第12話 ノボメストの戦い 前編
どおりで寒いと思ったら、雪が降ってきた。
雪に耳を澄ませると、世界はどこまでも静寂に思える。
昏い曇天から剥がれ落ちる白い欠片は、泥を凍らせた。
万馬が踏みしめる泥を、凍らせた。
「押し潰せぇえええええっ!」
ネヴェーラ王国北西部、ノボメスト近郊──
王国軍右翼アルハンブラ隊の軽騎兵二五〇〇が、森から猛然と飛び出し、帝国軍の脇腹に食らいついた。
馬子にも衣装。学士に甲冑。お世辞にも統率の取れた騎兵ではない。
パラミダ・アルハンブラが先端を走りることで部隊は奮い立ち、敵の黒い海を割って駆け抜けた。
彼の跡には敵味方入り乱れた屍山血河。ひと目見て勝っているようには思えない。なのに、帝国兵が苦杯をなめた顔をして退いていく。
戦争は数ではない。勢いだ。気迫だ。相手をぶちのめすというエネルギーだ。
まるでおとぎ話の竜退治を見せられているようだった。
ちっとも現実味のない、確かな迫力で敵兵を圧倒する。
アルハンブラ軍の騎兵たちはみな夢見心地で、長の背中を追いかける。
そんな光景を木陰に隠した
外には甲冑姿のシュカンピらグルドビナ付きの不良少年。参謀護衛官ということになっているが、事実上のエチュードの監視であることは間違いない。
パラミダとともにアラディジ騎兵は戦えば戦うほど練度が増し、野生の馬群がリーダーを得て進むべき道を委ねるに近い、洗浄の中で信頼関係が芽生えようとしていた。
パラミダもアラディジとの疎通を掴み、三人の隊長を戦場で手足のごとく操っている。気性こそ凶暴だが地頭は相当いいようだ。
「僕は、あの雄姿が見たくて、彼に近づいたんだっけ……」
エチュードはぽつりと心の中で呟きを落としてみる。
自分の目に狂いはなかった。大器を見出した興奮はあった。
けれど、今はどこか空々しい。
自分を踏み台にして出世街道を駆け上がったなら、まだ誇りに思おう。短身肥躯の自分に軍を率いる才はない。そう思ってやってきた。だから誰かに夢は託せる。
(でも、今のパラミダを救国の英雄たらしめたのは、僕じゃない)
「ふひっ。ふひっ。ふひししししっ。見事っ、見事だよ。パラミダぁっ。やはり余の目に狂いはなかった。君は素晴らしいよ、パラミダっ。余の創造力をかき立てる戦いの神だあ!」
となりで、羊皮紙に木炭でラフ絵を描いていく青年。
黒髪に端整な顔立ち。なのに、目には狂気の輝きを
王太子トゥドル。まだ十七歳だそうだ。
初めて王室の、しかも王位継承者と直接謁見したのは、秋の終わり。
実際、会ってみて興奮し、緊張もしたが、場を離れて残ったのは失望だった。
(あれで、王太子とは。あれは……七、八人は殺してるな)
まず最初にその直感が脳裏をよぎった。比喩ではない。しかも非戦闘で。私欲で。
貴族とは、華美な服の下に、世俗で計り知れないエゴを纏うものだ。
しかしあの貴人から透けて見えたエゴは、異質だ。
まるでこの世界とはどこか別の世界から来たような皆目理解できない動物に思えた。
人が残虐に殺傷されるほどに歓喜する。
ちなみに、彼の絵は風刺画よりひどいエネルギーの塊がぶちまけられていた。
酔狂人が見れば感嘆もしようが、エチュードにはただ気味が悪かった。
(あの方の目には、人が人として見えていないのか?)
