第25話 魔狼の王(24)


 シャセフィエル・アゲラン・ズメイ第二公子。

 大公の公式第六子であり、御齢一〇歳。女の子みたいな容姿と声質だが、男だとご本人が請け負った。


 この幼さで、馬で全速疾走してはるばる遠くから魔物を追いかけ、今まさに魔物に致命傷を与えたのだ。そこにくわえて、素直で礼儀正しい。好奇心旺盛なカラヤン隊とあっという間に打ち解けた。今も、焚き火とカレーを囲んでわいわいやっている


「第一公子の儀式失敗で逃げた〝魔狼の王〟が、今ですか」


 それを遠巻きに眺めながら、俺とエミー・ネーター、ヴォイク太傳たいふは蒸留酒を囲んで情報交換をする。

 太傅とは、公子の教育係で、官職で言えば宰相と同位なのだが、実権はない名誉職だそうな。


「左様。継承の儀は、〝魔狼の王〟から〝魔虹玉〟とよばれる〝魔狼の王〟が王を継ぐためだけに産むという卵を手に入れなければならぬ。

 しかし第一公子ルトゥーチ様は討伐が遅れ、その刻を逸したがために殉死され、儀式は途絶。のべ六万の兵が動員されてようやく〝魔虹玉〟は破壊。魔狼のことごとくを討ち取ったつもりでおったが」


「三〇年も前に危険だと分かりながら撲滅しきれなかったものを、今さら幼い第二公子に任を授けるなど、荷が重すぎるのではありませんか」


「今回改めて発せられた勅命なれば、すべては星の巡りに委ねるしかなかったのだ」


 都合のいい言葉だな。呆れて怒る気も起きない。だから、肝心なことだけを訊ねる。


「では最後に、三〇年前。聖掃の儀において〝魔狼の王〟をどのようにして喚びだしたのですか」

「それは、公国の秘儀であるので、お答えいたしかねる」

「お答えいただけないのなら問いを重ねます。三〇年前。〝獣の神〟が傷つけられたようですが、それはどのような経緯で、どなたが神殺しに挑まれましたか」


「そなた……どこからその話を?」


「民間に出回っているおとぎ話と、ティミショアラ都督補ヴィクトール・バトゥが我が上司カラヤン・ゼレズニーとの会話内容からうかがった情況証拠。

 さらに以前、ティミショアラの行政庁書庫に入った時に散見された歴史記録をより合わせた結果から、俺が独自に導き出した答えです。

〝七城塞公国〟は三〇年、この国の豊穣を永続的に確保するため、ヴァンドルフ家との禁猟区から領国内へ入った〝獣の神〟を囲い込むため、高い壁を作って閉じ込めた。

 そして、聖掃の儀は、大公陛下が邪神討伐を貴族達に忘れさせないための内禍ないか儀式として行われたわけです」


「内禍儀式て?」

 エミー・ネーターが聞き返す。


「いわゆる、防災訓練ですよ。火事にならないために、小さな火を熾してその火を消す訓練です」

「せやけど、三〇年前はこの国の兵六万もつこうて、命がけの訓練か?」


「結果として、小さく熾した火が家屋に移って大火災になったわけです。その効果はあったと思いますよ。そのせいで、公国の兵士は平和ボケもすることなく戦う意思を持った国民性を持っていました。四十数カ所の町村が〝魔狼の王〟によって消失してしまったようですが。

 俺が疑問に思っているのは、その被害に対して、周囲の龍公主領国がそれを黙殺し続けることです。自領の町村が被害に遭っているのに、ただの魔物被害と軽視した理由はなぜなのか。その深層をご存じなのではありませんか。太傳」


「……」


「答えていただけないのであれば、俺たちは直ちにこの件から手を引きます。〝魔狼の王〟を充分飢えさせてありますからね。オラデアの町でなくとも中央都へ走れば、再び勢力を取り戻すだけの住民を食べることができるでしょう」


