第五章 暗殺魔女

第1話 仄暗い牢屋で燃える青炎

※注意※

 拷問シーンの必要性から、児童虐待・グロテスクな暴力シーンが含まれます。

   §   §   §           §   §   §



 ヤドカリニヤ家地下にある牢屋は、それほど広くない。

 三人寝れば四人目は立って寝るはめになる。大昔の海賊全盛の時代。船から捉えた人質をここで留置していたのかも知れない。


 かつての捕囚の臭いの代わりに、腐った潮だまりの臭いがする。


 窓はなく、石造りの部屋は埃をかぶり、長い間使われた形跡がないからロウソクの交換があるはずもない。外から海水を引き入れて便所の代わりにしている。無論、鉄格子は太く頑丈で、海水で錆びても人の手でこじ開けるのは不可能だ。


 その塩を吹いた石床に木製の肘かけイスを置いて、ソレの四肢をくくりつけた。

 ソレを全裸にし、オペラ兄妹がおけを使って左右から顔面へ海水を七度叩きつける。座りながらにして溺死する早さで。


 脱力したところで、二十指の爪に針を三本ずつ刺していく。大のおとなでも最初の一針で泣き出すほどだから、猿ぐつわを噛ませる。しゃべらせない。


 じたばたと施術に抗うたびに鳩尾みぞおちを殴らせる。顔は殴らせない。顔を殴り続けると、脳にダメージが残るからだ。


 うながすのは苦痛による恐怖ではなく、暴力による理解への道だ。

 こちらの欲しい情報さえ話してしまえば楽になる、という思考に到らせる。


 モデラートは上着を脱ぎ、ネクタイを外していた。ワイシャツを第二ボタンまで外し、アームリングをつけた腕を組んだまま加虐の光景を眺める。


 尋問はしない。相手の目だけをじっと見据える。


 ソレは主人から片道切符を握らされて来ているのだ。良くて刺し違えの使い捨て。はなから任務を成功して戻れる保証などない。


 子供とて、そこまで覚悟しなければ、今日まで生きてこなかったはずだ。

 ならば、その自尊心と生存本能に対し、こちらは忍耐と忠誠心で勝負をしよう。


 気絶して仰け反った顔面に桶で海水を上から二度叩きつけて、意識を引きずり戻す。そして、針刺しを続けさせる。ついに両手の薬指で途絶。また海水を叩きつける。


 その間、モデラートはソレの虚ろな目から視線を外さない。

 児童虐待? それは表世界の話だ。裏の世界に子供はいない。


 単純に子供の容姿を使って母を殺しに来た敵。それだけだ。

 そして、子供の容姿を用いた暗殺計画を企てた組織を、母は絶対に容赦しない。


〝竜〟には逆鱗という急所があるという。


 それは本来、外からはまず見つけられない場所にある。なのに、あえてそこに触れてくる者がいれば、仕方ない。食い殺されることを覚悟させるしかない。


 母にとってのそれが、子供だ。もともと子供好きということもあるが、悪意を持ったおとなが武器を与えない限り、人を殺すという概念を持たない存在だからだ。

 母は、その卑劣悪辣の策士を許さない。


 だが、モデラートの考えは、少し母と異なる。


〝ハドリアヌス海の魔女〟を殺すことは、竜の死を望むこと。東方世界にいくつもある不文律の中で決定的な均衡崩壊を望んだに等しい。

 それほど、母はこの世界にとって特別な存在なのだ。


 もし、仮にその暗殺が成就され、こちらが報復として主謀者の年老いた母親を目前でなぶり殺しにしたところで、到底、釣り合いが取れないのだ。


 逆鱗に手を伸ばしたこと。それ自体が、罪。それを啓示しなければならない。

 その手がかりを、ソレは持っている。

 ならば引き出すのに逡巡など、あろうはずもない。


 モデラートは、守りたいものを失うくらいなら、狂気とだって踊る。失った悲しみを遠くから眺めるだけの余所者に、この焦燥を非難することは認めない。


「準備が整いました。まだ意識はあります」


 オペラ兄妹が十五分かけて、二十指すべてに三本ずつの針が刺し終わった。

 モデラートは組んだ腕をほどき、うなずいた。


「リエカに鳩を飛ばした。〝麝香撫子ガロファノ〟が到着し次第。お前たちはマムを護衛してリエカへ戻れ。私が戻るまでの間、マムに命を捧げてくれ」


「はっ。我ら兄妹に、挽回の機会をいただきましたご厚情、感謝いたします。この身命に賭けましても」


 二人は深々と頭を下げると牢屋を出た。

 モデラートは全身を痙攣させている小さな灰髪の〝兵器〟に近づいた。


「まず、お前の名前を言え」

「……っ」呼吸が乱れ、虚ろな眼差しが壁だけを見つめる。


「名前だ」

「……っ」

「そうか。なら、お前が名前を思い出すところから始めるとしよう」


 静かに言うと、モデラートは十五針の刺さった幼い右足の爪を踏んだ。革靴で。

 言葉にならない悲鳴が牢屋に響き渡った。

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