「杞憂だったな。──ルシアン。ご苦労だった。疲れただろう。こっちに座ってフレイヤのお茶の練習台になるといい」


「はい。あの。ペルリカ先生」


「ふふっ。律儀にも、わたしに挨拶して仲間を追うつもりだったのか? ならぬ。追わなくてよい」

「ですが」


「無用だ。カラヤンに任せておけば……そうだな。良くも悪くもこれ以上こじれることはないだろう」


「解決はしないんですね」

 シャラモン神父が混ぜっ返す。ペルリカはカップの丸みを撫でて、


「恩讐の果てにあるのは、ただ失った空しさだけだ。一方で、今回の一件。真実を隠せば隠すほど、真実など追わずとも露見の危険性が大きくなる気がする」


「なぜですか?」


「黒幕が焦っているように思える。ライカン・フェニア暗殺も、この店の襲撃もその一環だろう。浅慮な者ばかりを集めて、急ぎ働きをさせている。狼が言っていた通り、小娘一人、殺す必要などなかったはずなのに、だ。

 黒幕は、われらが狼の存在を警戒する余り、どれも殺すという選択肢しかなかった。だとすれば、その焦りは妾が思っている以上なのかも知れぬぞ」


「敵の、焦りですか」

「レイ。黒幕を敵対者としてこちらが想定してやる必要などない。なんの足しにもならぬ陰謀エゴを、さも高尚に掲げて押しつけられるほど、笑えぬ笑劇ファルスはないのだ」


 体験者は語る、かな。とはシャラモン神父も口が裂けても言えなかった。

 ペルリカはカップを置いて席を立つと、途方に暮れて立ち尽くす若者の肩へごく自然に手を置いた。


「そなたもまずは一服しろ。前に進もうとする克己こっきだけが生きることではないさ」

 しなやかな後ろ姿とともに女主人は二階へと向かった。

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