第6話 堕落の聖杯(6)


 ヴァルラアム大聖堂。

 グローアの歌を披露するステージでドーム状の建物を探そうかと思った矢先に、サンクロウ正教会の大聖堂が目にとまった。


 ここまでに要した時間。宿を出て、わずか一〇秒。


 これぞ一期一会の運命としか言いようがない。俺は行政庁舎に足を運ぶと、バトゥ都督補とアッペンフェルド将軍が何か言いだす前に、羊皮紙を出した。


「狼、これは……どういうことだ?」

「はい。本件、謎の魔獣への迎撃戦における企画立案と、備品発注書です」

「こちらで、敵の情報はまだ掴めていないが?」


「では、掴めている情報はどのようなものでしょうか。おそらく敵が竜の形状であることと中央軍の全滅と、その周辺被害くらいだと思いますが」

「んっ……まあ、そうだな」

「はい。ですから、この企画立案をご検討いただきたく、上申いたします」


「いや、待て。しかしこれは……」

「どうした、バトゥ」


 アッペンフェルド将軍がバトゥ都督補から俺の企画書をひったくると目を通すなり精悍な眉をしかめた。


「なんだ、この聖歌奉納ってのは」

「言葉の通りです。ヴァルラアム大聖堂において、将校たちに聖歌の加護を受けてもらおうかと」


「敵はすでに距離一六〇〇地点に到達しているのだぞ。この期に及んで、神頼みか?」


「いえ、古代魔法の一端だそうです。レイ・シャラモン神父からそう伺いまして。【闇】マナをまとう呪物への対抗力として一定の効果があったので、応用できるかと」


「待て。狼」バトゥ都督補が目を剥いた。「中央軍を全滅に追いやった攻撃目標が【闇】性質だと、いつ特定したのだ」


「ついさっきです。レイ・シャラモン神父の三女ギャルプの治療に際して、攻撃目標の邪気を被り、これを除去するために古代聖歌を試用し、その除去に成功しました」


「狼、ギャルプはもうよいのか?」ニフリートが話に入ってくる。


「はい。目から入った邪気で狂暴化が凄まじく、俺も押し倒されて首を絞められました。ですが今はもう、大丈夫だと思います」


「ほぉ~。そうか。よかったのう。シャラモン神父の苦労と心痛が偲ばれるわ」

 心底ほっとした笑顔に、この龍公主が都民から慕われる理由が垣間見れた。


「はい。ですから、その効果をみて古代聖歌がここ、白銀・翡翠連合軍への士気昂揚に応用できると愚考しました」


「だがな。狼」アッペンフェルド将軍は企画書をニフリートに手渡した。「戦歌という精神高揚法は、それこそ、この土地がまだ部族集落を形成するのがやっとの時代。食い物をめぐる喧嘩の域を出なかった中での呪術寄りの催眠誘導だったと聞いているぞ」


 俺はかぶりをふった。


「いいえ。レイ・シャラモン神父によれば、正式には古代単律聖詩エンシェントチャントというのだそうです。すなわち効果ムラの多い呪術的な集団催眠ではなく、どちらかといえば、魔法寄りのマナ効果を一度に複数人へ付加する意図で紡がれた詩歌詠唱魔法であると愚考します。しかもこの古代聖歌は、セニの町においてウスコク兵一五〇人に対して試験運用され、一定の効果を上げました」


