第28話 ペルリカ先生と飲む 後編


「あと……」

 何杯目かの注ぎ口で、ペルリカ先生は言った。


「以前からわたしの魔眼が〝過去視の魔眼〟と言っているが、あれはなんのことだ?」


「へっ?」

 俺は思わず間の抜けた返事をしてしまった。

「違うんですか?」


「いや、違うも何も……。誰から聞いた?」

「えーっと、確か……店主、いやシャラモン神父だったかな?」


「シャラモンが? まったく、バカ弟子が。私が幽閉されている間に学会に踊らされたな」


 ペルリカ先生は口許に仕方なさそうな笑みを浮かべた。


「持ち去られた魔眼は、過去を見る魔眼ではないんですか?」


「当たり前だ。さっきも言った。人は過去をさかのぼれない。常に一方通行で世界を渡り歩く宿命だ。魔女とて例外ではないさ」


「それじゃあ、どうしてあの女は?」

「考えられるとすれば……帝国魔法学会を出し抜きたかったのではないかな」


「出し抜く? そもそも、先生の培われていた魔眼とはなんなのですか」


「ふむ。お前に言ってもさすがに理解できないと思うが。〝神殺し〟だ」

「神を、殺す?」


 ペルリカ先生は杯を一気に干すと、そっと甘いバラの息を吐いた。


「師の衣鉢を継いで、〝神喰い〟の研究をしていた。妾が幽閉されたのは、その研究が禁忌であり、妾の魔眼はその研究に必須だったからだ」


 俺は下あごのもふった。


「改めて最初から整理させてください。まず、シャラモン神父の年齢はいくつなのですか?」

「ん、たしか……そろそろ、四五〇歳になるだろう。本当に聞いておらんのか?」


 俺は肩を落として、半笑いになった。

「一五〇歳と、うかがっていましたが」


「ふっ。なるほど。それは妾との師弟関係を覚られないための方便だな。どうせ人の人生は長寿でも百年程度だ。三〇〇サバを読んだところで、誰も気にはしないだろう」


 そりゃそうだけどさ。つくづく魔法使いは年齢が当てにならない人種らしい。


「ということは、〝過去視の魔眼〟とは、先生の研究の記録媒体?」


「ふむ。そういう見方もできるかな。あの女にはケルヌンノスを見ることができなかった。だから自身の研究でも恋でも、妾におくれを感じていたのかもしれんな」


 だからって、恋敵を三〇〇年も幽閉させたり、眼玉くり抜かせたり画策するなんて、やることがめちゃくちゃだな。


「〝神喰い〟の研究とはつまり、精霊王ケルヌンノスのことですか」


 ペルリカ先生は空グラスに酒をつごうとして、その手を止めた。


「お前は異世界者なのだろう? なぜ、そのことまで知っている」

「ティボルという友人に教わりました。おとぎ話とも。でも」

「ん?」


「俺はどうも、実物を見てしまったらしいのです」


 ボトルがずれて、酒がグラスからこぼれた。


「いつ、どこでっ。どうやってヤツと遭遇した!?」


 口調に明らかな焦燥が混じっていた。俺はボトルを支えて瓶口をあげた。


「もう五ヵ月ほど前です。プーラの町から北西約二キールの森にあるペロイの村の、北側に」


「プーラ? また〝ブルショット森海〟かっ。あそこは十五年前に現れたばかりなのに。どういうことだ。なぜ戻ってきた」


「十五年では周期が短いと?」

 ペルリカ先生はイライラと頭を掻いて部屋を歩き回り始めた。


「ケルヌンノスの思考能力は、白痴というのが定説だ。自分の周回ルートを逸れて行動することができないはずなんだ。

 そしてその周期は六〇年で一周するものと推定してきた。お前の証言が本当なら、この定説が崩れたことになる。この世界は大変なことになるぞ」


「あの、ケルヌンノスって一頭だけなのですか?」


「ば、莫迦ばかを申すなっ。あんなのが二柱もいてたるか。アレが複数あってこの世界に人が繁栄できたと思うか?」


 いや、それも異世界新参者の俺にはよくわからないんだが。


「それなら、六〇年に二柱で一周していると考えれば、十五年に現れたようにも見えますよね」


 彼女は顔を苦そうにしかめた。


「狼。それはヘリクツだし、十五年前に現れた理由にも説明が付いていない。机上の空論だ」


 俺はペルリカ先生の手を取ると、その手のひらに、こぼれた酒でぬらした指で「ベン図」を描いた。


「なっ。なん、だと……っ!?」


「可能性の問題という前提での話です。実際には正円を描いて行動してるわけでもないでしょうから。

 白痴とは思考的異次元体であるからこそ、現世界の知的生命体には理解はできない。という仮説を昔、本で読んだことがあります」


「思考的異次元体……あれも〝徨魔バグ〟の一種だと? 師の説は正しかったのか?」


 自問自答に入られる前に、俺は訊ねる。


「では、ケルヌンノスが、その〝徨魔〟というモノでないという根拠は、どこでしょうか」


  §  §  §


 ペルリカ先生は、鼻から大きく息を吸い込んで、杯を干した。

 