この若者が玉座に就く前に、国を出たほうがよさそうだ。
謁見に浴した夜に、このことを弟にも告げた。
ポロネーズは笑って「兄さんが出たい時に出よう」と言ってくれた。
弟も修羅場をいくつも見てきた旅商人だ。ひと目見れば、あの狂気はすぐに危険だと感づくだろう。
それはパラミダも同じだったのかも知れない。
弟を拉致軟禁し、エチュードはノボメスト奪還へのネヴェーラ王国右翼遊撃隊参謀を命じられた。公式に。パラミダだが司令部と掛け合ってねじ込んだらしい。
「万に一つ、お前が戦場で死んだら、弟は見逃してやる。百に一つ、お前が俺を裏切って逃げたら、弟は殺すがな」
トゥドル王太子の怪画を見た後だったのが幸いした。
理不尽な物言いをするパラミダが心の友に思えて仕方がない。
「信頼していただいて光栄だね。忘れているようだから言っておくけど、僕は商人だ。作戦企画立案の主幹参謀なんてやったことがない」
「ああ、知ってる。周りにゴチャゴチャ言わせねー仕事をしてきてやるから、お前も知恵を貸せ。褒美はお前の言い値でいい」
「気前の良いことだね。なら、行軍前に買い込んでおいた備費の代金コミで七万ロット。それと帝国南部戦線へ送られたアラディジとの合流だ」
「金はともかく、合流だぁ?」
「彼らは家族で動いているんだよ。親兄弟を戦場で離ればなれにして不安のままでいたら、君への信頼は目減りしていく。その切実な苦情処理を僕にやらせる気かい?」
「ちっ。なら、エスターライヒのオッサンに根回しとけ。国王は侍従長とやらとデキてやがるから危機感が足りねぇ。そっちに話をもっていって無駄な時間は使いたかねーからな」
「わかったよ」
二万あったアラディジ騎兵は、その八割となる一万六〇〇〇騎をエスタラーライヒ元帥に吸収割譲。残された四〇〇〇でネヴェーラ王国軍のノボメスト奪還作戦の遊撃隊として与力することになった。
その対価として王国は、パラミダに準男爵位を授与した。そしてパラミダ・アルハンブラと改名を国王から公式に
これもすべては、トゥドル王太子による〝好意〟だった。
ただ、都市ノボメスト奪還に向けて正規軍と連繋すると言いつつも、四〇〇〇の騎馬は遊軍。つまり予備軍として後方に押し込められた。
事実上、
けれど、パラミダは戦場に出ることにしか興味がない。
それ以外の雑事庶務は、後方支援役としてエチュードに押しつけられた。
仕方なくアルハンブラ軍四〇〇〇のうち二五〇〇をノボメスト近郊の森に隠した。残りの一五〇〇は、後詰めとしてエチュードが管轄することになる。
「グルドビナ!」
荷台部屋の外からダグヴェから声がかかって、我に返った。
「西から鏡の光。三回だ」
「シュカンピ。伝令」
「おうっ!」隻眼の大男が格子窓にとりついた。
「全軍、川を渡るな。停止せよ。復唱」
「復唱。全軍、川を渡るな。停止せよ。了解っ」
土を蹴って甲冑の音が遠ざかっていく。
「なんだい。もう終わり?」
ひやっとする腐臭がうなじをよぎった。
音も気配もなく背後に立つなっての。エチュードは振り返らなかった。
「とりあえず、午後はここまででしょう。夜にもうひと押ししたいので」
「グルドビナっ!」
今度は、カメニツェが甲高い声をあげて駆けてきた。
「左翼六〇〇〇が止まらないっ。橋を渡ろうとしてるみたいだ!」
「んほほぉ! そうこなくてはな!」歓喜の声をあげたのは、血狂い王子だ。
「えっと。あの旗はぁ、どこの軍だっけ」
エチュードは格子窓ごしに目をすがめた。貴族の紋章旗をまだ憶えきれていない。
「シュレッダー伯だ。きっとアンリだね」王子はさらりと言った。
「従兄なんだ。パラミダくんに触発されたかな……死ねばいいのに」
耳が穢れると思い、聞かなかったことにした。そこへシュカンピが戻ってきた。
「シュカンピ。左翼が止まらない。もう一回伝令だ」
「ハァ!? いや、伝令はちゃんと伝えたぞ!」
「そうじゃない。こっちが舐められて耳を貸してくれないのはわかってた。それでも後で伝令が来なかったとごねられたら、僕たちはこの軍団の中で孤立する。なんとしても止めるんだ!」
「くそがっ、了解っ!」
シュカンピがとんぼ返りしてまた走り去っていく。
「大変だな。グルドビナ」
同情か。他人事か。王太子にだけは言われたくなかった。
「ええ。王太子殿下ほどではございませんよ」嫌味と同情を込めて応じた。
このキモ王子。公式参戦でエチュードのとなりに座っているのではなかった。
パラミダが貴族の嫌味から推測された情報では、過去の初陣で大ポカをやらかしたらしい。
なので、おとなしく王宮の隅で反省していればいいのに、またぞろしゃしゃり出てきて、現場の正規幕僚からも閉め出された。
行き場を失ったところにパラミダを見つけて、「密着取材」とか意味不明なことまで言ってついてきた。なりゆき遊撃隊で預かっている。よほど諸侯から嫌われた跡取り息子だ。
「此度の防衛戦において、余は、諸君の奮闘を後世に伝えることになるであろう。ネヴェーラ王国に栄光あれ」
居丈高な王太子に鼓舞されて感動する遊撃軍は、わずか三〇人の、彼の近衛だけだった。
主力であるアラディジ達は外巻きで型通りの片膝をつかされたまま仲間と首を傾げていた。
彼らは国のために戦っているわけではない。
金と家族のために戦っているのだから。
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