第18話 動乱の中を行く(16)
「吾輩の研究費ぃ……ふひひっ」
「フェニア。自分のために狼がつくってくれたお金だからって、数えながらニヤニヤするの、やめなさいよ」
助手席に座るハティヤが、長女の貫禄で幌カーテン越しに叱る。
〈ナーガラジュナⅩⅢ〉が埋まっている岩山は、昼間見るとデカかった。
親指で測ると、標高一二〇〇メートル級。氷河に削り取られた氷食尖峰の表層を成しているが、これが宇宙船と知っているとハイヒールの踵が岩の天辺に引っ掛かって地表に爪先をつけている感じにも見えてくる。
早朝の熱く雪が積もった白い道は、通ったあの時とはうって変わって、オラデアの町へ向かう多くの馬車で踏み固められていた。
馬車道は、右側通行のフランス式。対向車がよこす紳士の挨拶はすべて、俺じゃなく助手席のハティヤへのものだ。
美少女がフードを下ろして笑顔で手を振れば、馬車は進んで道を譲ってくれた。
「博士。九三式複製体ってなんですか?」
幌カーテン越しに訊いた。ライカン・フェニアは少しして、答えてくれた。
「複製転移法第九三条──別名アバター条項と言っての。
複製体の重大な初期誤作動ならびに再起動後の重篤なトラウマ症状を回路医師が診断して、事故と判断した場合、被複製者は、回路医師の指導の下で仮想パーソナル体を新構築し、上層部の認可を受けて、再複製手続きをとることができる──というものじゃ」
「要するに、オリジナルとは別の外見を持った複製体の製造。別人格による切り離しですか?」
「いや。単なる複製体の名義変更じゃな」中古車か。
「そのアバター条項の適応は多かったんですか」
「全体の二割前後だったと記憶しておるのじゃ。とはいえ、第二の人生を歩もうと、外は空気のない宇宙。歩き回るフィールドは採掘艦内と限られておった。ゆえに恒常的に見れば応急処置。付け焼き刃と吾輩は断じたのじゃが、それでも統括評議会は一定の効果は見込めるとゴリ押して可決された救済条項じゃったな」
「それじゃあ、彼女の場合、再起動後のトラウマ症状ですか」
「まあ、そうじゃな……」
「まだ、なにか?」
「うむ。ティモシアは、ちと深刻でな。よく自殺を繰り返しておった。吾輩の知っておる限りで五六回じゃったかのぅ」
「「えっ!?」」
俺とハティヤは同時に幌カーテンに振り返った。
「本当に〝死ねない人〟たち、なんだね」ハティヤが
「でも博士。その自殺常習者があそこにいるということは?」
「ふむ。上層部がコールドスリープから解き放ったのじゃろう。監視付きでな。マクガイアへの新たな足枷として」
「狼。コールドスリープって?」ハティヤが訊いてきた。
「人を凍死するギリギリまで冷やし、睡眠状態にして肉体を長く保存する方法だよ。何十年何百年とね。でも、俺の世界ではまったくの机上の空論で、成功例はまだなかったと思う」
「へぇ~。じゃあ、フェニアの世界では成功してたんだ」
「うむ。ある特殊なガスの開発成功で細胞内ミトコンドリアの休眠保存が可能になったのじゃ。誰かが作ってしまいそうなので、詳細は言わんがの」
うわー。知りてぇ。コールドスリープ、SFの夢。でもライカン・フェニアの口振りではデメリットもあるのだろう。
「八度自殺を図ると監視室に置かれ、九度の自殺兆候発覚で複製停止。鎮静期間としてオリジナルをコールドスリープさせる。すると、短期シナプス結合の部分的退行が脳細胞を損耗することなく行われる。数多の実証データに基づいておる事実じゃ」
短期シナプス結合とは、ごく最近に記憶構築された新しい情報回路のことで、海馬の短期記憶の次段階とされる記憶過程の概念だ。
長期シナプス結合に比べて、シナプス結合が弱い改変可能な記憶とされている。俺の世界では医学用語じゃなくSF用語だった。
「コールドスリープの期間はどれくらい」
「基本一〇年、最長で三〇年じゃ」
「全体乗組員の二割前後が一〇年以上も休眠状態となれば、艦内運営として機能できたのですか」