「具体的にはどんな効果だ」

 バトゥ都督補がテーブルごしに俺を見あげる。


「はい。士気昂揚はもちろん、寒冷耐性。負傷軽減はあったと見ています」


 二人の将軍は半信半疑といった様子で、顔を見合わせた。


「二人とも。真偽を悩んだところで始まらぬぞ。物は試しでやってみればよいのじゃ」


 ニフリートの鶴の一声で、リサイタルが決まった。


 ──と、思ったのだが。


   §  §  §


「不浄を入れるなど言語道断っ!」


 ティミショアラ市内。ヴァルラアム大聖堂。

 大聖堂主幹イシドーリ・イズー司教は、顔を真っ赤にして怒鳴った。


 この剣幕には、交渉の間に入ってくれたニフリートとアッペンフェルド将軍を困惑させた。


「イズー司教。内容をさほど吟味もせず即答するのは、いささか狭量じゃぞ」


「いいえ。龍公主様。当聖堂は敬虔なる信徒が清廉なる祈りを捧げるところ。場末の酒場がごとく子供が歌を披露して兵士の慰むる所ではございませんっ!」


 ヘリクツにしか聞こえなかったが、ニフリートは不機嫌になるどころか笑顔を浮かべた。


「その子らが披露をするは、急なる厄災を前にして居竦む兵士を励まし、健闘を祈る純粋なものじゃ。であるならば、サンクロウ正教会の神も意外と狭量と断じねばならんのぅ、んん?」


「うぬっ。それは……っ」


「人望家タラヌ・カターリン司教亡き後、主幹の頭も硬くなってしもうたかのう。それとも……司教殿はこれまで亜人と称してきたエルフがお気に召さぬのかや?」


 このおひい様、あおりよる。

 とたん、アッペンフェルド将軍の顔が引き締まった。なんだ急に。


「ニフリートちゃーん。出撃前になんやエモいイベントするんやてぇ?」


 振り返ると、入口からぞろぞろと黒、白、赤、青の三人娘とウルダが入ってきた。

 うちの子は鮮青コバルトを基調とした白と黒のコントラスト。アニメの戦闘スーツみたいでカメラが欲しくなる。あとでダンジョンに戻ったら、マシューになんとかできないか相談してみよう。


「こ、こらっ。なんだお前たちは、そんなはしたない格好でっ、けしからん! 神の御座をなんと心得るっ」


 イズー司教は、彼女たちが龍公主だと、まだ知らないらしい。


「あらあら。そないないけず言わはってぇ。大方、ここを軍部にタダで使わせとうないんと違いますぅ?」


 セレブローネは、いきなり俺が言わないようにしてた指摘をほっこり笑顔で容赦なく突き刺した。イズー司教は肯定も否定もできずに息を飲んでいる。


「時間がありませんの。敵はもう目の前ですわ。ここまで逃げてきた中央軍兵士は、わずか三一人。たどり着けなかった兵士の鎮魂を込めて、ここで民間人が歌を歌うくらいなんですっ!?」


 エリダの一喝に近い正論で、イズー司教の憤怒顔が赤から紫に変わった。

 こりゃまずい。爆発できずに憤死しかねない。俺はとっさに司教のそばに寄った。


「司教様。ここで鎮魂の歌会ということで歌を披露させていただけるのでしたら、明日が厄災から解放された戦勝記念日になるのでございますよ。ええ、間違いなく」


「そ、それがっ……なんだというのだっ」


「本題はここからでございます。その日はティミショアラ、いえ公国にとって記念すべき日となるでしょう。なにせ、相手は九〇〇〇人もの尊い犠牲を出した厄災です。国民なれば忘れてよい教訓ではありません。そこで、です。この大聖堂で毎年、鎮魂の祭典を開いてみてはいかがでしょうか」


「祭典、だと?」


「そうです。哀れに散った兵士の鎮魂と公国の国家安康を祈る式典です。その式典の中で聖歌を歌うのです。もちろん、栄えあるサンクロウ正教会推奨の賛美歌で構いません。

 重要なのは、毎年、龍公主の方々と文武百官を集めて厄災払祓ふつばつの祈祷をにぎにぎしくもよおされる記念式典であることです。その品格高い国家式典の執行役が、あなたです」


