第10話 狼、帰りの馬車で歌を謡う


「お兄ちゃんっ」


 呼ばれてダイスケ・サナダは苦笑した。

 声からスコール司令代行を説き伏せるもとい、言い負かすことができなかったようだ。


 たまには言うことを聞いてくれない男子の存在というのも悪くないと思った。

 それでこそ、兄の寛容と慈しみが強調されるというもの。


「お兄ちゃん……なにをしているのです?」

「見ての通りだよ。雪だるま」


「七四も必要なんですの?」


 通気口をぐるりと取り囲む膝丈ほどの白い雪人形。その数をごく自然に言い当てられた。

 黄金龍公主エリダ・アウラールは、視野が広く瞬間記憶に優れている。見たものを瞬間的に把握できるので、四龍公主の中で司令塔ポジションにある。


「そうだな。あと三〇個くらい作ったら、休憩にするよ」

「どうするのです、これ」

「内緒」


 エリダはそれだけで、目を細める。サナダが単なる暇潰しに造っているのではないことを察したようだ。


「それより偵察の件、どうなった?」


「ぜ~んぜんお話にもなりませんわ。どうしても行きたいのなら、装備を置いて行けとまで言われました。お兄ちゃん、どう思います?」


 エリダの口調に対してサナダが要求する呼称が合っていないと部下たちからよく言われる。

 彼らは、わかっていない。

 気高く高貴な姫君に自分を「お兄ちゃん」と親しく呼ばせる、この違和感を強いる愉悦が。


「さっきね、東の空から閃光がこちらに流れてきたよ」

「閃光? それがなんです?」


「狼がもうすぐこちらに戻ってくる。あと一日か、半日ほどかな」

「えっ。それでは、いよいよ攻撃が始まりますのねっ」


「いや、すぐには始まらないさ。でも軍議はするだろうね。四家政長と狼。敵はもしかすると無頭竜かもしれない」


「首のない竜……?」


「サナダさんっ!」

 スコールが知らせに来た。通気口前に乱立した雪像を見回して、壮観の声を洩らした。


「司令代行。さっきの閃光なら、ここからも見えたよ」

「あ。そのことです。これから将軍二人を呼んで狼が戻ってくる前に編成会議しますから。食堂に集まってもらえますか」


「了解……悪いけど温かいもの、頼めるかな」

「了解っす。コーヒーでよければ」

「うん。砂糖抜きのミルク多めでよろしく」


 スコールが笑顔で引っ込むと、なぜかエリダが不機嫌そうに睨んでくる。


「なんだい?」

「お兄ちゃん、スコール司令代行と仲が良さそうなんですものっ」


「出会った期間はエリダと同じだよ。男同士なんてそういうもんさ」


「納得がいきませんわっ」

 サナダの手首を掴んで、エリダが歩き出す。

 計画通り。側近に聞かれたらドン引きされそうな愉悦に、サナダは満足した。


 十二歳の妹もよかったが、十五歳になっても甘えん坊な妹も悪くない。


   §  §  §


「アパ先生は、人選を誤った気がしてきたよ」


 帰りの馬車内。

 俺は荷台の床にうつぶせに寝かされ、〝樹形連環陣セフィロトエンジン〟の修復本格作業をしてもらっている。


 この世界に、俺の背中を治せる人がいるとは思ってなかった。

 主治医は、黒眼鏡と口許のほくろがセクシーな美女だ。三〇代前半。〝群青の魔女〟と名乗られたけど、名前は口にしなかった。それでも、ひと目見て安心が広がった。


 どこかで会ったことがある気がするのに、俺にその記憶がない。


「動けるとわかった途端に、敵に突っこんでいく馬鹿を初めて見たよ」

「狂戦士として造られたわけじゃないんですか?」

「その頭がかぶり物だったら、そうなんだろうけど。最近じゃあの手の邪法は客の受けが悪いのさ」


「ああ……突っこんでいくのに敵味方の区別がつかない、とかですか?」

「ま、そういうことさ」


「あの……なんで俺が改造つくられたのか、うかがっても?」

「知らない。けど、推測でよければ聞かせてやってもいいよ」


「是非」


「たとえ話として聞きな。水面みなもがある。風も吹かない場所の、黒い水面さ。光も通さず、波も立たず。そのままじゃ、その水は腐るんだ。水面の下で流れが生まれなきゃ、新しい命が生まれない。どうだい?」


