第9話 本音と建前 後編


「あと、狼が自分捜しで、魔女と積極的に繋がりを持とうとしていることが、危険と判断された」


 ティボルは思わず横に顔を向けた。


「あいつが魔女にっ!? その監視にも、あの灰髪の娘ですかい」


「うん。あの娘はシャラモン一家ともすぐに打ち解けていたし、とくにスコールがな。〝梟爪〟を使いこなせる同年代なんて、この先も皆無に近いだろうからな」


 子供たちは新しい友達が欲しかった。

 暗殺少女も孤独な火影ほかげ生活に渇いていた。

 お互いの願望が一致していたからこそ、打ち解けるのも早かったのだろう。とカラヤンは言う。


「しかしですよ、旦那。あの娘にしてみれば、マンガリッツァ・ファミリーから結構な責めを受けた相手なわけじゃないですか。そこに恨みとか憎しみとか、あるんじゃねえんですかい?」


「ないとは言わんな。だが、モデラートが子供をしいたげて喜ぶ腐脳変質者じゃないことはマンガリッツァなら、みんな知ってる。

 あの娘も、捕まれば無事で済む相手じゃねぇことくらい覚悟はしてたはずだ。でなきゃ、うちの女王おふくろの首なんて狙おうと思って、狙えるもんじゃあねえよ」


 カラヤンは顔をしかめつつ言葉を継いだ。


「モデラートにとっちゃ、親父の死んだ原因が、よかれと思って助けた敵の子供だったから、それが堪えてるんだろう。敵に、子供も大人もねぇとな。その証拠に、あいつは十三の娘にさえ〝フツカネズミ針〟をやりやがった」


「ひっ。ひえぇ……っ」


 ティボルは背筋を震わせた。

〝フツカネズミ針〟。どんなに強情な悪党も二日しか生きられないほど苛烈な拷問術として裏世界に聞こえていた。


「おれの計画は、あの娘を泳がせることを前提にしてたが、モデラートはおれの思惑を知りながら、最初からあの娘から黒幕を引き出すことだけに固執していた。まったく、あの娘もあいつの責めの一夜をよく耐えてシャラモンの所まで逃げられたもんだぜ」


 嫌な世界だ。そこでティボルは憂さ晴らしに、ふと冗談を口にしたくなった。


「旦那。モデラートさんの怒りと、狼の怒り、どっちが恐いんでしょうね?」

「おい、やめろ。あいつらの怒りの矛先が常におれにしか向いてねぇだろうが」


 麦わら帽子を取ってカラヤンが睨んでくるが、眉が困ってる。ティボリは首をすぼめながらも、ちょっとニヤリとしてしまった。


 その時だった。

 森の中から、華奢な影が飛び出してきた。


 ティボルはとっさに手綱を引いて馬を止めた。

 飛び出してきたのは、やせ細った身体に肌着しか身につけていない十四、五歳の少女だった。どうやら馬車を呼び止めようと飛び出してきたらしい。


 と、少女が何か訴えようと口を開きかけ──、

 その首を矢が貫いた。


 少女の細い身体は矢勢そのままに道の反対側の草むらに消沈したきり、見えなくなった。


「畜生っ。くそがっ」


 ティボルは一瞬で頭に血が昇り、弓を取りに御者台から腰を浮かせた。

 その腕をカラヤンにがっちり掴まれた。


 ──おい。逃げたガキは見つけたかっ!?

