第62話 グラーデンの屈辱(3)


 突然の寒気に、俺は金づちを振り上げたまま背筋をふるわせた。


「どうしたい、狼の」

 大槌を大上段に構えた体勢で、店主カールが心配そうに見てくる。

「いえ、大丈夫……なんでもないです」


 ホヴォトニツェの金床。鍛冶場。


 みんなが乾坤一擲けんこんいつてきの戦いをしている中、シャラモン神父に労働禁止を言い渡されたので、俺は趣味をすることにした。


 精錬鉄の出来具合を確認する。それには何か作ってみるのが一番だ。

 ということで、日本刀を造ることにした。鍋でも包丁でもなく。

 なので、金床を借りようと行きつけの鍛冶屋に寄ってみた。


 営業していなかったが、店主カールがいたので協力を頼んだ。そしたら、


「狼の。冬の内は大人しくしてた方がいいんじゃねえのかい?」


 困惑顔をされた。さすがに倒れた現場を見られているので、弁解に困った。


「いえ。これは趣味ですから」

「あのな。武器を造るのが、病み上がりでやる趣味なわけあるか。鍛冶を舐めるんじゃねえよ」


 ごもっとも。


 でも、せっかくリンゴで〝マナチャージ〟して、グローアに〝祝福チャント〟をもらっているので、自分でもそんなにヤバイとは感じていない。

 ちょっと熱っぽいくらいの風邪だと思っている。


「一本だけです。一本だけ作ったら家帰って寝てるんで。それに、興味ありませんか。俺の作る武器」


「ダメだダメだ。その殺し文句も来年までナシだ。真っ赤に煮えたぎった鉄湯の中に頭から突っこもうとしてたヤツに、何を言われても無茶にしか聞こえねえよ」


 きゅう~ん。


「ヒマで死にそうなんですぅ。助けてくださいよぉ」

「そんな憐れっぽい目でこっち見んな。お前みたいな元気な死にかけ、見たことねえよ」


 持つべきものは顔馴染みである。

 実は、リエカからあり得ない掘り出し物をゲットしていたので、ここぞとばかりに試したくて仕方がなかったんだ。


 玉鋼たまはがね

 前世界。この名称が用いられるようになったのは明治時代中期。大日本帝国海軍が大砲の玉を作る際に用いた鋼(坩堝るつぼ鋼の材)からだ。という説がある。


 それまでは〝白鋼〟しらはがねと呼ばれていたが、それも室町時代からのこと。日本刀の歴史はそれよりもずっと前、弥生時代からすでにあった。


 また、玉鋼が日本刀専門の鋼材と見なされるようになったのは、一九三三年(昭和八年)の〝靖国たたら〟と一九七七年(昭和五二年)の島根県〝日刀保にっとうほたたら〟の時のようだ。


 見なされているだけで、玉鋼は日本刀以外に使ってはいけないわけじゃない。兵庫県の明珍火箸という伝統工芸品や全国の文化財修復の釘などにも使われている。


 そうはいっても玉鋼が製鉄における極上品で、稀少品であることには変わらない。現代鋼と比較しても有害不純物──特にリンと硫黄の含有量が非常に少ないため割れにくく、激しい折返し鍛錬にも耐えられる高い鍛接を可能とする。


 鍛接とは、二つの金属を貼り合わせて熱と圧力を加えた時の接合のことで、いわゆる〝鉄に粘りが出る〟と比喩される所以ゆえんとなる。

 玉鋼によって鉄の炭素量を制御でき、優れた地鉄じがねを持つ日本刀の製作が可能だとされている。


 その一方で、刀匠によっては、玉鋼を用いずに鍛錬される方もいる。


 俺が刀鍛冶に興味をもったのも、中学の時に出会ったその玉鋼を使わない刀匠さんの影響だ。鎌倉期における相州伝そうしゅうでん(現在の神奈川県に伝わる鍛錬法)の再現を研究されていた。


 この異世界で見つけた玉鋼は三〇〇g。お値段なんと五〇ロット。一般成人男性の月給三ヶ月分。割引ナシ。


 玉鋼を見つけた店も〝仕立屋サルト〟と同じ通りにある宝飾店でだった。ショーケースで赤や紫の宝石指輪の展示台に使われていた。譲ってくれと頼みこんだら、ふっかけたつもりなのか金貨五〇枚とニッコリ。