「なんとなく想像できます」


「うん。で、ある賢者が、そこに星を投げ込んでみた。ところが水面はそれでも波紋すら立てなかった。そのまま星を飲み込んで、それっきりさ」


「え?」なんだその液体。


「次に、千年の金字塔を落としてみた。次に、聖剣と言われた剣を投げ込んでみた。次に、聖杯。次に、千年の知恵をつけた隠者。ついには聖人、権力者、聖女、罪人……」


「なんか、だんだん察しがついてきました」

「そうかい。まあ、そういうことさ」


 いや、そこで急に話を切られても。


「でも、それなら俺をそっちへ向かわせればよかったのではないですか?」

「その前に、お前が逃げ出しちまったんだよ。三〇年もの間」

「俺が、逃げた?」


「ああ。でもどこへ逃げたかはずっと把握してたらしくてね。あんたを造ったそのお人は、それをあえて放置して、観察を始めたんだ。その過程で、魂が二つでは獣神から人間には昇華しないと結論づけたのさ」


「えっと。それってつまり、どういうことでしょうか?」


「魂は絶対不変だけど、人の中にそれ単品で人間は成立しないってことさ。〝子、死して魂の泉に戻り、混沌に混ざりて遊び、いま再び欠片の雫となりて地に戻る。これを流転回帰。生の常なり〟。ってね。そこへ折よくっていうのか、うちの息子が死んでね」


 言葉尻にヘヴィな話題をぶら下げられて、返答に困る。


「えっと。それは、ご愁傷様で」

「ふふ。なんだい、それ」苦笑された。「それでさ。魂には脳、心臓、骨肉という三つ器が必要だと考えられてて、うちの息子の脳を使うことにしたわけさ。ジョルトっていって、そこにいるハゲの弟さ──コラ、動くなっ」


 うつぶせ状態から顔を後ろに翻そうとして、頭を抑えつけられた。


「えええっ、弟!? それじゃあ、俺は……っ。いや、あなたは……っ」

「ま、そういうことになるかね」


「あの、不躾ですが、あなたはご長男さんと似てないですね。ちっとも」


 率直な感想を言うと、群青の魔女はがっはっはっと豪快に笑った。あ、親子だった。


「まあね。でも父親とは瓜二つだよ。東方世界でゴリゴリの魔法剣士だったんだ。あのグラーデン・ミュンヒハウゼンも勝負を避けるほどのね。

 でも、七歳の時に魔法を使って兄弟喧嘩やらかしてジョルトを死なせてね。以来、魔法にトラウマを抱えるはめになったんだよ」


「ええっ! カラヤンさん、魔法も使えたんですかぁっ!?」この魔女に驚かされっぱなしだ。


「使えねぇよ。入門口で挫けた」

 カラヤンが幌に背中を預けたまま不機嫌そうに即答した。


「なあ、その話はもういいんじゃねぇのか?」

「そうだね。まあ、そういうわけでさ。お前はこの世界の流れを変えられるんじゃないかって期待されてるわけさ」


「でも俺、まだ何もできてませんけどね。石けん作って、温泉宿をつくったくらいですから」


「何かを起こせるヤツは、そもそも何かを起こしたかなんて気づかないもんさ。お前は欲望のままに進めばいいんだよ……ちょいと休憩にしないかい。お腹すいた」


「さ、さんせーいっす」


 すぐに賛成票を投じたのは、御者台で手綱を握っていたティボルだ。その助手席にはウルダ。短剣を油断なく突きつけて、ずっと馬車強盗少女だ。どうしてもティボルを許せないらしい。


 そろそろ助けてやるか。俺は起き上がると服を着た。


 再び円方陣スフィアが揃ったので胸や右肩の傷もみるみる完治し、身体の調子もすこぶるよい。これで三〇年ぶりのメンテナンスらしいので、魔法技術のすごさを改めて思い知らされる。


