第15話 地獄商人、石炭を運ぶ(1)
ティミショアラから西へ戻る。
セニの町を目指して走り出したソリ馬車は快調だった。
馬車は三台。ヤドカリニヤ商会の商用車(御者ティボル)、女性専用寝台車(御者ウルダ)、そして石炭・鉄鉱石輸送車(御者俺)だ。
とくに俺の担当する馬車は積載重量が一トンほどある。馬もそれなりに大きい。油圧式ブレーキが欲しかったが、そっちまで製作する鉄と時間がなくて諦めた。
途中、町外れの大樹に、例の白い蓑虫がぶら下がっていた。
その正体さえ知らなければ、どこか趣深い風情があった。
知らなきゃ、だけど。
帰路も平坦な道で、危なげなくあっさり都市ズレニャニンに到着した。
そこで宿に一泊して、平穏な二日目を迎えた。
と思ったら、また不穏が、俺たちに忍び寄ってきた。
ズレニャニンから西に馬車で一〇分ほどにある都市ノヴィサド。
こちらは建物が多く、人も賑わっていた。
「おい、なあ。そこのあんた」
俺が朝昼食を兼ねた小休止で出払ったの留守番を馬車でしていた。
そこに、商人風の男に声をかけられた。
「この荷は石炭だろ。全部ワシに売ってくれんかね」
馬車のサイズから輸送馬車だとわかったにしても、積載品が石炭とわかったのか。それに、全部だって……?
「悪いけど、もう売約済みだよ」
からかわれたと思うことにし、俺は気軽にあしらった。
だが、男は粘性の笑顔で食い下がってくる。荷が石炭であると肯定してしまっていた事に気づき、警鐘が鳴る。カマをかけられたのだ。この男、なんなんだ。
「よしわかった。それなら一〇〇tg、金貨五枚だそう」
こっちも商売はまだまだ素人だが、この男から喧嘩商売をふっかけられたのはさすがにわかる。
俺はニヤリと笑った。最近この笑顔が子供たちから「なんか悪そう」と笑われて、凄味があるらしいと知った。男が露骨におののいた。
「な、なんだ急に……っ!」
「いや、俺の雇い主は頭が良いお人だと思ってね。そんだけ前金でたんまり弾んでもらってるのさ。おたく、俺が寝返るだけのモノを出せるのかい?」
「ぐっ。もういいっ。後悔するなよっ」
前金の額も聞かず、捨て台詞を吐いて男は雪に足を取られながら立ち去った。
石炭に金は出しても、人心買収に金は出さない主義らしい。
寒空の下、馬車番してて正解だったな。
(でも、あの男の目)
捨て台詞と一緒にすごんだにしては腹に一物持っていた。大胆不敵というか、後ろ盾がよほどしっかりしているから、か。
カラヤンなら、あの男をどう見ただろう。強迫とみるかハッタリとみるか。
そのカラヤンだが、現在、風邪をひいて寝ている。
意外なことだが、あの人。人間だったらしい。
出発直前に、ハゲ頭を真っ赤にしてベッドから起き上がれなくなっていた。
それでも帰ることを強硬決定したのは、カラヤン自身だ。
「時間が惜しい。ただの風邪だ。のんびり寝てられるか」
と、根性を見せたものの、馬車の荷台に載るなり倒れて本当に動けなくなった。
〝
せめてジュニパーベリー酒でもあればよかったが、上位精霊が全部飲んでしまった。殿下は飲み逃げ中だ。呼べば現れるのだろうが、次に何を消費されるか分からないので引っ込んでてもらう。
ムトゥ家政長ら〝翡翠荘〟の人々から、本気で引き留められたが、カラヤンが熱っぽい頭を頑として横に振るので出発になった。
とにかく風邪対策の基本は水分補給と保温だ。
〝
寝袋は野宿用で、町の精肉屋を廻ってニワトリ、アヒル、カモの羽毛を麻袋三つ分をもらった。これをワインと水でよく洗い、網に入れて乾燥させたもの。
その間に、町で井戸端会議してるご婦人がたに「冬の内職どうですか」と声をかけて布生地と図面をわたし、縫ってもらった。
急ぎ仕事なので一人ロット銀貨五枚出すと言ったら、鯉の群れのように集まってきた。
一方で誤算もあって、用意した羽毛が麻袋三つで普通サイズの寝袋一つ分にしかならなかった。一八〇センチ超のカラヤン用にしては小さすぎた。
しかたなく寝袋生地の間に厚手の毛布を綿代わりにして保温性を確保する。
懐炉ポケットもついてるマミー型の優れ物シュラフ、八人分。しめて金貨五枚ほどの出費でも満足の出来映えだ。
一点物になってしまった羽毛寝袋の方は、おひい様がお目が高く気に入られたので献上した。すぐに使ってみると言って寝室に持ち込み、爆睡。これにはティボルもムトゥ家政長も苦笑いだった。
話は長くなったが、カラヤンの高熱がここ二日続いている。
普段風邪をひかない人は、ある時まとめてひくみたいに重症化するという。油断はできない。
「狼どの。カラヤンを寝台車に移した方がよいのではないか?」
