第38話 狼、温泉宿をつくる(32)


 ハイ&ロー。

 カードゲームにおいてシンプルな遊びで、開示されたカードに対し、伏せられたカードの数字が高いか低いかを言い当てるゲームだ。 


 クリマス・ボッターの計画はたぶん、こうだったはずだ。


 獣族奴隷に一八〇万もの大金を払う馬鹿はいない、というのがこの世界の常識。だから競争相手は少ない。いても、一八〇万から二〇〇万の範囲で刻んでくると読んだ。

 だが念のため、競り値が沸騰することも考えて、オークショナーに小遣いを握らせて封印入札方式──書式入札方式に切り返させ、最高額を狙えばいい。そんなところだろう。


 俺の予想では、ボッターがヴィサリオ・ウラから認められていた持ち金は、〝レシャチカ荘〟を含めて三〇〇万ロット。高くとも二〇〇万から二五〇万の範囲内で落札。そう考えていたはずだ。

 ところが、奴隷獲得に重きを置きすぎて〝レシャチカ荘〟をあっさり奪われた。古民家に基準額の四倍を出す落札者がいるとは想定外だったのだろう。だが、すぐに気を取り直す。ヴィサリオ・ウラの意向通り獣族の娘さえ手に入れば、古民家などどうでもいい。そう割り切った。


 後がないところへ、その〝ミランシャ〟にも俺が掟破りの金額公開したことで、計画の歯車が空中分解した。


 封印入札は落札金額を秘密にするから跳ね上がりを防げるわけで、全員が入札する前から金額を公言しては意味がない。ましてや、奴隷一人を買うのに九五〇万という額も非常識だった。

 だから、他の参加客は会場に非常識が起こっていることに気づいて、俺の呼びかけにあっさり応じて逃げ出した。


 当然、ボッターは封印入札方式をオークショナーに申し出た手前、そこから逃れることはできない。


 競売規約をぶっちぎってくる二人のバイヤーが、ミランシャを巡って競っている事実をオークショナーは事ここに至り、ようやく知ったはずだ。


 こいつら、封印入札競売で〝決闘〟をする気だな、と。


 普通ならオークショナー権限で、競売停止にしてもおかしくない異常事態だ。


 だが、このモルビド・チャリオッツという人物。自分が楽しめればなんでもござれの性格をしていたので、ボッターが汲みしやすく、俺にも有利に働いた。


 俺は二枚目の投票用紙を、モルビドに握らせた。

 二枚目の存在を知らない彼の頭には九五〇万ロットの数字を思い描いていたはずだ。現に、ボッターもそうだった。


 だが、開示された落札金額は一八〇万一ロット。基準価格に金貨一枚を上乗せただけだ。

 封印入札には、競り値の沸騰を防止するメリットの他に、一ロットでも基準価格を上回っていれば救済措置があった。ここに俺にとってのメリットがあった。


 開示されたボッターの落札金額は、一〇〇〇万ロット。

 一般的な競売において、金額が高い方が落札される。


 これにより、ボッターは公式にミランシャの最上位落札権者となった。


 一〇〇〇万ロットを、五日以内に、全額、支払えられれば、な……。


 物理的に無理だ。銀行だって奴隷購入のために城塞を買うほどの額は貸せない。ましてや、ボッターは一度ホリア・シマの死で二〇万ロットを回収不能に陥らせて虫の息だった。その起死回生として、この競売代行を請け負ったのだ。