 二頭の馬を休憩させがてら、遅いランチにする。


 ちょっと辛い腸詰めを輪切りにし、薄く刻んだチーズをフライパンで温め、卵液を流しこむ。スペイン風オムレツなので、蓋に乗せてフライパンへすべり戻す。団体食はこれに限る。

 それからバケットを厚めに切って、間に切れこみ。そこにもチーズを挟み込んで焚き火の周りに串焼きにする。チーズがほどよく溶けたところでかぶりつく。やけど注意の口福だ。

 ここにコーヒーが合わないわけがない。


「なあ、ティボル」

「うん?」


「お前の個体識別シリアル、教えてくれ」


 ティボルは無言で目を見開いたまま、こちらを見つめ返す。俺はうなずいて、促した。


「J……K0AA1SS0TVL」


 カラヤンも魔女も、なんの会話かわからないのは当然だ。しかし食事に没頭しつつも、耳はこっちにあるのはさすがというほかない。

 ウルダだけがまったく聞いてない様子で、オムレツにかぶりついている。


「もしかして、日本製か?」

「あ、ああっ……不二山重工フジヤマインダストリーだ」


 俺はがっくりとうなだれて、首の後ろをもふった。


「やられたよ。てっきりあんたも複製体ホムンクルスだと、ずっと思ってた」


「外見の組成タンパク質は同じものを使わせてもらってる。人工血液もな。大公待遇なんだと」

「なるほどな。それで、いつしか複製体と同じ印までもらったのか」


 俺が自分の胸を刺すと、ティボルが苦み走った笑みを浮かべる。


「お前、目敏すぎだって……ケプラー様にもらったんだ」

「ということは、ごく最近?」


「いんや、三〇〇年前だ。評議会から廃棄処分の決定から免れるため、オレを複製体に準ずる扱いにしてもらえたんだ。もちろん、実験データをとるためだ。名目な。

 大公はあの時、複製を作って情報活動をしていたことは、評議会にもまだ秘密にしてた。だから、オレは公然とケプラー──ムトゥ様の監視下に置かれたことで、大公もおいそれとオレに憑依レイドして動き回れなくなった。あの時は今でも、あの方に感謝してる」


「あんた、一体何をしでかしたんだ」


「この世界のとある魔女とデキたのが、公国の統括評議会にバレた」


 俺はとっさに何か言おうとして、その言葉をどこかに取りこぼした。


 ティボル・ハザウェイは、大公がまどろみの中で描いた夢の代行者にすぎなかった。

 外見は複製体だが、オリジナル体を持たない。


 要は、ティボル・ハザウェイは、アンドロイドなのだ。


 その彼が採掘艦を出て外の世界を知り、自分という存在に悩みはじめ、成長を始めた。


 少しずつ……。少しずつ……。

 間違いながら、過ちを犯しながら、傷ついても前に進んだ。過去の失敗をしっかり抱えながら。

 そして人に恋をし、愛し、別れ、人生を歌い続けた。


 そして三〇〇年かけて、ティボルは確信したらしい。

 自分は、オリジナルだと。


 大公の複製という縛りはあっても、 長い旅の中で発芽した一個の人格──ティボル・ハザウェイなのだと。


 しかしこの自立を、大公は認めはしなかっただろう。


 人形が自分を人間だと勘違いすることは非現実的だが、なくはない。と。

 自分の学校でいじめはなかったが、社会現象として、なくはない。そう言っているのと同じだ。自分の複製だと認めるわけにはいかなかった保身だ。他人事。現実を見ようともしない。


