第19話 動乱の中を行く(17)


 午前。

 開店してすぐの〝なぞなぞ姉妹亭〟に、カルヴァツ工房の若者が手紙を届けてきた。

 狼がわたし宛てに旅先から手紙をしたためたらしい。


 今日のランチメニューは、アンチョビとポテトのガーリックペンネ。

 ヴェルビティカの料理はもちろん、狼のつくった魔法の粉でふかふかに焼き上がるパンも好評なので、ランチタイムは連日、満員御礼だ。


 その客足が二時を過ぎで落ち着くと、ようやく昼食となる。

 手紙はその時にヴェビティカに渡した。


「あの人も、筆まめですねえ」

「まったくだな」

「もしかして、先生に気があるんじゃないですか?」


「ふふっ。残念だが、妾よりもあっちに脈はないよ。だが弟子にと頼まれればやぶさかではないな。勉強熱心だし、地頭もいい。何より律儀で、礼節もわきまえている。難点を言えば、年上の女に甘えるのがヘタすぎるな」


「あらあら。手厳しい……え?」

「どうした。ヴェルビー」


「白紙です……封筒には先生の名前があるのに」


 妾は一瞬、怪訝を抱きかけて、すぐに口許に笑みを浮かべた。


「ヴェルビー、手紙をこちらに。多分、妾だけに読めるように細工してあるのだろう」

「細工って、本当に白紙ですよ?」


 ヴェルビティカは合点がいかない様子だったが、受け取ってそれを理解した。

 なるほど。インクの臭いもなければ、マナも感じない。てっきりマナで文字を書いて……いや、ヴェルビティカも魔法使いだしな。さて、どういうことかな。


「ん? この紙質……初めてだな」

 羊皮紙でも木皮でもない。別の植物の繊維素材だ。


 ──により奪われ──


 指が触れた場所から文字が現れた。指の腹で紙面の上を探る。


【 親愛なる 高師 ペルリカ先生

 大寒の候、ますますご清祥をお慶び申し上げます── 】


「ヴェルビー。読めるぞ。時候の社交挨拶が出てきた」

「ええっ!?」


「この紙の裏から尖った物で文字を鏡文字にして彫り込んであるのだ。これは面白い趣向だ。ふふっ。やはり狼は妾を飽きさせぬな」


 ペルリカは指でなぞって手紙を読み進めた。


【 先日、ライカン・フェニアが暗殺に起因する騒動で大変お騒がせしたことを謝罪申し上げます。代えがたい友人を謀略により奪われましたこと、悲しみに耐えられず心を乱しました。

 また、ライカン・フェニアの再誕を予感し、挨拶もなく取り急ぎ町を発ちました失礼をお許し願えれば幸いです】


「先生……どうされました?」

「うん。狼はいまだ本気でライカン・フェニアが蘇ると信じ切っているようだ」

「まあ。よっぽど思いこんじまってるんですねえ。可哀想に」

 

