第13話 しかし幸せは長く続かなくて 前編
その日の夕方遅く。
ヤドカリニヤ家大広間にて、アレグレット・マンガリッツァならびに、メドゥサ・ヤドカリニヤの「婚約式」が催された。
メドゥサ会頭は、腰のラインがなまめかしい純白の花嫁衣装をバッチリ決めて待っていたので、婚約式への格下げには軽くショックを受けた様子だった。
それでも正装したカラヤンに手を取られ、ひざまずかれて、
「残りの人生を、きみと
と眼を見て申し込まれると、涙腺決壊。せっかくの化粧を洗い流してしまった。
その光景を、俺は向こう正面の壁際に置いた特設ベンチから眺めた。
となりで俺の介添えを頼んだハティヤも、俺の肩に手を回しつつ、目を細めていた。
カラヤンとメドゥサ会頭を知るすべての人々が、幸福となる時間だった。
§ § §
少し前に戻る。
徨魔との戦いの後、ヤドカリニヤ家に戻った俺とカラヤンは、屋敷の裏口からこっそり入ろうとして、ハティヤと介添えのメイド二名に捕まった。
スコールから通報があったらしく、彼女ら三人に取り囲まれて血糊がついた姿のまま洗濯場まで連行された。
「まったく。飛び出していったと思ったら、祝い事に不浄を持ち帰るなんて何考えてんのよっ!」
ハティヤに激怒され、俺と今日の準主役──新郎カラヤンは大振りの洗濯桶に突き落とされ、二人してじゃぶじゃぶ洗われた。
そんな俺らを見てアンダンテとサラーは腹を抱えて笑ったが、ハティヤのひと睨みで逃散した。
洗われている間、俺は正装法衣の上に
〝
「蘇生という概念は、治癒魔法ではありません。時間を部分的に巻き戻す相対性概念を持たせた高位魔法です。耳で
ぐるぐるぽん。超絶美形の賢者の口から聞くのは新鮮だった。
「はい。おかげで死にかけました」
「いいえ。認識がぬるいです。私が言いたいのは、そこではありません。命を賭けてでも、魔法が起動できてしまったことが問題なのです」
「えっと……はあ」
「あなたは本当に
「ええっ、死──!?」
「ちょっとっ。狼っ。動かないっ!」
頭をわしゃわしゃ洗ってくれているハティヤに叱られた。動いてないよ。首から下はまだ動かせないんだから。
「嘘や冗談では言っていません。あの魔法は、できてしまうことが罪なのです」
「でも、それだったら、シャラモン神父だって……」
シャラモン神父は、見くびられては困るといわんばかりに顔を振った。
「私は大学と学会の両方で、公式に起動資格を得た特別高位魔術師三人のうちの一人です。発動すれば世界そのものを歪めてしまうおそれがありますからね。
もっとも、カラヤンさんがそれを説明したのに、腕や足がちぎれた部下をホイホイ連れてくるのです。彼は私が禁呪魔法を使っている意識が低いのですよ」
「おれは悪くねえだろ」カラヤンがむっつり顔でそっぽを向く。
「そういうわけで、狼さんも以後、起動には気をつけるように」
「いやいやいやっ。もうやりませんよ。あんな大変な魔法っ」
シャラモン神父は真顔を左右に振った。
「いいえ。あなたは、またやるでしょう。予言してもいいです。蘇生魔法とはそういう〝知恵の果実〟なのです。私が僧侶になっても、誰かの幸福のためと願って、いまだ使い続けているのがその証拠です。それと、もう一つ。これだけは
「あ、はい……」
「〝
(……もしかして、試したことがあるのかな?)
