第61話 グラーデンの屈辱(2)


 男は、白い息を盛大に吐いた。

 薙刀グレイブを小脇にたばさみ、黒い鎖帷子かたびら兜頭巾かぶとずきんをかぶった下で、ギラリと一軍を睨みつけて馬上から吠える。


此方こなたこそはヤドカリニヤ商会所属傭兵長カラヤン・ゼレズニーであるっ。

 彼方かなたにあるは、ノボメスト領主シトゥラ侯グラーデン・フォン・ミュンヒハウゼンの一軍とお見受けいたすっ。

 ここよりはジェノヴァ協商連合ヴェネーシア共和国領ダルマチア域である。いかなる存念を持って、此方に軍勢を通されるのか。その真意を問い質したい。ご返答やいかに!」


「商会ごときが騎士の真似事をし、われら騎兵隊を止めるとは無礼千万っ!」

「野良犬一匹。我らに吠えかかるとは笑止なっ。斬り捨ててくれるわっ!」


 いきり立つ騎士を後目に、グラーデンは側近二名を連れてするすると前に駒を進めた。


(やれやれ。あれだけ堂に入った誰何すいかを受けたら、騎士達が黙っていられなくなるだろうが)


 ムラダー・ボレスラフことカラヤン・ゼレズニー。政治取引は苦手そうだが、現場での駆け引きはうまいようだ。血の気の荒い男どもをあおるのは得意か。

 グラーデンは、側近二名に最前で停止を命じると、単騎で国境線に向かった。


「よお」

 手を挙げてグラーデンは、兜頭巾に声をかける。

 カラヤンはこれが数日前の狂紳士だとは思えない太平楽もとい、落ち着きぶりに戸惑っているようだった。


「グラーデン・フォン・ミュンヒハウゼン殿か?」

「いかにも。どうした、もう忘れてしまったのか。パンクィナムは元気にしておるか?」


 その名で、露骨に顔をしかめられた。


「そのような名前の魔術師はヤドカリニヤ商会にはおりませんな」

「いない?」

「左様です」

「あの者を外へ逃がしたのか」


 カラヤンは一瞬口を開きかけて、押し黙った。


「元よりいない者を逃がすも隠すもいたしかねます」


 ちっ。ひっかからなかったか。悪かった。悪かったから、そう睨むな。


「もうセニの行政庁には報せたのか?」

「ただの喧嘩です。ここから帰っていただければ、報せません」


 度量も分別もある、よい判断だ。ひょっとすると、元どこぞの騎士かな。なんにしても浪人ノラで終わるのが哀れに思えてくる。


「あの狼男が欲しい。もらい受けに来た」


「差し上げられません。彼の者は、おれ達の狼です」

「もちろん存じておるとも。だから、〝くれ〟と


「お断り申し上げる。これはヤドカリニヤ商会の総意です」

「であれば、ムラダー・ボレスラフの生存。王国で公言してもよいな?」


「さあ。そのような男、おれは知りませんね。会ったこともねえ。最近になって、町に首を晒したとの噂が流れてきましたが、おれ達には関係のないことです」


 カラヤンの口調にもだんだん遠慮がなくなってきた。

 グラーデンは、またあの狂気ばしった眼で微笑んだ。


「では、今日からお前が、ムラダー・ボレスラフになるか?」

「──ッ!?」


「プーラの町の冒険者ギルドで手配書をみた。懸賞金は三〇〇万ロットだったな。あの貧相な首級でも偽装だとしれれば、守衛庁のメンツは丸つぶれだぞ。

 懸賞金を倍にしてもムラダーボレスラフを捕まえに奔走するだろう。この戦時下であっても、だ。


 当然、首実検の商人となったバルナローカ商会会頭は、偽証罪に問われる。さらにプーラ、リエカ、そしてセニで、ムラダー・ボレスラフを通報しなかった者。かくまった者は同罪の死罪だ。わかるか? 。私にはそれがのだよ」


 直後、カラヤンは大笑した。グラーデンの後方で聞いていた側近や兵士達が息を飲むほど殺気を含んだ大音声だった。


「なるほどな、こりゃあ狼が毛嫌うわけだ。まあいい。ロード・シトゥラ侯グラーデン。おれをムラダー・ボレスラフに仕立て上げようってんなら、吊し首でも打ち首でもなんでもすりゃあいいさ。だがな──」


