第4話 堕落の聖杯(4)


「あいつらが出かけたら、なんか急に静かになったのぅ」

 レーダーを眺めながら、マシューはしみじみとぼやいた。


 戦闘指揮所。

 画面上。円周の中に、四角形を結ぶ四色の点が南西を目指して動いていく。左端の緑がやや四角形をやや台形にしているのが初々しい。


 ウルダのVマナーガ教習から帰投してすぐ、オルテナは医務室で今も寝込んでいる。


「あのバカ小娘っ。まっすぐ戦場に突っこんでいって蛇の間を抜けやがったんだよっ!」


 本人は乗り物酔いだと言い張ったが、リンクスやアルサリアの魔女コンビが【闇】マナに被爆したのだろうと診断した。意識もあり、しゃべれるので軽度ですらないが、嘔吐感はひどかったはずだと言った。


 コックピット内で吐かなかったのはメカニックマンとして、妹なりの矜持プライドだったのだと、二人の兄は理解した。


オルテナあいつの機嫌はともかく、作戦開始だな」


 マクガイアはすぐに四機の〝龍〟を、狼らの搬送に出発させた。それがマシューの見つめる黒、白、赤、緑四色のレーダー反応である。


「おい。[プリティヴィーマ]のカメラ映像、2.48から3.07を2.0倍で拡大してこっちに回せ。急げっ」


 マクガイアの焦った声を怪訝に思いつつ、マシューは映像処理して指揮官デスクに渡す。

 その映像は、一人の騎士があの暗黒蛇に喰われているところだった。


「兄貴……?」

 訊ねてもすぐに返事が返ってこなかった。マクガイアはチェアにカラダを投げ出し、赤ヒゲを鷲掴みしたまま目を強く閉じていた。


「……ロイスダールだ。ランズハルト・ロイスダール綱紀長が……魔獣に喰われた」


「ええっ、はあっ!?」

 マシューも自分が処理した映像を確認する。


 暗視画面。騎士が〝蛇〟に腰まで飲み込まれていた。それから、ぶらんぶらんと左右に振り回され、やがて、ちぎれた。映像時間は、わずか二〇秒間のことだった。


「ひでぇ末路じゃのぅ……」マシューは指先が凍ったように動きを止めて押し黙った。


「ヤツはアンドロイドだ。あれでまだ生きちゃあいるか」

 マクガイアの独白で我に返った。


「おっ。おおっ、そうじゃったわ……はぁ~、執念ぶけぇのぅ」マシューも軽口を叩いてみる。


「もっとも、下半身を食いちぎられたんだ。人工血液を止めなきゃ、一〇分で機能停止だがな」


「記憶装置だけなら、頭を踏み潰さんことには半永久で生きとるかのぅ」

「まあな。ともあれ、我らが憎まれっ子はついに死の淵まで追いやられたわけだ」


「なら、兄貴。ここで祝杯でもしとくかのぅ?」

「いや。お嬢たちが戻ってくるまで、自重しとこう。こっちはヤツらの揉め事に巻き込まれた上に、後始末までさせられるんだしな」


「そうじゃのぅ」

 マシューは軽く笑って、映像画面をコーナーに追いやる。それからため息まじりに肩を落としてまた四機の龍の航行を見守る。


「……ん、ヤツの揉め事?」


 そっと肩ごしに後ろを振り返ると、マクガイアは腕を組んでイスに背中を押しつけるように眠っていた。


  §  §  §


 ──もう我慢ならねぇ。あの野郎ぶっ殺してやるっ!


〈ナーガルジュナⅩⅢ〉居住区G地区。

 部屋に戻るなりクローゼットを開き、ガンケースを引っ張り出してフタを開ける。

 中からベレッタM92カスタムを掴みだすと、弾倉を叩き込んで遊底スライドを引き、白衣下のレシーバーホルダーに突っこむ。


 携帯義務のレシーバーはベッドの上に放り捨てた。


 何が規則だ。〝龍〟や娘らを徨魔の巣に突っこませるのも規則なら、それが失敗した後に採掘艦ごと突っこませるのも規則にあるのか。世界の首脳部は、ロイスダールに外道策を持ち出させるために北千歳戦役の全アンドロイドを乗せたに決まってる。あの世行き、みんなで渡れば恐くねえってか。


 命を賭けて守ると、オレはあの娘たちに誓った。この誓いはドワーフの血に賭けて貫く。でなきゃ、オレを守って死んだおふくろにオレは最後まで誇りあるドワーフだったと胸を張れなくなる。ここが命の張り時だ。