 一片の躊躇もなく即金払いした。銀でもないただの白い金属塊に大枚はたくなんて頭がおかしいと思われたかもしれない。


 玉鋼を見つけた時、奥さんに内緒で三万円のガンプラを買う男のロマンが直感的に理解できた。ひと目見た瞬間、魂の渇きが欲するっていうアレだよ。わかるかなぁ。


 錆びた鉄クギ(酸化鉄)なんて一㎏で大銅貨三枚だった。こっちもお買い得だった。

 その玉鋼と錆びた鉄クギ(溶解済み)。そして精錬鉄鋼。これらが揃えば俺に日本刀以外の選択肢はなかった。あとは貼り合わせて叩くのみ。


 年越し間際。周りの店が閉まっている中、男二人だけで日本刀鍛えてる光景はなんともシュールだ。

 奥さんはラリサ組の世話にいってるらしい。五人中四人が未成年だから可愛くて仕方ないのだろう。夫婦そろって面倒見がいい。


「よし、それくらいでいいだろう」


 ひたいに玉の汗を浮かべる店主の合図で、俺は刀身を長水槽に潜らせる。

 ジュウゥッという音を聞いた瞬間、俺は達成感で腰が抜けそうになった。疲れが取れる音だ。


「……次の刃文どうしようか……やっぱ、のたれかな」


 ぼそりと呟きつつ、反った刀身を金づちで矯正していく。焼いて冷やしたら、鉄が急速収縮するので形状が反る。だからまた焼いて叩き直す。その繰り返し。人も鉄も叩き過ぎないことが鍛錬のコツ。その見定めが難しいんだとか。

 いや、もしかすると、あの刀匠さんにからかわれたのかな。


 刀に刃文を入れる〝焼入れ〟の他にも、つばはばき縁頭ふちがしらの製作。き(刀身に溝を彫ること)はした方がいいよな。

 年内は〝下地研ぎ〟をして、来年は帽子研ぎまで行ければいい感じか。


 〝茎〟なかごの銘は「踏襲済写楽」でいいか。日本刀製作は数番煎じの異世界ネタだし。でも画数めんどいか。いっそ鋼拓狼……自由研究の宿題スメルがする。本格刀鍛冶やってんだぞ。せっかくの玉鋼が泣くわ。


