第5話 堕落の聖杯(5)
ティミショアラに四柱もの〝龍〟が降臨する事態は、都民の脳裏にこの世の終わりを連想させた。
ある者は泣き叫び、ある者は信仰の名を口にして我が子を抱きしめ、その場に跪いた。
だから龍が持ってきた箱など、誰も見ていなかった。
「なんか、めちゃくちゃ出づらいんだけど……っ」
「出るしかないでしょ。ほらほら、スコール」
俺は少年の背中を追い立てて、箱の外に出る。
降下ポイントは中央広場のようだ。春間近のせいか、身体に吹きつける風がやけに冷たい。
近づいてくる兵士にカラヤン夫妻とニフリートの顔を見つけて、俺はホッと胸を撫で下ろす。
「狼、計画通りか?」
「計画通りにいっていたら、ここには馬車で戻ってきてましたよ」
お互いの無事を、握手で確認する。ウルダはコックピットから出るなり、ニフリートに抱きつかれていた。こっちに助けてアピールをしてきたが、姉妹の親睦を深めてもらうことにした。
「あ、あ、あの初めまして……っ!」
「ん?」
メドゥサ会頭が、アルサリアの前で緊張しきりに背筋を伸ばす。
「おふくろ。女房のメドゥサだ」
カラヤンが紹介すると、アルサリアはフードを払うことなく嫁の頭のてっぺんから足の爪先までを二往復。
「うん。ハゲ息子の元親〝群青の魔女〟だ。後でな」
素っ気なく言って、魔女はニフリートの元へ向かう。
メドゥサ会頭は深刻なまでに暗い顔で、
「カラヤン……やはり返り血は落としておくべきだったかな」
心配するとこ、そこ?
「おふくろは最初、誰にでも本名を名乗らない。気に入らなかったら『後で』とは言わねぇはずだ。大丈夫。第一関門は突破してる」
「そ、そうかなのか……。そうだ、狼。シャラモン神父のところにいってやってくれないか」
「何かありましたか」
メドゥサ会頭の顔が真摯に強ばる。
「ギャルプが城壁の上で望遠鏡を覗いて、あの黒蛇を見たことで邪気に当てられたらしくてな。狂ったように泣いて暴れているそうだ」
「ええっ!?」
驚く俺の背後から、膝カックンされた。振り返ると、リンクスだ。ダッフルコートに耳パット。ミトンを腋の下に挟み込んでいる。こいつだけ洗練されたニューヨーカー。
「ねえ、カフェ・ラテ飲みたい」
「話しの途中だろ。さすがに空気読めよっ」
「どっちを優先させる?」
俺を試すようにリンクスが見あげてくる。
「決まってる。俺は家族が一番だ。──メドゥサさん、神父は」
「この先の宿だ。案内しよう」
「お願いします。──カラヤンさん、すみませんが、十五分だけ休憩時間をもらいます」
「わかった。会議室は行政庁舎の二階だ。シャラモンと一緒に来てくれ」
「了解です」
うなずくと、俺たちは二手に分かれた。腕組みしたままの女子高生風ヤンキーの腕を掴んで歩き出す。
「ちょっ。なんで、ぼくも行かなきゃいけないわけ?」
「カフェ・ラテ。飲みたいんだろ。あとで作ってあげるから」
「呪物被災は専門外なんだよ。アルサリアに頼みなよ」
「それでもいい。きみが俺のそばにいてくれるだけでいいから」
「っ……くそ。覚えてろよっ」
なんか知らんが、恨まれた。
§ § §
宿に入ると、一階の入口から女の子の泣き声が聞こえた。
「おい、あの泣き声をなんとかしろ。眠れやしないっ!」
「何時間泣きわめかせているの。明日は早くからオラデアなのよ!」
宿泊客がフロントへクレームをつけていた。その後ろを俺たちは何食わぬ顔をして通る。
訪れた部屋をメドゥサ会頭がノックすると、フレイヤが
「ただいま」
「あっ。狼……っ!? ──先生っ、狼が帰ってきましたっ!」
フレイヤに部屋を通されると、人影が飛びかかってきた。
「うわぁあああっ!」