「まさか。艦内は人手不足が持病みたいなものじゃった。クルーは元々志願して船に乗った者達ばかりじゃ。ある程度の覚悟はしておっただろうし、乗艦後もその辺の人間倫理を麻痺させる教育は続けられておったのじゃ。それでもティモシアのように人間性を手放せない者はおった。それを人の弱さと言うては酷であろう。善悪ではないからのぅ」
「それにしても、博士は彼女のこと、よく憶えていますね」
「それは……っ。彼女が、回路医師として最初の患者じゃったからのぅ」
「えっ。その、姿で?」
「そんなワケあるか! 本来の吾輩は美人内科医としてブイブイ言わせておったわ。病理だから内科くらいはやってくれないと医療が回らんと医局から言われて、渋々請けたのじゃ。そしたら、来る者来る者、みな精神ミュータントばかりだったのじゃ。ふむ。二人とも口は堅いし……もう時効だからよいじゃろう」
ライカン・フェニアは昔語りを始めた。
ティモシア・ホートンズが、教室の隅で座っているごく普通のクラスメイトみたいに。
「ティモシアは、陰気で、無口で、気になった男をお茶に誘う度胸もなかったから友達もおらず、定期ブリーフィングも群集を嫌って、たまに顔を出すくらいじゃったそうじゃ。
食事は、いつもパインサラダとプロテインチョコバナナ。ラクダが食事しておるとみんなから嘲笑されるような幸薄い女じゃった。戦闘になれば、銃も満足に扱えずキャアキャア泣き喚いて、逃げ回る。それで音に敏感な徨魔どもに真っ先に喰われておったのじゃ」
「どうして、そんな人が戦闘に?」
「徨魔は、我々のどこを攻撃すれば良いか学習するのが早くての。研究棟はいつも狙われておった。開発中の兵器や宇宙活動の向上に寄与する研究は続けられておったからな。研究員といえども武器を取ってデータを守らねばならんかったのじゃ」
「それじゃあ、いつのまにか複製体の数を重ねていくうちに心が摩耗してしまったんですね」
「だがの、狼。それに心的外傷後ストレス障害と安易に用いるのは、吾輩はちと懐疑的じゃ」
「なぜです?」
「複製体は死亡すると、解脱日と称する死亡日前日までさかのぼって記憶を削除される。人は死の恐怖からは逃れられん。それを強制的に削除しておるから、
「それじゃあ、彼女は?」
「死の前日より前の絶望を引き金として、自殺を繰り返しておったのじゃ。それゆえ長期のコールドスリープが承認されたのじゃが、それを突き止めるのに彼女は五六回も死に続けるはめになった。どこまでも不憫な星巡りの女じゃ」
「博士。でも、俺。博士が忘れてても憶えてましたから」
「ひょっ?」
「俺の腕の中で博士は死ぬ直前、迎えに来て欲しいって。独りで目覚めるのは寂しいからって。あの言葉があったから俺、ハティヤと一緒にダンジョンまで急いで迎えに行ったのです。だから博士が真っ先に俺に抱きついてきた時、約束は果たされたんだって嬉しかったですよ」
沈黙。
「あれれ~? フェニア、照れちゃったのかなあ?」
「ハティヤ。そこ茶化さないよ」
助手席から振り返りざまにニヤつくわが主様を、俺はやんわり
前から六頭立ての材木馬車がやって来た。俺は手綱を切って右に寄せる。相手から帽子を取って挨拶された。応じるのはハティヤに任せる。
「それじゃあ、博士。彼女は、〝失楽園計画〟には」
「ん。当然、参加するはずもなかったのじゃ。ヨハネス達もそれがわかっておったから声すらかけておらんかもしれんのぅ」
「それなら、エミー・ネーターは彼女を狙うことはないでしょうか」
「さあのぅ。帝国がトチ狂って細菌兵器でも造ってみようなどと思いつかなければ、な。まあ、普段がパッとせん存在感じゃったから、大丈夫なのじゃ」
そうか。彼女もまた、そこまでできる
なら、失楽園計画に参加しない理由がないのではないか。この世界にだって彼女が得意とする細菌やカビが棲んでいるのだから。
俺は、この彼らの違和感を見過ごすべきではなかったのかもしれない。
