第63話 とある男の決意


「ご苦労様でした」

 城門を潜ると、シャラモンに迎えられた。カラヤンはうなずいて応じる。


「先ほど、第2区画で魔法の使用を検知しました。属性は【風】。ランクは中位です」


「中位だあ? 血迷ったかよ、グラーデン」

 カラヤンは苦虫を噛みつぶした。


 戦場での魔法使用は、国際条約において厳格に決められている。

 宣戦布告に基づく使用基準の規定内に留まらなければならない。すなわち、どの程度の戦術魔法を使用するかを、あらかじめ両国間で定めて通告宣誓しておくことでのみ使用が認められる。


 なので、私闘は論外。中位魔法使用が観測された時点で、重大な国際問題になる。


「それで損害は」

「幸い、死者はありません。ただ、こちらで観測した限りで、使用のあった場所周辺の丘陵森林地帯が更地さらちになりました」


 重傷者は吹き飛んできた樹木や岩石によって、胸骨骨折二名を含む手や足の骨折者が二一名。他二九名が飛んできた石で打撲などのかすり傷を負った。

 死者もゼロなら、無傷で生還できた者もゼロだった。


「なんてこった。スコールはどうしたっ」


 シャラモンは少し表情をゆるめて頷いた。

「おかげさまで、かすり傷の方です。手当てをしたフレイヤの話ではまだ戦意も挫けていないようです。まだ行けます」


 カラヤンはホッと胸を撫で下ろして、表情を引き締め直す。


「タマチッチへの報告はどうなってる」

「もちろん使者を出しました。さすがに中位規模ではこの町から丸見えです。秘匿のしようがありません」


「面倒くせぇなあ。この喧嘩をどうやって説明すりゃあいいんだ?」

「その釈明責任はグラーデン侯爵にあります。我々はあくまで喧嘩で押し通すほかありません」


 相手の事情など知ったことか。こちらは被害者だ。すました美貌がそう言っている。実にシャラモンらしい合理的な判断だと思う。


「狼の〝水攻め〟策がよほど堪えたようだな」

「ええ、それは間違いないでしょう。ですが、ここからが真骨頂になります。魔法の釈明も含めて、侯爵を捕らえたいものですね」


「そいつは贅沢なデザートだな。あの〝狼魔法〟は、間違いなく死人が出る」


 本人へは陽気に言ったが、あれは狼を傷つけまいとするカラヤンの思いやりだ。


〝狼魔法〟の実地試験は、木造平屋の空き家で行った。

 家から二〇セーカー離れたところに射手を立たせ、屋内の風船に向けて窓越しに熾火おきびを射出。

 結果、家屋は木端微塵に吹っ飛んだ。現場検分で集めたウスコク兵長二〇名がその場で青ざめて、口も利けないほどの威力だった。


 カラヤン自身、石炭から採った煙だと言っても所詮は窯の煙だし、まあ火事くらいだろうと考えていた。それが家が跡形もなく吹っ飛ぶのを見て戦慄した。

 その上で、シャラモンが魔法を検知できなかったのだから二度戦慄した。


『あれって、一種の兵器だなって』


 狼の言葉に嘘偽りがなかったことを、カラヤンはどう反応してよいかわからなかった。

 わかっていることは、狼は自身の知識を熱烈に欲しているグラーデンをとことん嫌っている。権力者に捕まるくらいなら、いっそ殺してくれと言ってきた相棒の言葉を今さらながらに、重く受け止めていた。


 カラヤンの知る魔法使いは逆だ。自分の博識を誇示するために、兵器を売り込むのが魔法使い。自己表現欲の塊みたいな連中だ。

 シャラモンだって帝国時代はそうだった。そのために禁断や邪道、外法などあらゆる知識に手を出してはやり過ぎて、帝国でトラブルを起こしていた。その結果の左遷である。


「おい。狼はどうした?」

「水袋を実演製造していたところを逮捕して、無理やり家に帰しました。何か用事でも?」


「いや、それでいい。落ち着きのねえあいつのことだから、この辺をチョロチョロしてるのかなと思っただけだ。まあ、おとなしく真っ直ぐ家に帰ったとは思えねぇがな」


「隊長さん。彼に何か相談があったのですか」


 カラヤンは少し迷った。神父に懺悔するようなことじゃない。まして狼に話すことでもないような気がしてきた。

 要するに、現状が不安だと思われるのが癪だっただけだが。


 カラヤンは剣の柄を横へ倒すと、刃を根元だけ抜いて見せた。

 シャラモンはすぐに委細承知して、一つうなずいた。


「なるほど、一騎打ちを挑まれましたか。……相手は余程の将首だったようですね」

「ああ。戦場では会いたくねぇヤツだった」


 シャラモンは訳知り顔で見つめてくる。あの灰緑色の瞳で。


「ならば、あなたの愛剣も本望だったことでしょう。侯爵家に所属する一廉ひとかどの将を討ち取ってついえることができたのですから。剣だけは騎士として天寿を全うしたのですよ」


