第10話 狼、故郷に還る


「よお……オレ、どんだけ……寝てた?」

「三〇年」

「ちっ……なら、とっとと起こせよ」


 ティボル・ハザウェイは、起き抜けに俺を見るなり、舌打ちして笑った。


 オラデアの町郊外。〝静寂荘〟。


「全部、カタ付いたのか」

「うん。あんたの部品換装も終わってる。あんたがアンドロイドで助かったよ」


「そいつは、どうもお世話さん。……ロイスダールの野郎は」


「死んだ──、はずだ」

「んだよ。その微妙な含みは」


 俺は窓の外を眺めた。風こそ冷たいが、陽射しは春の活力を持ち始めている。空は山の際まで晴れ渡っていた。


「ロイスダールと思われる下半身は見つかった。けど、上半身が見つからなかった」

「マジかよ。もっとよく探せよ」


「俺以上に、バトゥ都督補とアッペンフェルド将軍が熱心にやったみたいだ。大公が死ぬ間際に飛ばしたデータ内容が気になってるんだろう。でも見つからなかったそうだ」


「くそ。あの野郎の尋問……めちゃくちゃキツくてな。恨みがあるんだ」


「わかる。俺も五分くらい受けた。言葉で蛇みたいな締め上げ方をされた。俺とあんた、マクガイアさんから一人だけ命を助けてやると言われた」


 ティボルは天井に目を眇め、枕にしずめた頭をかすかに動かした。


「あいつがもし、他の国へ逃げるようなことがあったら、次は恐怖政治が始まるぞ」


「身体半分で?」

「たまにな、見つかるんだ。スペアが」

「スペアって、身体が? どこでさ」


「もちろんダンジョンだ。【黄道十二宮パンデモニウム】でな」


「えっ。部品の規格が合うのか?」

「型番や外見さえこだわらなきゃだがな。人形として魔術師や貴族が買っていくのを見たことがある。状態のいいヤツは、頭部ここに埋め込まれてるチップを換装するだけでいい。オレはまだやったことないけどな」


「三〇〇年以上生きてるんだろ。交換しないのか」


 ティボルは上体を起こすとベッドに腰掛け、両膝に頬杖をついた。長い前髪がはらりと整った顔にヴェールをかける。男なのにエロい。


「これ、前にも言ったっけか。オレのメイン構造は環境順応性自己修復型のスカウトつってな。偵察型として優位性を誇ってたアサルトの五世代モデルを大公がパクってきてカスタマイズしたものなんだ。

 その上で、表皮組織は複製体ホムンクルスと同じタンパク質だから、退化すればダンジョンに行ってリザレクトルームに入れば四時間程度で復元再生リフレッシュできる。……あんまり気持ちのいい話じゃねーけどさ」


「ロイスダールは、アサルトでもどの世代だったんだ?」


「オレの2ヴァージョン上。七世代だな。広域通信機能と多元作戦処理能力を搭載してたって聞いたことある。いわゆる参謀補佐型ユニットだろう。中継管理者用プラットフォーマーのアサルトには十七世紀の画家の名前がコードネームにつけられて、ロイスダールはそれとは別にアトリエって部隊の主幹コードネームがあった」


