第25話 血塗られた魔女の眼帯


 カーロヴァック市郊外──カールシュタット地区。

 しんしんと落ちる雪塊が、冷え切った住宅の風景を白に塗りこめる。

 白いのに昏い。なんとも薄気味悪い場所だ。

 そこへ、召使いが戻ってきて、ドアをノックする。

 窓ガラス越しに帽子のつばに雪が厚く積もっている。防壁を取り外した貴族馬車なので、寒さで血の気を失って震える召使いの顔までよくわかった。


 ドアを開けてやる。全開だ。首を挟まぬように。


「どうであった」

「はい。ございました。おそらく、これではないかと」


 外から差し入れられたのは、矢に口を縫い止められた小さな革袋だった。


 トリテミウスは受け取るや、すぐにその矢を引き抜いて袋口を開いた。

 中から取り出したのは、黒絹の細帯だった。むっとする血の臭いに紛れて微かなバラの香りが鼻腔に留まった。


 トリテミウスはその黒絹にもう一方の手をかざし、ブツブツと詠唱を始める。

 あそこで魔女の血を確かめられると言っていたら、馬車から引きずり出されて連れ去られていただろうか。いや、考えたくない。

 やがて黒絹から、青緑色の光がべっとりとまだら状に浮き上がってきた。


「間違いないっ。これはエウノミアの黒絹に、魔女の血だっ。よし、馬車を出せ。帝国へ帰るぞ」


 ははっ。召使いはドアを閉めるとロックをかけた。

 動き出した馬車の中でトリテミウスは黒絹を袋に戻し、大きく息を吐いた。

 そうだ。これで帝都に帰れる。この損な役回りとも、おさらばだ。

 この地では暖炉の火すら肌に合わなかった。


 今期の学会長選挙出馬はもう、取り下げよう。どうせポジョニの根回しには勝てまい。

 それよりも当分は静かに普段の聖職者として仕事をこなして、穏やかに過ごそう。


 ワシは、この地で誰にも出会わなかった。

 何も見なかった。誰とも会話を交わさなかった。

 ましてや、人ならざる者と取引など──。

 ガタン。

 馬がいななき、車が急停車した。

 トリテミウスはつんのめって、現実に引き戻された。


「ど、どうした。何事だっ」


 御者に怒鳴る。だが返事があるより早く、ドアが開いた。

 入ってきたのは雪をかぶったフードローブの二人組。〝棘〟を握る左手にきらめく金の指輪を見た瞬間、車内の温度が下がった。


「抜け駆けとは恐れ入ったぞ。トリテミウス司教」

「なっ、バルドンか……っ!?」生きていたのか。なら、もう一人はリドルか。

 鼻先に雪明かりに反射する〝棘〟が突きつけられる。


「な、何をするっ」

「お静かに。それをこっちに渡していただこう。このまま貴殿の死体を帝国に送り返しても良いのですぞ?」

「見下げ果てたやつっ。魔法学会員が、強盗の真似事など……恥を知れっ!」


 うめいた直後、顔面を二度殴られた。のけぞった拍子に袋を掴まれる。

 トリテミウスの指先は最後の抵抗を試みたが、乱暴に取り上げられた。


「黒絹? ……なら、この血痕はっ。そういうことかっ。トリテミウス司教っ!?」

 応えなかった。視線を逃がす。

「ふんっ。司教よ、なんと卑しき取引をしたのだ。我々のことをなじれるお立場か? 墜ちたものだな」


 一緒にするな。賊として地獄に落ちた輩に、何も言っても聞く耳などあるまいがな。


「魔女と取引をした者は、死罪。ご存じなかったとは言わせませんぞ」

「だ、黙れっ。強盗風情が、魔女裁判の真似事などしてなんの──」


 言い終わるのを待たず、また殴られた。これが数年の間、評議会で共に意を合わせ交誼を結んできた相手なのだから、やるせない。


「判決──。ヨハンセン・トリテミウスに、極刑を言い渡す」


 震える笑い声で、〝棘〟の切っ先が顎に沈む。その時だった。

 馬車の外から四人目の腕が伸びて、リドルが背後からあごを掴まれて外へ引っ張り出された。

 凄まじい悲鳴に、バルドンも〝棘〟を引いて振り返る。

 せつな、その顔面を掴まれて、あっという間に車外へ消えた。


 トリテミウスも恐怖の膂力りょりょくにひき寄せられて外を窺う。と、出した顔に袋が当たった。思わず車内で尻餅をついた。


 バタンッ。


 扉が乱暴に閉まる。それからすうっと少しだけ開いた。それはまるで境界の扉。異世界の隙間からたくましく長い口吻こうふんがにゅうっと突き出された。

 

 隙間の向こうで、獣毛に降り積もった雪で戦化粧いくさけしょうした白狼の金眼と目が合った。


「ヨハンセン・トリテミウス。こちらは約束を履行しました。わたくしとの約定、お忘れなきように」

 

 この時の自分に、うなずく以外の何ができたろう。

 声が出ない。首の腫れが熱をもって痛みだす。

 応答に一つうなずくと今度こそドアが閉まり、施錠され、馬車が動き出した。


 トリテミウスはその揺れで、バラの香りを移した袋を握ったまま気を失っていたのだろう。気づいたら知らない港町に着いて召使いに身体を揺すられていた。


 あれきり、トリテミウスはバルドンとリドルの姿を見ることはなかった。

 代わりに、あの狼とは、またいつかどこかで出会いそうな予感がする。

 ワシは魔女の呪いをこうむったのだろうか?