食事から帰ってきたメドゥサ会頭が、俺の食事を手渡しながら言った。
匂いから、ソーセージとマッシュポテトのサンド。
すぐにパクつきながら、俺は顔を振った。
「風邪は人に
「うむ。そうだな。了解した」心配そうだが、こればっかりはどうしようもない。
「それより、みんなに戦闘の準備をするよう伝言お願いできますか」
「戦闘っ!? ……今度の相手はっ」
メドゥサ会頭は目を瞠った。とっさに声を
俺は先ほどの商人のことを報告した。彼女の凜々しい目許に緊張が走った。
「石炭を嗅ぎつけてきた上、その無体な相場だ。冬が始まったばかりだけに、それで諦めたとは思えんな」
「はい。おそらくこの辺り一帯の地元商人で、値を吊り上げても売りさばく自信があるのでしょう。なので、追ってくるかも知れません」
「わかった。腹ごしらえと馬の補給は終わっている。みんなに伝えておこう」
力強くうなずいて請け負ってくれた。
いやあ、いざという時の頼もしさよ。本当に商人に見えないなあ。
本人が聞いたら絶対ガッカリするから言わないけど。
§ § §
その後、襲撃の気配はなかった。
かわりに、雪の照り返しに混じって望遠鏡の反射光を捕捉した。間違いない。かなり遠巻きに距離をおいて
夕方。バチュカパランカ村という、ちょっち呼びにくい名前の小集落に泊まる。
素泊まり(食事ナシ宿泊)で馬の調整だけすませると、カラヤンを寝袋のまま
そして深夜未明に宿を出ることにした。
その夕刻のチェックインの時に宿主人と少し話をした。
宿主人に前払いした代金の上に、メドゥサ会頭は迷惑料を少しだけ上乗せする。
「なにか、わけありで?」
よせばいいのに主人が訊いてくる。
「うむ。名は知らんのだが、石炭商人に追われていてな」
メドゥサ会頭もあっさりこちらの手の内を開陳する。男前。
すると宿主人の目の色が変わった。
「石炭商人? もしかしたら、そいつは〈ゼムンクラン商会〉のズヴェズダンかもしれませんね。お気をつけになった方がいいですよ」
「ご主人。そのズビズバンとやらの知り合いか?」
とんでもないと宿主人は急に慌てて、困惑顔を左右に振った。
そこへ俺が、メドゥサ会頭の背後から腕を伸ばして、迷惑料の上にさらに銀貨を上乗せする。
メドゥサ会頭が宿主人に肩をすくめてみせた。
「詳しく教えてくれないか」
話に食いついたと思ったのか、宿主人は真剣な様子で説明してくれた。
「いや、それほど詳しくもないんですがね。この辺の集落は、どこも〈ゼムンクラン商会〉を恨んでるんですよ。
二、三年くらい前から随分強引な手口でティミショアラから大量の燃料を買い上げて、高値で売り抜いていたんです。なんでも時の宰相とずぶずぶの関係だったとか」
いわゆる、石炭にまつわる特定企業への
石炭商人のことに充分詳しい宿主人の話は、まだ続く。
「それが去年辺りに龍公主様についにバレましてね。都市の公営取引の信用を傷つけたと、いたくご立腹だそうで。
こっちで買いつける燃料の値段が、関税の名目で六倍近くに跳ね上がっとるんです。村長や市長が嘆願しとるんですが、龍公主様のお怒りはまだ溶けないらしくて。
なのに〈ゼムンクラン商会〉は味をしめてるせいか、懲りとらんのです。石炭を買い付けた旅商人を見つけては、金袋で殴るみたいにしてかっ攫っていくんだそうです」
「その商会の手駒は?」
「おります。たくさん。最近だと、北の方から流れてきた男どもを雇って借金の取立てで村ごと襲わせとるんだとか。もう巡警団も手がつけられん有様ですよ」
メドゥサ会頭は欠伸をかみ殺しながら、胸の下で腕組みした。
「暖が取れねば、みな凍え死ぬほかないというのに。許せんな」
その言葉に宿主人は嬉しそうに何度もうなずいた。どうやら鬱憤をはき出せて気が済んだらしい。
「ご主人。〈ゼムンクラン商会〉の手下に訊かれたら、私たちのことは地獄からの依頼で荷を運んでいるといっておいてくれ」
「へっ? なんですか、それ」
「私たちが運ぶ荷は、ゴロツキの命より重い。近づけば地獄へ引きずり込む、とな」
「ね、
宿主人は声を震わせた。うん、それは俺も言いたい。
「さあな。それは向こうの出かた次第だ。ご主人。迷惑料、確かに乗せたからな」
メドゥサ会頭は軽く手を振って、宿屋の二階に上がっていく。その後をヤドカリニヤ商会の手下たちが敵な笑みを浮かべて続いた。
「俺……戦闘準備って言ったけど。そういう意味だっけ?」
これ、もうギャングの密輸抗争になってないか。
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