第13話 ノボメストの戦い 後編


 クルカ川。

 城塞都市ノボメストの東西に横たわる幅五八メートルの河川である。


 川には石橋が二カ所。比較的広い西側の大橋でも、荷馬車がすれ違える程度しかない。大盾を構えた歩兵なら四列が精いっぱいだった。


 この西の橋を、シュレッダー伯アンリ率いる重装歩兵六〇〇〇が猛然と渡河を始めた。

 ところが、大盾で頭上防備しながら先頭を進んでいた歩兵が突然、一斉にもんどりうって転倒した。


「っ……あ、油っ!?」


 橋の石畳にぬらぬらと照り返す液体に、尖兵達は顔色を失った。


 ノボメストは城壁の代わりに川岸に沿う形で四階建ての家屋が並ぶ。その屋根や窓からボウガンを持った帝国兵らが、雨あられと箭を降らせた。


 ボルトは十七センチほどのペンシル型をしていた。また弓弦も鉄弦であり、重装歩兵の甲冑をやすやすと貫いた。


 たちまち町の鉄門を目前にして土嚢どのうのごとく死体が積み重なっていった。


「た、退──」


 撤退を号令しようとした指揮官も喉笛を横から貫かれて、人嚢の一積に帰した。

 さらにそこへ、火矢が放たれる。たちまち橋は炎に包まれた。

 橋の上で撤退と行進が鉢合わせして橋上は大混乱となり、炎に包まれた兵士がたまらず川へ落ちていく。


 渡河失敗での損害は死傷者六〇余人。詰めの追撃として傷が浅いとみるか深いとみるかは各部隊の指揮官に委ねられた。


「んほほぉっ。やはり火はいいね。戦う闘志を奮い立たせてくれるよ」


 トゥドル王太子は味方に現実被害が出ても、自分は妄想世界から出てくる気はないらしい。橋上のスケッチに没頭する。

 自軍の作戦失敗を理解しているのだろうか。エチュードには問い質す老婆心もおこらない。


 とにかく午後の戦いは、これで終了した。


 遊撃隊陣営にパラミダを先頭にしてアルハンブラ軍が戻ってくる。

 血の池に飛び込んだかと見紛うほどの返り血と汗の臭いに、迎えに出たはずのエチュードが思わず足を後ろに引いてしまった。

 こちらに向けるパラミダの顔には、不完全燃焼を貼りつけていた。


「なぜ、渡河させなかったのか訊かないのかい?」エチュードは意地悪で訊いてやる。


「見りゃわかる。次(の策)は」

「あの城壁代わりの家を焼くしかないだろうね」

「用意は」

「できてる。今夜決行だ」

「わかった」

「君たちは、歩いて北から町に入ってくれ」


「あぁっ? 北ぁ?」


 前を通り過ぎたパラミダが振り返る。

 エチュードもいい加減、そのひん曲げた片眉面にも慣れた。


「御貴族様の作戦は、目の前の二本の橋をどう渡るかしか見えていない。こっちの迂回策には耳すら貸してもらえなかった。なら、お行儀悪く、連中をダシ抜くほかないだろう?

 後詰めにとっておいた一五〇〇をすでにこの町の北側へ渡らせてある。君は単騎で、この川を迂回して現地で彼らと合流。徒歩で北の農地用水路から町中へ入ってくれ。

 南側のそこのクルガ川で火事騒ぎになったら合図だ。合図から百数えて、突入。一番大きな宿屋・教会・商家なんかを重点的に探してくれ。火事騒ぎを聞いてすぐに窓明かりがついた建物。警備が多いほど大物がいる。

 おっと。それと肝心なことをもう二つ。これだけは頭に入れておいてくれ。

 将の中で、この町の領主シトゥラ侯グラーデンは必ず生かして連れてきてくれ。国王に献上する手土産にしたい。作戦は以上だよ」

「シトゥラ侯グラーデン。誰だ……見た目は」

「白い長髪の老人だそうだが、顔の肌つやは三〇代後半。数百年以上生きてる魔法使いらしい。剣の腕も相当だそうだ」

「ふーん。なら、今から行動かよ」


「戦った兵士には補給が最優先だ。まあ、ひと息ついていきなよ。シュカンピが用意してくれている。酒も少しだけ用意させた。今夜は寒くなりそうだ。そう、冬の夜は長いんだ。ここからかまどの煙が立ち昇れば、帝国も小休止したい気分になるだろう」