「お、おお。私が国家式典、執行役……ふむ」よし、食いついた。


「あえて、もう一度言います。俺たちは明日未明の厄災との一戦。必ず勝ちます。そのためにはここで聖歌を歌い、翡翠・白銀両軍に士気軒昂をもたらすことが前提となるのです。つまり、我々はヴァルラアム大聖堂の聖歌で、勝つのです」


「なるほど。いや……なるほど」イズー司教もだんだん俺の描く絵図が見えてきたらしい。


「また記念式典には、大聖堂維持のための浄財寄進を募られればよろしいでしょう。それくらいの奉仕活動は、都政も許していただけるはずです。なぜなら──」


「大聖堂の祈祷で、勝つのだから、な」

「そうですそうです。イズー司教様は誠にご賢察であらせられる……いかがでしょうか」


「あー。うむ。おっほん。……先例のないことではあるが、今まさに西都は危急存亡の時。神に歌を奉献ほうけんすることは、聖戦に向けての必勝誓詞せいしとなろう。許可しよう」


「ありがとうございます。それでは早速準備に取り掛からせていただきます」


 頭を下げて入口へ振り返り、俺はさっさと大聖堂を出る。

 大聖堂を出るとそこは中央広場で、俺たちは行政庁舎に足を向けた。上司や関係各所へのホウレンソウは大事。

 背中に強い視線を感じて振り返ると、五人の少女たちが横一列で見つめてくる。美麗壮観ではあるが、俺への眼差しは整列一致のドン引きである。


「あれ? どうかしましたかね」


「ないわー。狼、人たらしにも程があるやろ」

 カプリルが眉をひそめて口火を切った。


「ほんまやねぇ。舌先三寸で、激怒しはった司教はんがカードひっくり返したみたいに翻意しはるやなんて、魔法ですえ。なぁ、マリー?」


 セレブローネが長姉の腕にしがみつく。そのエリダがまっすぐ俺を見つめてくる。


「この先、あの司教が場所を貸したことを恩に着せなければよろしいですけど」

「いいえ。恩に着せてくるでしょうね」


 黄金龍公主の懸念を、俺はあっさり肯定した。


「それだと、ニフリートちゃんが困るのではなくて?」

「エリダ様。彼がこのことを恩に着せてきたとして、その次に何をすると思いますか」

「えっ、何をするか?」


「そうです。大きな式典ひとつり仕切っただけで、まさか自分がこの都の発言力を得たとは思わないでしょう」


「それは、そうでしょうけど。それなら──」


「金を貯める」

 ウルダがぼそりと言った。俺は、うなずいた。


「彼は、この歌会を機に大行事として恒例化し、金蔓を得ることになる。それを教会のため、人々のために使えば、彼はこの都で人望を得るでしょう。

 その一方で、金で権力を買うためにもっと金を貯め始める、かもしれない。その貯蓄、あるいは金の使い方が法律に触れるとしたら?」


「逮捕だな。しかも額や金の流れ先によっては吊し首だ。公国法は宗教家を優遇しない」


 いつの間にか俺のとなりを歩いていたアッペンフェルド将軍が言った。


「俺は、自分の欲望のために彼の背中を押した──のかもしれません。でも、どっちへ転がっていくかは、彼次第なのです」


「こわっ。あの司教。自分が背中を押されたとも知らんと、狼に協力するんやろ?」


「リル。そんなん狼に限ったことやあらしませんえ。商売しとったら、誰かにそういうきっかけを与えたり、もらったりすることは、よぉあることやわ」


「結局、きっかけを掴んで伸るか反るかは、おのれの器量次第。ですな」

 自家の家政長が応じると、セレブローネはうなずいた。


「でも、あんな言いくるめ。わっちでもようできしまへんえ。だって、たかだか女の子に歌をうとぅてもらうだけやのに、あんな嘘か誠かの儲け話はよう思いつきまへん」


 俺はふと振り返り、五人一列で歩く少女らを眺めた。

 龍公主たちはもっとコミュニケーションを取るべきだ。そう言ったら彼女たちに反発されるのは目に見えていた。今でも仲がいいのはわかってる。


 けれど他の三人の想いが、彼女には届いてない気がしてならない。


 現に三姉妹が現れてから、末妹ニフリートはひと言もしゃべらなくなっていた。


 この問題は、四肢再生の時から伏線はあった。けれど旅商人ごとき俺には、言いたいことは言ってしまえばいい。という乱暴策しか出てこない。周りの大人がそういう機会を少しでも増やす気づかいが、彼女たちと彼女の事情をほぐせるはず。