ギャルプが泣き顔のまま俺の胸に肩からぶつかってきた。虚を突かれて床に押し倒され、首を絞められる。締め付ける小さな手はおよそ子供の握力ではなかった。
「なっ、に……っ?」
「ギャルプっ。お前なにやってんだよっ!?」
横からスコールが引き剥がしにかかる。だが、ビクともしないことに少年の顔が強ばった。
するとリンクスが、ギャルプの顔面へ回し蹴り。俺には当たったように見えたが、ギャルプは信じられない跳躍を見せて離れると、窓ぎわにいたシャラモン神父にキャッチされた。
神父の美しい顔にはすでに殴られた痕があり、赤く腫れあがっていた。とても子供の仕業には思えなかった。
「典型的な呪気狂走だね。
ダッフルコートのポケットに手を突っこんだままリンクスが、鼻息する。
「なあ、ポジョニ。狼がその子を助けに来たんだってさ。さっさと事情を話してもらおうか」
(あ。やっぱりか)
シャラモン神父があの競売で出会ったクソジジイ・ポジョニと親しげに話していたから、初対面ではないとは思っていた。そこからポジョニが共有偽名な予感はあった。
「その名で私を呼ばないでもらえますか。アストライア。今の私はレイ・シャラモンに戻って、ただの神父です」
「あんたの近況なんて興味ない。ぼくは狼がつくるカフェ・ラテが飲みたいだけ。だから、さっさと話せよ」
腕の中で暴れる我が子を抑えこみながら、シャラモン神父は話し始める。といっても内容は短かった。
城壁から俺がつくった望遠鏡で東の兵隊を見張っていたら、突然蛇が飛び出して兵士を食べ始めた。その直後に、その蛇と目が合った気がしたら頭に何かが突き刺さった痛みがあった。
「それを告げた直後に、ギャルプはこうなってしまったんです」
「ふぅん。で、天才シャラモン君の見解は?」
「獣憑き……キマイラの瘴気中毒にみられる、獣魔毒」
「はずれ」
リンクスは言下のもとに切って捨てた。膝を曲げずに、神父の中で泣きじゃくりながら空気を
「原因は、その望遠鏡だろ。こいつは古代呪法の一種〝バジリスクの邪眼〟だ」
「バジリスクの邪眼……石化呪法っ」
「ここからあの黒蛇まで、瘴気に当てられるには距離がある。目が合ったと証言したんだろ? なら、視覚による呪式到達を考えるべきだ。望遠鏡自体の精度がよくなかったのは幸いしたんじゃないの? だから理性だけを石化された」
「理性だけを石化? 石化呪法が
「あのさぁ、大魔術師君。本当に世間で神父名のってるわけ? 六歳の洗礼式を潜った子供は人間性を授与される。ほら、これも立派な理性の証拠だ」
「……っ」
「だけど、生憎、この手の呪術は古すぎて、ぼくにも解呪の方法がわからないんだよねえ。だからきみ程度じゃあお手上げかなあ。まぁ、がんばれ──ヨゴッ!?」
肉体が若返ると脳みそまで若返ったらしい。さすがに弱者を煽りすぎだったので、俺はリンクスにゲンコツを落とした。軽くな。
「ぶったねっ。姉様にだって殴られたことないのにっ」
「さっき周りの空気を読めって言ったばかりだろ?」
あと、そのオマージュやめろ。深刻な空気がぶち壊しだろうが。
「あ、あのっ。グローア、お歌うたうっ! ねえ、歌っていいっ?」
これまで存在すら消えかかっていたハーフエルフの四女がベッドの上に立って言った。彼女なりに家族の重苦しい空気をなんとかしようと
(まてよ。歌? グローアの歌っていったら……)
「グローアっ。ちょっと今は──」
フレイヤが抱きかかえてベッドから降ろそうとしたので、俺は直感に従って手で制した。
「ねえ、グローア。歌ってほしい歌があるんだけど」
「え……うんっ、グローア歌うよっ」
嬉しそうに四女が破顔する。
「狼さん……っ?」
「神父。物は試しです。〝
シャラモン神父は天啓を得たみたいに目を見開いた。