「ちっ。オレの参謀は、人使いが荒ぇんだよっ!」


 悪態をつきつつもパラミダは来た道を引き返し、シュカンピのいる鍋のかかった焚き火へ歩き出した。

 彼を見送った背後の闇から王太子トゥドルが目をギラギラさせた顔だけを晒す。


「なあ、グルドビナぁ。余もアルハンブラについて行きたいのだがな。どうかな、ん?」


 マジ気色悪いヤツ。エチュードはあえて振り返らなかった。


「パラミダが殿下を選んだのであれば、構いませんよ。その際は、国王陛下にも言いつけますので、そのつもりで」

「ふひっ、ふひししっ。君はアイツらと違って、ちゃんと説明してくれるのだな」


 独り言のように呟き、忍び笑い、荷台部屋のドアを閉めた。

 数秒後。椅子が壁に叩きつけられて大破する音とともに部屋が揺れた。

 その身辺を警護している兵士全員がうろんな目で夕空を仰いでいる。


 エチュードは頭をかきむしりながら、その場を離れた。

「失敗したな。……パラミダくんは、人前で酒を飲まないんだった」


  §  §  §


 深夜。

 薄い陶器のボトルに松脂とオリーブオイルを詰め、強度のワインを少量。シェイクする。中でよく馴染んだところに布きれを詰め込んで、先端に着火。


 いわゆる火炎瓶だが、エチュードの案ではない。

 その火炎ボトルに結わえつけた紐をハンマー投げの要領で振り回し、遠心力を載せて川向こうへ投げ放った。


 ウスコクが敵船舶に投げつける〝火釣瓶ひつるべ〟という火器で、シュカンピ達と相談して採用した。

 シュカンピ達にも活躍の場を与えてやらないと、今後の勤務にも張り合いがないと思ってのことだ。


 この夜襲に、敵も驚いたが、味方も驚いた。


 夜襲は、諸侯達のお行儀の良いノボメスト都市奪還計画には入ってないらしかった。

 エチュードも、そもそも貴族達がどんな企画立案を策定していたのかさえ聞いていない。


「配置は、右翼」「何もするな」これだけった。


 当然、これにパラミダが従うはずもなく、天性の直感で敵の横腹をしたたかに突き崩して川向こうの町まで帝国軍を押し返したのである。


 ならば、手柄は誰か。

 敵の逃げ尻につられて橋を無理やり渡河しようとした無策者がいたことからも想像はたやすい。

 しかし幕僚から、抗議の使者は来ていない。午後の伝令も無視なら、結果も無視。

 まるでさっきの戦闘がなかったかのようだ。


 だからエチュードは、キレることにした。


(誰も僕たちを愛さない。僕たちとチームワークが取りたくないなら、いいさ。なら、こっちだって小麦一粒の手柄だってくれてやるものか)


 後日に軍法会議で引き出されても、軍法に照らして公平に裁かれるはずはない。


(なんてったって、こっちは弟の命がかかってるんだ)


 この戦いで満足させなくちゃならない相手は、貴族でも国王でもない。パラミダだ。

 結果と既成事実で貴族たちに戦果をねつ造すらできないほど、カカシにしてやる。


(どうせ観客もいない、つまらない舞台だ。端役が主役を食ってやる。それで罰したければ、僕の舌をちょん切ればいいさ。できないだろうけどな)


 こっちにはトゥドル皇太子がいる。彼の下知だと言い張れば、国王だって否定はできない。


 川幅約六〇メートル先の壁や窓、屋根に火炎が着弾した。土器壺が割れて、油で燃え広がり、川沿いはみるみる明るくなった。町の中で帝国軍は泡を食った。


 窓を突き破って、室内から炎上する家屋。帝国兵は火を浴びて窓から川へ飛び込んだ。そしてなぜか鉄門を開けて橋に討って出た。ところが彼らは橋の上で立て続けにすっころんだ。


 自分達の油かすにエチュードが黄昏の夜陰に紛れて〝追いオイル〟してやったからだ。

 そこへも火釣瓶をご馳走してやる。 


「シュカンピ!」

 合図すると、隻眼の大男は馬上で胸を大きく膨らませた。


「城門が開いたぞーっ! アルハンブラ軍、突撃ーっ!」

 アラディジ二五〇〇騎が橋上の炎と屍を踏み越えて町の中に殺到する。


 その光景を王国軍はスープの皿を持ったまま呆然と眺めていた。が、さすがに無視できなくなったのか、皿とさじを捨てて槍に持ち替え、バタバタと橋に向かって走り出した。

 

「まったく。川の幅と城壁の高さを頼みにして、見張りを立てないとかあり得ないでしょ。その上、夜襲の火に泡食って、門を開けて出てくるとか意味不明だし。将が凡庸ってレベルじゃないね」


 エチュードは燃える町を河岸で眺めながら、焚き火でふつふつと脂が泡立つハムをかじった。


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