  §  §  §


「これは極東からの品だそうでな。気に入っているのだ」


 魔女エウノミアを殺す。

 そのために魔法学会の誰もが知っているエウノミアの私物に本人の血痕を付けて、送りつける。という筋書きだ。


 この計画に、当の本人が懐疑的だったのは、一点。私物への愛着だった。


「もしかして……初代ヘーデルヴァーリさんからの?」

 ペルリカ先生は眼帯を指先で触れながら、意味深長に微笑んだ。


「彼からは切ってチョーカーにでもしてくれと言われたがな。当時は眼帯に使うなど考えもしなかった。さる姫君に仕立てられたドレスの切れ端なんだそうだ。

 それでもわたしのために買ってきてくれたのだ。宵越しの金がなくなったと笑ってな。それが……嬉しくてな」


 重い。ペルリカ先生の大事な思い出まで賭けろくにしなければならない俺は、非道なヤツだ。だが、この一件の勝負のしどころはここだと信じた。


「それにあなたの血を付けて帝国魔法学会に渡れば、あなたが死んだと思わせることができると、俺は確信しています」


「ふふっ。どうだろうな……。それこそ、名もなきさいの御心のままに、だ」


「お願いします。それを俺にください。これ以上、あなたの叡智えいちが魔法学会に追われるのは忍びないのです」

「うむ……。ならば、狼。後日、弁償をしてもらえるか」

「弁償。つまり、あとで取り戻せと?」


 ペルリカ先生は口許をほころばせたまま首を振った。


「そこまで強気に出るわけにもいくまい。他ならぬお前が、妾のことを思って考えた策だ。犠牲を払っても乗ってみる価値はあるのだろう。そしてお前なら、これと同じ黒絹を創れるはずだ。頼む。いつまでも待っているから」


 何が重いって。彼氏以外の愛などいらぬって覚悟しながら、知識技術を試されてる時点で、俺が抱える負債は弁済不可能に近い。


「わかりました。努力します」

「うむ。頼むぞ」

 それから、カラヤンに聞いて、首切断における返り血の演出指導を受けた。真に迫ったリアリティがないと証拠品に説得力が生まれないから。


 それによると、生きている状態で首をねるのと、死んだ後に首を切断するのとでは出血の勢いが違うのだと聞いて、げんなりした。


「えぇ……。それなら、どうすれば?」


「死んだことにするだけなら、単純だ。血溜まりから首を拾ったことにすりゃあいい。それなら生死不明でも眼帯からたどれる証明は致死出血量だけだ。

 あとは顔のどっちが血溜まりについたかだな。そこまですりゃあ、死んだと言い張ったモンの勝ちだろ。ペルリカが自分の顔を血溜まりにスタンプすればいいだけの話だ」


 おお、さすがカラヤン。わが上司。


「カラヤン。妾は舞台女優ではないぞ。そんな器用な芸当ができるわけなかろう」

「その帯に血を付けるだけだ。死んだふりまでする必要はねぇよ。……否定した割にウキウキしてんぢゃねえ」


 そんなこんなで、眼帯を目に巻いたまま瀉血しゃけつ処置で採血した血液一〇〇ccを付着させた。


 受け取った時の滑らかな手触りからして、絹だ。絹染めの知識は持ってないぞ。

 黒バラの刺繍に肌触りの違和感がないから、これも絹糸が使われている。


 幅三センチ。長さはざっと二メートル五〇センチ。なんのドレスかは分からないが、裾丈すそたけあわせの切れ端なのではと勝手に想像してみる。

 だが、切れ端という割に、裁断された跡がない。しかも帯から漂うこの気配。


 これと同じ物……なにか嫌な予感がする。


 こうして、血塗られた魔女の眼帯は些細ささいな邪魔がはいったものの、トリテミウスの手に渡った。


 これで魔女エウノミアの死亡宣告がなされなければ、俺とペルリカ先生は粉砕骨折レベルの骨折り損をすることになる。

 同時に、俺は繊維界の宝石〝絹〟を目指すことになった。

 たぶん、セニの町に戻れば、〝石炭と空気と水〟で似たような物は作れるんだけど、きっとそっちじゃだめだよなあ。

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