 突如、カラヤンの瞳から人間性が霧散した。


「狼も含めて、おれの仲間に手を出してみろ。一両日中に、あんたの女房と孫を殺す! わかったかっ、ヘボ貴族っ!」


 グラーデンの眼からもクワッと炎が尾を引いた。


「その戦気や良しっ。ならば、お前を踏み潰して叡智の魔人をもらい受けるとしよう。もはや戦前口上は仕舞いぞ。──ストロンガ大尉っ、前へ出ませぇいっ!」


 後方の隊列をわって現れたのは、漆黒の雄牛にまたがったゴーレム人間。

 装備は重鎧だが、その上に熊やら狼やらの獣皮をつぎはぎした野趣溢れる防寒着をまとっている。

 右手には、それ一撃で家が解体しかねぬ巨大な鉄槌を肩に引っかけていた。


「下馬の礼を尽くせぬ無礼をばお許しを。第5連隊強襲部隊、隊長マルコ・ストロンガ、ここにまかり越しましてございます」


「よい、許す。彼の者がこたび戦の大将首だ。見事刈り取って末代までの誉れとせよ」


「御意」

 ストロンガ大尉は、カラヤンの前に進み出て、おのれよりも矮小わいしょうな存在を睥睨へいげいする。


「上意である。悪く思うな、傭兵よ」


「ああ。お互い様だ。おめぇさんなら久しぶりに本気を出せそうだ。しばし待て」


 カラヤンは手綱を返すと馬を下りて、その尻を叩いた。

 馬はセニの方へ走っていくが、十数セーカー離れたところで立ち止まって、ちらっと後ろを振り返る。


 カラヤンはグレイブを雪山に突き刺し、剣を腰から鞘ごと外すと柄を少し腰の前につき出す。それから腰を低く構えた。


「待たせたな。では、死合おうか」

「剣を抜かないのか。見たことのない構えだ」


「我流だ。誰かに教わったわけでもねぇ。だが、これが一番、はやいのさ」


「ふんっ、気に入った。その勝負。乗ってやろう」

 ストロンガ大尉は大鉄槌を右手から左手に持ち替えた。身体を後方へねじり、左脇構えの態勢をとる。


 そのバネを引き絞った体勢のまま乗り物の腹を蹴った。

 漆黒の巨牛は前へ跳躍するように両前脚で雪を蹴り、蒼白の雪道をカラヤン目がけてまっしぐらに吶喊とっかんした。


 ──ズドドドドドドッ!!


「うぉおおおおおおっ!」

 猛将のおめきが凍ついた空気を揺るがした。

 鉄槌が傭兵の兜頭巾はおろか、全身ごと砕かんとスイングする。


 瞬刹しゅんせつの交差であった。


 カラヤンの兜頭巾と雄牛の左角が宙を舞った。

 巨牛が地響きとともにカラヤンの横を駆け抜け、白い地面にどおっと崩れた。それでも巨体は止まらず、慣性で雪を掻きながら大木に衝突。ようやく止まって落雪をかぶった。


 カラヤンは呼吸を乱した素振りを見せず、兜頭巾を拾った。

 そのそばには、大鉄鎚が鎚を下にして屹立していた。ストロンガ大尉の両手首が柄を掴んだままぶらさがっていた。

 そして、ストロンガ大尉は、角よりもさらに高い宙を舞っていた。


 首だけ。


 カラヤンの抜刀からの一閃は、その斬線上にあった物──牛の左上頭部、将の両手首、胸当て、そして首──これらすべてを斬断したのである。


 カラヤンは愛剣を見つめた。

 剣身の中心から亀裂が大きく走っている。

 カラヤンにとって、これもまた一つの身近な死であった。

 呼吸を細く整えると鞘に収めた。それからようやく地表に戻ってきた好敵手に短く黙祷する。


「おめぇさん、利き手は右だったろ。なんで左に持ち替えた。馬上で名を挙げた騎士がたまにやらかす初歩のおごりだ。まあ、それを誘うために、おれは馬から降り、おめぇさんの左に立ったんだがな」