「なるほどね」

「なあ。お前、今の話マジメに聞いてるけど、こんなの面白いのか?」


 今さら、そこを聞いてくるのかよ。俺は肩をすくめた。


「知ってていい話だとは思った。ロイスダールとは二度と会うことはないと思いたいけどさ」

「ハァ……お前やっぱ、変わってんな」


 目の前のアンドロイドは話の内容で自分を怖がられると思っていたらしくて、安堵のため息をつくんだぞ。こっちの方が面白い。


「それで。春節祭のお呼びはオレだけか」

「トビザルにはもう声かけたし、あとティミーを呼びに行くだけかな」

「ここの先生は。世話になったんだろ?」


 義理人情がわかる律儀なアンドロイドは優能だ。二世代前のポンコツでも。


「サラ夫人には辞退されたよ。ダンジョン山を登れる気がしないんだって。でもメイドを三人借りられた。一夜限りとは言え、人手は助かってる」


「あはん。さてはレシピ諜報員かもよ?」

「だね」でも、それくらいの出張手当は認めてやらないとな。「なあ、ティボルはティミーの本名知ってる?」


「ティミー? マクガイアんちの? ……いや、だめだな。禁則にかかってる。複製体の個体名は直接本体の口からじゃないと教えることはできねーな」


「やっぱそうか。いや、いいんだ。フランチェスカ・スカラーが彼女じゃないのかなって思っただけだから」


「スカラー? ん……あー、ダンジョンの重力制御室で干涸らびてた女か」


「うん。〈ナーガルジュナⅩⅢ〉の研究部にいた人々は、本名じゃなく歴史上の科学者の名前で呼び合う習慣があった。なのにそのスカラーという秘書だけ違ってた。でも、ライカン・フェニア博士が口にした彼女の特徴が、ティミーとも酷似してる。それが腑に落ちなくてさ。あと研究者だらけなのに秘書なんていたのか、とかさ」


「そりゃあ、お前。言い出したらキリなくねーか。マクガイアのおっさんだって」


「いや。あの人は、元もと作家アイザック・アシモフにあやかって付けられた本名をずっと名乗ってるらしいよ。

 舎弟のマシューやオルテナですら研究者名で呼ばれていた。オーヴィル・ライト。キャサリン・ライト。二人は研究部にいたんだ。もしかすると、あの家の住人は、マクガイアに気兼ねしてずっと本名で呼び合っていたのかも知れない。ティモシア・ホートンズはむしろ本名だったのかも。なら、研究者名は?」


「じゃあ、お前が知りたいのは、ティミーことティモシア・ホートンズの科学者名か。それでいいか?」


「厳密には彼女とコペルニクスの関係なんだけど、誰も彼もプロテクトが厳重でね。うん。ティミー本人に会う前だから、今のところはそれで」


 ティボルは前髪をなまめかしくたらせて顔を伏せる。しばらく沈黙していたが、ふいに口を開いた。


「科学者名は……〝マダム・キュリー〟」


 なるほど。そうきたか。


  §  §  §


 料理を食べた時、うまいと感じると人は健康になる。という科学論文を読んだことがある。

 前世界。日本が他の追随を許さぬ長寿大国だった。医療技術や予防啓蒙に熱心なことも起因の一つに挙げられるが、根底に日常の食生活でうまいと感じる習慣があるからだとその論文は言う。


 また、うまい料理を食べると、人は饒舌じょうぜつになり多幸感を得る。つまり気持ちよくなるというのである。


 文芸編集者時代。

 売れっ子作家さんを食事にお誘いをすることがあった。もちろん、我が社で売れる本を出版してもらうためだ。だがそのことはおくびにも出さない。酒好きなら稀少ブランデーやスコッチを出す店を案内したり、有名ソムリエのいるワインレストランへご案内する。


 菓子好きなら、担当編集についていた他社の編集者さんを飲みに誘って、好物の菓子を聞き出す。探偵みたいな内偵活動だが、菓子の差し入れは作家によって好みがまったく違うので、間違いがあると簡単に機嫌を損ねてしまう。注意が必要だった。


 その点、ツカサもそれに洩れなかった。


「ぼくなあ。あんまりクリーム好きやないねん。それよりババロアとかプリンとかがよろしいなあ」

「でもこの間、豆腐アイスとか食ってたよな」


「何言うてはるの、タクロウ。アイスクリームはアイスクリーム。クリームはクリーム。プリンはプリン。全然ちごてますやろ」


「玉子が入ってるからアイスクリーム、入ってないからクリームとか?」


「成分の話とちゃいますえ。暑い盛りにしんっと冷えた氷菓が舌で解けていくあの清涼感。お炬燵こたにはいって、暖まる足の温もりを感じながらぴんっと舌を打つ甘露の冴え。わかりますえ?」