「ったく。耳の痛てぇことを言ってくれるぜ」


 こいつの〝眼〟にはいまだに慣れない。しかも〝眼〟の元主が言いそうなことを言ってきやがる。勘弁してくれ。


「それで。どうしますか。我が軍の総大将はこのまま本陣でふんぞり返っていますか」


「いや。まだメドゥサのグレイブが残ってる。コイツでもうひと暴れ……とまではいかなくても、ここの外でグラーデンの到着を出迎えたい。火に当たりながらな」


「さあどうでしょうか。侯爵があの〝狼魔法〟を無事にかい潜ってこられれば、ですが」


  §  §  §


 ヤドカリニヤ家の船団長ゴーダは、穏やかな人物である。

 三九歳。海を仕事場にし、真っ黒に日焼けした小柄な男である。


 妻は、あの猛母マルガリータ。三人の子供にも恵まれ、スミリヴァル族長の下でささやかながら廻船業を任されていた。運ぶのは、主に塩。堅実な仕事と温厚な人柄で、町の人々からそれなりに親しまれていた。


 そんなゴーダには一つ、ごく一部の漁師しか知らない特技があった。

 弓漁と呼ばれる、ハドリアヌス海ではあまり聞かない漁法を得意としていた。


 簡単に言えば、弓矢で魚を捕るわけだが、矢は鉄矢。獲物は大型魚に限った。

 カジキマグロやサメ、シャチやイルカなどの海洋ほ乳類。ハドリアヌス海にクジラが入ってくることは稀で、しかし弓漁とはそういった大型海洋生物と海で戦う術だった。ウスコクが古来から培われてきた漁法ではない。


 子供の頃。父親が与えてくれた絵の中に、海獣相手に弓で格闘する北方漁師に憧れた。鉄の矢は高価だったが、父親が「やっぱりお前もウスコクだな」とすんなり買い与えてくれた。


 この技が海賊で効果を発揮した。逃げる帆船にロープの付いた鉄矢を撃ちこみ、リールで巻き取りながら接舷する。

 その重要かつ優秀な遠距離射手として、ゴーダは十八から一目置かれてきた。


 〝キール・ポーラ・ゴーダ〟──五〇〇セーカーのゴーダと。


 そのゴーダが今回、〝狼魔法〟が仕掛けられる第3区画の区長に抜擢された。

 抜擢したのはシャラモン神父だ。他の兵長から異論は出なかった。

 公平にいって、他の兵長達は任務の困難さに怖じ気づいたのだ。


 第3区間の作戦はこうだ。

 まず、敵隊列を区間深くまで通過させ、グラーデン侯爵のいる中程後方の本部隊を通過させる。その直後の後続部隊を狙って、〝狼魔法〟を起爆させる。


 この初爆で、グラーデンの退路を塞ぐ。そのため絶対に射手は先に敵から捕捉されてはならない。捕捉されれば残った後続部隊によってなぶり殺しにされるだけでなく、初爆が第二起爆の合図となっているからだ。確実に起爆することが求められた。


 第3区画は、緩やかなカーブになっている。敵部隊の先頭となる第二起爆地点からではグラーデン本隊がある第一起爆地点が見えない。それを発破音で報せるほかなかった。


 その初爆後。今度は先頭部隊付近の〝狼魔法〟を起爆。この第一、第二の起爆によって爆発に挟まれた形になったグラーデン軍に区間すべての〝狼魔法〟を一斉起爆させる。

 これだけで敵騎兵部隊一二〇〇のうち半数が死傷することが、帝国式の戦略試算で弾き出された。


 本作戦立案は、シャラモン神父だった。


「重要なのは、第一起爆から七秒以内に第二起爆を行わなければならないという点です。不慮の奇襲を受けて人が混乱している時間は、最長でも約二〇秒。その間に起爆をたたみ掛けて大混乱に陥れてください」