「邪気に聖歌をぶつける……そのアイディア、悪くないと思います」
俺はうなずくと、グローアに力強くうなずいた。
「三回、歌って欲しいんだ。ちょっと大変だけど大丈夫かな」
「うん、大丈夫。グローアあれからギャルプと練習しててね。あれ歌うと、なんか動物さんも聞きに寄ってきてくれるから、楽しいよ」
嬉しそうに話す少女の尊いこと、天使のごとし。
〝
心に氾濫する
雫によって吸い上げられ
雲の中に押し上げられ
星は雨となりて
開いた赤い
結論から言うと、三回もいらなかった。
最初の一回目終盤。シャラモン神父の腕の中で少女が苦しみだした。
二回目に入ったところで、ギャルプの左眼からどろりと黒い半液体が這い出てきた。
眼球、角膜は破損しているように見えなかった。明らかに別次元の精神体──術式組成物だ。
俺は手ぶりで、グローアに歌い続けることを指示。出てきた黒い頭が俺に襲いかかってきた。腰をひねって体を変えると、黒い液体を掴んだ。
「また一つ……奇跡が生まれたな」
俺は一気に外へ引っ張り出した。ウナギの掴みどり。床に押しつける。
〈離セ、離セ……ッ〉
「呪いがしゃべるなよ。怖いだろうが。──スコール。短剣っ!」
短剣を受け取るや、俺は黒い頭を掴んだまま手の甲を刺し、床まで貫いた。
半液体は尻尾を激しくのたうって暴れ、やがて細かく長く痙攣して、ついに黒い霧となって散った。リンクスが
その逃げる黒霧に向かって、〝星儀の魔女〟は、ふっと【火】を吹きかけて焼滅させた。
「無茶するねえ。狼」
雨窓を閉めながら、リンクスが呆れた声を投げてきた。
「呪い蛇の目を見たら呪式が飛んでくるんだったよな?」
俺は自分の手に治癒魔法をかけながら言った。
「だからって剣で自分の手ごと貫くきみの無茶の仕方がおかしいって、言ってるんだけど」
「いいよ、別に。この通り、すぐ回復するからね」
「ぼくがよくないって言ってんだよっ」
「ふぅん……」
生返事すると、リンクスは無言のまま大股で部屋を出て行った。
わざわざ俺の尻を蹴って。
「痛てて。ったく。照れ隠しの暴力反対」
「今の、照れ隠しなのか?」スコールが首をかしげた。
ギャルプを見ると、養父の腕の中で泣き腫らした顔のまま、すぅすぅと安らかな寝息をたていた。
「……学会に、戻ろうかな」
「「えっ?」」
シャラモン神父の突拍子もないツイートに、俺を含めた年長組が小さな驚きをあげた。
「もう一回、勉強し直したくなりました。やはり〝星儀の魔女〟の博学にはかないませんでした」
「いやいや、単純に神父は動揺していたから知識が出なかっただけでは」
「真の知識とは、このような異常事態であっても即応できなければ、無意味です。ましてや我が子の窮地。政変で無力を痛感したから帝国を去ったのに。情けないです」
「あの、長男さん。これって無意味かな?」
「いや、単にリンクスと知識比べに負けて悔しかっただけかと」
俺とスコールはお互い目配せしあった。
「ねえ、あと一回歌っていいよね?」
グローアは嬉しそうに空気をなごませていた。
せっかくの破邪健声。少女が歌う気になってくれている。なので、俺は最後の一回は別の所で歌ってもらうことを思いついた。
「はーい。練習はこれで終りってことにしまーす。グローア。最後はきみの歌を大勢に聞いてもらおうか」
「えっ……大勢っ?」グローアは目を見開いた。
「そう。そのために、今からちょっと場所を用意してくるよ」
「ええっ。どんな場所?」グローアは感激した様子で目を輝かせる。
「またぁ、狼……悪企みかよぉ」
スコールの疑り深い目から逃げるのも、今じゃもう慣れたものだ。
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