「アイスクリームはアイスクリームだろ。ああ、あと脂肪分の比率とかな」


「あきまへんなあっ。タクロウはアイスクリームのワビサビをもっと深掘りせんと真のアイスクリームの風情、うまみを楽しんだことになりまへんえっ」


「アイスクリームのうまみぃ?」


 結局よくわからなかったので、ツカサの家でアイスメーカーを持ち込んでアイスクリームを自作。できた半球の上にうまみ調味料をかけて出したら、喜んで食べていた。


 ツカサは、なんだかんだ言いながら、割と安直にできている。


 結構うまい物を食べさせたつもりだったのに、ツカサはいなくなってしまった。

 いや、そうじゃない。俺はあの科学論文に文句が言いたいのではない。


 やっぱりうまい物は食べられる時に食べなければ、人生を楽しく生きたことにはならない。

 人間も動物の端くれである限り、食べることが喜びでなければならない。そう言いたいのだ。


 どんな金持ちでも、学生街の中華料理店で半チャー餃子ラーメンを注文したい時がある。それを付き合いでフランス料理に切り替えてフォアグラのテリーヌを食べたところで、腹は満たせても人生を楽しんだ気分にはなれないのだ。


だからそのことは異世界であっても同じ。その異世界の食文化に遠慮して、郷に入りては郷に従う必要はない。むしろ積極的に新しいレシピを持ち込んで度肝を抜いてやる。


 俺は異世界に来て、死線を乗り越え、今また〝帰るべきメシ〟を強く思い始めている。


 異世界であろうと宇宙であろうと、生きている限り人生は楽しんでこそ、だ。

 俺の魂が、腹の底からうまいメシを訴えてくるのだ。


  §  §  §


〝社畜〟

 胸の谷間にその造語が入ったTシャツを着て迫りくる。

 その圧巻のボリュームに俺たち男三人、玄関口でのけ反った。というか、世界観ぶち壊しのそのTシャツ、どこから持ち込んできたんだ。


 オラデア。マクガイア邸。


「待ってたみょ~ん。一応悪くないデキだと思ったから味見してもらおうと思ってぇ」

「ティミーさんは、アレの味がわかるのですか」


「へっへぇん。昔いた大学研究室、北海道だったのよねぇ。ザンギおいしいよねえ」


 お、それもいいな。俺はうってつけのパーティレシピをもらった気になった。


 ザンギは、北海道地方の名物料理で、鶏の唐揚げのことだ。

 由来は、中国語で鶏の唐揚げを意味する〝炸鶏ザーギー〟とか、骨ごとぶつ切りにした「散切り」とか、諸説ある。衣をつける前に醤油や香辛料で肉に下味をつけてから揚げる。北海道の定食屋で〝鶏南蛮〟を頼んだらこのザンギにタルタルソースが添えられて出てくる。


「それじゃあ、試作がてらちょっとだけザンギで報酬を味見してみましょうか」

「えっ、ほんとにぃ!? やったあ!」


 両手をあげて万歳する無邪気な女性の、暴力的なまでの揺れ。ううむ。【闇】属性無効なのが寂しい。

 ついに俺が求めてやまない和食の異世界転生召喚だ。そのことだけでも心臓はときめいてくれないだろうか。


  §  §  §


 マクガイア家のキッチンは使いやすいので、早速調理に入る。

 鶏のもも肉を骨にそって開き、四等分。フライドチキン風だ。それをニンニクとショウガをおろした〝ソレ〟につけ込む。一〇分つけ込めればいいが、この後、移動もあるので五分だけ。


