第14話 ノボメストのほら吹き侯爵
──ノボメスト陥落。
この報は、翌朝にはノボメストから四〇キール西の内陸都市ライバッハにも伝わった。
ここに、ぼくの赴任先である帝国軍前線統合本部がある。
兵舎最上階・総司令官私室のベッドから飛び起きたぼく──ラルグスラーダは、軍服の襟を直しながら軍議室までの廊下を歩いていた。
背後に付き従う、副官マルフリート・ストリチナヤ大尉が状況を説明する。
「我が軍はライカ川南に二万四〇〇〇で布陣。対する王国軍一万二〇〇〇がさらに南のベログランツの森前に布陣した由」
「倍近い戦力差を有しながら、台所はジリ貧だったからな。敵にそれを悟られまいと、わざわざ川を背負ったカロディン准将の心意気は買うが、籠城して時間を稼げば良かったんだ。とことんツキがなかったな。それで」
「はい。その准将ですが。王国軍に逮捕されました」
いややわあ、作戦の段取りわやにしといて、まだ生きてはるん?
ぼくは思わずマルフリートの端正な顔を見た。総司令官がどんな顔していたか反応を避けるように伝令書へマリンブルーの目を落とし、副官は続ける。
「カロディン本隊は、シュレッダー伯アンリ本隊と交戦中、例の旅団騎馬部隊が森から現れ、カロディン本隊は横腹を痛撃。そのまま寄り切られる形で市内まで撤退した模様です。
三時間後。王国軍による夜襲があり、城壁家屋が火攻めされ、粘性の高い油を浴びて炎上。カロディン准将とミュンヒハウゼン侯爵の居館が襲撃された由」
「あそこの城壁家屋が焼け落ちた?」
マルフリートは手許のクリップボードで確認することなく、応じる。
「いえ。主要な侵攻経路は町の北東と推測され、おそらく炎上中の外郭襲撃とは別動による奇襲と思われます。数は二〇〇〇前後で、歩兵のようです」
「へえ。王国軍も街カラスの集まりじゃなかったんだ」
「ここには記載がございませんが、例の〝ウミガラス〟の単独行動かと」
「パラミダ・アルハンブラか。カロディン准将のせいで二連敗、かあ」
グレゴリー・イワノヴィチ・カロディン准将は、四五歳。爵位は伯爵。
気さくで陽気、悪い人物ではないが、大言壮語を吐く悪癖があった。剛毅な性格でもあったが、裏を返せば楽天家でもある。用兵はCマイナー。
ノボメスト駐留三日目。王都へ兵二万で侵攻を開始。ところがその直後。所属不明の騎馬隊の待ち伏せにあった。
損害は、武器や食料を積んだ馬車八台とともに投石機を焼かれた上、大隊長一名負傷。中隊長二名。小隊長は七名も討ち取られた。
その所属不明の騎兵隊を追わせて、パラミダ・アルハンブラの名にたどり着いた。
生まれはハドリアヌス海の小さな港町。そこに根を張る地方豪族の長男らしい。
そこからぼく達は、彼を〝ウミガラス〟と呼称した。
カーロヴァックで、旅団と呼ばれる流浪集団と昵懇になり、騎馬二万を自前で所有。それを王国に献上したんだか奪われたんだかで、準男爵という破格の地位を得たという。
嫌味でなく、大した出世だ。救国の勇者と言ってもいいだろう。おまけにぼくとは三つしか違わない二十歳というから、二度驚かされた。
敵ながらアッパレだけど、ちょっとやり過ぎだ。
もう少し控えてくれていたら殺すには惜しい武将だったのに、今では惜しいけど殺さなくてはならなくなった。
結局、その被害のまま王都まで物見遊山するわけにもいかず、カロディン准将はすごすごとノボメストに兵を戻すはめになった。当然、ぼくは彼の評価を下げた。
「マルフリート。憶えてるか」
ぼくのことをぼく以上に知っている副官は、すぐに頷いた。
「はい。准将閣下は殿下の御前で誓いをお立てになられました。『ノボメストの防衛に身命を賭けて』、と」
ぼくは詰襟がしっくりきたところで、あごを振った。
「違う。我々の前でだ。他にも彼の大見栄を聞いていた幕僚はいた。でも、王都侵攻の先駆けとなる大役も未達のまま、一歩も進むことなくノボメストは落ちたんだ。なら、私の答えは、すでに彼自身が選んでいる」
「殿下」
「身代金返還には応じるな。敗将に払ってやる金はない。今のところはね」
最後の付則に、副官は少しホッとした様子で頷いた。
「承知いたしました」
「問題はミュンヒハウゼン侯爵だ。あの魔法爺さん。生きてるのだろう?」
「はい。捕縛もされずに自分の居城で一夜を明かし。王国が用意した貴族馬車で都へ向かったとのことです」
帝国に無血開城しておきながら、舌の根も乾かぬうちに王国に造反者として逮捕された人間への待遇ではない。
でも、世の中にはそういう抜け穴をいくつも知っている妖怪人はたまに存在する。
侯爵の世間評価は、人畜無害な酔狂ジジイらしかった。ノボメストをうまくまとめあげ、領民からも慕われている名物爺さん。
人望。都市を力で掌握するのに最も厄介なスキルだ。だから、安易に殺す愚は避けなければならなかった。
そして、このライバッハに戻ってきたぼくを追いかけるように、ノボメストから急報が届いた。
占領から七日。ノボメスト三〇万人の領民すべてが町からいなくなった。逃散難民になったと推測された。確認に向かった斥候の話を照合すれば、以下の通り。
一人残された領主──侯爵の家族や使用人まで逃げたらしい──は、帝国将校達に自慢の秘蔵ワインを振る舞いながら肩をすくめたという。
『いなくなった理由については、こっちが聞きたい。二枚舌で凌いできた領主に愛想を尽かすにしても、町ぐるみなんてなあ』と。居酒屋の店主か。
侯爵は、長年寝食を伴にした家族や使用人を、薄情だとは言わなかったようだ。
しかし、三〇万人だ。平時から時間をかけ、綿密に領主と領民達とで示し合わせていたとしか思えない足並みの揃い具合だった。
おかげで、帝国がノボメスト市で予定していた税、物資、人員の徴発が不可能になった。外からの物流は戦時下に入った町にも流れてこそくるが、相場はこちらの足下をしっかり見てくるだろう。
一領主による〝ひとり焦土作戦〟とでも呼べばいいのか。
もはや防衛拠点としても死に体の有様で、カロディン准将に進発させたら……足を引っかけられた気分だ。
とにかく、部下の責任は上司の責任だ。作戦統合本部としては帝都とも相談し、苦々しい気分で貴重な補給二万人分を送ってやろうとした。その矢先の陥落である。
そして、あの老領主は貴族馬車で丁重に町からご退場というわけだ。
シトゥラ侯グラーデン・フォン・ミュンヒハウゼン。いっそ殺しておくべきだったかもしれない。
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