 鞘の木は何を選ぼう。鞘塗り、鮫皮張り、糸巻き。まだまだ工程はある。ああ、夢が広がるんじゃあ。


「なあ。狼の」

「へ……えっ? なんです?」

「こいつぁ、アスワンの湾刀ともレイピアとも違うな」


 技術の出所を訊かれているのだろう。鉄を折り返すなんて技法はないだろうし。


「極東ですかね。たぶん」

「たぶん?」

「ある男達から口伝で教わりました。向こうも俺が本気で鍛冶をするとは思ってなかったでしょうが」


「どんなやつらだ?」

「さあ、この辺では見ない人種でしたね。いわゆる職人集団っていうヤツでした。ギルドではないようでしたが。直接教わったというより見よう見まねですね」


 なにせ、俺の直接の技術師匠は大手動画〝刀工〟サイトだからな。


「職人集団か……なら、そいつらとんでもねえ魔巧師連中だったんだな」

「魔巧師?」


「ああ、コイツから得体の知れねぇ力をビンビン感じるぜ。これは聖剣。いや魔剣かもしれんが、とんでもねぇモンを感じる。こんな剣を俺はいまだに打ったことがねえよ」


「今、打ったじゃないですか」

 ここは、茶化してお茶を濁す。そしたら、真顔で顔を振られた。


「とんでもねぇ。こんなデキブツをテメェの実力もなしに打ったことにしたら、あとが怖ぇよ」


 そんなにすごいのか。俺は、改めて〝茎〟なかごを両手で持って刀身を正眼に構えてみる。


 重い。やや肉厚だ。目測で、二尺四寸五分(約七三センチ)。

 昔、持たせてもらった〝長曽弥虎徹〟よりもやや長く、重い気がする。疑いの余地なく実戦向きだ。美術品じゃない。武器だよ、これ。


「聖剣。魔剣……。いやぁ、よくわからないですね」

「お前、魔法使いじゃねえのかよ……」店主が呆れた様子で唸る。


 だから、俺は魔法使いじゃないってば。もうとっとと作業を続ける。


「次にこの刃に、刃文を入れたいので、次は焼入れの準備しますね」


 刀身に置く焼刃土は〝粘土屋〟の敷地から持ってきた陶土に石灰石粉と砥石といし粉をまぜたもの。


 目標は〝焼き幅広くおおどかなのたれ〟だ。刀身の幅に対する刃文の幅が広めで、おおらかでゆったりとした波型〝湾れ〟を描きたい。

 刀として一目でわかりやすい。俺の中のザ・KATANAのイメージだ。


 木篦きへらで刀身に焼刃土が置き終わると、俺は片刃を焼き場にそっとつっこんだ。

 この後──、

 店主がこの日本刀を聖剣魔剣の類だと言った意味を、俺は理解することになる。


  §  §  §


 雪に動物の通った跡すら見当たらなくて、嫌な予感がした。

 グラーデン隊は、真っさらな道をく。


 積雪が馬の腹に接する。それでもこの健気な動物は必死で前に進む。人のせいでこんな所で動けなくなるのはごめんだと言わんばかりに雪の中を足掻く。


 馬上にあっても、地表の雑木林はなお頭上にあった。


 この道は小高い丘陵が裂けて崩れたことでできたのだろう。左右の土壁から剥き出しになった木の根が寒そうに震えている。総じて薄気味悪い道だ。


「ワイズマン。この間道を抜けたら小休止としたいが。どう思う」

「御意。街道との合流点はもうじき見えて参りますので。そこで」


「うむ。よしなに頼む」


 ──ぺちゃっ。


 グラーデンはどこかでその奇妙な音を聞いた。顔を上げる。


「ワイズマン、今の音は……?」

「音、でございますか?」


 ──ぺちゃ。ぺちゃ。……ぺちゃっ!


 近くで音がした。とたん、前を進んでいたクラウザーがうなじを押さえて悲鳴を上げた。

「つめたっ!」


 グラーデンは今度は側近と同時に上を仰ぎ見た。

 上にある雑木林の枝から墜ちた雪塊ではない。人工物──人に縫製された袋が無数に降ってくる。


 眼前に迫ったものをとっさに手で庇い払いのけた。確かに冷たい。手が濡れた。その手を鼻先に近づけるとかすかにいそ臭い。


「海水っ!? しまった!」


 敵の姿はない。頭上に広がる雑木林の死角から投げてきている。袋はこちらを狙って投げられているのではない。ひたすらこの道に向かって闇雲に投げ込んできているのだ。

 だが、その数は一〇〇や二〇〇ではきかない。


 その証拠に、袋同士が空中でぶつかって次々と中の海水をこぼす。それが下にいる人馬に文字通りの冷や水をぶちまけられた。


 敵の狙いは、ここを通過する騎馬一千騎の〝体温〟だ。


「急げーっ! 一刻も早くここを離脱するのだ!」


 クラウザーが前衛に声を嗄らして号令する。だが深い積雪が馬の脚を絡め取り、ここで下馬することさえも躊躇わせた。


(まさに〝寒獄〟に閉じ込められてしまうとはな……くっ、やむを得んかっ)


 グラーデンは顔に貼りつく白髪もそのままに、顔前で〝印〟ルーンを結んだ。


 〝 天空を乱舞せし風の精霊ボレアースよ

   晴嵐の車より糸を紡ぎて雲となさん 

   すなわち之、緑雲の旗を織りなせり 

   今こそ、ここに金色の雷渦を招来せん 〟


 ──〝旋風陣雷〟フウァールウィンド


 グラーデンを起点として爆風が巻き起こった。風は周囲の雪を吹き飛ばし、さらに左右の丘陵、果ては雑木林をも薙ぎ飛ばして彼らの視界を切り開いた。


「おおっ、助かっ……クシャンッ!」

 騎士達が水攻めから解放されて、安堵の歓声を上げた。


「御前……っ!」

 ワイズマンが馬上でぐったりしているグラーデンを気遣う。

「申し訳ございません。吾らのために」


「ふふ、少しくらい主人らしいところも見せておかんとな」

「はい。幸い、御前のお陰をもって拓けた場所ができました。この場で小休止をとりましょう」


「それはありがたい……いや、ならぬ。このまま進むのだ」

「ですが」


「さっきの風で、お前たちの胴衣ダブレット(鎧の下に着るインナーシャツ)が乾いたわけではあるまい。むしろ状況は悪化の一途だ。止まってはならぬ。進むのだ。セニについたら一番に風呂屋を探そうぞ」

「はっ」


 たかだか十八キール。その道程のなんと遠いことか。

 しかしここまで来たからには、セニの町中にまで入ってやらねば気がすまぬ。


 グラーデンは魔法を使ってしまったことで、第一家政に説教された記憶をきれいさっぱり過去に追いやってしまった。


『東方不敗の魔剣法士も、たまには痛い目に遭ってこその、人生でございましょう』

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