 味見だし、本番に備えて醤油の量もケチる。その分、少し酒を加えようか。


「ティミーさん、料理酒とかあります?」

「マック用にどぶろく作ってるの、あるけどぉ?」

米麹こめこうじ?」


「ううん。麦麹。ごめんねぇ、来季の増殖用に回させてもらったわ」

「了解です。え、もう来季? それじゃあ今季、何を作ったんですか」


「あれ、マックから聞いてなぁい? お味噌だけど」


 俺は振り返った姿勢のまま、感動で全身がうち震えた。思わずティミーの手を取ろうとして避けられた。手が作業で汚れたままだった。


「ティミーさん、マジですか! 味噌ぉ。味噌ぉ。ああ、なんて素晴らしい響きだあ」


「うん、でもあれって、う◯こっぽくない?」

「俺の和食の夢を一撃粉砕すんなあ!」


 揚げる油はフライパンの三分の一の深さまで。焼き揚げにする。温度は一七〇から一八〇度。木製のフォークを入れて全体がしゅわしゅわ泡立ってくるのを待つ。

 衣は揚げる直前に小麦粉をまぶして、投入。熱い油に入れた瞬間、ソレの香ばしい匂いがキッチンに広がる。


「……っ」

「あれ、狼。なんで泣いてるの?」


 泣くわ。こんなん。泣かないでか。 

 これだ。この匂いをどんなに待ち焦がれたことだろう。半分もう諦めていたんだからな。


 コウジカビを見つけてきてくれたライカン・フェニアに感謝したい。

 俺の要望を聞いてくれて研究所まで作ってくれたマクガイアに感謝したい。

 たった数ヶ月でコウジカビを培養し、醤油製法まで再現したティミーに感謝したい。


 彼らの協力で今ここに、「醤油」が堂々の異世界転生、召喚である。


「俺は今、故郷に還ってきてるんです」

「ふーん。お手軽~」


 もうっ、デリカシーっ!? 俺の感動、ぶち壊しかよ。

 とにもかくにも、揚げたてのザンギ四ピースを引き揚げて、四人で頬ばる。

 味は、言わずもがな。なんも言えね。涙も止まんね。


「う、うまいっ。これが鶏肉? こんな鶏肉をせつは初めて食べた!」

 トビザルが興奮しきりで目を見開いた。


「へぇ。これがショーユってのか。小麦のサクサクって歯触りもいいな」

 ティボルはあっさりめの感想。でも笑顔がなによりの賛辞だ。


 ティミーは意外にも黙々と食べて、誰よりも早く平らげた。これもまた賛辞。


「んあ、そうだった。ミリン、だっけ?」

「えっ? はいはいっ。それも作ってあるんですか?」

 その名前に、俺も反射的にうなずかざるを得ない。


「うん。量は少ないけど。ミソ、ショウユときたらミリンだって……誰だっけ言ってたの」


「ニコラ・コペルニクス博士ですか?」

「そう、彼女よっ。……んっ!?」


 ティミーが俺を非難するように見つめてくる。でも口はもぐもぐ。


 他に和食を言い出す人間が思い当たらなかった。サナダは別として、マクガイアの口は中華に慣れ親しんでいる。ライカン・フェニアと言わなかったのは、俺の悪意だ。


「こうやって、みんなで食べてるんです。俺たち、もう仲間ですよね」

「ええっ。えーとぉ……そりゃあ、そうだけどさ」はい、墜ちた。


「あと、大公はもう死にましたよ」

「えっ。マジで?」

「まじまじのマジです。殺したの、俺たちですから」

 ティボルと俺を見比べて、ティミーは目を見開いた。


「うそっ。だってあいつは──」

「脳みそと脊髄。生体プログラム人格だから、ですよね」


 ティミーは表情を引き締め、ティモシア・ホートンズに戻って、俺を見据えてくる。


「あり得ない。不可能よ。だって、大公が無関係のあんたをそばに呼びつける理由がない」

「呼ばれていったわけじゃありません。こっちから押しかけていって無理やり応答させました。 

 中央都は神蝕に遭い、壊滅的被害を受けていました。事実上の潰滅です。そこに前からウザかった俺が押しかけたら殺したくなったんでしょうね」


「神蝕……潰滅っ?」


「〝SAC-003〟が完全体となって、中央都を通過したんです」

「ケルヌンノスが……やだ。ティミー、地下でカビとお話に夢中になってて全然知らなかった」


 むしろ、そのほうがいい。俺はティミーに中央都であったことを話した。おそらく春節祭の宴席では誰も大公のことには触れてこないだろう。


 彼らにとって、大公はもう過去になっているはずだ。誰もがここから、前を向いて歩き出そうとしてるはずだから。

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