 普段、穏やかな語り口調で生徒に丁寧な勉強を教えている聖職者とは思えない冷酷無比な作戦指示だった。


 ゴーダはシャラモン神父に一つだけ質問をした。


「狼さんは、このことを知っとるんですか」

「はい。〝狼魔法〟が本作戦に採用されることはカラヤンから話してもらいました。とても心を痛めておいでのようです。ですが、これを使わなければ、この町は蹂躙され、狼さんは侯爵家に連れ去られてしまうのです」


「連れ去られる?」


「あの〝狼魔法〟は、狼さんが作った物です。つまり、材料さえわかれば、カラヤンにも作れるのです。効果は皆さんもご覧になった通りです。あのような知識を多く持っている狼さんを本物のバケモノにしないために、政治や戦争に利用させてはならないのです」


 神父の説明は、よくわからなかった。

 ただゴーダにとって、狼は、息子ロカルダを引き立ててくれた恩人だ。


 おとなしいだけの、なんの取り柄もないと思われていた末っ子が、たった数ヶ月でヤドカリニヤ商会の工場の現場主任に取り立てられた。町の出世頭だった主計長の一人娘との婚約もすませた。

 女房の有頂天ぶりといったら、亭主から見ても可笑しいほどだ。


 何もかもうまくいっている。それも突然現れた、あの狼頭の人のお陰だ。


 家族に幸せをくれた狼が、貴族に連れ去られる。

 黙って見てられなかった。ロカルダの父として、何かしなくてはいけないと思った。


 貴族どころか人を殺した経験すらなかったが、恩返しをする時は今この時をおいてどこにもないと思った。


「その最初の起爆、このゴーダがやります」


「よくぞ名乗り出てくれました。危険な任務ですが、必ずやり遂げてください。ふむ……確か、細君のマルガリータさんは裁縫がお得意でしたね」


 この神父は、魔法使いのように本当になんでもよく知っている。


「ええ、まあ。まちで針子をしとりましたが」

「白い帆布でフードコートを作り、それを着て雪に紛れてみてはいかがでしょう。雪の中でその鎧では目立ちますからね。さしあたりの防寒にもなるでしょう」


 ようは、雪が白だから白を着てみろってことか。

 そんな解釈をして家に帰ると、リエカから女房が戻ってきていた。

 ゴーダはあまり口がなめらかなほうじゃない。それでも事情を訥々とつとつと話すと、マルガリータはちょっと眉を怒らせた。


「もう、なんだい。せっかく久しぶりに御貴族様の衣装を縫ってきたところなのに、今度は白帆布(無染色の平凡生地)を縫わなくちゃならないなんてねえっ」


「すまんな。おれの死に衣装だと思って。頼む」

 つい自分の気負いを言ってしまったら、突然泣かれた。泣きながら怒られた。


「バカお言いでないよ。あんた。ロカとサルディナの挙式を見て一杯やるんだろ? そのための高いワインはもうとっくに頼んでるんだよ。手や足がなくなったっていいから、帰ってきておくれよ……っ」


 いつもは気丈というか頑丈というか、どんな時でも小揺るぎもしなかった女に泣かれるとは思わなかった。


 それからマルガリータは真新しい帆布を持ち出すと、亭主の立ち姿を見ただけで採寸し、型紙も使わずにハサミ一本で裁断し、翌朝には上下一着仕立て上げていた。


 その出来映えに、ゴーダは少しだけ涙ぐんだ。


 ああ、おれが死んだ恩給で、アイツにはこの町で仕立屋をやらせてやりたい。きっとすぐに一番になるだろう。


「そういや、マルガリータのやつ。朝っぱらからどこに行ったんだ?」


 朝食の用意と一緒に書き置きの木札が添えられていた。最近、夫婦で教会へ通って字を覚え始めたばかりだ。だから多くは書けない。


 ──【ノエミ 会う】


 ゴーダは思わずクスリと笑ってしまった。


「おれがいなくなっても、親子ゲンカはやり過ぎねぇようにしろよ」


 いつものように女房のつくった朝食を食べ、いつもではない鎧を着込み、その上から真新しいコートをかぶった。鎧を着たことで、ぴったりだった。あったかい。


「おれはいい女房を持ったよ。マルガリータ、達者でな」

 ゴーダは、使い慣れた弓と鉄矢を持って家を出た。

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