 結果、人生を破滅バーストさせた。


 ちなみに、俺がやったことは競売における公正取引上の価格誘導、取引妨害、最悪、営利業務妨害にあたるので、真似しないように。


  §  §  §


「封印入札方式に変わったのが、逆にお前さんに幸いしたってわけか」

 マクガイアがコーヒーをすすり、しみじみと言った。


 五日後──。

〝レシャチカ荘〟応接室。


「だが入札時に希望価格を公言するのは原則、入札妨害だ。失格宣告されて会場の外へ放り出されてもおかしくなかったぜ」


「ええ。でも、そこはモルビドさんに大目に見てもらえましたね」

「やっこさん。何か言ってたかい」

「ええ。あとで笑ってました」


『ヘビみたいなお客様から奴隷競売を指摘されて、封印入札にしようと持ちかけられた時、こりゃ何かあるなって、すぐ感づきましたよ。

 で、フタを開けたら、そこに尻尾をおっ立てるサソリもいたんで、ああこりゃあ面白そうだ。やらせてみようかと思いました』


「がっはっはっ。雇っておいてなんだが、とんでもねえ競り人だ。頭がいいのか人が悪いのか」

「こっちの思惑が図に当たったんですから、今となってはどっちでもかまいませんけどね」


 俺とマクガイアは、がははと笑った。


「そのボッターだが、だいぶ泥を吐いたそうだ」

 クリマス・ボッターは今、守衛庁の牢屋にいる。ヴィサリオ・ウラの口封じを恐れて保護を求めてきたようだ。所持金は二三〇万ロットの小切手と小銭。自分の儲けを考えなければ、静寂荘もミランシャも競り落とせる体力があったのだ。


 守衛側はここぞとばかりにこれまでの悪事を追及して、徹底的に絞り上げていくらしい。因果応報。同情の余地は全くないが。ていうか、俺には嫌がらせされた側なので、どうでもいい。

 この駆けこみ逮捕があって、支払期限の五日を待たず、クリマス・ボッターの一〇〇〇万ロット支払い不能が確定した。

 次順位にあった俺に落札権者の資格が繰り上がったのは、競売から翌日のこと。


 即日、俺は小切手で諸々の落札品とともに、一八〇万と一ロットを払った。


 今、この〝レシャチカ荘〟には、サラ夫人とミランシャはいない。支払い完了したその足で、俺は奴隷財産を放棄したことで自由の身となり、モモチ老人とともに町を出た。

 今ごろは、越境してヴァンドルフ領に入っているだろう。

 果たして獣族のお姫様がここへ戻ってくるのか、それから先のことを彼女らがどうするのかは、俺も知らない。


「どうだ、狼。人助けをした気分は。それとも散財だったか?」

 マクガイアが皮肉を込めて訊ねてくる。俺は両手を広げた。


「ええ。もちろん散財でしたよ。今のところは……。正直、二七〇万ロットで温泉宿を開業するとなると心許ないですね」


 正直、軌道に乗るまで、商会名義で銀行から融資を受けた方がいいのかも知れないが。


「まあ確かにな。そういや、聞いたぜ。あのナスターシャ・ロカを、雇い入れたんだってな」


 前オラデア・バロック宮殿の女性執事バトラーを再雇用した。


 礼儀作法は完璧だし、お金の管理、施設の管理、従業員の統括指導力。どれをとっても申し分なかった。給金はあまり多く出せないと前ふりして頼みに言ったら、働ける場があるのならと渋々、支配人就任を承諾してくれた。まあ、オーナーにキレかかる態度がマイナスかな。


「また、早朝に魔法で野戦演習とかするのではないでしょうね」


(……するわけねーだろ)


 ここ数日、彼女には部屋の内装手配と従業員の接客指導を任せている。各部屋の色調が陳腐だというので、落ち着いた色彩で、と釘を刺して彼女に五〇〇〇ロット預けて任せることにした。