「狼。無権限の年寄りに、エグい脅しかけたるなや」

「なら、エミー・ネーター。あなたは何か知っていますか?」


「……まあ、多分これちゃうかっちゅう、当てはあるな」

「ぜひ聞きたいですね」


 すると金と黒の虎髪の怪力女がいやらしい笑みを浮かべ、ショットグラスを差し出してくる。俺は蒸留酒を酌してやる。するとその隙に耳の後ろをもふられた。こいつ、手癖の悪い客だな。


「大公は、〝魔狼の王〟で、龍公主反乱の踏み絵にしとるんや」


 俺は目を見開いた。

「龍公主が反乱?」


「ん。自分、何とぼけてんの。自分が引き金ひいたて聞いとるで。重力制御装置暴走による亜空間を突破して、龍公主ニフリートの四肢再生に成功。もともと龍公主たちの四肢欠損状態の継続は、大公の決定事項やったんやってな。その意向に反して四肢再生させてしもうたっちゅうことは、反逆意図として見なされるわけや」


「そんなっ。その程度のことで反逆と見なすんですか。自分の娘ですよ?」


「逆に自分の娘やからやないか? うちが掴んだ情報では、四肢再生よってニフリート・アゲマントは、〝龍〟を操れるようになったらしいで」


「この国では〝龍〟が、重要なんですか?」一応、しらばっくれてみる。

「狼。お前、知らんのか。〝龍〟」

「えーと。まあ……」この世界に来て初めて見たけど。


「あれ一柱で、中央都が落とせるとしたら?」

「嘘でしょ?」

「うちもほんまか思て、中央都に行ってみてわかったわ。対空の備えがまったくない。空からの爆撃が想定されとらんのや。教会ですらティミショアラほどの高い聖堂はなかったわ」


「待ってください。それなら尚更、別に四肢再生がすぐに反逆というのは乱暴すぎますよね。言いがかりと言っていい」


「大公が黒や言うたら、白も黒になるっちゅうことやろな。オイゲン・ムトゥは死期が近かったから見逃されとった。けど、ヴィクトール・バトゥはこの先、どうなるか分からん」

「でもですね……っ」


「その証拠に、親征軍三万。あれはそのための布石やろ。大公の指先一つで、旗の向きが変わる、かもな。あの軍の司令官、誰か知っとるか」


「えっと、ヴァレシ・アッペンフェルドでしたっけ。バトゥ都督補の友人だとか」


「はっ、友人なんてよそよそしいもんやないわ。三〇年前の〝魔狼の王〟討伐の双璧やってな。あの二人がおったから、〝魔狼の王〟も一時潰滅できたっちゅう話やで」


「つまり、ヴィクトール・バトゥの監視が、アッペンフェルドの踏み絵」

「ビンゴや」


『もうじき、金龍公主様とダイスケもこっちに到着する』

『どういうことだ。貴様たち、何を企んでいるっ?』

『おやあ? バトゥ。我らはてっきり貴様が狼煙のろしを上げたと思ったんだがなあ』

『ぬけぬけとれ言をいうな。私が就任したのは、先月だぞっ』

 