 それならいっそ、五人ではどうか。

 兄弟のいない俺が答えをだすには手に余る、繊細すぎる人間事情だった。


  §  §  §


 ステージ交渉から、わずか一時間後。


 龍公主の四姉妹シスターズと、白銀・翡翠連合軍の将校および兵卒総勢三千人を収容したヴァルラアム大聖堂で、シャラモン一家のたった一曲のリサイタルが始まった。


 グローア。ギャルプ。フレイヤの三人はサンクロウ正教会の純白法衣を着て壇上にのぼり、古代単律聖詩〝霖雨創星アウスレンダー〟を歌った。はずだ。


 俺は、八頭立ての軍用馬車をつかって南廻りに東へ。キルヒマイヤーズ農場の南を目指す。


「スコールは、歌を聴かなくてよかったのかい?」

「うーん。グローアのあの歌。おれが【火】を使うと、かき消されるみたいでさ」


 助手席でスコールが頭の後ろで手を組んだまま言った。


「へえ、そうなのか。それは新発見だな。スコールのマナが強いのか」

「みたい。やっぱ外からつけてもらうのと、自分の内からマナを燃やして使うのとでは種類が違うのかも」


「ふんふん。なるほどね」


「けど、一般兵にしてみたら何もないまま魔物と戦うより、お守り代わりでも綿帽子みたいなマナの加護を受けたら、負けなさそうって気にはなるとは思うよ」


「だね」


「んなことより、狼。ウルダを残してきてよかったのか」

「うん。それなんだけどさ」


 俺は、大聖堂で垣間見たニフリートと三姉妹との微妙な軋轢あつれきを言葉にしてみた。


「ふーん。そういや、初めてダンジョン入った時も、テントの中でティボル相手にそんなこと話してたっけ」

「うん……」


「ま、わかってねえのは、ニフリートだけなんじゃねえの?」

「え?」問題なのは、そっちか。


「おれ、カプリルとはよく稽古するから結構話するし、他の二人ともたまに会えば話すから、なんとなくだけどさ。ニフリートが想ってるほど、いじめとか無視とか、そんなつまんねーことで喜ぶ連中じゃねーよ。むしろ、ハティヤがいたら意気投合してる部類の連中だよ。みんな懐が深いって言うかさ。いじめてる暇があったら根性叩き直すくらい血が熱いんだ」


「あ、うん。わかるよ」

「むしろ、あいつら。四人で仲が良いからこそ、三対一で区別されてるんじゃねえの」


「仲が良いからこそ、区別……か」


「うん。おれもハティヤも、そういうことあるよ。河を渡る時に、下の三人には流れが緩いところとか、浅いところを探して渡らせるとかさ。不満が出ても迂回させるのは必要なことなんだ」


 あの四姉妹が渡ってきたのは、河は河でも銀河なんだよなあ


「ストップ」


 突然、幌の中から制動がかかり、俺は手綱を引いた。もう一人、グローアの聖歌を辞退した将校が乗っている。


「ここから先は私語厳禁。歩きで行こう。馬車が七首竜の視界に入らない方がいいだろうしね。影番衆第11班、第12班──散開」

「はっ!」


 ダイスケ・サナダが笑顔を絶やさず、アウラール家密偵部隊十二人とともに馬車を降りる。

 俺たちの目的は、例の〝ドクロ美女〟の隠密調査だった。

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