「ああ。仕留めた。今からそっちに持って行く」


 森の中から男達の声が聞こえて、ティボルも息を詰めて御者台に座り直した。


「まったく。手間かけやがって。こっちは大司教から矢の代金までもらって──」

 森から弓を携えて出てきたのは、甲冑を着た兵士だった。

「おい。お前ら商人か。どこから来たっ」


 強い語気で近づいてくる。兜の下から覗く目の据わり方が尋常じゃない。ティボルは口の中で舌を準備運動させた。


「へ、へい。セニから来ました。これからティミショアラまで参ります」

「ティミショアラ? ふーん。荷は何だ?」


「イワシの塩漬けと塩樽です。おあらためになりやすかい?」


「……ちっ。それは番兵の仕事だ。となりは?」

「用心棒に雇いました傭兵です」


「たった一人か?」

「へい。財布が小さいもんでして」


 カラヤンは麦わら帽子を顔にかぶったまま寝息を立てていた。

「ふんっ、昼行灯か。さっさと行け。お前がここで見たものは他言無用だ。いいな」


「へい。そりゃあもう」

 ティボルは帽子を取り、愛想笑いでぺこぺことうなずいた。


 兵士が茂みの中から矢で仕留めた少女を掴んで、肩にかついだ。森の中へ戻っていく。が、不意に足を止めてこちら振り返った。

 じっと見つめてくる兵士から殺気が立ちのぼっている。


(クソ野郎が。隙あらばオレ達まで射殺いころす気かよ……っ)


 ティボルは無言で手綱を打って馬を歩かせる。綱を握る手が震えていた。怒りで。

 やがて、兵士の姿が見えなくなる距離まで離れた頃。カラヤンが麦わらごしに声をかけてきた。


「ティボル。ありゃあ、どこの衛兵だ」

「カーロヴァックの教区衛兵隊でした。鎧の徽章エンブレムを見ました。とんだマヌケ野郎ですぜっ」


 思わず膝を拳で叩いた。悔しい。腹立たしい。また何もできなかった。


「会話の内容、聞いたか?」

「会話?」


「あいつが仲間に、〝大司教〟って言った。名前、知ってるか?」


 カラヤンの冷静さに、驚く。ティボルは深呼吸を三回ほどして頷いた。本当にマヌケ野郎だった。あの兵士も、オレも。


「大司教といやあ、カーロヴァック教区のジョルジュ・セオドア・バイデルってヤツです」

「よく憶えてるな」


「金儲けに目がなく、成人の祝福前の子供なら、男も女も見境がないゲス野郎だって話です。家族連れで旅商してる商売仲間は、市中にはいっても子供を絶対に幌から出しません」


「ほう。……なあ、さっきの兵士の鎧のなりを見たか?」

「なりですかい? 銀ピカでしたが上物の軽鎧でも──」


 言った直後に、ティボルは目を見開いた。カラヤンを見るとうなずかれた。


「きれい過ぎでしたっ。あの野郎、この間の攻城戦に出てねぇ。いや、そんなことあるんですかい?」


「ないな。だから、あの教区衛兵は、少なくとも戦役の後に雇われたんだ。なのに、やる衛兵仕事が教区内の巡回でなく子供を秘密裏に殺める裏仕事だ? そんな莫迦バカみてぇな話があるか?」


 ティボルは顔を強く振った。振りすぎて顔を止めると木炭みたいに熱くなっていた。


「クソ坊主がっ。将来有望な娘を家畜みたいに殺しやがって。許せねえっ!」

「確か、カミックだったと思う」

「えっ、へっ?」ティボルは目をぱちくりさせた。


 カラヤンは麦わら帽子を頭にかぶり直して、大あくびした。


「さっきの衛兵の名前だ。さすがにカーロヴァックじゃ名前は変えてると思うがな」

「えっ。それじゃあ、あの兵士っ。まさかっ!?」


「うん。元盗賊だ。弓の扱いがうまくて、上に取り入る要領がよかった。もっとも、てめぇの弓の腕を鼻にかけて、わざわざ首を狙う癖が直っちゃいねえがな。お前、カーロヴァックに着いたら、ちょっと調べてみてちゃくれねぇか。先を急ぐ旅だ。すぐにどうこうはできねぇが、バイデルって大司教に少し興味が出てきた」


「合点承知ですっ!」

 ティボルは鼻息荒くし、顔に闘志をみなぎらせて手綱をあおった。

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