 俺は温泉のインフラ発注と顔役さんたちとの周辺整備に忙しかった。

 あと、例の女神像は全部砕いて、生石灰にして畑の肥やしにした。

 オラデア周辺のお百姓さんは来年の秋あたり、豊穣の女神に感謝することになるだろう。

 だから不法投棄ではないのだ。


  §  §  §


「ホリア・シマの不良債権はどうなりましたか」

 マクガイアはコーヒーをひとすすりすると、


「ああ、まずはひと息つけた。こんな超短期間で処理が進んだのも、お前さんや〈バルナローカ商会〉があの宮殿を買ってくれたからだろうな」


「〈バルナローカ商会〉はあの宮殿を拠点にして極東への道を模索しているのかもしれません」


「極東か。貴族をしのぐ大商家は、描く絵図のスケールが違うな」


「俺にとって〈バルナローカ商会〉は、港町にあって冒険者相手に商売をする道具屋のイメージしかないですけど」


「王国が共和国になって、王族にはり付いていた商会が軒並み振り払われちまったって聞いてる。もしかすると共和国を見限って複合企業としてこっちに来る気かもな」


「複合企業……あ、シェア食い」


「そういうこった。公国は鉱山資源が豊富だ。鉄や銅を始め、オレんとこのミスリルもある。まったく、オオカミを退治してトラを呼び込んだかもなあ」


 どこの家政長も悩みは尽きないようだ。


「その後、ヴィサリオ・ウラと家族はどうなりました」


「うん。スコールとウルダ、あとサルトビだったか。あいつらが居場所を突き止めてくれてな。別荘で仲良く三人で温泉に浸かってたところを確保した」


 うちの子らから聞いた話では、ウラ一家は炭鉱そばの隠れ湯のような別荘へ逃げ込んでいたそうだ。

 カラヤン隊・銀狼団が急行した時、ウラ一家はどうしてこの場所がバレたのかわからなかったらしく、きょとんとしてたらしい。

 また、連行される時、湯着のまま幌のない荷馬車に乗せて下山させられたらしく、町に戻ってきた時に彼らを見た領民たちは、最後まで領主一家だとは気づかなかったそうだ。


「逮捕手続きには、ヴィサリオの庶子(正妻以外の子)なんだが、長男オリバスと二男ウルバスというのがいる。こいつらが協力してくれた」


「所領安堵の代わりに、父親と異母弟たちを売りましたか」


「そこまで言ってやるなよ。連中も親に冷遇されながら歯を食いしばってきて、今回の不始末で御家存続に必死だった。ただ領地は安堵したが、所領はこれまでの三分の一とし、爵位も伯爵を剥奪して、男爵位に。取り上げた所領はアラム家の新天領にさせてもらった」


 天領とは領主直轄地のことだ。江戸時代、幕府の直轄領も天領と言ったりした。


「ウラ領の主要都市を押さえられましたか」

「当然だ。誰のせいでこっちは痛い目に遭わされたと思ってる。狼、お前さんだって余計な魔法を使わされたじゃねえか」


「まあ、そうですね」


「主要商業都市五つと、炭鉱、鉄鉱山を合わせて四つをアラム家の私産として接収した。なによりウラが議会に無許可で独自にせしめていた通行税を撤廃させたのは、デカい。

 これで黄金龍アウラール治領へのオラデア直通ルートが開通できる。鉱山の産出歳入で、来年あたり敷設事業にも乗り出していくつもりだ」

「おお、ハイウェイ建設ですか。いいですね」


 起伏の多い道よりも真っ直ぐな道は、人と物両方の輸送業にはありがたい。やっぱり技術を持っている人は強いな。


「最後に一つだけ伺いたいことがあります。ここが〝静寂荘〟と呼ばれている理由です」

「なんだ。知らなかったのか。ウジェーヌ公と普通に話してたから知ってるもんだと思ってたぜ」


「いや、そこは。御貴族様に話を合わせておかないと」


 マクガイアはがははと笑った。コップの中のコーヒーが空なのをちょっと惜しんだ顔をしたので、馬車係にコーヒーのおかわりを頼んだ。


「ここは、元もと診療所だったのさ。しかも腕の良い魔法診療所だ」

「魔法? つまり……サラ夫人は治癒師ヒーラー?」


「先祖返りってのかねえ。クリシュナ人にしては先天的にマナ練成がうまかったらしい。二〇年ほど前に、ここを通った魔女に手ほどきを受けて、あとは独学で治癒師として勉強して診療所を開設した。それがレシャチカ荘診療所。通称〝静寂荘〟ってわけだ」


「なぜ静寂なんですか?」


「この中じゃ、静かにしなくちゃいけねぇからだよ。心音を聞いたり、脈をとったりな。そん時のサラ夫人の口癖は〝お静かに〟だった。患者はクリシュナ、ドワーフ、獣人も分け隔てしなかったから、結構流行ってたらしい」


「なるほど。だから、リンクスを連れた俺たちをすんなり受け入れてもらえたんですね」

「うん。彼女なら無下にはしないと思ってた。前にも言ったが──」

「いい人柄なんですよね」

「そういうこと」


 コーヒーのおかわりが来て、一端言葉をつぐむ。


「ところで、狼よ。その身体どうした?」

「サラ夫人たちが街を出た日の夜に、帝国魔法学会と魔法対決を少々」

「少々ってアレじゃねえよな。立てないんだろ?」


「あはは……っ。面目ないことで。あ、人体には問題ありません。マナを限界ギリギリまで消耗したので、実は座ってるのも辛い状態です」


「もしかして、あのきったねぇ魔導書……本物だったのかよ」


 俺は何も言わなかった。もう思い出したくもなかった。

 ポジョニの「ジジイ」はともかく、シャラモン神父も同じ心境だろう。

 あれは嫌な事件だったから。




※『黄昏たちの囁き』編は、現時点で割愛。番外となり、機会があれば書きます。

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