 大公との戦いで、俺が期待した勝機は、そのティボルという人格だった。


 とはいえ、だ。

 衝撃の大きさにレスポンスにたっぷり二〇秒かかった。


「マジか……うわ、不意打ちだ。初代ヘーデルヴァーリは、あんただったのか」


「っ!? ふっ。くくくっ。お前……よくわかったな」

 愛想笑いを浮かべたので、俺は鋭くにらみつけた。


「なんの謝罪だよ。本当に謝らなきゃいけないのは、俺じゃないはずだよな?」

「ああ、だな」


 ティボルが不意に神妙な面持ちで焚き火を見つめる。くそ、イケメンが。これで生身の人間じゃないんだから嫌になる。


「一応、訊いておくけど。それは誰かの恋愛代行じゃあないんだよな」

「ああ。賭けてもいい。あれはオレの時間だ。強いて言えば、あそこからオレは自分ってモノに目覚めたのかも知れねー」


「そこで吟遊詩人くささを出さなくていいって」

「ばか。マジで言ってんだよ」


「ふぅん。……それじゃあ、二代目は?」


 ティボルは顔を振った。


「知り合いじゃない。運の悪いヤツだった。魔女から愛を勝ち取るためにオレの後釜になろうとヘーデルヴァーリまで名乗って、彼女を解き放った。だが結局、その名前のせいで学会に首を刎ねられた」


「えっ、無関係? それじゃあ、今のバルナローカ商会、黒狐は?」


「オレの弟子だ。偶然、自分と生態パターンが似ている子供を拾ったんだ。食わせてやりながら商売手伝わせてノウハウを教え、店を持たせた。二代目とのつながりはなかった」


「それであんたは、元のティボルと名乗って、〝黒狐〟を隠れ蓑に手代として潜り込んで動き回ってた?」


「ああ。魔女をおびき出すためにヘーデルヴァーリという名前だけで、他人同士の記憶を上書きする無茶をやられたんで、観察と保護もかねてた。帝国魔法学会はまったくイカれた組織だよ」


「魔眼を質入れしたのは?」

「それは……」


「あんたしかいないんだよ。三代目の記憶改ざんを知りつつ、上院ポジョニと結託してあんな無茶ができそうなのは」

「……」


「あんたも、エウノミアの行方を捜してたんだよな。そのために帝国魔法学会とディスコルディアの二重スパイをするはめになった」


「彼女は自分が捨てた魔眼を取り戻すためにのこのこ現れるような短慮な女じゃなかった。それに学会とディスコルディアの目論見とは重なる線も多かった。軽い仕事だと思ったんだ」


「その目論見は半分当たったわけだ。だけど、彼女は魔眼じゃなくて、初代ヘーデルヴァーリに執着してた。今も。あんたのために、彼女がどれほどの犠牲を払ったのか考えなかったのか」


「っ……言葉もねえよ」

「そういう人間くさい言葉を器用に吐けるあんたが、つくづくムカつくよ」


「じゃあ、どうすればよかったんだよっ!」


 ティボルが声を荒げたので、ウルダがとっさにホルスターの短剣に手を伸ばした。俺はそれを後ろ手に押し留めて、見つめる。


「徹頭徹尾、彼女の前から消えてればよかったんだ。そうでなきゃ、こんな面倒なことにはならなかった。おそらくディスコルディアも同じ事を思ってただろうな」


「……会いたかったんだ。それでもっ」


「じゃあ、なんで。俺がカラヤンさんを殴った席での帰り、彼女に声をかけなかった」

「っ!? それは……っ」


「声を換えていたからっていう言い訳はナシだからな。怖かったんだよな。目の見えない彼女にヘーデルヴァーリが三〇〇年ぶりに同じ席に座ってるなんてバレたら、半狂乱させてしまうかも知れないもんな」


「……っ」

「ティボル。そういう人間くさい計算をして卑怯に回避したことが、バケモノの俺でも頭にくるんだよ」


 ティボルはしばらく動かなかったが、やがて顔を左右に振った。機械が恋に物怖じしてる姿は、笑っていいのか怒っていいのか。俺にもわからなくなる。

 そして、この男はまだまだやらかしているはずなのだ。


「あと、どうする? あのこと、カラヤンさんにあんたから言った方がいいんじゃないのか」

「い、いや……悪い。そっちで言ってくれる? 今のオレ、そういう立場だしさ」


 ティボルの意気地なしっ。もう知らないっ。


「終わった話でも、首、斬られるかもよ」

「うっ。そこは、お手柔らかに頼んます」


「何の話だ?」

 カラヤンがコーヒーを口に運びながら訊ねてくる。


 俺はそのまま思い出話でもする口調で上司に言った。


「シャンドル義賊団の頭目を暗殺したのは、ティボルです」



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