 ドアを開けた時、目の前に三〇前後の女性が立っていた。知らない顔だ。とっさに憲兵かと疑って腰に手を伸ばしかけた。


「あの、マクガイア・アシモフ博士ですよ、ね」

 口調から見た目に反した幼さを感じた。とっさに〝ギフテッド〟を直感する。


「……おたくは?」


「研究部のホープキンスです。ミユ・ハセガワ・ホープキンス」


 記憶にない。

「あー、すまねぇな。ずっと整備部づめなんで研究部の顔を全部覚え切れちゃあいねえんだ。ここ三年ほど、自分のオフィスにすら足を向けた記憶がなくてな」


「えっと……ユキ・オハラの友達です」

「ああ、リンクスなら知ってる。たまに整備部に顔を出すぜ。星を見にな」


「はい。それであの。ビフォアタイムでの会議でのことで」


 とっさに口の中にサビの味が広がる。血の味ではない。酸化鉄のざらっと刺さる不快感だ。


「悪いが、今日は、その話はあまりしたくねぇんだがな」

「あの。博士が怒ったのって、すごく共感できる、と思って……ううん、そうじゃなくて。えっと」


 見てるこっちが慌てるほど、慌てふためきだして、マクガイアは困惑した。


「まあまあ、落ち着け。感想ならまた今度、聞いてやるから。な?」


 自分より年下の、大きな女性を押しのけて、廊下を歩き出した。

 その直後だった。とっさに腰が軽くなった。そのことに気づけたのは、単純に火薬拳銃が重い武器だったからだ。財布ならいつ抜き取られたかさえ気づけなかったろう。それぐらいの妙技だった。


「おい。どういうつもりだ」


 銃口をこちらに向けてくる。撃鉄はあがっていないし、安全装置セーフティもかかったままだ。けれど銃口から立ち昇る殺気が自分のモノでないことに慌てた。


「ランズハルト・ロイスダールは、わた、わたしの獲物なんですッ。だから取らないでッ!」


 焦点の定まらぬ瞳と爆発寸前のヒステリックな声に、マクガイアの憎悪が萎縮した。


(上には上がいるもんだ。こいつは怨念ってのか……ただ事じゃあねえな)


 マクガイアは両手を広げて、和睦わぼくの姿勢をとった。


「わかった。わかったから、落ち着け。な? 散らかってるが、オレの部屋で話をするかい。 飲み物は化学ホップの合成ビールしかねえが、それでよければ」


 ホープキンスは肩であえぎながら、顔をぶんぶんと振った。


「ここじゃダメです。複製体ホムンクルス同士の会話は、艦内のダークウォールに集められ、何者かが任意に情報を引き出してる節があります」


(おいおい。勘弁してくれ。トンデモ女かよ。妙なのに目をつけられちまったな)


「ちょっと待ちな。艦内ダークウォールの存在はチャット上の怪談だろう?」


「違いますッ。本当ですッ。だからわたしの研究室に来てください。来るんですッ。特殊加工した部屋を造りました」

「特殊加工した、部屋?」


「ミスリルです」

「あー、アルミニウムのな」


「違いマスッ! ミスリルでスゥッ! コペルニクス博士と共同開発したんでスゥッ!」


 かんしゃくが助長して撃鉄を起こした。銃の扱いは素人程度には知ってるらしい。もっとも、マクガイアは鉛玉より女の爆発ヒスのほうが怖かったが、出た名前で腑に落ちた。


(……ニコラめ。また妙なところから論文の連署者を募ったな)


 名誉のお裾分け。採掘艦での研究は母星に送られ、宇宙実験の成果として評価される。

 ニコラ・コペルニクスの名前は、母星でアルベルト・アインシュタインに匹敵する人気を博した。学会のみならず全世界で「救星の科学者」「22世紀空前の科学ブームの女神」の扱いだ。ニコラを主人公とした宇宙ドラマまであって、演じた人気女優と双子レベルで瓜二つだったために話題を呼び、本人への人気が爆発した。三〇年以上も前に。


 母星の法務管理オフィスから、ニコラの名前が意図しないところまで登っていかないよう過熱抑制対策の指摘された流れで、論文は常に五~十八名の連名にし始めた。

 連名にする共同研究者も別テーマで同じメンバーにすると母星で不審がられるというので、友情出演ならぬゲスト連署を方々に頼むらしい。名誉も有り余ると苦労する典型だが、人を選ばないのが困りものだ。


「わかったよ。話を聞いてやるから。研究室に案内してくれ。あと、銃は返してくれ。部屋に戻してくるからよ。このことは内緒にしてくれると助かる」


「あ、はい。内緒です」


 さっきまで半狂乱だったのがケロリとやんだ。この情緒転換の早さも〝天才〟の特徴なのだろうか。


(何にしても、妙なのに目をつけられちまったな)


 あの時の気持ちは、マクガイアがこの艦長席に座っても変わることはなかった。


 マクガイアは、行った先でニコラ・コペルニクスの顔があるのだけは、なんとなく予想できていた。けれど、そこにダイスケ・サナダ。ヨハネス・ケプラー。ロバート・オッペンハイマー。ティコ・ブラーエ。きわめつけは艦長であるスコール・エヴァーハルトの姿は予想できなかった。