【 現在、俺はかの事件襲撃者の生き残りから反撃に遭い負傷。ベッドから立ち上がれるのは翌日になろうかと思います。軽傷ではありませんでしたが、命に別状はありません】


 負傷。まったくいつも無茶ばかりしているな。


【 今から書くことは、先生の英知をもってしても理解に苦しまれるかと存じますが、他言無用に願います】


 急に雲行きが怪しくなったな。今度は何を始める気だ。ワクワクが止まらないんだが。


【 仲間の復讐のため、俺を重症にまで追い込んだその生き残りを、当方の仲間に引き入れました】


「ヴェルビー。すまん……み、水をくれ。また笑いの発作が起きそうだ」

 急いで手渡された銀のコップの水を、ペルリカは少しゆっくりめに飲み干した。


「先生。何が書かれていたのです?」

「秘匿事項として他言を止められたよ。だがあの男らしいというか、節操のないことになっているようだ」


 以下、その者の特徴を挙げ、顔を出したら協力してやって欲しい旨が綴られていた。どうやら自分の刺客を味方に引き入れたのは、本気らしい。


【 先生におかれましては、どうか事件当時のことをその若者に再度説明いただきますようお願い致します。そして、その際、こう告げて戴きたいのです 】


 ──ライカン・フェニアを尾行していた五人は〝影〟とも〝霧〟ともわからない。と。


【 若者がこれから掴むであろう真相は、おそらく若者の命を危うくする事態になるでしょう。敵が〝甘き臭いを醸す獣〟の息がかかった刺客と推測されるからです。

 先生のお立場におかれましては、かようなご面倒をお願いするのは、はなはだ心苦しく感じておりますが、何卒、未来ある若者の行く末、守り導いて戴きたく存じます。 


 豊穣の女神テスモポリアの勘気が一日も早く和らぎますことを   狼 】


 ペルリカ先生は手紙を畳むと、合掌。それから手を開いた。

 すると手紙は一本の白バラに変わっていた。それを銀のコップに一輪挿しにして、頬杖をつく。


「ふ~ぅ。遠雷はるか彼方に見えども、その音、耳にうるさし、か」

「なかなか近づく気配もないのに暗雲は去ってはくれませんか?」

「ああ。実に煩わしいことだよ。だが他ならぬ狼の頼みだ。聞いてやらねばなるまい」


 そこへ、ドアベルが鳴って、客が入ってきた。


  §  §  §


「いらっしゃいませ」


 入ってきたのは男の二人連れだ。外の[CLOSED]の表札を推して入ってきたのだから、飲食客ではないだろう。


 二人はペルリカの所まで来ると、左の男が深々とお辞儀した。


「ペルリカ先生。お休みのところ大変ご無礼いたします。ヤドカリニヤ家執事ノルバートでございます」


 相変わらず律儀な人物だ。ペルリカも微笑で応じる。


「おお。家令殿か。いかがされた。スミリヴァル殿のお加減に何か」


「いいえ。ペルリカ先生、ライカン・フェニア先生のおかげをもちまして、主は健やかに快方へ向かっております。主になり代わりまして厚く御礼申し上げます」


「いやいや。そんなに畏まらずともよいのだ。それで?」


「はい。その……ここに連れて参りましたのは、先般ライカン・フェニア先生を襲撃したと目される男の弟でございまして」


 右の男が緊張しきりといった様子で頭を下げた。

 実によいタイミングだ。狼の手回しかな。


「ふむ。なるほど」


「ライカン・フェニア先生の死について、わがヤドカリニヤ家一同もまた心を痛めております。つきましては、先生のお力添えを戴きたいとお願いに上がった次第でございます」


「ノルバート殿の丁重な嘆願、真にもっともなこと。だが、あいにく妾も今、狼からの手紙で、あの事件の真相を突き止める手伝いを頼まれたところでな。

 事件の顛末詳細は守衛長殿からも伺っておらんのだ。もちろん、このめしいた目であっても目撃者という立場を撤回するつもりはないが」


「はい。どうかよろしくお願いいたします」


 そこへ、またドアベルが鳴る。今度は魔法使いが入ってきた。


師匠せんせい。お取り込み中でしたか」

「レイ。お前も狼がらみなのか」


「ええ。師匠が目撃者だったことをふと思い出したので」


(やれやれ。困ったな。今日は、みんな妾の〝眼〟が当てにされているようだ)


「わかった。では、まず事件の概要から話してくれないか。誰が話してくれる?」

「はい。あの、オレが……っ」


意外にもこの場で一番若い声が名乗り出た。


「ふむ。そなたは……」

「以前、ヤドカリニヤ家で馬車係をしていました。ルニって言います」


「ん。それは本名ではあるまい?」


「えっ」

「ルニは月を表すルナのことだ。本来は女性に名付けられる。真名を名乗りたまえ」


「っ……ルシアン、です」


「ふむ、なるほど。良い名だ。すまぬな、密偵に真名を名乗らせるのは命を取るのも同じ。だがな。我々はそなたの敵ではない。そなたの誠意は受け取ったよ」


「はい」

「時に、狼に復讐し、瀕死の重傷を負わせたのも、そなただと聞いたが、真か?」


 シャラモンとノルバートの硬い視線が若者に注がれた。


「間違い、ございません」


「うむ。その上で妾は狼から、そなたに与力するよう依頼を受けている。狼はそなたを許すつもりらしい。それほど、この事件真相に比べれば些末さまつだと感じているのだろう。そなたも、この顛末てんまつ。私情を差し挿むでないぞ」


「は、はい」


 ペルリカはひとつ頷き、カウンター席を立つと奥の円卓へ案内した。


「ヴェルビー、お客人にコーヒーを頼む。妾はグラスに水でよいぞ」

「畏まりました」

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