 あの二人の会話。何かの符牒だとは思ったが、反乱時期を持ちかけられてバトゥ都督補が慌てて押し留めている会話だった。つまり、四家政長の一斉蜂起は、ある。


「どや、狼。何か心当たりあるか?」

「いえ。小隊を一つ預かるだけの身としては、上層部の思惑はまだ聞こえてきませんね」


 一応、嘘で躱す。


「ちなみに、三〇年前の大騒動ん時の宰相が、このじーじなんやて」

 俺はこぢんまりと座っている太傅をみた。

「では、あなたは、シャセフィエル殿下に〝魔狼の王〟討伐を焚きつけて、このままティミショアラまで亡命する予定だったのですか」


「っ……いかようにも」


 ご想像にお任せします、ということか。食えない爺さんだ。

 ライカン・フェニアに唆されたとは言え、俺はとんでもない引き金を引いてしまったのだと、今にしてようやく身にしみた。

 オイゲン・ムトゥの心労を俺が早めたのだとしたら、一応謝るほかない。


 俺は蒸留酒をグラスに注いで、ちびちびと舐めた。


「我々は〝魔狼の王〟の母体を、旗艦と呼称。現在オラデアの町から東三キールの渓谷に駐留していることを突き止めています」


「おおっ。それでは──」

 老人の喜色に冷や水を差すつもりで、俺は顔を振った。


「旗艦は現在、飢餓状態にあり、今、直接攻め込めばその兵士で飢えを満たされることは必定。よって二日間をかけて、さらに飢餓を進ませ、孤立させる作戦をとっています」


「孤立?」


「旗艦の周りには防衛を担当する中型の魔狼がいます。これを護衛艦と呼称し、現在四隻が旗艦の周りを固めています。これを二日かけて数を減らします。具体的には、旗艦に共食いを誘発させるのです」

「と、共食いですと……そのようなことが」


「実際に、デーバの町からここまでに一隻、旗艦に食われました」


「てことは、や。二日もかけて、二隻の護衛艦を消すんか?」

 エミー・ネーターが口を挿んだ。


「悠長に聞こえるかもしれませんが、味方の損害を減らすためにはこれがいいと思ってます」

「いや。狼。それ、逆ちゃうか?」

「逆? というと」


 彼女のショットグラスが寄せられたので、俺は注いだ。もう触ってくることはしなかった。腕を組んで目を細めた。


「護衛艦も食ってしもうたら、旗艦は次に何を食うねん。そら周りにあるもん全部になるわな。そん時の飢えの衝動っちゅうんは手がつけられんほど暴食の虜になっとるやろ。うちも三日間戦い詰めで絶食した時は、洗剤スポンジがパンに見えたほどやからな」


「ネーター殿。スポンジとはどのようなパンのことですかな」

「気にせんといて。じーじ。こっちの話や」


 俺は下あごをもふって、唸った。


 飢えの衝動。確かに戦況の合理化を進めるだけで、動物の潜在本能を計算に入れてなかった。窮鼠、猫を噛むではないが、追い詰められた生物の凶暴性は猛獣よりも怖ろしい。まして飢えに狂った生物の生存本能は死を覚悟した死兵も同じ。追い詰めすぎると想定した何倍もの脅威となるか。


「狼。なに悪い顔して算段決めとるんや」

「俺。そんなに悪い顔、してます?」


「おー、しとるしとる。虻蜂取らずどころか、チョウもトンボも手に入れたろう思てる顔や。欲張りすぎるとロクなことにならん」


「この狼頭でよく分かりますね」

「うちな、犬好きやねん」

「もう、もふらせませんからね」

「この恩知らず! いけずすんなや!」


 酒の勢いで襲いかかられて、腕力では敵わず、もふられた。


「うわっ、えっぐーっ!? お前なんやねん。このもふもふ感。シャンプーしたての毛並み感やんけっ。なあ。お前やっぱ、うちの子にならへんか?」


「もっ、もういいでしょう。それよりあなたなんで公国に留まってるんですか?」

「なんでて、諜報活動にきまってるやん」


「それ、公然と言っていいんですか? 確か聞いた話では、局長でしたよね」


 するとエミー・ネーターは急に興が冷めた様子で腕組みすると、


「エイダちゃんがな。うちが上におると邪魔にならんから働きやすいんやて。今回もしばらく帰ってこんでええから、ここの壁でもぶち破って王国攪乱してこいって。なあ、ひどない? あいつら、自分の上司を解体業者みたいに言いよるんやでぇ?」

 

 酔っ払いに絡まれながら、俺は絶望的な気分になった。

 これは部下に優秀なのが揃ってるパターン。しかも彼らは何気にこの上司のことを気に入っている。敵に回すと一番厄介な女王蜂カースト部隊だ。


 しかも俺と同じ作戦を考えるレベル。奇策好きというのは、いる所にはいるもんだ。

 俺は肩で息をつくと、グラスに残った蒸留酒をちびちびと舐めた。


「とりあえず、オラデアへ来てください。上司と指揮官を紹介しますから」

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