「なんにせよ、コウジカビがウィンウィンを生んだのじゃ。終わりよければすべてよかろうなのじゃ」
そうですね。俺は軽く応じて、手綱をあおった。
§ § §
夕方。
ティミショアラ。〝たんぽぽと
本館の裏の厩舎でうちの巨馬を調えていると、〝霧〟左がやってきた。
「オイゲン・ムトゥ様、ご逝去」
俺は頷いた。臨終に立ち会わせたかった仲間はすでに送ってある。
正直、俺は、あのジイさんに会いたくなかった。
「グリシモンは」
「いや、まだ町で見かけていない」
「わかった。他には?」
「〝翡翠荘〟で妙な噂を聞いた。ムトゥ様が次期家政長を指名する遺言状がどこかにあると」
定番だな。巨星が墜ちる時ほど、そういう根も葉もない噂が飛び交うものだ。
「信憑性は」
「ある。逝去直前、翡翠荘から〝灰髪のウルダ〟が消えた」
俺は上下に動かしていたグルーミングブラシを止めた。
こっちにはまだ帰ってきてない。心配になるだろうが。
「ティボルは」
「普通に過ごしてる。今朝も部屋でギターを弾いていた。コーデリア兵士長が護衛と称して監視を部屋の外に二人置いた」
俺はまたグルーミングを再開する。
「これからすぐ、ウルダを追ってくれと頼んだら、追えるか?」
聞き返すと、返事がなかった。
「正直に答えてくれ。無理なのか?」
「ああ。その……無理だ。いつ、どこから消えたのかもわからない。同じメイドの間で目撃情報がないんだ。いつの間にかいなくなり、痕跡も完全に消して出たようだ」
「誰なら追える。グリシモンか?」
「いや……〝灰髪のウルダ〟に匹敵する実力に心当たりがない」
俺はブラシの手を止めずに嘆息した。〈
「追跡の実力はわかった。なら、隠れ場所とか見つけられないのか」
「う、うむ……すまん」
俺はグルーミングを終えると馬着をかけ、馬の首筋をしこたま撫でてやりながら声をかけて厩舎を出た。
「あんた、名前は」
「……」
「オイゲン・ムトゥ亡き今、俺は〝霧〟を改めて雇いたい。通称でいい、俺に名を預けてくれ」
「……アルバストル」
「アルバストル。今から、ダンジョンに入れるか」
「今からっ。おれ、一人でか?」
「そうだ。複数人で行くな。ウルダに警戒される。地上からではなく、山の中腹から入ってくれ。おそらくその先にウルダがいる。大丈夫だ。馬でも進める道がある。
彼女に手紙を書くから、ここの居酒屋で食事をとりながら待っててくれ。俺の奢りだ。好きな物を食っていいが、酒は入れるなよ。
ダンジョンまで単騎なら六時間程度だ。町を出たら追尾に警戒しろ。背嚢は俺のを渡す。それでウルダもあんたを信用するはずだ」
「わ、わかった」
「それで、アルバストル。あんたがいない間に、〝翡翠荘派〟と〝大聖堂派〟の状況は誰が伝えてくれる?」
「もう一人の……ロシュが〝翡翠荘〟に付いてる。動きがあればここへ来る」
「了解だ。手紙をセニまで届けてもらってる彼の名は?」
「ヴェルデだ。ちょっと抜けたところはあるが、能力はある」
「どんな?」
「動物と話せる」
俺は思わず振り返って、アルバストルを見た。
「本当に?」
「うっ……実際に会話しているところを見たわけじゃない。だがたまに誰も知り得ない情報をあいつだけが掴んでくることがある。根元(情報源)を訊いたら、猫に聞いたとかコマドリに聞いたとか……。そのせいでグリシモンと仲が悪い」
「へえ。面白いな。元は猟師の子供かな」
「ああ、そうなんだ。ムトゥ様にもまったく同じ事を言っていただけた」
アルバストルがようやく警戒を解いた笑顔を見せた。もしかすると、ヴェルデは彼の身内か。
くそが。だからあのジイさん嫌いなんだよ。
「ウルダが戻り次第、俺は〝翡翠荘〟に行くか、セニの町に帰るかを決める。頼んだぞ」
「……承知」
アルバストルは立ち去った。
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