 後日、この〝ミスリルルーム〟と名付けられた隠密部屋で引き合わされた人々は、総勢五六人にもおよんだ。


 のちの〝失楽園事件〟の当事者だった。


 復讐の舞台に立った役者のつもりが、いつの間にか裏方。さらには客席にまで押しやられ、今じゃ画面ごしに宿敵の最期を座って眺めている。


(かくして長年の雌伏に耐えた我が復讐は、ついに果たされり……か)


 悔しいとは思わなかった。そのかわりに、よくやったと喝采を投げることもなかった。


(他に方法はなかったのかねえ……)


 狂悲劇ハムレットを語るつもりはない。自分が向かうはずだった魔道の、今は誰かの到達点を目の当たりにして、ひどく虚しかった。

 あの時、自分に拳銃を握らせた情熱を思い出そうとしてみたが、どこにもなかった。


(オレもなんだかんだで、年を食っちまったのかもな)


「兄貴。〝龍〟が四機ともティミショアラ市内に入ったでぇ」

「中間目標通過ポイントの映像をくれ」

「了解」


 艦長席の画面に、魔獣の航空写真が映し出される。


「なんだこりゃ。時間は」


「目標対象の通過時間は、37.18から37.31の十三秒間。人みてぇじゃけぇど……女、かのぅ」

 マシューが怪訝そうに呟いた。直後にマクガイアの〝カレント〟が鳴った。


「こちら指揮所」


『僕です』サナダだった。『空の旅すがら、アルサリアさんが面白い話をしてくれたんで、メカ長も聞きたいですか?』


 この若き警備部長は、緊急懸案事項でも世間話のノリで持ちかけてくる。

 ヤツの上司たちはそれゆえに、まともにその話に取り合わなかったばかりに重大過誤を引き起こし、ことごとく処断された。結果、消去法でヤツが警備部のトップになるまでになった。

 軽薄そうな兄ちゃんに見えて、実は相当キレる策略家なのだ。


「そっちを聞く前に、先にこちらの情報を伝えておく。例の七本首の竜が守っていたのは、人間の女だ。ただし──」

 マクガイアは一時停止した暗視画面をもう一度だけ確認した。

「頭部だけが白骨化してる」


 しばし沈黙があって、サナダがおもむろに『むふっ』と吹き出した。


『あー。メカ長。それ、たぶん逆かもすっよ』

「ん、逆って、どういうこった」


『頭だけ白骨化した女が現れたんじゃないです。九〇〇〇の人を食ったから、頭部より下まで再生し、頭部は骨まで再生できた女が現れたんです。魔女コンビがそう言ってました』


「再生だと。サナダ。そっちで何が起きてる。オレにもわかるように──」マクガイアはとっさにサングラスを外して暗視画面を近づけた。老眼になる種族でもないのに。


「まさか、この女が、あの魔獣の〝飼い主〟だってのか?」


 サナダの声が別人みたいに低くなった。


『〝大姦婦カスディアナ〟です。時代は僕たちがこの世界にやってきた頃と同時期だったみたいですね。顔にめちゃくちゃ自信があった女だったそうで、その美貌だけで七人の暴王をたぶらかしたんだとか。……ぐふふ、ヤバいっすよねえ』


 ……顔?


 暗視画面上の髑髏ドクロの真っ黒な眼窩がんかが、こっちを見ている。そんな気がしてマクガイアは赤髭がデッキブラシみたいにけば立つのを感じた。


「サナダ。退避だっ。すぐにそこから──」

『いやぁ、もう回避不能っすねえ。ティミショアラには一〇万を超える都民がいます。骨に肉をつけるのに何百人の命が必要なのか知らねっすけど。狼もあの子らも無関係のフリができる時期はもう過ぎちゃってるかもっすねえ』


「サナダ。それなら……勝てるのか」


『さあ、どうでしょう。そこで、なんすけど。現場委任権限。もらえますかね。艦長』


 この瀬戸際でまだふざけてんのか。その焦りをマクガイアはぐっと飲み込んだ。


「ああ。一任する。あいつらを頼む」

『了解っす~。──サナダ、アウト』通信が切れた。


 マクガイアは頭を抱えた。言い知れない不安、焦燥、狼狽。それらをひっくるめて恐怖だということを改めて思い知らされた。


「三〇〇〇年も賭けて、オレ達を巻き込んで、お前がしたかったことはあんなバケモノにアンドロイドを喰わせることだったのか。なあ、ホープキンスよ」


 画面に向かって問いかけても答えなどあるはずもない。それでも問いかけずにはいられなかった。

 闇よりもなお黒い眼窩は、マクガイアが出会った復讐の女神のによく似ていたから。



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