「わかりました。肝に銘じます」
俺は素直に応える。シャラモン神父はうなずくと、館の中に入っていってしまった。
大桶の中で、俺はどっと疲労のため息をついた。となりを見るとカラヤンがお湯に浸かったまま眠っていた。
「狼。また魔法使いらしいコトしたんだ」
俺の頭の毛をしゃっこしゃっこ洗いながらハティヤが弾んだ声をかけてくる。
「俺は魔法使いじゃないって。……魔法なんて使わないに越したことはないんだ。今日ほど、そのことを痛感したことはなかったよ」
「ふぅん。でも
悲しまないですむ。その言葉をリフレインさせる俺の頭に、ざばりとお湯が降ってきた。
そういえば、この世界に来て風呂に入ったの、いつぶりだっけ。
§ § §
式の直前。
俺は、今日の結婚式は日取りが悪いので、日を改めませんか。と提案した。
すると大商家のふたりは二つ返事で同意してくれた。
みんな、カラヤンが逃げ出すのは想定内だった。
けれど逃亡後の館内にまで大騒ぎになることは想定外だったらしい。
エディナ・マンガリッツァを狙った暗殺騒動。パオラ・タマチッチ夫人の監禁。大変だったようだ。夫人はモデラートの手配によって、スミリヴァル家の古い農具倉庫に半裸姿で縛られて転がされているところを発見されたらしい。命に別状はないが、監禁場所にされたヤドカリニヤ家にとっては、犯人に濡れ衣を着せられた形だ。
極めつけが、近くの丘で謎の閃光が空から降ってきて、水素爆発の音と風が町にまで届いた。町は恐れおののき、招待客として参列するはずだった地元名士達が凶兆だと騒ぎ立て、町の中も衛兵総動員で厳戒態勢を敷くほどだった。
仏滅も裸足で逃げ出すトラブル続きで、もう結婚式どころではなくなっていたのだ。
「それじゃあ、この式典の宴はどうするっ。この日のために金もかけたんだぞっ」
スミリヴァル族長が来賓二人の手前、怒るに怒れぬ笑顔で俺に詰め寄ってきた。怖い。
だから俺は言った。
「はい。ですので、これから婚約式をしようと思い立ちまして……」
「婚約式?」
怪訝な顔をされた。俺は自信たっぷりのフリをしてうなずいた。この世界にもそういう風習はないか。日本でもあまり馴染みがない風習で、キリスト教圏に見られる。ツカサの知識だった。
「今日は、カラヤンからメドゥサさんへ、聖職者とみんなの前で
「何を言っているんだ。婚礼は、司祭が家に訪れてするものだろう」
「ええっと。それは……」知らんがな。「後日、二人の結婚を町全体で祝福してもらうことで、ヤドカリニヤ家は悪い予兆にも動じず、むしろ町が変革の時期を迎えていると良い予兆として町衆の不安を宥め、かつ御家の気前の良さも知らしめることができると思いますが」
「あら。それはいい考えね。ねえ、あなた」
そう言ったのは、今回お初にお目にかかるメドゥサ会頭の母上。あの凶器じみたイカれっぷりの息子を産んだとは思えぬ知的で物腰おだやかな夫人だった。
スミリヴァル族長が細君へ困惑に表情を曇らせる。
「しかし、ブロディア。本日は結婚式でお呼びしたマンガリッツァ様やバルナローカ様に、またご参列いただくのは恐縮だろう」
「わたくしは今日、株仲間調印式に来たのですよ」エディナ様はニッコリ。「この町は、近いのにリエカほど
「オレも来月くらいなら、日を空けられるぞ。工場のこともあるしな」
二人の大商家から同意をもらったので、土壇場の瀬戸際交渉だったが、話はまとまった。
こうして、婚約式も二人の幸福なキスを見届けて無事に終わり、バルナローカの音頭で乾杯。やっとドッキリなしの祝宴が始まった。
が、厄日極まりない一日は、まだ終わっていなかったらしい。
大広間にまた一つ、悪い報せが飛び込んできた。
「スミリヴァル族長、大変だ。今、ヴェネーシア執政庁から、私宛ての急報が届いた」
妻を連れて帰ったはずのタマチッチ長官は息を切らせて戻ってきた。
「パラミダが義勇団を名乗って、アスワン帝国に急襲をかけたらしい」
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