 馬を下りたカラヤンに対し、ストロンガ大尉が乗り物から降りなかったのは、みずからの突進力を保持するためであった。


 巨躯ゆえの体重。破壊力に特化した重武器。それらを支える膂力りょりょくはあったが、それを効果的に活かすだけの突進の初速に自信がなかった。戦場では問題にならない欠点も、一騎打ちでは勇心にかげを落とす弱点になる。


 ストロンガ大尉にそれをこのタイミングで気づかせたのは、カラヤンだった。


『我流だ。誰かに教わったわけでもねぇ。だが、これがのさ』


 一対一の立ち会いだからこそ露呈した、スピードに対するごく小さな劣等感。些細な逡巡が、ストロンガ大尉から牛を降りる選択肢を殺し、利き手から武器持ち替えさせた。立ち会う前からカラヤンに窮地へと誘われていたのだ。

 そのことを、猛将は永遠に気づくこともなくなったわけだが。


「あの、ストロンガ大尉を一刀両断、だと……っ」

「バケモノか、あの男っ」

「まさに大将首は伊達ではないか。仕留めるなら、今か」

「このまま生きて還しては、この一戦の禍根とならぬか」


 予期せぬ前哨戦の敗北に騎士らは戦慄し、また同時に奮い立った。

 グラーデンの側近二名が馬上からカラヤンを見つめたまま両腕を左右に広げて自軍を制する。戦前口上、一騎打ちは戦場の儀礼作法。それに異を唱えるのは騎士に行いとなる。


 カラヤンがグレイブを手に馬を呼んで颯爽と町へ駆け戻っていく。それを見て、若い騎士達の血潮は辛抱できなかったらしい。十数騎が槍を手挟たばさみ、次々と上官の制止を振り切って後を追った。


「その大将首、置いてゆけーっ!」

「逃がさぬぞぉ!」

「一手、勝負ッ。勝負ーッ!」

「ならぬぞ。きさまらっ! 戻れーっ!」


 十数騎はまたたく間に、カラヤンの背後に肉薄した。ところが、である。

 カラヤンの馬を追撃していた十数騎の馬が突如として次々と転倒した。


 後方で眺めていた騎士達は功を焦った同僚たちが無様に雪で滑っていく姿をみて、一斉に笑い出した。

 だが、同じように眺めていたグラーデンは緊張した。


「ワイズマン。クラウザー」

「はっ」


 側近二名が下馬して近寄ってくる。グラーデンも馬を下りて彼らを迎える。全軍の大将としては威厳を欠いたが、気が急いたのだ。


斥候せっこう(偵察)を二分隊(二班一〇人)出せ。一分隊はこのまま順路を。もう一分隊は迂回路を探させろ」


「迂回路、でございますか?」

 怪訝そうな側近に、グラーデンは両名の肩を抱くようにして額を近づけた。


「今のあやつらの転倒した距離。凍結路にしては長過ぎではなかったか?」

「っ……では、よもやこの先は」


 グラーデンは小さくうなずいた。


「カラヤンの馬蹄に穿鋲スパイクを見た。信じがたいことだが、ここまですべてがヤツの術策なのだ。

 昨晩は雪は降っておらんが、風は強く吹いていた。この先に水を撒いて路面をならし、凍結させておるやもしれぬ。

 斥候にはこの先二キール以上、同じ凍結路面が続くのであれば引き返させて、迂回路を探す分隊と合流させろ。

 これ以上、セニまでの道で足止めを食らえば、兵の体温も下がる。糧食も少ない。日が傾けばかたむくほど、このありふれた街道の雪で〝死霊の盆踊り〟を踊るハメになるぞ。ヤツらの狙いは時間稼ぎ。この十八キールほどの道程内での、我々の自滅だ」


「ははっ」


 駆け去る側近の背中を見送らず、グラーデンは馬に乗り直して午前の太陽を見上げた。今ほど弱い冬の陽射しが恨めしいと思ったことはない。


(大将を囮に使った策謀。あのゼレズニーの自策ではあるまい。セニにはペルリカ意外にも用兵に通じる魔法使いがいるのか。だとしたら、いや……ひょっとすると)


「あのパンクィナムの差し金か?」


 グラーデンは思わずニヘラッと相好を崩した。

 だったら、その非凡なる叡智、尚さら欲しくなるではないか。

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