「〝徨魔バグ〟とは、こことは違う異次元に棲み、彷徨う者だ。しかし、ケルヌンノスはずっとこの世界に滞在したまま何百年も彷徨っている。生命を枯渇させ、かつ蘇生させながらな」


「では、ケルヌンノスを殺しては、この世界が滅びる可能性も出てきませんか」


「そこだ。狼。ヤツをして精霊王と信仰にまで昇華せしめ、何百年にもわたる魔法界で秘密の研究対象になっている所以ゆえんだ。

 ケルヌンノスと〝徨魔〟の関係性についての考察は、ライカン・フェニアという女が詳しいんだが。行方が知れなくてな」


「その人なら、多分アスワン帝国の武器工房にいるのではないかと」

「なにぃ、アスワン? ……ちっ。あのロリババア。とうとう金に魂を売ったかな」


 どうやら魔導砲の制作者とも知り合いらしい。魔女の世界は意外と狭い。


 そこへ、店のドアが派手な音をたてて開いた。

「見つけたぞ、魔女エウノミアっ! 生死を問わずだ。覚悟しろ!」


 黒いローブをまとった修道士風の男が、指揮棒を持って飛び込んできた。

 俺は振り返りざまに男のあごを裏拳で素早く打ち抜く。

 講義の邪魔なので、店の外にポイッ。ドアを静かに閉める。


「さて、何の話だったかな」

 何事もなかったかのように、ペルリカ先生は続けた。


「〝過去視の魔眼〟という呼ばれ方についてでした」

「ふむ。少なくとも、妾の魔眼はケルヌンノスの姿が見えていた。師の魔眼はケルヌンノスの顔から思考が読めたとも聞いている」


「それが〝過去視〟〝未来視〟の正体はケルヌンノスの視認能力。ともすれば、学会の真の狙いは、魔眼ではなく、学会の禁忌とされていた精霊王ケルヌンノスの生態を研究をしていた〝黄金の林檎会〟の研究データですか。

 目的と価値を偽ったのは、さっきのような若い魔術師の追跡心を駆り立てるための学会の情報操作だった。ということでいいのでしょうか」


 実に回りくどいが、秘密裏に禁忌生物の研究進捗を掴みたい学会側の下心がうかがえた。


「ふむ。そういう狙いで間違いなかろう。だいたい、過去の時間を見られるのであれば、妾は店など開かず、どこか誰も知らない洞窟の中に引き籠もってあの男との思い出に耽溺たんできしていただろうよ」


「意外に乙女ですね」

 俺がからかうと、ペルリカ先生は乙女の顔で微笑んだ。


「ふん。失礼な。今でも乙女だ。ヘーデルヴァーリは本当におとぎ話に出てくるような見目麗しい貴公子ではなかったが、忘れられぬ。それがたまに憎くもあり、愛おしくてな」


「愛のために、学会を潰そうとは?」


「ふふっ。何度も。だがそれを見計らったように学会長ポジョニが現れて釘を刺していく。ヤツには借りがある。ヤツは人使いにかけては悪魔的だ。お前も目をつけられないよう気をつけることだ」


 俺はうなずくと、自分のグラスを干した。


「明日から〝七城塞公国〟ジーベンビュルゲンに向かいます。何か助言をいただけますか」


「ふむ。そうだな……あそこのダンジョンで【蛇遣宮】アスクレピオスというのがある」

「あ、はい。三〇年前に発見されたものだとか」


「十三番目のな。うまく支配者に取り入って、入る許可をもらえれば、お前自身のことで何か新しい発見があるかもしれんな」


 そう言って、ペルリカ先生は、俺のグラスにも酌ぎ足した。


「では、しばしの別れを惜しみつつ、はなむけの乾杯としようではないか」


 カチン。

 小気味いい音をさせて、俺たちはグラスをあおった。


 東京にいた頃なら、この一杯でぶっ倒れてる量を飲んだ。

 しかし、この世界ではそれもない。


 ペルリカ先生のおかげで、いろいろなことがはっきりしてきた。あとは後悔しないようにやれることは全部やろう。


 それがこの世界でも、俺の生きる命題になりそうだ。

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